第8話「社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女」 エピソード⑤
王立学院・教職者棟――
石造りの建物の奥、木製の扉の向こうにある、簡素な応接室。
「どうぞ、お入りなさい」
通された部屋は質素そのもの。
必要最低限の家具に、整然と並ぶ書棚。
机には祈祷書と聖典が積まれ、落ち着いた香が、ほのかに漂っていた。
イレーネは執務机の向こうに座り、手元の資料をそっと閉じる。
「先ほどの講義――お見事でしたわ。まさに“妃教育”の賜物でしょう」
「恐れ入ります。僭越ながら、以前より神聖教の書物には少々目を通しておりましたので……」
ルナリアは背筋を正し、礼儀正しく答える。
だが、その瞳には――わずかに、警戒の色が滲んでいた。
イレーネは微笑を浮かべるが、その目は笑っていない。
「あなたのような立場の方が、“あの説”を口にされるとは思いませんでした」
「……あくまで、一説として耳にしただけでございます」
その瞬間、イレーネの目つきがわずかに鋭さを増す。
「もちろん。歴史とは、解釈の綾に過ぎませんもの」
彼女は静かに立ち上がり、書棚から一冊の布装丁の書を取り出した。
それは記録者の名もない、無名の年代記――
「こちらは複製に過ぎませんが……ご存知かしら? 『聖女の年代記』。
建国から三十年以内に記されたとされる、ごく初期の信仰体系を色濃く残す書物です。
一説には、原初の聖女その人の手によるとも言われています」
ぱら、とページを繰り、指先が一箇所で止まる。
「ここにはこう記されています。
『王を支えたる三人の姫』、
『聖女は王と並びて、ひたすらに信仰を守らん』――
『野より至りし乙女は野に帰りたる』、
そして――
『北より来たる氷の巫女、王と並びて歩むも、同じく后たるを辞す』」
イレーネは、ページから目を離さずに続けた。
「……信じるかどうかは、ご自由に」
ルナリアの喉が、小さく動いた。
(――つまり、建国王と原初の聖女は、婚姻関係にはなかったと……)
(まひるさんは、どうしてこんなことまでご存知なのかしら……?)
「……書物にことは存じ上げませんでした。ですが、非常に興味深い記述ですわ」
イレーネは、ふっと目を細める。
「アーデルハイト家。代々、北の地を治め、古き信仰と伝統を守ってきた家系。
――かつて“氷の巫女”と呼ばれた御方の末裔である、そんな噂もございます」
その目が、まっすぐにルナリアを射抜いた。
「それだけではありません。
建国王は、“后を娶らなかった”だけでなく――
実は、それぞれの女性に“血”を残したという説もあるのです」
ルナリアは息を飲みつつ、静かに問い返す。
「……そのひとつが、我が家であると?」
イレーネは微笑んだ。肯定も否定もせずに。
「ふふ。あくまで、文献と伝承の話です。
けれど――もしそれが真実なら、あなたは“ふたつの血”を受け継ぐ者ということになりますわね」
「建国王の血と、氷の巫女の血……」
「そして今や、あなたは王太子殿下の“婚約者”。
王統と血統――ふたつの象徴を重ね持つ存在」
その声に、静かな圧が宿る。
「……ただし、諸説はあくまで諸説。正しき教えとは“聖典”に記されたものだけ」
イレーネは机越しに身を乗り出すようにしながら、言葉を重ねた。
「どのような想いを抱いていようと構いません。
けれど――あなたの発する“言葉”は、もはや個人のものではありません」
「……率直に申し上げます。
あなたの今日のご発言は、あまりにも“聖典”の教えから乖離していました」
「もし正妃となられるおつもりならば――今後の信仰観には、十分な配慮を」
鋭さを増すイレーネの声。
「“教義”を再解釈しようとする行為は、異端と紙一重。
これは……忠告として受け取ってくださって結構ですわ」
ルナリアが何かを言いかけた、そのとき。
イレーネが先に口を開いた。
「最後に、ひとつだけ」
「あなたが、“何者かになろうとする”その意志――
それが、救いとなるのか、あるいは破滅となるのか……。
今はまだ、わたくしにも分かりません」
しんと静まり返る室内。
ルナリアは一歩前へ出て、ゆるやかに一礼した。
その声は、静かに――けれど確かに、意志を宿していた。
「……心得ております」
*
ぱたん。
扉をそっと閉じた。
ルナリアは俯いたまま小さく息を吐く。
その瞬間――まひるの寝ぼけ声がふわっと入った。
『ねー……つまり、これって……“破滅フラグ”、立っちゃった……の?』
(……”破滅フラグ”……でしたわね。
ええ、わたくしの選択次第ではそうなるのかも知れませんわね……)
(まひるさん、今日もありがとう。
よくお休みになってくださいな)
(お目覚めになったら、また相談いたしましょう……)
***
王立学院・講堂(放課後)
終業の鐘が響き、生徒たちもまばらになったころ。
少し遅れて講堂を出たアルフォンスは、
人々のざわめきの残滓の中、静かに廊下を歩く彼女の背を見つめていた。
ルナリア・アーデルハイト。
イレーネ女史の刃物のような質問に毅然と答えたその姿は、
王太子の婚約者という立場以上に――
ひとりの「女性」として、強く、美しく、彼の目に焼きついていた。
(……“聖女であろうと、そうでなかろうと、王の隣に立つ資格はある”。か)
あれは、ただの模範回答ではない。
彼女の矜持が宿る、宣言だった。
そしてそれは――
どこまでも「誰かの隣に立とうとする」覚悟の言葉だった。
(ルナ……。君の隣に、今、誰が立っている?)
その問いを、アルフォンスは自分に投げかける。
少し前までは、あの手を取る資格すらないと思っていた。
けれど今は――
ほんの少し、彼女の視線が、自分を映している気がしている。
(舞踏エキジビションで、君は僕が差し出した手を取ってくれた。
僕は、君の気持ちに応えて、兄さんの舞いをなぞった。
あれはきっと……”過去の清算”と“未来への保留”だった)
ちゃんと前に進んでる。
だから、焦るな。急くな。
だが――
(……兄さん。どうして“彼女”じゃなくて、ヴィオラ嬢の手を取った?)
ラファエルが選んだその手段は、実に兄らしい策謀だった。
それは、“弟の婚約者候補”をこのゲームの盤上に引き上げる一手。
彼女を、“ただの候補”で終わらせないための布石。
でも、ヴィオラ、そしてルナリアの気持ちを考えたら……。
(兄さん……それは、あまりにも残酷で、正直、今さらじゃないか?)
思わず、拳を握り締める。
(違うな、むしろ今さらなのは僕の方かもしれない)
あの春の庭園から時が止まっていたのは僕の方だ。
でも、今は……彼女の隣に立ちたい――そう、“ルナリアの隣”に。
あの日、奉仕日に。
”仮面”に隠れた”素顔”を見てしまったから。
動き出した時計の針はもう止まらない。
(……でも、もし彼女が本当に兄さんを――)
喉奥で、その想像を噛み殺す。
そんな未来は、考えたくない。
けれど、否定もできないのが悔しかった。
(もう迷うな。怖がるな)
湖畔で自分だけに見せてくれた、彼女の弾けるような笑顔。
そしてつないだ小さな手のぬくもりを思い出す。
(彼女の隣に立つ”資格”とはなんだ?)
(”覚悟”なら……ある)
この願いが、どんな結末を招こうとも。
僕はもう、引き返すつもりはない。
ルナが振り向いてくれなくても。
それでも、隣に建つ。
それが、僕の答えだ。
ポケットからそっと小さなペンダントを取り出し、
ぎゅっと握り締める。
“王の隣に立つ資格”を語った――その小さな背中が、廊下の端に遠ざかっていくのを見つめながら。
アルフォンスは踵を返し、歩き始めた。
*
その日の放課後、とある赤髪の新聞部員が掲示板に号外を張り出し始めた。
《王立学院新聞・号外(記者:カレン・ノーリッシュ)》
◆『続報! 学院七不思議・第六項「図書館の幽霊」』
深夜の図書館にて――金髪の超美少女幽霊、ふたたび目撃される!?
昨晩遅く、図書館閲覧室にて「金髪の少女がひとり、窓際で本を読んでいた」という証言が寄せられた。
特筆すべきはその姿――誰もいないはずの閲覧室で、月明かりに照らされて机に向かう姿。
そして、静寂を破るように響く、何かをかじる音――
「ぱりっ……ぼりっ……ぼりぼりっ……」
目撃した生徒はその異様な気配に恐怖を覚え、逃げるように退室したという。
これは先週話題になった「金髪の影」騒動の再燃か――
それとも、“なにか新たな存在”なのか……?
※今後も目撃情報が入り次第、速報します!乞う、ご期待!
*
号外が張り出されるや否や、たちまち生徒たちの人だかりが出来上がっていた。
鞄を下げて通りかかったルナリアも、ふと立ち止まる。
「……また出たんだって? 金髪の幽霊」
「てか“ぼりぼり音”って……マジ笑うんだけど」
「いやいや、幽霊って食べるの? 食べるとして、何食べてたんだろ……?」
「いや、でも幽霊出るときって”ラップ音”するっていうし……」
ぞわっ。
生徒たちが青くなる。
「これ前より怖くなってるよ。実体化してない?……」
「次は“幽霊と会話した”って証言が飛び出すぞ……」
「これ、そろそろ本気で調査した方が良くない?
聖女様に除霊をお願いするとかさ……」
ルナリアの視界越しに見えた新聞記事。
まひるは内心で呟いた。
(えっ、ちょ、ちょっと待って!? これ、完全にわたしじゃない!?)
ルナリアは、静かに鞄を前に下げながらその場に佇んでいたが――
その内側で、まひるの心の中は大騒ぎだった。
(……ええええ!? 完全に私のせい!?
てか、キャンディーって最後嚙んじゃうんだよね! つい癖で……。
やっぱり図書館って響くのかな!?)
「この“ボリボリって音、聞こえた”ってやつ、
絶対ちょっと盛ってるだろ……。どこのお菓子モンスターだよ……」
人だかりから、そんな声が聞こえる。
(やばい……ルナリアさんが完全に“食いしん坊幽霊”になってる……!
イメージが……イメージが……!!)
(それより……”ひとり”ってどういうこと……!? レイアさんもいたよね……)
(え、えええ! それってつまり、そういうこと……?)
「幽霊さんも、お腹がすくのね……」
きょとんと、とぼけたように呟くルナリア――
だがその中では、まひるがひとり背筋を凍らせていたそうな。
*
赤髪の少女――カレン・ノーリッシュは、
掲示板の人だかりを満足そうに眺めながら、小さくつぶやいた。
「……ふふ。いよいよ、この敏腕記者の出動かしらね」
カレンは、メモ帳とペンを手に、にやりと笑う。
「さて――あとはこの手で、“幽霊本人”を直撃できれば完璧、かしら」
そして、ペンを器用にくるりと回すと、片目を瞑って狙いを定める。
「――真実は一つ。いよいよわたしの本領発揮ですわ!」
眼鏡に縁どられたその眼差しは、掲げたペン越しに――人だかりの向こうへ。
楚々と歩き去る“金髪の超美少女”の背中をまっすぐに貫いていた。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけますと、とても励みになります。
評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます!




