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第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード⑨

聖都セレスティア

王立学院裏手の森“ミスティウッド”


森を包む皆の笑顔の中、ラファエルはほんの一瞬だけ、ルナリア(中身はまひる)に視線を送った。


その瞳には、厳しさだけでなく――“誇らしさ”と“労い”が宿っていた。


どきんっ。


まひるは、その視線に気づき、なぜか照れたように目を逸らしてしまった。


(……よくやったな、ルナリア)


彼の瞳はそう言っているようで――


(わ、わたしじゃなくて……ルナリアさんの器の大きさなんだけどなぁ……)


――なのに。


胸の奥が、じわりと熱くなる。


ラファエル様のあの視線。

あんなの、まるで――


(……わたしに向けられた“特別な好意”みたい……)


うわ、なに言ってんの自分!

わたしはただの元社畜で、ルナリアさんの身体を間借りしてるだけの居候だってば!


……彼が見てるのは、“ルナリアさん”。間違いなく。


だいたい、推しって、もっと遠くから拝んで「尊い……」ってやるものでしょ!?

直に目が合って、しかも優しい笑顔まで向けられて、心臓がどきんって――


(……え、ちょっと待って。

 わたし今、ラファエル様を“推し”って言った?)


いやいやいやいや、ないない!

……でも、“ない”って、こんなに慌てて否定する時点で、もう“ある”ってこと?


はぁぁぁ……。


まひるは顔を伏せ、そっと頬に手を当てた。

そこがほんのり熱を帯びているのに気づいて、もう一度、心の中で崩れ落ちる。


(これはもう……ルナリアさんの気持ちじゃなくて、わたしの気持ちだ……)


(……ルナリアさん、どうしよう……。

 わたし、たぶん今……ちょっとだけ、ずるいかも)


それでも、胸の奥は、ほんのり温かいままだった。



アルフォンスは、少し離れた場所からその一部始終を黙って見守っていた。


セリアの奇跡と妹の回復も。

エミリーの赦しも、兄の王太子としての振る舞いも――。


そして何より、ラファエルとルナリアの物言わぬ視線の交差と、ルナリアの頬を包む手……。


(参ったな……これは。ルナはまだ兄さんのことを……)


ルナリアの顔を包む手――確かにあのとき湖畔でつないだ手。

けれど、どうしても、今、あの手は僕のものではないように思えてしまう――。


ふと視線を下ろした彼の瞳に、鮮やかな赤が飛び込んだ。


ルナリアのスカートの裾が風にひらりと舞った瞬間――左のももに伝う赤い雫。


見れば、彼女の太ももには血が滲み、少しだけ足元の草にも散っている。


「ルナ……! まさか怪我を!?」


(もっと早く、ここに来ていれば……)


気づけば、彼の足は自然と動いていた。


まひる(ルナリアの姿)はこのとき、まだ”推し”との視線の交差の余韻に浸っていた。

頬を両手で包んで”推し”の姿を視界に捉えたまま、しばしぼーっと。


すると突然、自分の足元にすっと誰かの影が落ちたのを感じて、はっと目を落とすと――

癖のある金髪が目に飛び込み――


「っ、え……?」


そこには、静かな気配のまま跪くアルフォンスの姿があった。


考えるより先に、彼の指先はスカートの裾を小さくめくるように摘まんで――そっと左のももに触れた。


びくっ!


(うそ……まって、まってまって!?)


まひるの中で警報が鳴り響く。


しかも、よりによってこの恰好は、まひるセレクト“美少女剣士コーデ”――しかもそこ、ほぼスカートの内側なんですけど!?


「傷、見せてくれるかい? ……血が流れてる」


(あ、そっかー、怪我かー。あははー。すっかり忘れてたよ。てへ。

 ……じゃなくて!)


助けを求めるように周囲を見回すが……。

ラファエル様は騎士団員や座長、そしてランスロット様と事後処理について話しているようで……。

ヴィオラちゃんは……双子姫やエミリーさんとライエル君を囲んでいる。

シャルロット様は? 見当たらない……。


(ちょ、ちょっと、誰か~~!?)


……これは。

まさか、こんな状況で二人っきりということなのでしょうか!?


「やっ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ……!?

 殿下、わたくし、スカート、ですから……!」


「知ってる。

 だけど、血を流したまま放っておくわけにはいかない」


さらりと返しながら、彼はどこまでも真剣な面持ちで傷口を確かめる。


「深くは……ない。これなら……」


彼の低く、ほっとしたような声。

その声音に、拒めるような気配はまったくなくて――


ポケットから取り出した薬の瓶と白布。

それを丁寧に、まるで宝物でも扱うかのように傷に当ててくる。


「つ……っ!」


ひりひりとした痛み。でも、それよりも――


(ひゃ、ひゃああああ~~っ!? くすぐったいってば!)

(ていうか、その位置やばいって!)

(しかも、相手はアルフォンス様。超絶イケメンなんですけど!?)


理性の赤ランプ、点滅どころかもう警報レベル。非常ベルが鳴り響いてる。


目をぎゅっとつぶって横を向き、ただただ恥ずかしさに耐える。


(これ、何の修行ですか~~~!)


けれど……ぷるぷると足が震えてしまい――


「ごめん、痛かったかい?

 少しだけ、我慢して……」


アルフォンスは癖のある髪のすきまから目を上げ、気遣うように言った。


(だめだったば! 上は絶対見ないで!!

 これ、軽くセクハラ案件ですってば!)


「ええ、大丈夫です……」


ぜんっぜん、大丈夫じゃありませんけどっ。


痛みよりも、恥ずかしさとくすぐったさで、まひるはもう限界突破寸前……。


(やばい、鼓動がやばい! 冷静になれわたし……!

 そう! こういうときは……説教上司を召喚すべしって、社内研修で――)


んーっと、目をぎゅっと閉じて、まひるはかつての上司を脳内に召喚した。


『佐倉くん。恋愛感情に気を取られるなんて、仕事なめてるの?』


(キター! ありがとう課長!

 いま、生まれて初めて課長に感謝しました~~!!)


次の瞬間、スカートの裾が風にひらりと揺れ、アルフォンスの金のまつ毛がその陰にかかる。


(ねえ、いたずらな風さんにスカートさん。そんなに陽気にひらひらさせないで……お願い……!)


「動かないで。すぐ終わる」


高鳴る鼓動の音が大きすぎて――

その静かなアルフォンスの声も遠い。


(そんなこと言われましても、わたし、もといルナリアさんの心臓が先に終わります~~っ!!)


ああ、課長もとっくに消えてしまった……。

だめだ……しょせんその程度の間柄ってことか。

残業申請も未承認だった気がする……。

やっぱダメ上司じゃん……さっきの感謝返せ!


ついに限界突破したまひるの脳内では

【攻略ルート分岐】【BGM:静かなる優しさ】

みたいなウィンドウが点滅し始める。


そして――ん~っと耐えること、すごーく長く感じる時間の後……

最後に白布を巻きつけて縛ると、アルフォンスは「これでよし」と爽やかに呟き、すっと立ち上がった。


(ぜー、ぜー。お、終わった……の? なんかさっきの調薬よりも疲れたんですけどっ!!)

(これ、業務外? 申請出しても却下パターンだよね……でも、一応、お礼言わないと……)


「あの……ありがとうございます」


「君が傷ついてたことに、もっと早く気付けなくて……本当に済まなかったと思ってる」


(アルフォンス様も、ほんと優しいよね……特にルナリアさんには……)


そして、アルフォンスは、ふっと目を伏せると――


「君は、本当に……無理をしすぎる」


(……それ、わたしじゃなくてルナリアさんへの言葉なんだけど、刺さるわぁ)


そのまま返事も待たず、すっと耳元に寄せられる唇。

髪がふわりと触れ、微かな香りが鼻先をくすぐった。


(ちょ、ちょっとぉ!?このムーブ、自然すぎない!?)


「これ以上、心配させられるのは、もう耐えられそうにない……。

 君は、“無理をしないでいられる場所”を、ちゃんと持つべきだ――

 たとえば、僕のそばとか――ね」


……甘い囁きを残して、彼は静かに離れていった。


(し、死んだ……)


まひるは、その背を呆然と見送るしかなかった。


(こっちは“推し”どころか、リアルに攻略されてるんですけど!?)


(……ねえルナリアさん。

 どうせ明日になったら「え? アルフォンス様が何か……?」ってなるんですよね?

 でもね――がっつり進捗しちゃってますからね。第二王子ルート!)


(……もうこれ、回避不能だよね!? うん、これもう詰みです!)

(だって……セーブしてないし!)



アルフォンスの横顔は真剣で、どこか必死だった。

ルナリアは顔を真っ赤にして身をこわばらせている。


そんなふたりを、妹たちの傍に立ちながら見つめる少女――

第一王女シャルロットは白い扇子を閉じて、口元に寄せると、そっと視線を落とす。


「くす。

 それで、ルナ? あなたは……どうするおつもりかしら?

 ふふっ、何かが起こりそうな予感がしますわよ?」


小さく呟いたその声は、どこか楽しげで、でも――ほんの少しだけ切なげだった。

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