第10話「社畜と王子と、乙女ゲームな夜」 エピソード③
王立学院・寄宿舎(夜)
夜の静寂に漂う気配のようなもの……。
……でも、それはきっと、気のせい。
こんな時間に人は来ないでしょ。
まさか……レイアさんとか!?
いやいや、彼女は図書館から出れないっぽいし、ない、ない。
会えたら嬉しいけど……まあ、幽霊さんですけどね……。
そんなことを考えながら、もう一度、静かに息を吐いた。
(ふぅ、これでいったん棚卸完了、かな)
(でもでも、だいぶシナリオ変わってるし、次のフラグは正直予想できないなあ……)
(ま、これまで通り、順次対応するしかないよね)
火照った身体に冷たい空気が心地よくて、
水音を聞いていると、少しだけ頭が整理される気がした。
(……そもそも、ヴィオラちゃんがシナリオに出て来るのが遅れちゃったのって…
やっぱ、わたしのせい、だよね……)
(ヴィオラちゃんって、今……どのルートにいるんだろ?)
たぶん、エキジビションで一緒に踊ったのはラファエル様だから、王太子ルート、だよね?
でも……今日、乗馬の時のヴィオラちゃんの嬉しそうな顔……。
それに、ラファエル王子にはそっけないというか、たぶん話してなかったし――
まひるははっとして、両手で口元を覆った。
(……! もしかして……ルナリアさんルートだったりして……!?)
思わず目が泳ぐ。
いやいや、まさか、正ヒロインが百合ルートとか……?
……ありえなくもない気がしてきた……。
……いやでも、さすがにそれはないか。もしそうだったら……
それバグでしょ。乙女ゲー的に。
ぶんぶんと頭を振って否定したけど……。
今度はぐったりと膝を組んで、頬杖をついた。
そして、今や悪役令嬢ではないルナリアさん。
ルナリアさんが好きなのは、きっと……。
――そして、わたし。
(わたし? え? 何考えてるの、わたし……!?)
ぱちぱちと瞬きしながら、もう一度ぶんぶんっ……ぶんっ……!
(だ、だめだめ、考えない考えないっ!)
だって、わたしは悪役令嬢の中のただの居候。
ルナリアさんを応援して、フラグを折りまくるのが仕事の社畜だから!
(はい、わたしは社畜。もしくは令嬢畜! 異論は認めません!)
*
――そのときだった。
静かな水音の向こうから、誰かの気配が近づいてくる。
夜の空気が、ふと張り詰めたような気がして――
「……こんな時間に、どうしたんだい?」
低く、けれど優しい声が、背後から降ってきた。
驚いて振り返る。
そこにいたのは、白銀の月光を背に立つひとりの青年――
王太子、ラファエル・エリディウス・セレスティア。
銀の光を纏ったその横顔は、昼間よりもずっと静かで、どこか寂しげで。
まるで、夜の世界からふいに現れた幻のようだった。
(う、嘘でしょ! なんで、ここに……!?)
「ラ、ラファエル殿下……」
まひるは咄嗟にベンチから跳ねるように立ち上がり、ルナリアモードに入る。
慌ててスカートの裾を摘み、優雅にカーテシーを――
しかし、ラファエルは手を挙げてそれを制した。
「いいよ、こんな時間に形式張るのはやめにしよう。
君も……眠れなかったんだろう?」
まひるは小さく頷く。
「ええ、少し……。いろいろと、考えてしまって」
(やばい……やばいよ! こんな夜中に“推し”とふたりっきりだってば!!)
まひるは努めて冷静になろうとするも、鼓動が早まるばかり。
ラファエルは軽く頷くと、噴水の縁に腰を下ろした。
石の縁に手を添え、そっと腰を落とすその姿が、どうしようもなく絵になっていて。
その仕草は、まるで“君も、ここへおいで”って言われたみたいだった。
躊躇いながらも、まひるもそっと隣に腰を下ろす。
(まって、これ絶対、乙女ゲー的には超重要イベントじゃん……!)
ラファエルは俯き、まひるは静かに星空を見つめ――
二人の間には、水の音だけが静かに流れていた。
まるで、月と噴水と星空が、ふたりの会話を待っているみたいに。
しばらく沈黙が続いたのち、
ラファエルがぽつりと、夜に溶けるような声で言った。
「ここ、好きなのかい?」
「ええ……少し頭を冷やしたいときにはここへ……」
「そっか……実は僕も、ここが好きなんだ」
そう言って、ラファエルはまひるの隣で静かに夜空を仰いだ。
「……ここは、月がよく見えるんだ。
水音や風、それに星空が――まるで静かなシンフォニーみたいでね。
気が立って眠れない夜は、つい来てしまうんだよ」
その声は、夜の空気に溶け込むように静かで、
そう呟く横顔は、月明かりに照らされて、
やっぱりどこか寂しそうで――それでも、綺麗だった。
(……ラファエル様、やっぱり夜が似合うなぁ……)
再び、ふたりの間に沈黙が落ちた。
ただ、水音だけが、ふたりの間をゆるやかに流れていった。
――静寂の中、ラファエルの声がそっと落ちる。
「……今日、聞いたよ」
まひるが顔を向けると、ラファエルは水面を見つめたまま続けた。
「君が、妹たちのためにどれだけ必死になってくれたかを。
改めて、君がティアナを、フローラを救ってくれたことに感謝を」
ラファエルは目を伏せ、そのままゆっくりと頭を下げた。
月明かりの中、風になびく金の髪が、静かに揺れた。
(くぅぅ……ラファエル様、謝る姿まで絵になりすぎじゃない!?
風になびく金の髪、伏せたまつげ、月明かりの演出……。
こんなのもう、フルコンプ後の隠しルートでしょ!?
何この神イベント! 何この“推し降臨”タイム!)
「……いえ、それほどのことではありません。
どうか、頭をお上げくださいませ」
どうにか畏まってそう答えると、ラファエルの視線がまひるの膝元に落ちた。
ほんの少し眉を寄せ、左のももに巻かれた白布に目を止めた。
「君に怪我までさせてしまった……早く駆け付けられなくて済まなかった」
(え? このナイトガウン透けてる……やだ、だいぶ恥ずかしいかも……。
しかも、推しにじっと見られるとか、無理……心臓持たない……!)
思わずもぞもぞと身じろぎして、ガウンの裾をそっと整える。
それでも落ち着かず、まひるは必死にルナリアモードを装って、気品ある声を絞り出した。
「いえ、来てくださったこと、感謝しておりますわ。
それに――たいした怪我でもございません」
その声を聞きながら、ラファエルの碧い瞳がまっすぐにまひるを捉える。
けれど、その瞳は、ほんのわずかに揺れていた。
「君は……やっぱり、強い。
君の手は、いつも誰かを救っている。それなのに……なぜだろうね。
その姿を見ていると、僕は――少し、怖くなるんだ」
まひるは目を見開いた。
「怖い……?」
ラファエルは、視線を噴水の水面へ落としながら、静かに言葉を続けた。
「君が……僕の手の届かない場所に行ってしまいそうで。
君が笑っていると、安心する。でも、それが……誰かの隣であるたびに、
心のどこかで、焦っている自分がいるんだ」
その声は、あまりにも静かで、けれど痛切な想いが滲んでいた。
胸の奥を、そっと指でなぞられたような、そんな寂しさ。
まひるは、ルナリアの身体のまま、何も言えずにその言葉を受け止めるしかなかった。
(……やばい。推しが、めちゃくちゃ本音モード入ってる)
鼓動がますます加速する。
月光の中、二人きりの噴水の前。
これは……間違いなく――イベントCG出てるやつだ。
(やば……やばい。心臓が爆速なんですけど……!)
(ていうかこれ、ゲームだったらテンション上がりまくって、スクショ連打案件なのに――)
(……なのに、嬉しいのに、にやけられない。
だって、ラファエル様、本気で不安そうで……本当に、わたしに“怖い”って言ってくれたんだもん)
(でも、どうしていいのかわかんないよ……。
乙女ゲー選択肢、ぴろんって出てくんないかな……)
まひるは、黙って噴水の水面を見つめた。
水面に映る月が、ゆらゆらと揺れている。
その揺れは、まるで自分の心の中を映しているみたいで――
気がつけば、指先が膝の上でぎゅっと絡んでいた。
(彼は本音で言ってくれてる……。
ちゃんと応えなきゃって思うわたしがいる……)
(でも、何て言えばいいんだろう。
ルナリアさんの顔をしたわたしが、どんな言葉を選べばいいんだろう……)
まひるはただ、噴水の水音と、揺れる月を見つめ続けた。
沈黙が、ほんの少しだけ重くて、それでも――
(お願い……せめて、もう少しだけ、考える時間を……)
ぽちゃん、と水面に何かが落ちる音がして――
まひるはぽつりと呟いた。
「……けれど、誰かのそばにいるためには、
その人がいる場所に、自分で歩いていかなくてはいけない……そう思いますの」
ラファエルがわずかに眉を上げる。
「どういうことだい?」
まひるは少しだけ唇を噛み、けれど、もう目を逸らさずに言った。
「……守ってくださるのも、寄り添ってくださるのは……とてもありがたいことですわ。
けれど、それでは、その人の隣には立つ資格がないと、わたくしは思いますの」
ラファエルは何も言わず、ただまひるの言葉の続きを待っていた。
「わたくしは、誰かの横に、対等に立てるようになりたいのです。
ただ見上げるだけではなく、一緒に歩いて、笑えるように……なりたいのです」
その言葉は、まひるの“中の人”としての、
何年も働きづめだった社畜人生の中から滲み出た、まっすぐな本音だった。
そして、ふと気づけば、胸の奥にぽつりと浮かんだ問いが口をついていた。
「このような考え方……わたくしは、傲慢なのでしょうか……?」
(……あ。やば)
言い終わった瞬間、まひるはハッとした。
(いま、完全にわたしの想い……!
ルナリアさんなら、もっと優雅で気の利いた言い回しをしたはずなのに!)
(まずいまずい、これは……絶対バレたよね!?
推しの前で素が漏れるとか、もうバッドエンド直行なやつ!?)
けれど、もう遅かった。
ラファエルの瞳が、深くまっすぐにこちらを見つめていた。
その眼差しに、もはや迷いはなかった。
「いや、傲慢などでは決してない。
むしろ偉ぶらないその選択は、謙虚だとさえ、僕は思う」
そして、ラファエルはそっと続けた。
「あれから……僕なりにできるだけ君を見てきた……。
――君は、変わったね」
「え……?」
「いや、違うな。前から、君はそうだったのかもしれない。
でも僕が、それに気づけなかっただけなんだ」
その声は優しく、けれど確かに、彼の心の一部を動かしていた。
まひるの心が――ぎゅっと痛んだ。
(ルナリアさん……ごめんなさい……。
バレるどころか、今、確かに――彼の心を動かしちゃったみたい……)
※最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけますと、とても励みになります。
評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます(=^・^=)




