第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード⑤
聖都セレスティア
王立学院裏手の森“ミスティウッド”
「毒……!?」
「それは……アルグ=サーヴァの体液です……!」
ライエルの声は焦りに満ちていた。
「飛沫が皮膚に触れただけでも吸収されます。
……この紋様――魔物の呪いの影響もありそうです……。
くそ、進行が早すぎる……!」
フローラの脛から腿、さらにその上へ――赤黒い模様が、みるみる広がっていく。
「……だいじょうぶ、です……ちょっと熱いだけ……」
フローラは無理に笑おうとしたが、その顔はすでに青ざめていた。
ティアナが妹を抱き寄せ、目を見開く。
「や、やだ……どうしよう、フローラが……!」
そっと二人に近付き膝をついたヴィオラが囁いた。
「ティアナ様、頭を下げてはいけません。フローラ様の上体を起こしてください」
「は、はい!」
眉間に皺を寄せ口元に拳をあてていたライエル。
「僕がセリア様を呼びに戻ります! フローラ様は……絶対に動かさないでください!
毒の回りを抑えるためにも、今は一秒が惜しい……!」
ルナリアは思わず小さく叫んだ。
「お待ちなさい! ……この森をお一人で戻るなんて……!」
「もう魔物の気配はありません。今は一秒でも早くセリア様の神聖魔法を……!」
「……ルナリア様、ヴィオラ様。彼女を、お願いします」
一瞬だけ――まるで決意を刻むようにルナリアの瞳を見つめると、
ライエルは返事もせず、まるで風そのもののように、森の奥へと消えた。
ルナリアは、一瞬、呆然とその背を見送るが、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「毒……。まず、急いで毒の回りを止めませんと!」
麻ひもで、ふとももの付け根をぎゅっと縛る。血流を抑えるために、思いきり力を込めて。
額の汗を拭き、改めてフローラを見やる。
息は浅く、苦しげで――その胸元まで、赤黒い模様が忍び寄っていた。
広場の端で膝を抱えて震えるエミリーの姿が一瞬目に入ったが――
(彼女は怪我はしていない様子……今はフローラ様が優先ですわね)
(でも……駄目。わたくしには、フローラ様を救う術がない……!
解毒も、解呪も、今のわたくしには到底……。
解毒の薬草もないし――魔法薬も、持っていない。
――なのに。こんなときなのに、わたくしには、もう……何も出来ないなんて!)
(わたくしの無力さが、悔しい……。
“彼女”なら、きっと今、何かできたはず……)
舞踏エキジビション――あの夜、まばゆい光の中で、
神の祝福をその身に受けたかのように輝いていた“聖女セリア”の姿が――
静かに脳裏に浮かんだ。
あのとき、わたくしの記憶に焼き付いた彼女の姿は――“絶対的”な存在に映った。
彼女は”聖女”で、わたくしはただの”人間”。それは、どうしようもないほど遠い。
わたくしでは、何一つ彼女には届かないのだと――
あの時、痛いほど思い知らされたのだ。
*
『ルナリアさん!……わたし、解毒――できるかもしれない!』
回想を断ち切るように、まひるの声が弾んだ。
(……! あなたが?)
『タマサキツヅラフジ。あそこに生えてる。たぶん――間に合う』
その声は、いつになく真剣だった。
繁みに生えてるあれは――
あり得ない――そう否定しかけた瞬間、頬がかっと熱くなる。
驚きと怒り、そして……ほんのわずかな、迷い。
(まひるさん……こんな時に、ご冗談だなんて。見損ないましたわ……!
――あれは、“ハグヤーク草”、毒草ですのよ!?)
『違うの、信じて。
わたしの世界では、それは“タマサキツヅラフジ”。薬草なの。
毒もね、量や使い方次第で薬になる。
……わたしね、お薬を作る会社で働いてたの。
過労で死ぬほど働いた“ブラック”だったけど、命を救う知識は、ある』
『――前の世界じゃ、誰かを助ける余裕なんてなかった。
自分のことで精一杯で、ただ仕事に追われてばかりだった』
ほんの一瞬、ルナリアの脳裏に何か映像のようなものが流れ込んだ。
これが……まひるさんが”いらした世界”?
真っ暗な場所――
何やら光る板と対しながら、一心不乱に鍵盤のようなものをたたいていた。
そして、場面は変わる。
真っ白な部屋。白衣を身にまとった手が、静かにガラスの器具を扱っている――。
また場面は変わり――。
ほんとうに、不思議な世界からいらしたのね……。
けれど、どの場面でも――まひるさんは、本当に一生懸命だった。
『でも、今は違う。
今度こそ、この手で――誰かを救いたい!』
『ルナリアさん……お願い。わたしに、力を貸して』
ルナリアは――ほんの刹那、迷った。
毒草。苦しむフローラ。まひるの言葉。
――もう、考えている時間はない。
(わたくし、何を迷っていますの?)
まひるさんは――
おっちょこちょいで、やり過ぎで、冗談ばかりで。
無邪気で、乙女ゲーム脳で、社畜で……本当にどうしようもない人。
けれど。
わたくしを、いつも想い、支え、助けてくれる人。
たったひとりで暗闇の底にいたわたくしに手を差し伸べ、救い出してくれた人。
まひるさんは、わたくしの――“親友”ですもの。
(……あなたを信じなくて、誰を信じるというのです。
助けたい。その想いは、わたくしも同じです)
(――任せますわ、まひるさん。この身体を、今だけ)
不思議と、それができる気がした。
わたくしたちの想いが、彼女を救うと信じられるから。
そっと、瞳を閉じる。
次の瞬間、心の奥で――ふたりの“手”が重なる。
けれど、それはただの“手”ではなかった。
重なったのは、意志と想い、そして――祈りと願い。
まるで、長い旅路の果てにようやく辿り着いた、もうひとつの自分と――。
意識が深層へと沈み――
柔らかな水面に溶けていくような、静かな落下感。
鼓動が遠ざかり、ひとつの祈りが胸の奥に灯る。
『……ありがとう、ルナリアさん』
(……託しましたわ、まひるさん)
ふたりの魂が、音もなく、ひとつに重なった。
白い静寂が、すべてを包み込む。
その瞬間、この身体は、ただ祈りだけのために在る――“器”となった。
*
ぱちん――
目を開いたのは、まひるだった。
まひる(ルナリアの姿)は、息を呑んだまま立ち上がる。
その瞳には、もう迷いはなかった。
――彼女を救うために、自分にできることがある。
それを知っているだけで、もう怖くなかった。
(今度はわたしの番。任せて……絶対、助けてみせる!)
――ふたりの祈りが、ひとつになった瞬間だった。
腰ベルトの小物入れから小型の調合セットを取り出し、機材を広げる。
うん、十分揃ってる。――これなら、応急でもいける!
さすがはルナリアさん。
まひるがタマサキツヅラフジの群生に視線を移すと、
ヴィオラは、まひるの意図を即座に察し、森の茂みに駆け出した。
ほどなくして、見事な手つきで、完璧な状態のタマサキツヅラフジを手に戻ってくる。
「ティアナさん、そのままフローラさんの上体を支えていてあげてくださいね」
ティアナは小さく頷き、フローラの額にそっと手を当てる。
「……うぅ……く……っ」
フローラは全身に玉のような汗を浮かべ、歯を食いしばりながら、
痛みに耐えきれず顔を歪ませていた。
「ルナリアお姉様……熱いの、すごく……。やだ……フローラが、死んじゃう……」
ティアナの瞳からとめどなく涙が溢れる。
「大丈夫。絶対に死なせたりしません。わたくしに任せて」
まひるは作業の手は止めずに、ティアナの目をじっと見つめる。
ティアナは大きく頷き、頬に伝う涙の雫が宙を舞った。
その涙に濡れた祈るような瞳と――
ヴィオラの信頼と不安の入り混じった瞳が見守る中、まひるは薬の調合に取りかかった。
(それにしても――久しぶりの昼間勤務!!)
(よし、今こそ――社畜の本気、見せる時だ!)
――そう、あの地獄の“年度末繁忙期”を生き延びた、このスキルを!
……ほんの一瞬、不安がよぎる。
(これはわたしの――“立派な”チートスキル!
名付けて《薬師》!)
(……まあ、スキル欄なんて見たことないし、ただの実務経験なんですけど)
眉を寄せて葉を取り分けながら、小さく頭を振る。
(……さあ、スキル発動した気分で自信をもって! 集中モード、入ります!)
(タマサキツヅラフジ……成分は強め、煮出し時間は短く、でも濃度が不安……
ああもう、うちの上司の指示かよ……!)
そして葉を刻みながらも、まひるは心の中でぼやく。
(うぐぐ……何この筋肉痛みたいな痛み! 腿もぴりぴりするし……。
ルナリアさん、平然としてなかった?……いやいや、今それどころじゃない!)
(急げ、でも落ち着け、絶対ミスるな――ってブラック企業あるあるかよ!!)
(でも、大丈夫。これぐらいのプレッシャー、慣れてる。なんせわたし、元・社畜ですから)
(しかも、なんたって、わたしは“チートスキル”持ちなんですから! ……たぶん!)
手は震えていた。
けれど、それは恐怖のせいじゃない。
心の奥に燃える、“この子を助けたい”という想い――
それだけが、わたしを動かしていた。
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