第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード⑪
王立学院・寄宿舎
ルナリアの私室(夜)
まひる(ルナリアの姿)が腰から外した剣を、ミレーヌは両手で抱えると、テーブルにそっと置いた。
カシャン、と静かながらも鋭い金属音が、夜の静けさに溶けていく。
そして、まひるはできるだけ落ち着いた所作でベッドに腰掛けた。
ゆっくり、優雅に、深呼吸も忘れずに。
ルナリアさんなら、きっとこうするはずだから。
視線を上げると、真正面には一糸乱れぬ立ち姿で背筋をすっと伸ばしたミレーヌの姿。
夜の窓から差し込む風が、彼女のヘッドドレスとツインテールを静かに揺らす。
(ああ……なんかこの感じ、すっごいお説教の前って雰囲気……)
(夜、「佐倉くん、ちょっと」って言って、パタンとPCを閉じた課長が、窓に映る夜景を背景に立つ時の空気にそっくり……)
(ああいうとき、たいていロクなことにならなかったし……)
胸の奥でそんな社畜じみた愚痴を漏らしながら、まひるは小さくため息をついた。
月光に照らされたその輪郭は淡く光を帯び、
空気は凛と張り詰め、影はまるで罪を断じる裁定者のようだった。
思わず、まひるは背筋を伸ばし直す。
(やばい……これ、絶対逃げられないやつだ……)
「さあ、ルナリア様――お話を、伺いましょうか」
静かだけれど、ひと筋の逃げ道も許さない声音だった。
ミレーヌの厳しい眼差しを前に、まひるは観念して、今日の出来事を話すことにした。
(……ルナリアさんだったら、こういう時、余計なことは絶対に言わないんだよな……)
そう自分に言い聞かせ、だいぶ板についてきた“ルナリアさんモード”を起動。
森での出来事を――要点だけ、簡潔に、感情は抑えて。
(内心はめちゃくちゃだったんだけどな……。ルナリアさんの凄み、半端なかったし……)
それでも、演じ切らなければならない。
今は、自分がルナリアなのだから。
「つまり、逃げ出したアルグ=サーヴァと正面切って渡り合ったと……」
「ええ。最後はヴィオラ嬢とライエル君のお力を借りましたが……」
ミレーヌは思案するように顎先に手を当てた。
「あの魔物は、冒険者ならBランク相当ですから、普通の学生なら間違いなく秒で丸呑みでしょうね。
無事で何よりです。星灯の巡礼の英雄がいてくれたのは僥倖でした」
(あはは……丸呑み……想像しちゃった……ぶるぶる。
やっぱり、かなり強い魔物だったんですね……そんなの見世物に使うなんて……)
「それから、フローラ姫の解毒……日頃の勉強の成果があったと?
夜中に図書館に行かれてましたものね?
幽霊騒動の時は、ルナリア様が犯人ではないかと心配してましたが」
(ぎくっ! はい、犯人はわたしです。
でも、バレてたのね……うーん、本当は違う勉強してたんだけど……。
それで、レイアさんとヴィオラちゃんに会って……)
まひるは心の中でぶんぶんと頭を振る。
(だめだめ、ルナリアさんらしく、平静を装わないと……)
「ええ、たまたま書物でハグヤーク草の効能を記したものを目にしましたので……」
ミレーヌは無表情のままじっとまひるを見つめ、不意にふわりと微笑んだ。
「……で、魔法は使われなかった、ということですね?」
「ええ、結果としては……」
(だよね~。魔法を使おうとした時のルナリアさんの鬼気迫る感じ……。
あれ、ぶっぱなしてたらきっと森が吹っ飛んで自然保護団体にガチで糾弾されるとこでしたから……)
「よくわかりました。
明日以降、学院などでも噂になるでしょうから、ミレーヌとしても何も知らないわけにはいかず。
お疲れのところ、ご説明頂きありがとうございました」
ミレーヌの目がほんの少しだけ伏せられ、長い睫毛がわずかに揺れた。
その瞳に宿るものは、ほんのわずかな安堵か、あるいは――。
「危険な状況に”自ら飛び込んだ”のではなく――
”止む無く陥り”、”最善”を尽くされたとのこと、理解しました。
危機を脱されたのは、ひとえにお嬢様の日頃の鍛錬の賜物。ミレーヌも誇らしく思います。」
(よっしゃー! 乗り切った!! 説教タイム終了~)
内心、ガッツポーズを決めるまひる。
けれど、やはりミレーヌはももの傷が気になるようで。
「……その……大したことはない、というお話でしたが……お怪我を見せて頂いても?」
「ええ、お願いしますわ」
(やっぱり、ミレーヌさんってルナリアさんが大切なんだな……)
ミレーヌは静かに膝をつく。
ベッドに座るルナリア(中身はまひる)に巻かれた布を、指先でそっと解き、傷口を確かめた。
眉間に皺を寄せながらも、やがて彼女は小さく安堵の息をこぼす。
「丁寧に処置されていますね……それも、すごく丁寧に。
腫れも熱も引いていますし、これなら傷も残らないでしょう」
「……ありがとう、ミレーヌ」
その礼に、ミレーヌは目を細めながら問いかけた。
「いえ。それより……どなたが応急処置を?」
まひるは思わずさっと目を伏せる。
「えっと……アルフォンス殿下……ですわ」
「なるほど……この位置を……その服装で……?」
「うっ……」
まひるは顔を伏せたまま、ちらりと自分の姿に目を落とす。
(そりゃ、ねぇ……)
動きやすさを重視したまひる謹製”美少女剣士”コーデ。
あのときのまま、ショートのプリーツスカートは泥に汚れ、ほつれも目立つ。
裾の乱れはなんとか整えたつもりだったけど――
無防備にさらされたももにアルフォンス様がかがんで手を触れた時の緊張を思い出すと、途端に居心地が悪くなった。
(これは、怒られても仕方ない……)
ミレーヌの「ふーん」という意味深な吐息が、さらにまひるの背中をじんわりと焼いた。
顔を上げることなど、到底できそうになかった。
やがて、気配が変わり、口元にかすかな笑みを浮かべたミレーヌが、静かに立ち上がる。
その仕草の優雅さすら、まひるには何かを察したかのように見えてならない。
(い、いま絶対、何か察しましたよね……!?)
ミレーヌはふうっと息をつきながらまひるに向き直ると、手を揃えて深々と頭を下げた。
「……お傍でお守り出来なかったこと、お怪我までさせてしまったこと、申し訳ありませんでした……」
(いや、侍女って護衛とかしないんじゃないかな、普通……)
でも、ミレーヌのあまり見たことのない落ち込みように、
まひるは思わず、「こちらへ」と、ベッドの隣を指し示す。
「失礼します」
ルナリアの隣に寄り添うようにそっと腰掛けるミレーヌ。
まひるは、俯いたままのミレーヌの体温を感じながら、彼女のひざに置かれた手に自らの手を重ねた。
「……あの、ミレーヌ? お気になさらないでくださいまし。
本当に……わたくし、大丈夫でしたのよ?」
(たぶん……いや、大丈夫だった。……たぶん)
「むしろ、ミレーヌがこうして待っていてくださる……ただそれだけで、とても心強く思いましたの」
必死でなだめると、ミレーヌは顔を伏せたまま、ぽつりと言った。
「……お優しいのですね、お嬢様は」
「え?」
「そこまで言ってくださるとは。しかも、この手。
さすがのミレーヌも心拍数が上がりました。さすがはお嬢様です」
まひるは思わず重ねていた手を引く。
「……どういうことですの?」
顔を上げたミレーヌは、いつになく穏やかな微笑を浮かべながらも、口調は厳しい。
まひるの手を握ると、わずかに力を込めながら、まひるの目をじっと見つめた。
「……アルフォンス殿下も、殿方ですから。
つい熱くなられることがあっても不思議ではありません」
その声音は淡々としていたけれど、どこか刺すような鋭さがあった。
「お嬢様はちょろい上に、ご自分の魅力に無自覚すぎます。
もう少し行動に配慮なさってください。
ましてや、アルフォンス様に傷の手当をさせてしまうなんて」
「そ、それは……不可抗力というもので……」
「まさか、手当のあと、耳元で何かを囁かれたり……しませんでしたよね?」
(ぎ、ぎくぅ! 鋭いっ)
「なっ、そんなこと……っ」
「……でも、やはり申し上げます。
お嬢様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃるのです。
アルフォンス殿下ともしものことがあれば、神聖国が二つに割れかねませんよ!?」
「そ、そんな……わたくしを火薬庫みたいに言うのは、やめてくださいましっ!」
(大げさだなぁ……。
もしものことなんて……ありえない、はず……たぶん)
(国が割れる前に、ルナリアさんの中で、もう割れかけてるよね)
(二つの魂が、別々の人に惹かれて……)
そのときはっと気づく。
でも、わたしはただの居候。
ちょいちょいこの体を借りるだけの、ね。
しかも――わたしの気持ちは……ただの”推し”。恋愛感情とは……違う……はず。
だから、ルナリアさんの気持ちを……優先しなきゃ。
そう、わたしの“最推し”は、なんといってもルナリアさんだから。
(……たぶん、それでいいんだよ。たぶん、ね)
……でも、やっぱり、少しだけ。どきどきしてしまう……。
――ミレーヌはふっと笑い、すっと立ち上がる。
「なんて……ふふ。冗談ですわ」
彼女は裾を整えながら、部屋の奥――浴室の扉へと視線を向けた。
「湯桶にお湯張りいたしましたので、冷める前に。
今のお嬢様にぴったりな花を浮かべておきました。
疲れたお身体に、少しでも癒しになりますように……。
傷は少し染みるかもしれませんが……湯浴みの後に、包み直させて頂きますので」
「ミレーヌ……」
「さ、どうぞ。
お嬢様はお花のように、湯に浮かび、どこへともなく、ただ静かに揺れていてくださいませ」
(見事な比喩っ……! さすがはミレーヌさん。完璧すぎてぐうの音も出ません……!)
*
まひるはミレーヌに頭を下げると、立ち上がってそっとバスルームの方へ歩き出す。
扉を開けた途端、ふわりと立ちのぼる湯気と、淡い花の香りが鼻先をくすぐった。
(ああ……これは、絶対いいお湯だ……)
自然と、頬がゆるんでしまう。
これから訪れる至福の時間に、胸の奥で期待がふくらんだ。
――ちゃぽん。
湯桶に身を沈め、まひるは一日の疲れを癒すように、
胸いっぱいに湯気と花の香りを吸い込んだ。
まずは癒されたい――
ほんの少し、湯の中でぼんやりしてから、考えよう。
(……いろいろ、あったし……ね)
(……お願いだから、今日はもう何も起きませんように)
※最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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