第5話 凍薄の平穏から脱却
「!?」
私の周囲に風が舞い、何かを弾いた。それも一度や二度ではない。目には見えないけれど、何かが私を守っているのだけは分かる。
「まさかここまで頑強に守られているとは……。想定外だ」
「なにを……」
そう口を突いて出たが、たしかにこの状況は異常だ。周囲を断絶したかのような濃霧、目に見えない剣戟。
桜のすぐ傍に居る丹村さんの表情は硬い。
桜の木、桜ではなく何か赤紫色の花が咲いているように見えた。それは儚いとか、美しいとかではなく、人の血が黒ずんだ──禍々しい色の花を咲かせていた。
「君もこの桜の美しさを知れば、全てを擲ってでも傍に居たいと願うはずだ」
全てを擲ってでも傍に居たと願う。
その言葉が胸に突き刺さった。記憶がないのに、どうしてだろう。その言葉が心を揺れ動かす。
私が記憶を失ったのは肉体的ショックでも、精神的に追い詰められたからでもなく、そういう何かを使ったからだとしたら?
特別な力。以前の私はアヤカシが視えていたのだと仮説を立てて、そこで私は誰かと一緒にいた。でも引き離された、何らかの理由で離れることになった。あるいは離れることでその人を守ろうとした?
推測、憶測だけが一人歩きしていく。
だって、「普通は記憶を取り戻したいのか?」なんて聞かない。それを尋ねるということは医者の領分ではなく、別の理由で私が記憶をなくした、手放したと言っているようなものだから。
たぶん、浅間さんは記憶を取り戻すなんらかの答えを知っているのだろう。だから私が選ぶように、尋ねたのだ。
未知な世界。
森や病院の方恋感覚を失うほどの濃霧。
それなのに桜の木と丹村さんの姿はハッキリと見える。
空も濃霧のせいで真っ白だということ。明らかな異常な状態だ。
訳も分からない空間にいる。私を守ろうとしてくれる存在と、私を同じ場所に引き込もうとしている存在。
そんな中で私に出来ること。
もう一度周りを見渡す。相変わらず剣戟に似た金属音がぶつかり合う音が四方八方から聞こえる。
でも見えない。これは速すぎて、肉眼で見えないのではないか。
だとしたら、この空間から出る方法だ。呼び寄せられたのなら出る方法だってあるのではないか。
ふと思い出したのは民間伝承に登場する《迷い家》だ。東北、関東に伝わる訪れた者に富をもたらすという伝承。たしか《遠野物語》の「六三」「六四」でも登場している。ある条件下によって別空間に引き寄せられる──だとしたら、この状況と近いものがあるのではないか。
そう考えて違和感を覚えた。
(いえ……《迷い家》よりも、もっと相応しい名称があった……。どうしてそれを忘れていたのだろう)
以前浅間さんと話していた中に、答えはあったのだ。
人が突然行方不明になる現象。
異なる世界、非日常的な空間への訪問。
異界に呼ばれた、アヤカシの天狗や鬼に攫われた──それを人は《神隠し》と呼んで恐れた。
(神隠しの文字をなぞって《神隠者》と呼んでいるのなら、皮肉が効きすぎている)
そう思いつつ、私は浅間さんとの会話を思い出す。
『燈、《MARS七三〇事件》の生き残りは《神の祝福者》と呼ばれていることは覚えているか?』
『はい。生き残った者の大半は精神が病んだ末、意識不明となる《未帰還者》通称、《眠り姫》。ある日忽然と姿を消す《神隠者》、突然この世界を呪い、恩讐に身を焦がし爆破テロを起こす《復讐者》この三種類に分かれる』
ある日忽然と姿を消す。今の私のように、巻き込まれる状況が神隠し──《神隠者》だとしたら、精神が病んだ末、意識不明となった人たちはアヤカシに魂や心、記憶を奪われて肉体だけが無事な状態──つまり《未帰還者》通称、《眠り姫》だったのではないか。
そうなると《復讐者》は、アヤカシに肉体を奪われたと解釈が出来るのではないか。
(全てはアヤカシに関係があった。でもそれを公表しないのは──視えない人に証明するのが難しいから? 政府としても曖昧な公表は余計な混乱を与えると考えたから?)
疑問は残るけれど1999年8月以降、アヤカシが以前よりも現世に干渉できるようになったと考えると色々と辻褄があう。合ってしまうのだ。
話は戻って現状でこの状況がアヤカシによる攻撃を受けている場合、私に出来ることは何か。
今の私は視ることが出来ない。
視ることが出来ないけれど、あのアヤカシの正体を暴けば状況は変わるだろうか。現状が分からないまま動き回るのは得策ではないし、私の周りにいるアヤカシたちの足を引っ張るかもしれない。
私の周りにいるアヤカシが味方かどうかは、正直わからない。気まぐれ、あるいは何らかの目的で私を守っている可能性だってある。それでも現段階で守って貰えるのなら、有り難く利用させて貰う。
(さっきまで私は《迷い家》についての知識はなかった。あれはふと思い出した感覚だった。それをもう一度、意識的にする)
私の中に眠る知識を呼び起こし、分析を介する。
霧を発する。
人を惑わす。
アヤカシは大体人を惑わす系だから、もっと別の。桜? でもあれは桜じゃない。桜に擬態した何か。作られたもので、偽物。
(偽物……? 作られたアヤカシ?)
アヤカシは土地との結びつきが多い。土着信仰や環境によって生じる。けれどそれとは別にアヤカシになる前の邪気を押し固めて、無理矢理押し固められて作り上げられたアヤカシがいる。陰陽師と妖術師が作り上げた《縫い止められた化物》、亥、申、寅、巳の方位を駆使して作り上げた鵺を改良して生まれた《縫威》。
その姿は土着信仰に基づき様々な形を持つ。邪気が溜まりやすい場所に敢えて縫威を作りだし、それと同時に邪気を払うため社を備える。信仰が厚ければ邪気を浄化するだけの力を持ち、何も問題なかった。
社、神々への信仰が薄れれば、アヤカシの力が増してその悪意が人に向けられる。今まで発覚しなかったのは、この土地の《縫威》の知性が高いから。神隠しあるいは、行方不明になってもたいして騒がない人間を選んでいるとしたら──。
(最悪ね)
「さあ、君もこっちにおいで! そうすれば美しい桜を永遠に見続けるられる」
特に病院なら肉体と共に心が弱っている人が集まりやすい。そんな人たちを誘導し、取り込んできた。悪質過ぎる。
そのことに腹が立ったけれど、であれば今すべきことは、社と共に作られた式神を召喚する。信仰による力は一定数以上の参拝者や祈りが必要となるが、緊急時の式神の召喚だけなら発動させることができたはずだ。
これは私の記憶ではなく、知識だから思い出せたのだろう。
(私自身のことは分からないままだけれど、でも今までの私の頑張りが全て無駄になっていない。それだけで私は少しだけ前の自分を褒めてあげたい)
どうすればいのか。
かつての私はどうしていたのか。それは分からない。忘れてしまったから。それでも今まで研鑽を積み重ねてきた知識と肉体の記憶は覚えていた。
「僕なら君の悩みも、心の隙間も埋められる。この桜の花を一緒に愛でよう。君にはその資格がある」
「いやよ」
「は? え」
「私の記憶は虫食いだらけで、不安定だけれど、私は独りじゃないもの」
嘘だとか、あり得ないと、丹村さんは発狂したけれど、そんなことよりも私はふと夢の中で出会ったあの人のことが脳裏に浮かんだ。
満開の桜の下で、話した誰か。
「それに花を見て愛でるなら、一緒に見たい人は別にいる」
足に力を入れ、社に向かって駆け出す。
苔ばかりの小さな社。式神は陰陽師が使役する霊的な存在であり、術式によって様々な式神を召喚し、使役することが出来る。そしてこの社にはアヤカシが暴走した時のため、緊急用式神召喚が出来るように作られていた。
「“我、厄災を祓い、清め給うことをかしこみ、かしこみ申す”」
略式禹歩を展開しつつ、吉を招くための道を駆ける。本来は儀式などでゆっくりと歩くが、戦闘時にそんなことは言っていられない。それ故に生まれたのが略式禹歩だ。
現代では神楽や演舞にも禹歩の動きが取り入れられている。だから応用によって戦闘特化の走り方にすることが出来た。
「“土地に宿りし天つ神、国つ神に祈りと願いを奏上し”」
私の傍で風が凪ぐ。
金属音が響き、火花を散らすのが微かに見えた。
正直、怖い。
足だって一瞬でも力を抜けば崩れ落ちてしまう。それでも大地を踏みしめて一歩進むのは、伽藍堂の記憶を取り戻したいと思ったから。
「”ここに凶事を滅する導きの使い手を顕現させ給え──”」
全てを擲ってでも失ったという、私が大事にしたかったもの。私は過去の自分を知りたい。何を守りたかったのか、過去の私も私は手放したくない。
今も見えないけれど、私を助けてくれるモノがいるのに忘れたままなんて不義理をしたくない。
私は欲張りだから。
全部拾えるモノは拾うと決めた。
「それにふれるなああああああああああああああ」
私に何かが迫る感覚があった。けれど風がことごとく払いのける。まるで「ささっとやってしまえ」と後押しするように、心強かった。
手を伸ばし、滑り込む形で社の触れる。
「“術式零番、簡易式神──天雲雷”」
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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