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第9話「社畜と悪役令嬢と花の乙女と、不思議な薬師の森日記」 エピソード③

聖都セレスティア

王立学院裏手の森“ミスティウッド”


(まひるさん、静かになさいませ。“セーブポイント”など、現実には存在しませんわ)

(これは“ゲーム”ではなく――“現実”なのですから!)


『マジか……や、やば……戦闘とか、一回もしたことないんだけど……!?』


(まひるさん、落ち着いてください……)


『ていうか、いきなり実戦って……これ、ブラック企業の新人配属と一緒じゃん!』


(配属? こんな時になにを言って――)


『新人研修で、「お前の担当、“無理難題対応”な」って……。

 マジで初週から地獄だったの、今、蘇ってきたんだけど……!』


(それとこれとを一緒にしないでくださいまし!)

(大丈夫ですわ、わたくしは戦闘……訓練なら成績優秀者ですのよ?)


『……うう、確かにルナリアさんの華麗なステップは知ってるけど……。

 OJTもなしで、いきなり実戦投入なんて……社畜でも泣くやつ……!』


脳内で涙を流すまひるはひとまず置いて、

ルナリアはすぐさま、生徒たちに小さく警告を発した。


「みなさん、わたくしの後ろに!」


ルナリアの視線が鋭くなる。次いで、レイピアの柄へ迷いなく手を伸ばした。


――そして、風が止んだ。


「……森が、ざわめいてる」


ヴィオラの不思議なつぶやきが、沈黙の中にぽつりと落ちた。


静寂の中に、確かに“何か”が近づいてくる気配があった。


***


――その少し前、ミスティウッド付近。


(……ふん、お貴族様たちは、今日ものんびり実習ってわけね。

 しかもあの双子姫まで連れて。優雅なことですわね)


森の外れ。その木陰に、一人の少女の姿があった。


きりりと髪を結い上げた平民特待生、

――エミリー・フローレンス。


もはやルナリアに対抗するのは彼女の日課。

今日もひっそりと、森の様子を窺っていた。


視線の先には、休憩中の旅芸人の一座の馬車。

その横に置かれた、大きなテントの暗がりには、簡素だが巨大な檻が見える。


(……ちょっと脅かしてあげるだけ。

 そうすれば、気高い“貴族様”も――少しはしおらしくなるでしょう)


驚き、“気高さ”を忘れてへたり込むルナリア・アーデルハイト。

涙目の彼女を見下ろし、手を差し伸べる自分――。


にやりと笑いながら妄想を膨らませ、グッと拳を握る。

「――今日こそは、勝ったわね」

小さくそう呟くその顔には、妙な自信が満ちていた。


いつもなら、緻密な計画を立ててから動くエミリー。

「ルナリア包囲作戦計画書」をしたため、入念に準備してから動くのが常だった。


だが、薬草実習を知ったのは今朝のこと。

しかも侍女兼護衛のミレーヌ・アルヴェールが不在と知り――

このチャンスを逃すものかと、勇んでここまでやってきたのだった。


「よし……誰も見てないわねっ」


息をひそめながら走り出し、テントのすそをめくる。

……が、裾がちょっと引っかかったのはご愛敬。


小さく舌打ちしながら、エミリーは暗がりへと滑り込んだ。


(さてと、何か使えるネタを探さなくちゃ……と)

(ここなら、いろいろありそうだし……)


テントの中を見回すと、ひときわ大きな檻が目に入った。

中に何があるのかは暗くてわからなかったが、その大きさは見上げるほど。


さすがにこれは“無し”ね。

危険な香りが、もうプンプン漂ってるじゃない。


檻にぴたりと身を寄せながら、気になるものがないかを目で探す。


(何かいいかしら……大きな音が出るものとか、おっかない仮面とか?)


そのときだった。


ぴと。


後ろから首筋に冷たいものが一瞬触れた感触。


「ちょっと、何よ。今、忙しいんだから」


そう言うと、エミリーは檻に身を寄せたまま、再び物色を始めた。


次は――


ぺろり。


冷たくざらざらとしたものが、まるで味わうかのように――ぬるりと首筋を這った。


(……!)


恐る恐る首に手をやると、冷たくねっとりとした粘液が……。


ゆっくりと――首を、振り向ける。


檻の中、暗闇の奥で、「しゅう、しゅう……」と不気味な吐息。


そして、ぬらりと光る、ふたつの黄色い目――。


「ひぃっ!」


その直後。


「……おっと、お嬢さん。こんなところにいたのか。

 そこは危ないから、こっちにおいで」


突然、背後から誰かの声がして、エミリーは驚いて身を隠す。


だが、その拍子に背中を檻の扉にぶつけてしまい――


カチリ――


扉がゆっくりと開く。


(え……ちょ、ちょっと待って……これって……)


(ウソ、ウソでしょ……!?)

(鍵……がかかってない!……)


(やばいやばい! え、えっと、さっきの”しゅうしゅう”が出てきちゃう……!)


ぬるり、と檻から這い出す巨大な影。


ぬうっと立ち上がったその影の頭部は、エミリーの背丈をはるかに超えていた。

濁った黄色い双眸が、首筋を味わったばかりの“獲物”をじとり、と捉える。


「うわっ、なんで鍵が開いて――。

 そいつは刺激しちゃいけない。お嬢さん、静かに、そっとこちらへ。笛、笛を今……」


誰かの声が小さく響いたが、パニックになったエミリーにはもはや何も聞こえていなかった。


「っ――な、なによこれっ!? 聞いてないわよ、こんなの――!!」


「ちょっ、ま、待って! わたし、そんなにいいもの食べてないし――

 絶対おいしくないからーっ!」


そう叫ぶと、顔面蒼白のまま――

エミリーは悲鳴をあげながら森の中へ一目散に駆け出した。


その背後から、巨大な影が、ぬるぬると地を這うように迫っていた。


舌なめずりするような、ねっとりとした音が耳にまとわりつき――

逃げるエミリーの肩越しに、黄色く濁った双眸がじとりと光った。


その距離は、確実に縮まっていた。


***


――薬草採集実習、ミスティウッド。


静かな森に、不意に響き渡る――


「きゃあああああっ!!」


突然の悲鳴に、ルナリアたちは一斉に顔を上げた。

次の瞬間、森の奥からひとりの少女が、転がるように駆け出してくる。


「エミリー……さん!?」


ルナリアとヴィオラが同時に小さく叫ぶ。


泥まみれの制服、恐怖に染まった顔――

平民特待生の、エミリー・フローレンスだった。


彼女は足をもつれさせ、ルナリアたちの目の前で地面に倒れ込む。


「はぁっ、はぁっ……こ、来ないでぇっ……!」


震える声でそう呟いた、その背後――

ざわり、と森がうねり、空気が濁る。


次の瞬間、ぬるりと這い出してきたのは――

血のような赤縞模様の、異形の巨体だった。


「……あれは、“アルグ=サーヴァ”!」


ライエルの声が、震えた空気を裂いた。


ヴィオラは尻もちをつき、ティアナは口元に手をあて、

フローラは「きゃっ」と悲鳴を上げてティアナに飛び着く。


「どうしてなの? このような大型の魔物が聖都に……!?」


……ルナリアはそっと腰に手を伸ばすと、細剣の柄に手をかけた。


(ミレーヌには感謝しないといけませんわね……)


ルナリアは、エミリーが連れて来た巨大な魔物にひるむことなく、

レイピアをすらりと鞘から抜き放ち、ヴィオラたちを背に立ちはだかる。


(わたくしが、全員を――守らなければ!)


それは、人の胴など軽く呑み込むほどの太さを持った、禍々しき毒蛇。

鱗はねっとりと湿り、まるで瘴気を纏っているかのようだった。


舌をひゅるひゅると鳴らしながら、鋭い双眸が無慈悲な敵意を込めて睨みつけてくる。


「みなさんは、下がってなさい」


レイピアの刃がゆるやかに銀の弧を描き、正面にまっすぐ伸ばされる。

まるで舞踏の所作のように流麗な動き――

ぴたりと伸ばされた銀の刃の、その先――隙を伺うようにゆらめく大蛇の双眸が光っていた。


(やっぱり本物は恐ろしいわね……足も手も、震えそうですわ……)


でも、足がすくむ暇なんて、与えられていない――。


……これが、初めての実戦――

けれど、全員を守るのは――わたくしの使命。


ほんの一瞬、剣を握る手に力がこもる。

けれど、その優美な鍔や細い刃が、今だけはとてつもなく心もとなく感じる。


(訓練だけで終わるはずだったこの剣――今こそ、誇りを示す時)


『ルナリアさん……震えてない……すごい……!』


(本当は、震えていたいわ。でも、そんな余裕すらない……それが、“現実”)


一陣の風が森を吹き抜け、ルナリアはまっすぐ正面を見据える。


「……来なさい」

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