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第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード④

聖都セレスティア

王立学院裏手の森“ミスティウッド”


「……来なさい」


その静かな声は、微塵も震えていなかった。

それだけで、誰の心にも――十分すぎるほどだった。


まるでその声に応えるように、

獲物をルナリアと見定めた大蛇は、吠えるように地を這い――一気に距離を詰めた。


(一撃で決める!)


ルナリアは自らを喰らおうと迫り来る巨体に、一歩も退くことなく踏み込む。

そして、完璧な間合いから、銀の一閃を繰り出した。

鋭く、速く。正確に。


狙いすましたその一撃が、大蛇の眉間を正確に捉える――


――しかし。


キィィン――ッ!


鼓膜を切り裂くような金属音が響いた。


切っ先は分厚いウロコに弾かれ、まるで岩を叩いたような衝撃が腕に走る。


(つっ……硬い!)


剣を握る手がびりびりと痺れる。


(たった一撃で、こんなに……!)


蛇は一瞬だけひるむが、すぐさま反撃に転じる。

右から、左から、頭部を振るうようにして、ルナリアの身体をかみ砕こうとする。


ルナリアは舞うようなステップで鮮やかにかわし、

鋭い反撃を加えるが――分厚い装甲に阻まれ、切っ先が届かない。


『うわっ、うわー! やばっ。右から、うわっ! 今度は左から、うわぁ!

 な、なにこれ……怖すぎなんですけどっ!』


『やっぱり、ミレーヌさんの忠告を聞いて斧を持ってくれば……』


(静かに……! 集中させてくださいまし!)


『ご、ごめんなさい……』


まひるの声がしゅんとしぼむ。


『いやでも……ほんとに怖くないの?』


(怖くないと言えば、嘘になりますわね。

 でも、あなたも、みんなも――わたくしが守ります!)


『うん! わたしも出来ることがあればするね!』


その間にも、大蛇の巨体がぬらりと地を這い、ルナリアに迫る。


咄嗟に身をひねって回避するが、足元を薙いだ尾の一撃に地面がえぐれ、泥が跳ねた。


視界が曇り、バランスを崩しかける。

その瞬間、ルナリアの目に映ったのは――

胸元を押さえたまま、尻もちをついて震えるヴィオラと、

抱き合いながらも目を逸らさず見守るティアナとフローラの姉妹。


(守らなきゃ……!)


同時に、もうひとり――


(ライエル君は……?)


彼の姿が見当たらない――どこへ?


(いけない! 集中しなくては……)


ルナリアが軽く首を振ると、大蛇は舌をしゅるりと出し、

隙を伺うようにぎらりと黄色い双眸を光らせる。


次の瞬間、大蛇が再び巨体を振りかざす。ルナリアは辛うじてその軌道を見切り、反撃に転じた――文字通り紙一重の攻防が始まった。


ルナリアは肩で息をしながらも、敵のウロコの隙間を見極めようと目を凝らし、都度カウンターを繰り出す。

だが、剣筋はすでに鈍り、狙いが定まらない。

次第に蛇に押し込まれ、じり、じりと後退を強いられる。


(まずい、このままでは……!)


蛇の尾が再び地を叩きつけた。

跳ね上がった泥が雨のように降り注ぎ――小石がももをかすめる。


(つぅ……ッ!)


スカートの下、むきだしの左ももから、うっすらと血が滴った。


「こうなったら……魔法を使うしかありませんわね……」


ルナリアは跳ねるように一歩後ろへ退くと、すかさず左手を掲げ、詠唱を始めた。


「風よ、刃となりて、我が敵を討て――」


その瞬間、彼女の全身がほのかな光に包まれ、空気が唸りを上げて震えた。

草も、髪も、ブラウスの裾も、風に煽られ激しく波打つ。

そして――彼女の指先に、空気が圧縮され、形を成し始める。


空気ごと、世界が震えている――まるで女神の一振りが、大地に降りかかるかのように。


なんという魔力。

なんという美しさ。


まるで、風と光の女神。

誰もが――息を呑み、見惚れた。


(ふふ……これで終わり。あとは当てるだけ。でも……ミレーヌには怒られてしまいますわね)


そんな皮肉めいた微笑を浮かべたその時。


轟音を割って、ヴィオラの叫び声が届いた。


「ルナリア様、だめーーっ!!」


――その声が、風を裂いた。


『ルナリアさん! そこ!』


刹那、ルナリアの視界に飛び込む。

蛇の陰で、頭を抱えて蹲るエミリーの姿。


(っ……! 巻き込んでしまう!)


詠唱の残滓が空に舞う。

左手の魔法陣がガラス細工のように砕け、きらきらと光を散らしながら消えていく。


圧縮された空気が解放され、爆発したように空気の奔流が周囲に荒れ狂う。

ルナリアは思わず顔をかばうように腕を上げた。


――次の瞬間。


その隙を逃さなかった大蛇の尾が唸りを上げ、横薙ぎに迫る。

巨体が風を切り、地をえぐり――肉薄した。


『ルナリアさん!!』


まひるの声が鋭くこだまし――

時間が、止まったように感じた。


剣を構えようとするが、その腕があまりにも重く、遅い。

視界の端に、スローモーションのように巨大な尾――直撃する!


(しまっ――!)


その刹那――


突風のような音が森にこだまし、空気の色さえ変わったかのように、やさしい魔力が空間に満ちた。


ぐん、と音を立てて伸びた蔓草が、まるで意思を持つかのように地を這い、

大蛇の胴体へと巻きついていく。


「……なっ……!?」


咄嗟に跳び退いたルナリアの視線の先で、驚くほどの速さで、毒蛇の巨体は草に絡め取られていった。

何本もの草の束が鞭のようにしなり、その身を拘束する。


やわらかな光の中、そこに立っていたのは――風に揺れても折れぬ、一輪の花。


「ヴィオラ……さん?」


思わず呟いたルナリアの心の中でまひるの声も小さく響いた。


『あれは……花の乙女……?』


(……花の……乙女?)


ヴィオラの顔は恐怖にこわばっていた。

それでも、その紫の瞳は決して逸らいでいない。敵からも、力からも、もう逃げていなかった。


掲げた手が、震えながらもしっかりと力を込めている。

その指先から、草木へと流れる魔力が、淡い光となって脈打つように伝わっていた。


ヴィオラの唇が、小さく震えながらも確かに動いた。


その声は、小さくても確かな意志を宿していた。


「――ライエルさん、今です!!」


いつの間にか森の切れ目に立っていた少年の影に視線が集まった。


「はい。バトンはしっかり受け取りました」


体中の毛がぞわりと逆立つのを、その場の誰もが感じた。


森の空気が張り詰め、時間さえも凍りついたかのような一瞬――


「無詠唱――ライトニング・ボルト!」


ライエルの叫びが森の空気を裂いた。


(無詠唱……!?)


『え……無詠唱って……。スキル名って叫ぶものなんかい!?』


まひるだけがツッコむも、それ以外の誰もが息を呑んだ。


バリバリバリッ!!


雷鳴が轟いた刹那、蒼白い稲妻が空気を切り裂き、まるで獲物に喰らいつく獣のように大蛇へと叩き込まれる。


「グオオオォォォォ!!」


大蛇は凄まじい咆哮を上げ、のたうち、地を抉り、煙と焦げた臭気を撒き散らして暴れ狂った。


「お姉さん! とどめを!!」


(……お姉さん、ですって!?)


一瞬ツッコみそうになったが――それより大事なことがある。


「任せなさい!!」


ルナリアは地を蹴り、空へと舞い上がる。

両手で剣を握りしめ――狙うは、大蛇の濁った黄色い眼。


渾身の力を込めて、銀の刃を振り下ろす。

それは、仲間の想いを背負った一閃だった。


深々と突き刺さったその瞬間、大蛇は断末魔のうなり声を上げ、痙攣しながら地に崩れ落ちた。


ルナリアは剣を鋭く一閃、空を切ると、くるり、と回して静かに鞘へと納めた。

かちん、と澄んだ音が響き、それは確かに“戦いの終わり”を告げていた。



「やった、の……?」


かすかに焦げた香りを嗅ぎながら、煙を立ち上らせた大蛇の骸を、しばし見つめる。


確かめるようにライエルへと視線を移すと、

彼の握る、よれよれに曲がった針金のようなものから、静かに煙が立ち上っていた。


(あれは魔法の触媒……かしら?)

(不思議な触媒ですわね……それに、雷撃魔法の使い手なんて――

 そうそういるものではありませんのに……)


(それに、無詠唱――。”雷光の魔術師”、ライエル・サンダーボルト。

 さすがは、“聖女の守り手”と謡われるだけのことはありますわね……)


ルナリアの視線に気付いたライエルが、小さく頭を下げた。


「お姉さ……ルナリア様、助太刀が遅くなってしまい、すみませんでした。

 森の中にこれが落ちていて助かりました。

 ただの針金ですけど……今日は金属を持ち歩いていなくて」


(……礼儀も実力も本物。わたくし、あなたのこと――

 ちゃんと見ようとさえ、していなかったのかもしれませんわね)


「ふふ。謝ることはありませんわ。

 ……それと、偶には“お姉さん”でも構いませんのよ。特別ですけど」


ライエルの口元が、わずかにほころぶ。

それにつられるように、ルナリアも、柔らかな笑顔を零した。


『……あっ……ああっ!? 今の! 何ですか!?』


まひるの声が、内側で盛大に響いた。


『ルナリアさん今! “特別ですけど”って! デレた! これ完全にデレましたよね!?

 ……えっ、ツンデレ全開で? まさかの年下平民攻略ルート突入!?

 ライバルは同級生の双子姫ですよっ!? 難易度高過ぎますって!?』


(……うるさいですわね。そんなルートには入りません!)


まだ騒いでいるまひるは放っておくことにして、視線を移す。


(あなたが……”聖女”と対をなすと伝承にある”花の乙女”、なんですの……?)


手を下げたヴィオラを見やると、彼女も照れくさそうに笑っている。


三人の笑顔は、静かに森の奥へと広がっていく。

まるで、木々の隙間から差し込む、初夏の木漏れ日のように――。


『完全勝利です! よっしゃー! って叫びたいけど空気読んで黙っときます!

 でも完全勝利ぃ!』


(ふふ……。ダダ漏れですわよ。

 でも、ええ。わたくしたち全員の勝利、ですわね)


こうして、あれほど荒れていた森にも、静かな息吹が戻ってきた。

新緑のざわめきが、彼らの静かな勝利を祝福するかのように――。



緊張で固まった身体をようやく解き、肩の力を抜きかけた、その瞬間――


「……ひゃっ!」


フローラが短く叫び、よろめいた。

抱きしめていたティアナの腕の中から、力が抜けたように崩れ落ちる。


「フローラ!? どうしたの!?」


その足元に、ぽとりと紫色の液体が落ち――濁ったしずくが、地面に滲んだ。


「――フローラ様!?」


ルナリアが駆け寄ると、足首に細く走る赤い痕。

彼女の皮膚は、じわじわと腫れ始め、赤黒い瘴痕が、血管に沿ってじわじわと――

まるで呪いのように、禍々しく滲み広がっていく。

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