第8話「社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女」 エピソード⑥
――王立学院・夜の図書館。
その夜も、まひる(ルナリアの姿)は静かにベッドを抜け出し、図書館へ向かった。
確かめなきゃいけない……。
もしレイアさんが、本当に幽霊だったら……何か望みが、心残りがあるんじゃないかって。
(会えるかな……)
レイアさんの儚げな姿を思い浮かべると、不思議と恐怖はなく、とにかく会いたいと思う自分がいた。
そっと、音を立てないように閲覧室の扉を開く。
淡い月明かりが差し込む閲覧席。
そこに、今日も彼女はいた。
いつもと同じ古風なドレスを纏い、金糸の髪と白い肌に月の光を纏わせて。
「こんばんは、レイアさん」
「こんばんは。今日も、来てくださったのですね」
柔らかに微笑む金髪の少女――レイア。
何度目かの邂逅。
けれど、会うたびにその存在は“馴染む”よりも、“遠ざかって”いくような不思議さを孕んでいた。
彼女が、ほかの誰にも見えていないのかもしれないなんて……。
(……なんでだろう。声も、表情も、こんなに鮮やかなのに。
触れたら――消えてしまいそう)
まひるは、ちらりと本を読むレイアの顔をうかがいながら、
思いきって口を開いた。
「ねえ、レイアさん。
……前に、建国王のこと、すっごく推してましたよね?」
レイアは一瞬、目をぱちくりさせて――
次いで、くすっと小さく笑った。
「“推していた”……なんて言葉、初めて聞きましたわ」
「でも、そうですわね。
あの方を――想っていたのは、たしかです」
まひるの心が、かすかに弾む。
「やっぱりそうだったんだ……!」
「じゃあ、その……好きだった、んですよね?」
レイアは答えずに、そっと視線を伏せる。
そのまま、胸の前で本を閉じると、
静かな声で、ぽつりとこぼした。
「ええ……。もう、ずいぶんと昔のことですけれども――」
その瞳に、淡い光が宿る。
頬を伝うのは、ひとすじの涙。
まひるは、思わず息を呑んだ。
(……泣いてる)
何かを言おうとして、けれど言葉にならなくて。
その手が、そっと伸びる――
けれど、指先が触れる前に。
その涙は、月光の中にふっと消えていた。
何か、冷たい風が頬を撫でた気がして、思わず指先が震えた。
すると、レイアは瞳を潤ませたままふわりと笑った。
「ごめんなさい、あなたを騙していました。
わたくし……いま、ここには、いないのです」
レイアは静かに微笑んだ。
その横顔が、月光の中で、ふわりと霞んで見える。
「本当のことを言ったら、この時間が終わってしまうと思ったから……。
あなたは……わたくしが怖くはないのですか?」
「……えっと……びっくりはしたけど、レイアさんあったかくて……怖くはない……です」
レイアは目を細めてふわり、と微笑んだ。
まるで、生きてるみたい。あったかい。
「あの……ということは、レイアさんって……まさか……」
まひるが言葉を濁すと、レイアはそっと目を伏せた。
「……“アストレイア”という名前は、今でも語られているのでしょうね。
千年もの間、祈りの象徴として。
そう――“語られ続ける名前”としては、わたくしはまだ、生きているのかもしれません」
「じゃあ……やっぱり、あなたは……原初の聖女様……!?」
「……確かに、後の世ではそう呼ばれてますわ……。
でも、わたくしは一人の青年を愛した、ただのアストレイアという名の娘。
そんな大層な名で呼ばれるような存在ではありません」
レイアはふと目を上げた。
「けれど、不思議ですね」
レイアは微笑を浮かべたまま、まひる(ルナリアの姿)の紫の瞳をまっすぐ見つめた。
「わたくしが、こうして“誰か”と再び話す日が来るなどと……
しかも、あの方の末裔さんにお会いできるなんて」
「……あの方?」
「北の氷姫フィオナ。
わたくしが――愛する友のひとりです」
まひるの胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
ルナリアさんが、まさにその女性の“末裔”であることを――
この人は、知っている。
「けれど……わたくしが再び目を覚ますとしたら、
それは“花の乙女”の血を継ぐ者と出会うとき――だと思っていました」
「わたくしは、ただ神の言葉を伝えるだけの存在。
でも、花の乙女は……世界そのものの声を聞いていた。
風の音、土の震え、草花のさざめきまでも――」
レイアは、そっと窓の外の月を見上げる。
「運命とは面白いものですね。
思いもよらぬ巡りの中で、わたくしは、あなたに出会った。
――これも、誰かの、女神様への“祈り”が引き寄せた、奇跡の一部なのでしょうか」
彼女の声は、まるで詩のように、静かに胸へと染み込んでいく。
「あなたの中には、“ふたり”の魂があるのですね」
まひるは、ぎくり、としながらも、こくりと頷いた。
彼女には、嘘は通じないとなぜかわかってしまったから。
「あなたがこの夜に来ることができるのは、たぶん――そのおかげ」
「もうお一人とお話する機会があればいいのですが」
(いやいや、ルナリアさん、たぶん卒倒しちゃうから――
結局わたしとしか会えなかったりして……なんて)
まひるは何も言えなかった。
ただ、彼女の言葉に耳を澄ませていた。
「どうか、忘れないでください」
「…………?」
「名のある者だけが、“歴史”ではないということを。
想いは、誰かの心に宿れば、それだけで、時を越えるのです」
レイアは立ち上がる。
月の灯りに照らされた今日の彼女は、一段と美しく、神秘的で、儚げに見えた。
ふと、もう会えないような気がして――。
まひるは、思わず問いかけた。
「また……来てもいいですか? あなたに会いに」
まひるが問うと、レイアはほんの少し驚いたように目を見開いた後、微笑んだ。
「ええ。あなたが、忘れない限り――
わたくしは、きっと、ここにいます」
微笑みをたたえたまま、その姿がゆっくりと月の光に溶けていく。
そして、机の上に置かれた、レイアがいつも開いていた古びた本が――
ぱら、ぱら、と静かに頁をめくり、そっと閉じると、すっと消えていった。
消える直前、表紙の文字が目に入った。
金箔で推された『原初の年代記』。
しかし、その下に手書きの消えかけた文字で『アストレイアの日記』と。
閲覧席に、風がそっと吹き込んだ。
そこには――ただ月の光だけが、静かに残っていた。
***
――王立学院・図書館(深夜)。
静まり返った夜の図書館。
天井近くの窓から差し込む月明かりが、無数の書架を青白く照らし、
先頭を歩く赤髪の少女の眼鏡にきらり、と反射する。
「……ここよ。目撃情報が多かったのは、この辺り」
声をひそめて案内するのは、学院新聞部のカレン・ノーリッシュ。
その後ろに、数人の“有志”が続いている。
もちろん、これは正式な捜索ではない。
ましてや許可を得た調査でもない。
許可証をかき集めて、”取材”と称して勝手に入っただけのこと、である。
だからこそ、彼女たちは息を潜めながら、忍び足で歩を進めていた。
カツン――
どこかで、確かに“足音”が響いた。
全員が同時に動きを止め、顔を見合わせる。
直後、ひそひそと、誰かの――確かに少女の――声が聞こえた気がした。
「や、やばくない……?」
ひとりが呟いた瞬間、ばさりとカーテンが揺れた。
パニック寸前の空気が流れる中、一人、眼鏡の奥の冷静な瞳が月光の中に何かを捉えた。
「あれ……は?」
カレンの指がゆっくりと上がり、全員がその先に目を向ける。
*
夜勤担当のまひる(ルナリアの姿)は、レイアが月光の中に消えた後、
閲覧席に積み上げた本に囲まれ、ペンを走らせていた。
(ふう……進捗は……まあまあ。論文の構成、次は……)
ページを繰る指が止まった。
聞こえたのだ。かすかな足音。
(……ん?)
耳を澄ます。気配は階段の方から――複数?
(うわ、やばっ。まさか、ついに幽霊捜索隊きた!?)
(バレたら、絶対ルナリアさんに怒られるやつじゃん……!)
慌てて本を閉じ、息を殺す。
物陰へと身を潜めようと立ち上がるが――足元の本が崩れた。
「っ…………」
慌てて拾う手が止まる。足音が近い。
(どうしようどうしようどうしよう、詰んだ!?)
そのときだった。
「こっちですっ!」
小声で叫ぶ声とともにぱっと取られた手が引かれ、栗色の髪が視界をかすめた。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけますと、とても励みになります。
評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます!




