寒月峰神社①
ゴールデンウィークの初日、瑞貴は父親の千歳とともに、電車で秩父に向かっていた。池袋駅から私鉄に乗り換えたが、瑞貴たちが乗った早朝の全席指定の秩父行きの特急は、満席だった。
「美弦くんが駅まで、車で迎えに来てくれることになってるんだ」
コンビニエンスストアで買ってきた菓子パンと缶コーヒーを手渡しながら、千歳は言った。美弦は千歳の姉の息子、つまり瑞貴の従兄だ。瑞貴がまだ小学生だった頃、伯母一家が東京に来た時に一緒に食事をしたことがあった。当時、従兄は高校生で、中学生の妹もいたはずだった。伯母はとても気さくな感じで、だいぶ年上の従兄はとても優しかった記憶がうっすらとある。
「美弦さんって、今、何してるの?」
「ん…ああ……。大学を出て就職してたらしいが、二年くらい前に本家に戻ってきて、神職の勉強をしているらしい」
千歳は姉と二人きょうだいであり、本来は神主になって寒月峰神社を継ぐはずだった。実家と絶縁して飛び出してきた手前、少し気まずそうだ。
「妹もいたよね。翼ちゃんだっけ?」
「翼ちゃんは今、大学生だな」
「ふぅん」
と頷いて、瑞貴は缶コーヒーを開けた。特急の二つ並びの座席で隣に座っている千歳は、自分も菓子パンの袋を一つ取り出し、袋を破る。
「着く前に、お前に少し話しておいた方がいいな」
意を決したような声音で千歳は言い、いつになく低い声で語り始めた。
千歳の話の内容はこうだった。
実家である寒月峰神社は、現在、瑞貴の祖父が宮司を務めている。千歳は理系の大学を出て大学院まで卒業して、今の化粧品メーカーに就職した。研究職を続けながら、神職の勉強も少しかじりつつ、家を継ぐことはのらりくらりと避けていた。瑞貴の母親の悠花と結婚してからも実家に住んでいたが、瑞貴が二歳の時に悠花が亡くなった。このことで、父親である祖父と「揉めた」と千歳は言ったが、具体的に何で揉めたのかについては、言葉を濁した。そして、千歳は息子を連れて都内に移り住み、実家と訣別したのだ。それ以来、実家には一度も帰っていないらしく、今日は実に十四年ぶりの帰省だった。神社は世襲ではないが、上条の家にはやはり宝珠の出現が代々言い伝えられており、宮司でなくとも、血筋の者が何らかの形で神社に残るしきたりになっていた。そのため、千歳が家を出た後、急遽、姉が巫女として実家に呼び戻されたのだった。
「だから、姉さんには頭が上がらないんだ」
千歳が、物腰は穏やかだが意志強固であり、決めたことは譲らない性格であることを瑞貴はよく知っていた。それでも、きょうだいに対して申し訳ない気持ちはあるようだった。
「おじいちゃんとは、今も仲が悪いの?」
「仲が悪いっていうわけではないんだけどな……」
と、千歳は言い淀む。
「喧嘩したとか、そういうんじゃないんだ。……まぁ、家を出て行ったことは、怒ってるかもしれないけどな」
祖父が時々家に電話してきているのは知っていた。どうやら、帰ってこいという連絡らしいが、千歳はいつもけんもほろろに断っていた。
「そろそろ、家系にまた宝珠が現れるかもしれないことは分かっていた。百五十年に一度とはいえ、そんなに正確なわけではないから、いつ誰に宝珠の力が顕現するのか、みんな警戒してたんだ。父さんだって、もしかしたら自分がそうかもしれないと思っていた。先代の宝珠は巫女だったし、姉さんや美弦くんや翼ちゃんの可能性もあった。おじいちゃんは四人きょうだいの末っ子で、上に姉が三人いるんだが、その子供や孫たちだって、宝珠の候補だった。おじいちゃんもそれを気にしていたんだろう」
「そうだったんだ……」
瑞貴は呟くように相槌を打った。宝珠は自分ではなかったかもしれないのか、という思いがよぎった。千歳は、自分自身が宝珠である可能性があることを知りながら、上条の家を出てしまったのか。六花たちが言っていたように、宝珠の力をコントロールできるようになる必要があるなら、やはり神社で修行をしていてその道に詳しい者が宝珠になるべきだったのではないだろうか。だからと言って、瑞貴もそのまま上条の本家で育っていたら、神社を継ごうと思ったかどうかは、あまり自信がない。
「瑞貴が柄掛山で倒れて熱を出した時、もしかしたらと思った。なんとか回避できないかと思ったが、妖魔に襲われないようにするので精一杯だった」
それでも、父親の魔除けは効果が高かった。ハーブの出来も褒められていたし、部屋に盛り塩をして香を焚いてもらったことで、ラップ音もだいぶ弱まった。ハーブを身に着けていない日に鎌鼬や鴉に襲われたのも偶然ではないだろう。しかし、今、宝珠の力を目立たせないようにやっていることは、すべて姑息的なものに過ぎない。上条家の血筋とはいえ、数日間神社で教えを乞うたところで、すぐに何かが身に付くとも思えない。
(どうすればいいんだろう……)
父親の話に耳を傾けながら、瑞貴は、突然不治の病にかかった病人のような心持ちがしていた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。