第11話「社畜と悪役令嬢と、皇子と帝国の影」 エピソード①
第11話 「社畜と悪役令嬢と、皇子と帝国の影」
聖都セレスティア
王立学院・中庭(昼休み)
初夏の陽気に包まれた中庭では、涼やかな風が花壇の花々を優しく揺らしていた。
「風が強いですわね……」
ベンチに腰掛け、優雅に本を読んでいたルナリア・アーデルハイトは、
眩しそうに空を見上げながら、そっとその銀の混じった金の髪を押さえた。
「はい、ルナリア様。花たちも、なんだか落ち着きがない気がします」
花壇にしゃがんでいたヴィオラ・ブランシェットも、顔を上げて頷く。
確かに、花弁の揺れは風だけのせいではないような気がした。
まるで、空気そのものがざわついているかのように――
「……なんだか、不思議な感じ。まるで、何かが近づいているみたいな……」
ルナリアがそう呟いた、その時だった。
ゴゴゴウッ
校舎の窓が、びしりと震えた。
木々がざわざわと大きくうねり、風の音ではない――
空全体が唸るような音が、頭上から降ってきた。
「っ……なに、今の音……?」
「地震?」
「いや、違うぞ……空だ、空から何か来る!」
中庭にいた生徒たちも、一斉に身を縮め、空を見上げる。
だが、そこで彼らの視界に入ったものは――
「な、何だ、あれ……?」
遠くの空。
黒い雲の塊のような、だが確かに違う、規則的な影の集合体が広がっていた。
「違う……雲じゃない。あれは――動いてる……!」
「鳥じゃないの?」
「いや、竜か!?」
「違う……でかすぎるだろ!」
ヴィオラも眩しそうに顔を上げ、小さく叫んで指をさした。
「ルナリア様! あれ……」
ルナリアもそっと本を閉じ、目を細めて空を見上げた。
ドンッ……ゴゴゴゴゴ……シュワァァァァァン……
腹の底まで震えるほどの重低音が、さらに強まった。
「あれは、巨大な空飛ぶ船?」
「あんなの見たことないよ!?」
「これ、まさか……帝国か!? 帝国が攻めてきたのか!?」
まひる(ルナリアの中)も思わず叫んだ。
(な、なにこれ……飛行船!? いや、デカすぎない!?)
そのとき、学院の上空を、白銀の鎧に身を包んだワイヴァーンの編隊が、
校舎の尖塔をかすめるように怒涛のような羽音を響かせて飛び立っていく。
「竜騎士団が出た……本当に、侵攻じゃ……」
「やばいって、俺たち逃げた方が……」
「無理だよ! あんなの、どこに逃げろって……」
そして空を覆い隠すほどの漆黒の巨影が、太陽を覆った。
昼間だというのに、空はまるで夜のように暗くなり、
冷たい風が吹き抜けた。
「うわっ、暗い……昼なのに!」
「太陽が隠れた!?」
生徒たちのどよめきは、次第に悲鳴混じりの混乱へと変わっていった。
立ち上がって逃げようとする者、立ち尽くして空を指さす者。
「帝国だ」「聖都が滅ぶ」と、誰もが不安に煽られた声をあげる。
が――
そのただ中で、ルナリア・アーデルハイトの姿だけが、絵画のように静かだった。
気付けば、ヴィオラが隣に座り、ルナリアの腕にぎゅっとしがみついて震えていた。
けれど、空を見上げるルナリアの表情はまるで変わらない。
「……確かに帝国の魔導戦艦ですわね。
旗……? あれは、外交使節の旗。侵攻ではありません」
一呼吸おいて、ルナリアは呟いた。
「でも――。
“本当にそれだけ”だと、いいのですけれど。
”何かが始まろうとしている”ことは間違いありませんわね」
誰に向けたでもないルナリアの小さな呟きが、
空気を震わせる巨大な咆哮のような音に、かき消された。
ゴゴゴゴゴ……ゴウン、ゴウン……シュワン、シュワン。
金属が軋むような音と、
魔力炉が回転するような不気味な唸り声。
空全体が、帝国の魔導技術と巨大な戦艦の威圧に支配されていくようだった。
そのとき――
カランカランカラン――
重々しい鐘の音が、聖都のあちこちから響き渡った。
王宮、騎士団詰所、聖堂、そして学院の尖塔――
尖塔という尖塔から警鐘が鳴り響き、それはまるで街そのものが恐怖に震えているかのようだった。
「警報だ……本当に帝国が……!?」
「聖都が狙われてるのか……!?」
声はまばらだった。
もはや、誰もが、声もなく空を見上げるしかなかった。
まひるは内心、震えながら呟いた。
(あれが……帝国の力……!? しかも、たった一隻でこの有様……。
七つの聖環では“背景設定”だけのはずだったのに……。
こんなふうに、現実に見せつけられることになるなんて……)
まるで、空を喰らう影――
その日、聖都セレスティアの空は、その影にゆっくりと、侵されていった。
◆
――その少し前。
王宮・竜騎士団詰所。
「敵襲か!? いや、しかし……!」
「空からの接近です! 白竜山脈の向こう――北東の空に、巨影が!」
詰所が騒然となる中、見張りの騎士が震える声で叫んだ。
「……あれは……帝国の魔導戦艦だ!」
その言葉に、場の空気が一気に凍りつく。
フェルディア帝国――
その名が脳裏に浮かんだ瞬間、隊長が怒鳴った。
「飛竜隊、スクランブル発進! 近付き過ぎるな! 乱気流に巻き込まれるぞ。威嚇に留めろ!」
白銀の鎧と竜槍をきらめかせながら次々に飛び立つ飛竜たち。
しかし、彼らの視界に映ったのは、異様なまでの巨大さと、黒々とした装甲で覆われた、まるで要塞のような船体だった。
「なんだ……この威容は……」
「どうやって……こんなものに立ち向かえと……」
騎士たちの胸に、不安がじわじわと広がっていく。
誰もが、その圧倒的な質量の前に、己の飛竜の小ささを思い知らされるばかりだった。
「帝国の連中……! 戦争中でもないのに、こんなモノで乗り込んできやがって……!」
「こっちは精鋭でも、せいぜい数十機だぞ。何かあれば、ひとたまりもない……」
奥歯を噛みしめ、竜槍を握る手に力が入る。
無力だとわかっていても、進路を塞がねばならない――それが騎士の矜持だった。
そのとき、戦艦から近距離魔力通信の音声が響いた。
『こちら、フェルディア帝国所属、魔導戦艦〈ヴァルハラ〉。
平和的な外交使節が同乗している。
我々は、聖都セレスティアへの入港を要請する。
貴国の出迎えに感謝する』
「出迎えだと……? は?」
通信の内容に、騎士たちは思わず顔を見合わせた。
出迎えに感謝?
あの威圧感で?
まるで『威圧されるのはご勝手に。あくまで平和的な訪問だ』とでも言いたげな余裕。
「……ちくしょう、なんなんだよ帝国ってやつは……!」
しかし隊長は冷静に竜騎士団員たちに指示を飛ばした。
「参謀本部および、王宮から伝達。外交使節団が乗っている。飛行場へ案内せよ!」
戦艦はゆっくりと聖都上空へと進み、やがて王立学院北部の飛行場――
普段は竜騎士の演習場であるその地に、影を落とした。
*
そして。
轟音を響かせながら飛行場に着地した魔導戦艦。
徐々に周囲に響く音が小さくなり――
その黒鉄の船体の滑らかな表面が音もなく静かに開き、タラップが降りた。
まず現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ騎士たちだった。
無言のまま、左右に整然と並び、規律を象るように微動だにせず静止する。
続いて、重々しい機械音と共に、
黒鉄の巨体――帝国魔導技術の結晶たる戦闘ゴーレムが一体ずつ、騎士の脇に配置されていく。
まるで、人間と機械の“黒の双壁”が道を形成していくようだった。
その圧倒的な光景に、集まった騎士たちは誰一人声を発することができなかった。
息を呑み、ただ見つめるしかなかった。
そして、最後に姿を現した男――
帝国の紋章が刻まれた漆黒の鎧に黒のマントを靡かせ、背に担ぐはまた漆黒の巨大な剣。
彼はその黒の双璧の間を、あたかも帝国そのものの威厳を体現するかのように、悠々と歩いてきた。
その姿が現れた瞬間、演習場の空気がひときわ重く、冷たくなる。
その一歩ごとに、大地すら膝を折らされるかのような威圧感。
その男こそ――
帝国皇太子、レオンハルト・ヴィ・フェルディア。
大陸最大にして最強の国家、フェルディア帝国の次期皇帝であった。
「ははは。案ずるな。
我らは友好国。俺はただ――嫁探しに来ただけだ」
それは、冗談でも虚勢でもなかった。
たとえ嫁探しだとしても、それが帝国皇太子の言であれば――
大義にも、戦端にも、すべて“正当な理由”となるのだから。
そして、口の端を吊り上げながら、こう続けた。
「まあ、気に入ったのがいなければ――国ごと貰って帰るだけだがな」
豪快に笑いながら放たれたその言葉が、演習場に響いたとき、
むしろ騎士たちは再び、帝国という存在の重さを思い知らされるのだった。
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