都会の怪②
月曜日と木曜日の部活のない日は、桃泉堂に行くのが、半ば習慣になっていた。だいたい六花に誘われるのだ。蒼は、一緒に来ている時もあれば、いない時もある。その日も六花から呼ばれて、瑞貴は電車を途中下車して桃泉堂に向かっていた。
(まただ。何かついて来てるな)
背後に気配を感じながら、瑞貴はそう思った。連休明けから連日、誰かが後をついて来ている気がすることが続いている。たぶん、人ではないだろう。あまり大きくはない人型の妖怪だと思うが、定かではない。振り向くと、パッと身を隠すので、残像を目の端に捉えたことが一、二回あるくらいだ。
(子どもみたいだけどな)
追跡者は、ただ後をついて来るだけで、何かしてくるわけではない。瑞貴の方から話しかけたり、捕まえたりするには難しそうな距離感で、気にはなりつつも何もできずに数日過ごしていた。
そうこうしているうちに桃泉堂に到着し、瑞貴は店の中に入った。相変わらず、古物商の客はいない。狭い通路を奥まで進むと、いつも通り、カウンターの中の座椅子に雄然が座り、六花がテーブルでコーヒーを飲んでいた。
「おや、宝珠。修行してきてちょっと顔つきが凛々しくなったな」
顔を見るなり、雄然はにやりと笑った。
「瑞貴、秩父、お疲れ様。私たちもいい成果を出せたよ」
ノートパソコンの画面いっぱいに妖怪データベースを展開しながら、六花は言った。瑞貴は六花の正面の椅子に腰掛けて、通学鞄を床に下ろす。
「浄縁沼で助けてくれた時、六花さんたちは何を使ったんですか?僕も、自分で妖怪を撃退する術を身に着けたくて」
言いながら、瑞貴は鞄から図書館で借りた本を出し、テーブルの上に置いた。
「へぇ。勉強してるんだ」
「身の危険が切迫してるんで」
「まぁ、そうだね」
蛟に喰われそうになった恐怖は忘れられない。本当に、一巻の終わりかと思ったのだから。
「あの時、蒼が投げたのは、投げ矢。ダーツみたいなものだけど、羽の部分が、祈祷を受けた梟の羽で作られてるの。攻撃力は高くないから、牽制用か、あの時みたいに護符を射込んだりするのにも使うよ」
六花は、白いボディバッグからポーチを取り出し、和紙の包みをテーブルに置く。
「これは、私が使ってる護符。お寺のは、真言宗、天台宗、神社のも何種類か。こっちは陰陽道の……」
「いや、待って待って、六花さん。ちょっと、節操なさすぎじゃないですか」
各種取り揃えて並べられた護符は、お互いに喧嘩をしないのか心配になる。
「何言ってんの。妖怪と戦う時は、異種格闘技戦みたいなもんだから。使えるものは何でも使うの」
確かに、妖怪たちに囲まれた時、六花は陰陽道の呪文も念仏も両方使っていた。
「妖怪は、特定の宗教で律することができる存在じゃないからね。八百万の神の日本の妖怪だもん」
そう言われてしまうと、納得せざるを得ない。読んだ本にも、特別な呪法や念仏ではなく、特定の言葉や物で撃退できる妖怪もいると書いてあった。
「蒼さんの刀は?妖怪を殺すことができるんですか?それが役割だとも言ってましたけど」
「彼奴の刀は迷いがない。凄い切れ味だぞ。さすがは、人の生死に関わる仕事をしているだけのことはある」
座椅子から、雄然が口を挟んだ。
「殺すっていうよりは、消滅させるって感じかな。そもそもあれは、霊力を帯びた模造刀だし。私たちの使う道具は、だいたい民保協の技術部が作ってるの。マーキングに使った鱗粉球、通称妖怪カラーボールも技術部が作ったんだよ」
「技術部なんてあるんですね」
日本の妖怪対策は、思ったより進んでいるようだった。
「霊力を帯びた刀を使えるってことは、蒼さんには霊能力みたいな力があるってことですか?」
「蒼は普通の外科医だよ。頭とセンスがよくて、ちょっと器用ってこと」
とは言え、出会ってすぐの頃に聞いた説明では、民保協のメンバーの多くは妖怪などの異形の者に遭いやすい体質なのだそうだ。そうでなければ、何もいないはずの場所に人ならざる者の存在を見出すことは、現代日本では難しいかもしれない。
「そういえば、僕も最近、こんなことができるようになったんです」
そう言って瑞貴は、右の掌を上に向けて手を広げ、力を込める。すると、掌の真ん中の宝珠の印が仄白く光り、掌の上にテニスボールくらいの淡い緑色の光の球体が生じた。
「ほう……!」
それまで、ゆったりと座椅子に身を任せていた雄然が、俄然、身を乗り出してきた。球体は、瑞貴の掌の上で、ふわふわと上下しながら浮いている。
「すごい。宝珠の力が可視化してる」
六花も感心して言った。
「管狐のタカネとフウロがこれを食べるんです」
桃泉堂の店内もざわめいていた。付喪神たちが色めきだっている。
『宝珠どの、儂にもちょっと味見をさせてはくれまいか』
ピョンとカウンターの上に貨幣の付喪神が飛び出してきた。瑞貴が最初に出会った承和昌寳だ。
「これ、承和」
雄然が窘めるが、承和は興奮してピョンピョンと飛び跳ねている。瑞貴はカウンターの上の承和を見遣り、掌の上の光の塊からピンポン玉くらいの光の球を派生させ、承和に向けて放った。
『ありがたい!』
承和は漂いながら近づいて来る緑色の球体に、カウンターから落ちそうになりながら前のめりに飛びつく。雄然も六花も、息を詰めて見ている。
『おお。なんと甘美な……。至福の味よ。力が漲るのぉ……』
承和は緑色の光の球を小さな体で受け止め、吸収していく。店内の付喪神たちが一斉に湧き立ち、羨望の溜め息が聞こえる。そして、我も我もと動き出そうとして、店内が騒がしくなった。
「タカネとフウロも食べ過ぎて、丸々してきちゃったんです。でも、管狐たちと練習してたら、妖力を吸い取ることもできるようになりました」
そう言うと、瑞貴は立ち上がり、カウンターのそばまで行って、承和に右手をかざした。承和の小さな体から、青い湯気のようなものが立ち昇り、瑞貴の掌に吸い込まれていく。
『あああ。宝珠どの、おやめくだされ!はぁぁ、力が抜けていく……』
へなへなと承和はへたり込み、仰向けにひっくり返ってしまった。店内に、驚嘆とも落胆ともつかない呻き声が充満する。
「へぇ、すごいね。ここまでできるようになったんだ」
「なるほど、少しは宝珠らしくなってきたじゃないか」
六花と雄然に褒められて、瑞貴は珍しく、したり顔で微笑した。カウンターの上で、承和がぺたんと座り込み、恨めしそうな顔をしていた。千鳥ヶ淵の宮乃介に会いに行った時には、自分の掌から何か出ているのかどうかも分からなかったが、今の瑞貴には宝珠の印から発せられる活力のようなものが感じられる。これが、秩父での修行のお陰なのか、力が強くなったからなのかは分からなかったが。
「そんな瑞貴に、ちょっと手を貸してほしいんだけど」
と、六花が切り出す。
「今週末、付き合ってほしいところがあるんだよね。今回のターゲットは、都心の狸なんだけど」
「狸ですか」
「そう。本所の七不思議に出てくる狸囃子っていうのがあってね」
ああ、と瑞貴は言って、テーブルの上に置いた『日本妖怪図説-東京編-』という本を指さした。
「これに載ってました」
「そう。その狸囃子の狸がね、今、新宿の辺りにいるって情報があるの」
どこからそんな情報を得るのか不思議だが、今日、六花が瑞貴に会いたがっていた本題は、これのようだった。
「分かりました。予習しておきます」
そう言って、瑞貴は六花と週末の待ち合わせの約束を交わした。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。