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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
寒月峰神社
12/30

寒月峰神社③

 離れは、神社の境内から少し歩いたところにあった。宮司夫妻と吏、美弦の住まいであり、千歳の実家だった。建物の日の当たる側に家庭菜園程度の畑があり、玉ねぎやキャベツや豆などが育っている。

 広縁に面した八畳の和室が、宿泊のために用意された部屋だった。茶の間で昼食を摂る間、蔦子は甲斐甲斐しく千歳と瑞貴の世話を焼いた。千歳の仕事のこと、瑞貴の学校のこと、父子の日常生活のことなど、蔦子は色々と知りたがった。会話の中で、蔦子は何度も泊っていくよう千歳を説得したが、千歳は仕事を言い訳に、頑として聞き入れなかった。

 手作りのちらし寿司を食べ終えて、瑞貴は一旦部屋に戻った。美弦には、ただ社務所に来るよう言われただけだったが、何か持って行った方がいいのか、暫し思案した。そして、リュックサックのポケットから、透明のジッパー袋を取り出した。中には、鼈甲べっこうのような「継」の花弁が入っている。千鳥ヶ淵で河童の宮乃介からもらったものだ。宮乃介はこれを瑞貴に渡し、寒月峰神社の神主に聞けと言っていた。瑞貴はそれを袋ごと、ズボンの尻ポケットに突っ込んだ。

「美弦さんのところに行ってくる」

 同じく部屋に戻っていた千歳に声をかける。

「ああ。父さんはちょっと出かけてくる。母さんの墓参りをしてくるよ」

 そうか。ここには瑞貴の母の墓があるのだった。千歳は、実家には帰らないものの、時々、母親の墓参りに一人で行っていることを、瑞貴は知っていた。

「お前も、滞在中に母さんの墓参りに行くといい」

「うん。そうだね」

 答えて、瑞貴は部屋を出た。一人で離れを出て、一本道を神社の境内に向かう。途中、少しじめじめした濃い木蔭を通った時に、どこかから「おい」と声をかけられたような気がしたが、瑞貴は応えなかった。山には、町よりたくさんの妖怪が存在している。声をかけられて迂闊うかつに返事をすると、妖怪の術にはまってしまうから、何か聞こえても返事はするな、と来る前から千歳に言われていた。神社の境内の中に入ってしまえば、そこは結界の中だから安全だと聞いている。瑞貴はそそくさと神社の敷地内に入った。

 社務所では、美弦が机に向かい、紙垂しでを作っていた。瑞貴の姿を認めると手を止め、作りかけの紙垂をしまって、立ち上がる。

「境内を案内しながら、修行の内容を説明するよ」

 二人は社務所を出て、柔らかい春の陽射しの下に出た。美弦と同じ、浅葱色の袴姿の神主が、境内で掃き掃除をしていた。拝殿の正面にある赤い大きな鳥居から下を見下ろすと、両側に石燈籠を配した石段がある。瑞貴たちが登ってきた山道は裏道で、正式な表参道はこちらにあるようだった。鳥居を背にすると、狛犬こまいぬが一対、そして左手に手水舎ちょうずやが見えた。山の中の神社ではあるが、参拝客は意外と多い。拝殿は数人が参拝の順番待ちをしており、社務所にもお神籤みくじを引く人やお守りやお札を求める人の姿がある。右手にある神楽殿かぐらでんの前を通ると、「五月五日 巫女舞奉納」と毛筆で手書きされた立て看板があり、プログラムのようなものが記されていた。神楽殿から拝殿まで、ゆっくりと歩く。まだ少し冷たい五月の風に吹かれ、それでも日なたは暖かい。

 美弦は瑞貴に色々な質問をした。そして瑞貴は、それに答えながら、これまでのいきさつを話した。陸上部の山トレーニングで倒れて熱を出した日を境に、宝珠の力を得たこと。六花や蒼や雄然と出会い、宝珠の力について教わったこと。民俗保全協会のこと。六花たちの計らいで、皇居の濠に棲む河童に会ったこと。美弦は、ひとつひとつの話を、驚くことなく深く頷きながら聞いていた。民保協については、美弦は聞いたことがないようだった。宮乃介にもらった鼈甲風の花弁も見せたが、これについても知らなかった。宮司様なら分かるかもしれない、とだけ言われた。一通り話し終えると、美弦は立ち止まって少し考え、徐ろに切り出した。

「瑞貴、君の修行っていうのは、神道しんとう修験道しゅげんどうを究めることではないと思うんだ。神主になるための修行でもない。自らを律して、心を強く、時には無にして、よこしまな者たちにも付け入る隙を与えないようにすること。先代の祀様も、そういう修行をしていたんじゃないかと思う」

「心を無に……。でも、それってやっぱり、そういう神主さんとかがするような修行が必要なんじゃないですか?」

 拝殿の正面に掛けられた幕の奥は薄暗く、旗や御幣ごへい神饌しんせんが並べられているのが幽かに見える。今まで、神社に参拝することはあっても、あまり気にしたことがなかったが、こうして見ると、とても深遠で近寄りがたく、到底理解できないもののように、瑞貴には思えた。

「修行っていうのはね、瑞貴。目的じゃなくて、手段なんだよ。苦行に挑むことが大事なんじゃなくて、それは、あくまでも精神を鍛錬する方法のひとつだ。心を整えることができるなら、どんな方法でもいい」

 拝殿の奥を見据えていた美弦は、瑞貴の方に向き直り、瑞貴を頭から爪先までゆっくりと眺めた。

「瑞貴は陸上部だから、山を歩いたり走ったり、そういうのでもいいかもしれない。山駆けっていって、修験道の修行にもある。ほかにも、雅楽の楽器の演奏をするとか、神楽や巫女舞を覚えるのもいいだろう」

「楽器は無理です……、たぶん。身体を動かす方がいいかもしれません」

 瑞貴の返答を聞いて、美弦はにっこりと微笑んだ。美弦の笑顔は、なんだかとても安心感がある。

「それなら、母さんに巫女舞を教えてもらうといい。ちょうど明後日の巫女舞の稽古もしているところだし、異性装で魔を除けるなら、それにも役立つよ」

 女装をしたいわけではないのだが、やはり異性装が魔除けの意味を持つというのは本当らしい。修行と聞いて、滝行や断食や火行のような過激なものを想像していた瑞貴は少し拍子抜けしたが、美弦の提案を聞いて、何とか自分にもできるかもしれないと、ひとまず胸をなでおろした。

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