第7話 秋月燈の日常
記憶を失ってから半年以上が経った2010年4月下旬。
春が過ぎ去り夏の準備を迎えようと、若木の葉は青々と生い茂る。花の香りから薫風の香りが色濃くなった。
今は夜明け前の時刻だったろうか。自然界にはないサイレンの音がいくつも重なり、不協和音を奏でる。その音に敏感に気付き、目が覚めてしまった。
「ん?」
重たげな瞼を開くと、見慣れた部屋の天井が目に入る。まだカーテンの向こうは薄暗い。再び眠気が襲い、再び目蓋を閉じる。
しばらくすると規則正しい吐息が部屋の中に漏れた。
風もないのに何かが揺らめいた。それは常人には見えないモノだった。ゆらりと煙のように部屋を浮遊する。
もし私が起きていれば、気配に気づいたかもしれない。
『まったく、呑気なものじゃのう』
囁くようなダミ声は、遠のいていくサイレンの音と共に掻き消えた。
***
──何も知らぬことは最も幸福である──
西洋のことわざ
2010年4月28日 武蔵県西国市内。
6時40分ごろ、目覚ましの音に意識が浮上する。
「んー」
『ん、起きたようだな。ほれ、のんびりしておると時間があっという間に過ぎるぞ』
「むー」
一人暮らしをしてからか、気配がより分かるようになってきた。そしてたぶん、私の傍に居るのは独りではなく、複数の可能性が高い。
アヤカシか式神か。たぶん両方っぽいそうな気がする。
大きなあくびをしつつ、けだるそうにベッドから身体を起こした。
『わー、わー? トモリ起きる』
『おきる』
『おはよー』
「?」
ベッドを見ても何もいない。ふとベッド半分を使わずにいることに気付いた。もしかしたら記憶があったころは式神と一緒に寝ていたのだろうか。
(モフモフの大型犬だったらありかも?)
『お、起きたか。今日はずいぶんとのんびりじゃな。それで学校には間に合うのか?』
またなにか言われた気がするが、私にはなにか言われたような気がする程度でしっかり聞こえない。とりあえず顔を洗い、着替えをする。
「………リモコン、リモコンは、っと」
時間を把握するためにもTVを付けるのは日課だった。
カーテンも開けず薄暗い中で、真っ先にテレビを付けた。たいてい今日の天気や、占いとレシピといったまやかしの情報ばかりだ。
怪異事件の多くは隠蔽され、事故、テロにおいても報道管制が敷かれいる。ネットなどでも事件の概要、出来事などを書き込んでも削除されてしまうらしい。ただ完全に削除されるかと言えばそうではなく、事件の断片などは検索することはできる。
通常の事件であれば公開されるが、怪異事件だけは知ることで二次被害を恐れてか情報が少ないのだろう。実際にアヤカシの情報を公表しても、混乱するのは目に見えている。
怪異事件に関しては、断片的な情報だけが残るので眉唾物も多く、結果として情報の信憑性に欠ける都市伝説の域を出ないという印象が強い。
あくまでもアヤカシを知らなければ、ネタにしか思えないだろう。でも私はアヤカシの存在を知ってしまった。そして記憶はないけれど、アヤカシの知識、対処の方法などは覚えている。
(そういえば学校で怪異事件が起こる時、《黒い濃霧》が発生するっていう噂があったような? アヤカシが干渉する前の前兆とか?)
政府はここ十年で生活支援、労働時間削減、給料増額を導入。また警視庁や防衛省、総務省消防庁の武装強化に取り込むことを発表した。税金も3パーセントと下げたのだ。人々は目先の豊かさによって、得体のしれぬ恐怖を見て見ぬふりするようになった。
(《MARS七三〇事件》以降、親戚や身内を失った孤児は多い。そういった者にとって目に見えぬ恐怖より、現実的に生きていく方がよほど重要ってのはわかる)
浅間さんに事件のことを詳しく聞きたかったが、高校入学までバタバタしてしまったのと、浅間さん自身も仕事が忙しくなり出張とかで顔を合わす機会が減ったのも大きい。
「やっぱり、退院前にもう少し聞いておけばよかった」
『いや、聞いて倒れたのは我が主人だろう』
『わー、わー?』
『トモリしょんぼり?』
なんだろう、慰められているような気持ちが。周りに居るアヤカシたちが気遣ってくれているのだろうか。モフモフとかだったら、全力で抱きつきたい。
『いい加減、我が主人との意思疎通を何とかしなければな』
「……って、ボーッとしている場合じゃなかった」
寝起きだからか、喉がやけに渇く。冷蔵庫から豆乳珈琲の紙パックを取り出すと、コップに注いだ。
──次のニュースです──
抑揚のないニュースキャスターの声が、わずか八畳ほどのワンルームに響いた。
──……1999年から爆破テロや殺人・変死・失踪事件などの犯罪が増加の一途を辿っており、警視庁はこれらの事件に対し積極的な対応を行っていくと発言しており、不可解な事件、通称怪異事件などを専門とする《失踪特務対策室》の活動内容を正式に発表しました──
「は?」
紙パックを傾けたまま固まった。薄茶色のクリーミーな液体がコップから溢れ出ていることに気づいていない。否、そんな些末な事など頭から吹き飛んでいた。
(確かに情報欲しいって思ったよ!? でも、なにこの急展開!?)
『いや、我が主人の記憶があったころは、当然知っていた情報じゃぞ』
『トモリーびっくり』
『これとまたほうがいい?』
もしかして浅間さんが忙しかった理由は、この対策室関係なのではないだろうか。なんとなくそんなことを思ってしまった。
──《失踪特務対策室》は《MARS七三〇事件》以前から存在する課であり、事件の早期解決に努めてきていました……──
──……事件関係の情報開示、報道規制の取り下げも進められており……──
──また国防長官に就任した五十君雅也氏は近年のうちに《失踪特務対策室》をベースにした国家公安委員会、防衛省自衛隊、総務省消防庁から人材を抜粋し、政府直轄の対策組織として《特別災害対策会議・大和》を設立することが決定しました──
「はああああああ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげた。
(え、え、え? 情報公開だけじゃなく、対策まで? なんで……)
『主人よ、それより溢れておるぞ。と、聞こえていないのだった』
情報量の多さに混乱しながらも、テレビ画面に視線を向けた。
テレビ映像が記者会見に切り替わる。カメラのフラッシュが焚かれる中、国家の要人が姿を見せた。
筋骨隆々と鍛え上げられた肉体に、上質なスーツ姿の男性が堂々とした態度で記者会見に臨んでいた。五十過ぎだろうか、刈り上げられた髪に白いのがいくつか混じっている。鋭いその双眸は国のお偉いさんというより、歴戦の武将の方が近い。また威厳に満ちたその姿勢と雰囲気は、画面越しからでもヒシヒシと伝わってくる。
──《MARS七三〇事件》から11年──
言葉に重みがあった。
──まずあの事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、本日まで不安を抱えながらも、警察の捜査活動にご尽力いただきました全ての皆様にお礼を申し上げます。今や怪異事件が起こる前に発生していたとされる都市伝説となった《黒い濃霧》。それに沈黙を続けてきたのは、情報が曖昧だったため公表を控えておりました。しかし《失踪特務対策室》、《特別災害対策会議・大和》を立ち上げるに当たって対処が可能になったため、情報を公開することにしました──
迫力と声のトーンにおいても堂に入っており、カリスマも申し分ない。その熱意と覚悟がヒシヒシと感じられた。アヤカシのことは触れなかったが、《黒い濃霧》が危険という警告は公開したのだ。それだけでも驚きだった。
──……五十君氏の会見に対し、本日午後より詳しい説明を行うため、緊急記者会見を開くとの情報が入りました。《濃霧》とは、設立しようとしている《特別対策会議》とは? なぜ今になって情報開示がされたのか、どのような改革なのか──
(どうしてこのタイミングで? 《黒い濃霧》、アヤカシとの干渉に何らかの対処方法の目処がたったってことよね?)
『ほぉ、結局我ら無しでも人材を集められたということか。……いや、もしかしなくとも我が主人のために大々的に公表したのかもしれぬな』
(とりあえず浅間さんと連絡取ろう)
ニュースキャスターやコメンテーターが珍しく議論に花を咲かせている。
手の冷たい感触に違和感を覚え、テレビから視線を移すと──
「ん、……って……あれ?」
豆乳珈琲が入ったコップを手にしていた。テレビを付けたときはコップに注いでいたような気がしたが、いつのまに手に持っていただろう。
ふわりと空気が緩んだ。
「もしかして零れそうなのを止めてくれた?」
『然り』
「ありがとう」
なんとなく言葉を付いて出てきた。見えないし、声も聞こえない。でもなんとなく傍にいて気遣っているのはヒシヒシと感じる。
『気にするな、いつものことだ』
『ともり』
『いつも抜けているの-』
『心配』
「心配性だな、ほんとうに」
ポツリと呟いた言葉。自分でも驚くほど自然に口にする。独り言のつもりはなかったけれど、思った以上に声に出ていた。
ふと顔を上げる。周囲を見渡すが誰もいない。気のせいだったかと再び視線を戻した。
(これ気をつけないと周りに人が居る中で呟いたら痛い人だわ……)
独りごちるのは気をつけようと思ったのだが、どう気を付ければいいのか分からないという結論に至り、コップに口を付けるのだった。
***
着替えとタオルを持って浴室に向かう。
ふと、洗面台の鏡に映る自分の姿をまざまざと見た。黒炭のように黒く艶のある髪、長さは肩ほど。髪に艶があることが自慢の一つでもあった。肌は健康的な色合いを保ち、発展途上の体つきで胸や尻もそこまで大きくはない。どちらかというとスレンダーな体型に近い。
私には怪我とは別の、切り傷の痕がある。よく見なければ分からない程度だが、体中至る所にあるのだ。服を脱ぎながら改めて自分の体の傷をみつめた。
「はあー、過去の私。いったい何をしてたんだろう?」
半年でアヤカシに関わった案件を思い出し、巻き込まれ体質の厄介さを痛感する。私が首を突っ込むのではなく、いつの間にか巻き込まれているのだから勘弁してほしい。
「もっと自分の体を大事にしないと嫁の貰い手なくなる……」
『案ずるな。すでに貰い手なら当てがある』
「ん、これからは自分の体を大切にしよう。退院してから体力も落ちたし、まずは体力づくりから始めないと」
『そうさな。まずは食事の量を増やしてもらえると某も助かる。特に酒があると──』
なんとなくムッとしたので、蛇口を捻りシャワーの音で塗り潰した。
***
柳ケ丘高等学校に通う学生の殆どは、私と似た事件や事故によって家族を失っている。天涯孤独か、特別養子縁組が殆どだ。
「……よくあること」と呪文のように呟く。しかし不思議と自分が一人ぼっちだとは感じなかった。
それは今も同じだ。
浴室から出ると、手早く着替えを済ませる。ついで朝食の準備のため台所へと向かった。
(今日はベーコンと卵、アスパラも焼いてそえよう。気分としてはパンかな)
『良いが、その分量は多くないか? 某は《名前》を呼ぶか見えておらんと食えんぞ。おーい』
何か言われた気がしたが、ふと気付くと冷蔵庫から卵を三つほど手に取ったところで、一人分にしては多いことに気づいた。
「あ……」
『お、気づいたか』
「今日は作り終える前でよかった……」
慌てて卵を二つ戻す。
これが不可解な習慣。食事を作る時に三・四人分作ってしまうのだ。他は寝ているときに気づくと一人分のスペースを空けている。
また部屋に一人でいる筈なのに《何かいる》、《見られている》という妙な視線を感じるのだ。
(やっぱり記憶を失う前はアヤカシ……と暮らしていた?)
苦笑しつつ手を動かす。すぐにベーコンを焼く香ばしい匂いが空腹を刺激した。卵を投入し、素早くフライパンに蓋をすると、ほんの数分の間、手持ち無沙汰となる。
徐に失った記憶について考えてみた。去年の十月から十一月に起こった事件の中で、私が関わっている可能性が高いのは──三つ。
「浅間さんは断定してくれなかったし、言いよどむのが少し気になったのよね」
『じゃからそれは主人が倒れたからじゃと……むう、声が届かないというのはなんとももどかしいのう』
《白霧神隠失踪怪異事件》
《クロガミ怪異殺人事件》
《納簾集団放火怪異事件》
去年近い時期に発生した事件は、全国で数百件を越えている。その中から三つに絞るまでに至ったのは、ひとえに浅間さんと交渉して粘った結果だ。
ちなみに情報はチェス勝負で勝ったときに教えて貰った。
病室で繰り広げたチェス対決は実に百回を超えている。殆ど粘り勝ちのようなものだ。
(早く浅間さんと会う約束を取り付けて、いろいろ聞きだそう、うん!)
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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