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第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード⑥

聖都セレスティア

王立学院裏手の森“ミスティウッド”


ルナリアたちの傍ら――

少し離れた木陰では、エミリーが膝を抱え、ひとり震えていた。


膝の擦り傷も、泥のついたスカートも――今はどうでもよかった。


(……私のせい、だ……)


あの檻。

ミスティウッドの外れで、旅芸人のテントの中にあった、あの檻。


(びっくりして……少しぶつかっただけで、あんな魔物が出てくるなんて……)


(でも、結局……わたしが連れてきた……)


そして、ルナリア様が、命を懸けて戦い。

ヴィオラ嬢が、あんなに震えながら蛇の動きを止め……

年下のライエル君までもが前に出て魔法を放ち――


(それ全部、わたしのせい)


なのに私は、何ひとつできなかった。


ただ怯えて、頭を抱えて。

なのに――ルナリア様は、そんな私を庇って、魔法を止めた。


(どうして……どうして、そんなに優しいの……?)


胸が、締めつけられる。

痛い。苦しい。泣きたくないのに、涙が止まらない。


「……最低だ……私」


誰にも届かない小さな声で、吐き捨てる。


強くなりたかった。

貴族たちを見返したかった。

ルナリア様に、負けたくなかった。


でも現実は――


(私は……誰かの足を引っ張ることしかできない、ただの――

 ……厄災だ)


それに――


視線の先では、魔物を退けたルナリア様が必死に薬草を調合している。


ティアナ様は涙を浮かべながらフローラ様を支え、ヴィオラ嬢は手際よく手伝い、ライエル君はセリア様を呼びに走ったまま、まだ戻ってこない。


(どうしよう……っ)

(わたしにも、何か……できること……)


けれど、次の瞬間――

エミリーの思考は、フローラの命を救うことよりもずっと、どす黒くて粘ついた恐怖に飲み込まれようとしていた。


(……これ……バレたら、絶対ただじゃ済まない……)

(貴族様、それも王女様に……。もし、わたしのせいで、あの子が――)


言葉の続きを想像しただけで、肩がぶるぶると震えた。


脳裏に焼き付いているのは、幼い頃に見た父の姿。

領主に「平民風情が」と罵られ、全てを失った、あの記憶。


(知ってる……貴族に逆らった平民が、どうなるか……)

(“身の程知らず”は、罰を受けるんだ……)


僅かに目を上げると、動かなくなった大蛇の骸が視界に入る。


あんなふうに――


(最悪、牢屋に入れられて――処刑、なんてことも……)


その瞬間、骸に――自分の姿が重なった。


「うぐっ……ぐ……うっ」


胸の奥がぐらりと揺れ、吐き気がせり上がる。

手が、口元へと――勝手に動いた。


――そこに見えたのは大蛇の骸ではなく、横たわる自分。

真っ白な顔に青紫の唇。そして見開いたままの、もう何も見えていない瞳。


喉が詰まり、呼吸が苦しい。

耳の奥で、心臓の音だけが大きく反響していた。


(や……嫌だ……! わたしは悪くない……!)


(わざとじゃないし、あんな魔物が出るなんて知らなかった……っ!)


エミリーは、ぎゅっと自分の肩を抱きしめた。


(お願い……誰か……助けて……!)


震える瞳の奥で、毒に侵された青白い顔が揺れる。

苦しげに浅い息を繰り返す少女――フローラ王女。


「……フローラ様……」


思わず、名がこぼれる。


「ち、違う! わたしには関係ない!」


震える声で否定する。


けれど、胸の奥に刺さった痛みだけは――何度否定しても、消えてはくれなかった。


でも――どうして、こんなに“関係ある”みたいに、胸が痛むのよ。


(わたしは……悪くない、悪くなんて――ない……!)


そう繰り返しながらも、震える肩を抱きしめることしかできない。

――その震えが、じわじわと心の奥へ染み込んでいく……。


ふと見れば、フローラ様の頬まで毒々しい模様がせり上がっている。


(やだ……、もし本当に、あの子に何かあったら……わたしは……)


頭の中が、真っ白になる――。


そのとき――


「お願い……少しでもいい、毒の回り、遅くなって……!」


ルナリア様の声が、切実に響いた。


エミリーは、はっとして顔を上げる。


薬草を調合するその姿は、ただ、ひたすらに――誰かを助けようとしていた。


(……どうして、あんたは……そんな顔ができるのよ……)


心の中で吐き捨てたはずの言葉が、返ってきて胸を刺す。


思わず言葉が漏れた――


「こんなのおかしい。あんなの、ただの――」


(貴族様の自己満足よ……)


そう思ったはずなのに、口にする前に――その最後の言葉はもう消えていた。


そんなんじゃない。


――あの人は、わたしの知ってる貴族様とは違う。


何かを持ってるとか、それだけじゃない。


ただ、相手が誰でも、怖くても、震えていても、

それでも“助けよう”として、前に進む人――。


わたしは……まだ、その一歩が踏み出せない。


――何もできない時間だけが、容赦なく過ぎていく。


薬草を煮出す音、誰かの呼吸、土の匂い……。

すぐそばにあるのに、まるで別の世界みたい。全部、遠くて近い。


立ち上がろうとしても脚が、震えて動かなかった。

わかってる。行かなきゃ。でも、怖い。


わたしは……ルナリア様みたいな特別な人じゃない。


涙に霞む視界に映る、少女――

額の汗も、乱れた髪も気にせずに、ただひたすらに人を救おうとするその姿。


それは、自分の目にも、美しく、気高く、そして――

とてつもなく遠く感じられた。


その瞬間、エミリーの中でこみ上げる途方もないやるせなさ。


そう、本当はとっくに気付いてた。


王太子の婚約者にして公爵令嬢。それだけでも特別なのに、あんな姿を見たら――

あんな人に勝とうだなんて――最初から、思い上がりだった。


何が”平民特待生”よ。身の程を知りなさい。

わたしは努力すること以外に何の取柄もない――ただの平民なんだから。


それでも溢れるこの涙は、悔しさなのか、それとも――。


「……いまは、まだ無理。

 でも、それでも……わたしは――諦めたくない!」



ティアナに抱かれ、浅く短い息をしながら顔を歪ませるフローラ。


まひるはその額に手を当てながら、薬草の塗布剤をそっと患部に塗り込め、

煎じた薬を、そのわずかに開いた口元へと流し込むと、フローラの喉が小さく動いた。


そっと、祈るように手を握る。

――きっと温もりを伝えるだけでも、意味があると信じたから。


「お願い……もう少しだけ、がんばって……!」


ティアナの声は、震えながらも真っ直ぐだった。

まひるも、ぐっと息を詰める。


(どうか……どうか、効いて……!)


その瞬間。

森を渡る風がふわりと頬を撫でた。


(……え、なにこれ。まさか、イベントCG入りました? これ、絶対助かるやつ!)


どこかで誰かが“祈りの手”でも添えたみたいな、優しくて不思議な風――。

ティアナの涙が、きらきらと陽の光に舞い落ちる。


(完全に乙女ゲームの演出じゃん……!

 やば、これは今、まさにスチル出てるやつ。ティアナ姫がヒロインですわ)


そのとき、フローラの胸がゆっくりと上下し、震えていた肩の力が抜け、浅く短かった呼吸が――穏やかな寝息に変わっていく。


まひるは、ぽかんと見つめていた。


(え、ほんとに……助かった……?)


思考が一瞬止まったあと、じわじわと実感が込み上げてきて――


(よっしゃー!! わたしのオリジナル”チートスキル”《薬師》すごっ! Sランク認定とかされちゃうやつでは……!?)


(まさか、ブラック企業勤務で身につけた調合スキルが異世界で輝く日が来るとは……!)

(運営さーん、正式スキル登録まだですかー!?)


ティアナが顔を上げ、震える声で囁く。


「……ルナリアお姉様……ありがとう……フローラを、助けてくれて……」


ヴィオラは、まひると静かに目を合わせ、唇をきゅっと結んで頷いた。

その瞳には、確かな感謝と――尊敬の色が滲んでいた。


まひるは、しばし言葉を失い――


(ルナリアさん……今の聞いた? やばいよ、やばいよ、感謝されちゃったよ!?)

(……社畜人生、がんばってきてよかった……!)


気づけば、視界がにじんでいた。


(こんなの、乙女ゲームの“正ルート”の演出じゃん……! わたし、この場面でヒロインじゃないのに……こんなに“報われる”ことってあるの……?)


(なんかもう、泣きそう……)


そして、胸の奥で、そっと祈る。


(ありがと、ルナリアさん。

 いま、わたしはあなたの身体を借りてるけど――この想いだけは、ちゃんと“ふたり”のものだよ)


そしておだやかな寝息を立てるフローラをそっと見やる。


彼女は今、ティアナに身体を預けながら、安らいだ顔で、ゆっくりと呼吸していた。


けれど――


蛇が這ったように広がった不吉な模様は――

色こそ薄れつつあったが、まだ……


とくん、とくん、と――

微かに脈打っていた。


(呪い……なの? やっぱり解毒剤だけではまだ足りないんだ……)

(お願い……! セリアちゃんの到着まで持ちこたえて……!)



少し離れた木陰――。


エミリー・フローレンスは、恐怖と悔しさと感動が入り混じった涙に濡れながら、誰にも見られないように、ぎゅっと胸元を握りしめていた。


でも、その目の色は、自らを案ずる恐怖の色よりも、小さな命が救われた感動と安堵の色が、少しだけ勝っていたように見えた。


(……ほんとバカみたい。何、泣いてんのよ……わたし)


エミリーは袖でそっと涙を拭い、誰にも聞こえないように小さく呟いた。


「……助かって、よかったじゃない……」


拭ったそばから、涙がまた一粒――静かに頬を滑り落ちていった。

けれど、涙は止まらなかった。もう一粒、そしてまた一粒――静かに、頬を伝っていく。


木々の間を吹き抜けた風が、涙を乾かすように頬を撫でた。

それはまるで、彼女の心に灯った小さな祈りに、森がそっと応えたかのように――。

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