第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード⑧
聖都セレスティア
王立学院裏手の森“ミスティウッド”
フローラの身体から毒と呪詛の痕が消え、皆が安堵の息をついたそのとき――
森の奥から、慌ただしい足音が駆け寄ってきた。
「ぜぇ……ぜぇっ……! み、皆様方、ご無事でしたか……!」
息を切らし、顔面蒼白で飛び込んできたのは――
旅芸人の一座を束ねる、年配の男だった。
片手には、黒く艶のある木製の細長い笛――蛇笛をしっかりと握りしめている。
その手は震え、肩で荒く息をしながら、地面に崩れ落ちるように跪いた。
「まさか、“アルグ=サーヴァ”の檻が……! 本当に、申し訳ありません……!」
座長の目は、学院の制服で横たわるフローラと、傍らで静かに佇むルナリアたちに向けられていた。
蛇笛を握る指先には、必死で吹き鳴らした汗がにじむ。
ライエルが、鋭い視線でそれを見ると小声で呟く。
「蛇笛の音は高周波だから、僕たちには聞こえなかったみたいだけど……
座長さん、必死に蛇を呼び戻そうとしてくれてたんだね」
ラファエルが一歩前に出て、静かに問いかける。
「事情を聞かせてもらえるか? どうして、この森に大蛇の魔物が放たれた?」
座長はラファエルをひと目見て、そのただ者ではない威厳に気づき、脂汗を流しながら震える声で答えた。
「はっ……!
我らが休憩していた際、見慣れぬ娘が“アルグ=サーヴァ”の檻に近づくのを見かけまして……。
危ないと声をかけようとした瞬間……信じられないことに、檻の鍵が外れたのです!」
その言葉に、ラファエルの目が細く鋭くなる。
その視線の先には――膝を抱えて震えるエミリー。
次の瞬間、一同の視線が集中した。
エミリーは顔面蒼白でぶるぶると震えながら後ずさる。
(バレた……! 終わった……わたし、終わった……!)
こ、こんなはずじゃなかった。
ただちょっと、あの貴族様を脅かしてやろうと……そう思っただけなのに――!
(なんで、なんでこんなことに……!)
(良くて学院追放……最悪、牢屋……処刑だって、あるのかもしれない……)
体がぶるぶると震え、涙が次から次へと零れ落ちる。
脳裏には、仕えていた貴族に追放を言い渡された父の、あの絶望の背中が浮かんだ。
頬を伝う涙に、悔いても遅いと知り――今やエミリーの全てを支配した恐怖。
その結果、エミリーの震える唇から零れた言葉は、謝意でも、懺悔でもなかった。
「ち、違っ……! わ、私は……ただ、ちょっと、驚かそうと……!
ほんの冗談のつもりで……!
声を掛けられてびっくりして檻にぶつかっちゃって、そしたら……あんなの、出るなんて……っ」
「あの、あの貴族様を……少しだけ、困らせてやろうと思っただけで……!」
そして、滲む涙の奥で怯えながら、震える手をルナリア(中身はまひる)へと向けた。
その瞬間――
ラファエルの表情が、氷のごとく冷たくなる。
(あちゃー……)
(……こういう時は、平謝り一択。社畜の基本。
なんなら、ジャンピング土下座決めるとこでしょ!?)
そしてまひるは、エミリーの顔を見つめながら――ふと気づいてしまった。
(……あれ? もしかして……)
小さく、ため息をつく。
(……そっか。
事情はわからないけど、ずっとひとりで意地張って、こじらせてたんだ……。
これはもう、こじらせ確定だな……)
(しかも、うっかり檻が開いちゃったって……ドジっ子属性も確定ですわ)
そう思うと、不思議と憎めないというか、愛おしいというか――
“ちょっとだけ、放っておけない”気持ちが胸の奥に芽生えていた。
(……ま、しゃーない。こういうの、放っとけないタチなんだよね、私……)
(――なんか、職場の後輩フォローしてた時のこと思い出すわ……。
トラブル起こして、泣きそうになってるのをなだめて、尻拭いして……)
(ほんと、どの世界でも、結局フォロー役なんだよな、私……)
そして、まひるが口を開こうとすると――
意外なことに、セリアがすっとエミリーの前に歩み出た。
「――エミリー・フローレンスさん」
その声は静かで、優しさに満ちていた。
だが、その優しさは“逃げ道”を許さない、聖女の慈悲。
「聖女様……?」
エミリーが震えながら顔を上げた、その瞬間――
パァンッ!
乾いた音が森に鋭く響き――周囲の空気が凍りついた。
「せ、聖女様が……平手打ちを……?」
ティアナが思わず小声で呟く。
ヴィオラも、フローラも。ユリシアまでもが息を呑み、誰もがその場から動けなかった。
“慈愛の象徴”である聖女が、誰かを打つ――
それは、まひるのいた世界では考えられないほどの重みを持つ行為だった。
崩れ落ちるエミリーを、セリアは迷いなく、そっと抱きしめた。
その腕は、罰ではなく――救い。
「恐れなくていいのです。もう、誰もあなたを責めません」
けれど、その耳元で、優しくも鋭い刃のような言葉が刺さる。
「――でも、命を救われたなら、まず伝えるべき言葉がありますよね?」
エミリーの中で、これまで自分を守ってきた壁のような何かが――
音を立てて崩れ落ちた。
気づけば、口が勝手に“伝えるべき言葉”を零していた。
「……っ……ご、ごめんなさい……!」
「ありがとう……ございます……皆さん……ルナリア様……っ」
その肩は小刻みに震え、次の瞬間――
「う、うああああああっ……!!」
エミリーは、堰を切ったように声を上げて泣いた。
それはもう、盛大に。
これまで張り詰めていた恐怖も、後悔も、悔しさも、全部――
涙に流されて、どこかへ消えていくようだった。
セリアは何も言わず、ただ静かにその背を撫で続けた。
(……バカみたい……どうして、もっと早く――)
エミリーは、自分でも抑えきれない嗚咽を漏らしながら、
心の奥底で、初めて“素直な自分”を認めた。
ユリシアも、セリアの肩にそっと手を置き、小さく頷く。
振り向いたセリアは、ふわりといつもの笑顔を見せた。
まひるは思った。
(セリアちゃん、やっぱりすごいな。
たった一つの行動で、エミリーさんを文字通りピンチから救っちゃった……)
まひるは、セリアに抱かれて、子供のように泣きじゃくるエミリーを見つめた。
(じゃあ、わたしも……すべきこと、しなきゃね)
そっとエミリーに近づき、微笑みながら手を差し出す。
(ルナリアさん、これでいいんだよね?)
エミリーは、まひるの手をちらりと見ると――俯いた。
けれど、まひるはまっすぐにその目を見つめ続ける。
そっと、柔らかく。だけど、決して揺るがない優しさで。
やがて、エミリーはゆっくりと視線を上げ、僅かに震える手でまひるの手を取った――。
その瞬間、まひるはもう一度、ぱっと明るく笑ってみせた。
「……次は、誰かを守れる人になろ?」
その一言に、エミリーの潤んだ瞳が、ふるふると揺れる。
(……“誰かを守る”か。
そんなこと、わたしに出来るのかな……)
(なんだろう……いつものルナリア様とも少し違う……
まるで太陽みたいにあったかい感じ……)
(何か違う……ずっと彼女ばかり見てきたわたしにはわかる……。
でも……あったかい……)
この時、はっとエミリーは気付いた。
(なんか……今、全然、悔しくない……なんでだろ?)
(この人に負けたくないって気持ちは、変わってないのに)
だから、自分はこれからも彼女を見つめ続けるだろう。
でも、何かもう一つ別の気持ちが、芽吹いてしまった感覚――
たぶん生まれて初めて味わう、不思議と心地いいその気持ちは、
認めたくないけど――本物だった。
*
エミリーがまひるの助けを借りて立ち上がると、その一部始終を黙って見届けたラファエルは――
ゆっくりと彼女の前に歩み寄った。
蒼い瞳が、静かに彼女を射抜く。
「エミリー・フローレンスさん――」
その声は低く澄み、森の空気すら震わせるほどの威厳を湛えていた。
「君の過ちは、悪意こそなくとも、ひとつ間違えば命を奪っていた。決して軽いとは言えない」
その言葉に、エミリーの顔から血の気が引いていく。
(そう……だよね。今さら謝ったって、遅いよね……)
(わたし、このまますべてを失って、終わるんだ――)
心の中で冷笑しながらも、不思議とすっきりしていた。
生まれて初めて、自分の中で芽吹いたこの気持ち。
こんな気持ちを抱くことなんて、一生ないって思ってたから。
「これまで、ありがとう。お父さん、お母さん。
それから学院のみんなも、それに――
わたしにこんな気持ちを教えてくれたルナリア様も……」
「あ、あと……部屋を片付ける時間はもらえるかな……
あのスコップやノートも、心の奥にしまってから……」
いろんな想いがあふれ……そっと目を閉じたその瞬間。
「だが――この場にいる者たちの勇気と、聖女様の慈愛によって、君は今、救われた」
勝手に頭の中に流れていたモノローグが中断され――頭が真っ白に。
一瞬、何を言われたのかわからなくて。
救われた――
ラファエル殿下のその言葉が、頭の中で何度も響いた。
(……わたしが、救われた……?)
胸に詰まっていた息が、少しずつ、わずかにほどけていく。
それでも信じきれなくて、震える唇が小さく動いた。
「……わたしが……赦される……?」
おずおずと、ラファエルを見上げながら、エミリーは問いかける。
その瞳は、まだ怯えと戸惑いに揺れていた。
「……セレスティア神聖国の王太子として――
本件について、これ以上の咎めは及ばないことを約束しよう」
優しく語りながらも、ラファエルの瞳はなお深く、エミリーの心を射抜く。
「けれど、決して忘れないでほしい。
あなたを支える人たちがいる。あなたは決して、一人じゃない。
その人たちの想いを、二度と裏切ってはいけない」
その宣言は、まるで神託のように重く、それでいてどこか温かかった。
ラファエルは静かに背を向け――けれど、ほんの一瞬だけ振り返る。
そして、小さく微笑んだ。
「期待しているよ、特待生 エミリー・フローレンス」
その一言に、エミリーの瞳が驚きに揺れる。
(……私に、期待……? こんな私に、まだ……期待してくれる人がいる――)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(……なんでだろう)
(貴族なんて、みんな傲慢で、偉そうで――)
(王族なんて、私たち平民のことなんて、道端の石ころくらいにしか思ってないって……)
そう信じてたのに。
今、目の前にいる王太子は、ただ静かに、私を名前で呼んでくれた。
ひとりの“人間”として――
(セリア様だけじゃなかった……こんな人たちも、ちゃんといるんだ……)
(だったら、わたしも……それに応えなくちゃいけない)
「……は、はい……っ……!」
そして――彼女は視線をルナリア様に移し、強く拳を握りしめる。
まひるは、彼女の視線に気付き、少しだけ目を見開いた。
「エミリーさん……」
まひるが口を開きかけるが、次の瞬間、
エミリーはぐいと力強くルナリア(中身はまひる)を指さした。
「負けないんだからね!! 待ってなさいよ!!」
嗚咽まじりの叫び声は、森の静寂に包まれて、そっと消えると――
ティアナとフローラが顔を見合わせてくすくすと笑い、シャルロットも肩を震わせた。
セリアがにっこりと笑い、ユリシアが、ライエルが、ヴィオラが釣られて笑う。
ラファエルとアルフォンスも、笑顔を零し――
まひるも思わず口元に手を当てて笑った。
(ここで宣戦布告!?
……そっか。負けず嫌いなとこ、変わってないんだ。
でも、もう無理して背伸びしてる感じじゃなくなったかも)
(エミリーさんって……かわいい!)
みんなの笑い声が、森をやさしく包んでいった。
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