第8話「社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女」 エピソード③
王立学院・寄宿舎
ルナリアの私室(夜)
夜の帳がそっと学院を包み込む頃――
まひるは音を立てぬよう、そっと部屋を抜け出した。
お気に入りのノート、それに今日は夜用の紅茶キャンディを鞄に忍ばせて――
静かな階段を下り、慣れた足取りで図書館へと向かう。
(ふぅ……やっぱり、ここがいちばん落ち着く……)
深夜、たった一人で栄養バーをかじっていた頃のオフィスを思い出す。
「いやー、わたし、何処まで行っても社畜なんだな~」
などと、一人ごちる。
夜の図書館は、まるで世界から切り離されたように静かだった。
本棚の合間をすり抜け、閲覧席の窓辺に目を向ける――と。
(……あれ?)
そこに――見慣れぬ、けれど、どこか懐かしいような後ろ姿があった。
長い金髪が、月明かりに照らされてゆらりと揺れる。
すらりとした背筋。ドレスの背中は大きく開き、真ん中に流れる金の髪の左右で――
真っ白な肩口が月に輝いている。
そして、ふわりとした襞のある、夜着というよりは古風なドレスのような衣装。
(……き、”金髪の影”……?
いやいや、夜の図書館に背中ぱっくりドレスの金髪美女って、それ完全に“出ちゃった”系ですよね!?)
思わず足がすくむ。
深夜残業当たり前だったまひるとしては、夜中の一人歩きには慣れてるつもりだったが……。
異世界の由緒ある図書館、しかも真夜中となれば勝手が違う。
この時間、この場所で、あのビジュアル。どう見ても幽霊案件である。
……逃げる? いや、でも、もしあれが“誰か”だったら――。
まごまごしているうちに、彼女がゆっくりと振り向いた。
その瞬間、まひるの足はぴたりと動かなくなった。
今度は足がすくんだんじゃない。
ただ、目が離せなかった。思わず、見とれてしまったのだ。
きれいな女性……。
いつも鏡でルナリアを見慣れているはずのまひるですら、思わず息を呑むほどの美しさ。
まるで月の光を編み込んだかのような金の髪と、深く澄んだエメラルドの双眸――
輪郭ははっきりしているのに、どこか現実感が希薄で、まるで夢の中の人物のようだった。
それに、少女というには少し大人びていて――
それでいて、この世のものではないと感じさせる、どこか神秘的な気配を感じさせた。
――だが、その少女は、まるでこちらの動揺など知っているかのように、静かに微笑んだ。
まるで、わたしがここに来るのを知っていたかのように。
「こんばんは。……ルナリア・アーデルハイトさんですね」
澄んだ声。甘さや舌足らずさはなく、しっとりとしながらも涼やかな声。
「え、え、え……?」
(なんで知ってるの!? ……でもルナリアさんってこの学院では有名人だし……)
まひる(ルナリアの姿)がぱちくりと目を瞬かせると、少女は小さく微笑んだ。
「わたくしのことは……そうね。『レイア』と呼んでくださいな」
(……幽霊じゃないよね? ほら、喋ってるし。透けてないし。
なんか、いい香りするし。……いや、でも幽霊だってフローラル系かもしれないし……いやいやいや)
まひるは訝しみながらも、どこかその佇まいに安心感を覚えた。
ほんのりと上級生っぽい大人っぽさ。きちんとした物腰。
金髪にエメラルドグリーンの瞳……知ってる誰かに似ているような……うーん。
シャルロット様やセリアちゃんに似てる気もするけど、
彼女らの生気に溢れた感じとはまた違う幻想的な美しさ……。
でもこんな素敵なお姉さんなら覚えていないはずがない。
たぶん、夜間閲覧許可証を持って高等課程の貴族生徒さん――ということにしておこう。
「こ、こんばんは……お邪魔じゃなければ、その……ここ、一緒に座っても?」
(流れ的に、別の席には座れない……乙女ゲーだったらここで選択肢が出るのに)
「ええ、もちろん」
にこりと微笑む“レイア”に、まひるは深く息を吐いて席に着く。
(……なんだ、普通にいい人っぽい。あー、びっくりした……)
緊張がほどけ、ノートを広げる。
ページをめくる音だけが静かに重なって、夜の図書館に新しい“気配”が満ちていく。
(レイアさん……かぁ。きっと、どこかで見たことある気もするけど……。
似た人が、前世の職場にいた……とか? そんなわけないか、さすがにね。
こんなきれいな人がリアルにいたらガチで推してたし!)
ちら、と正面に座る“金髪の美少女”を見る。
そこに座る少女は、やはりどこか現実感が薄く、けれど奇妙な懐かしさを感じさせる存在だった。
*
閲覧席に座ったまひるは、夜の読書タイムにぴったりな本を選び出した。
それは、聖都編の復習として持ち出していた分厚い歴史書。
(ふふん。イレーネ先生の次の狙い撃ちに備えて、今夜は建国神話の復習だ……!)
ページをぱらりとめくる。
――“セレスティア神聖国の建国王と、原初の聖女との神秘的な婚姻”。
そのくだりに差しかかったところで、正面からぽつりと声が落ちた。
「……その話、ほんとうは少し違うんですよ」
「……へ?」
つい間抜けな声が出て、思わずページをめくる手が止まる。
「建国王と原初の聖女……彼らは、実は婚姻していないのです」
「……え、でもこの本には、“契りを交わし、王妃として迎え……”って――」
「ええ。そう記されてはいますけれど……
あれは、“そうであってほしい”という、後の世の人々の祈りのようなものなのです」
月明かりに照らされたレイアの横顔は、どこか遠い記憶を語るように淡く光っていた。
「原初の聖女は、誰よりもこの国の未来を願っていました。
でも、その願いと、王の隣に立つこととは――同じではなかったのです」
まひるは、完全にぽかんとなった。
(いやいや、ちょっと待ってください……)
(なんでそんな昔のこと、しかも“裏話”みたいなことを……?)
「レイアさんって……先生ですか? 学者さん? それとも……もしや関係者?」
そして、小声で付け加える。
「……ていうか生きてます?」
「ふふ……いいえ。わたくしはただの、通りすがりの“物語好き”ですのよ」
さらりとそう言って、レイアはふわりと微笑んだ。
やっぱり、誰かと似てる……思い出せないけど。
その表情に、嘘はない――はずなのに。
どこか、“本当にそれだけではない”と、本能が告げてくる。
(やばい、なんか、乙女ゲーでよくいるやつだこれ……
物語の途中から出てきて、いろいろ教えてくれる“ルート分岐NPC”だ……!)
「ふふ、今のは、内緒ですよ? 歴史の先生に叱られてしまいますからね」
(な、なんなんだこの人……!)
けれど、なぜだかその声が、どこまでも心地よくて――
「あ、ええと……教えてくださってありがとうございます。
歴史の先生に怒られないように気を付けますね」
レイアさんはほんの少しだけ首を傾げながら、にこりと微笑んだ。
まひるは、それ以上、もう何も言えなかった。
***
――王立学院・図書館。
(……レイアさんは、今日も、いつのまにかわたしの正面にいる)
それからというもの、夜の図書館に通うたび――
必ず、あのレイアと名乗る金髪の少女と席を共にするようになった。
一緒に静かに本を読み、合間にぽつりぽつりと話すだけ。
言葉は少なくとも、そこには穏やかな満たされた時間が流れていた。
特に、歴史の話を振れば、レイアは目を細めて――時に楽しげに、時にどこか寂しげに語ってくれた。
(……ほんと、どんだけ物知りなんですか)
時代ごとの王家の系譜、教会の分派抗争、知られざる失伝文書……。
まひるが下手に“それっぽいこと”を言おうものなら、すぐに補足が返ってくる。
(この人、ほんとに“上級生”なんですよね?)
ただ一度――
部屋から持ってきた紅茶キャンディーを差し出したとき、レイアは一瞬だけ、
ほんの一瞬だけ、子供のように目をきらきらさせた。
けれど、すぐにそっと視線を逸らして、こう言った。
「……ごめんなさい。ダイエット中なの」
(いや、あんたにダイエットは不要だから! じゃなくて……)
(あれは……あきらかに食べたそうな顔だった……!)
少し残念に思いながらも、まひるはその時の笑いを覚えている。
*
その夜の終わり、レイアは、いつになく遠くを見つめるような目で、ぽつりと語り出した。
「……神聖国の建国王は、三人の女性に愛されていたんですよ」
まひるのページをめくる手が止まる。
「ひとりは、原初の聖女。
もうひとりは――“北の氷姫”。
どちらも叙事詩の英雄で知られてますわね」
「そしてもう一人は……」
少しだけ言葉を切ってから、レイアは静かに口にした。
「……花の乙女」
「花の……乙女?」
まひるが問い返すと、レイアはうなずいた。
「ええ、叙事詩には書かれていない。
彼女は歴史に埋もれてしまった存在だから……」
「そして、王は終生、誰も娶らなかった。
誰かを選べば、残されたふたりが傷つくと知っていたから」
「彼って、女性にも、とってもおやさしい方でしたのよ……。
それはもう……強くて、頼りになって、本当に素敵で……」
レイアさんは長い髪の先っちょをいじりながら、遠い目をした。
(いや、そんな推し語りする夢見る乙女みたいな顔で言われましても……。
レイアさんってなんなの? 推しが戦国武将の歴女とか!?
でも、それって建国王なだけに、いかにもなハーレムじゃないですか……)
うっかり口走りそうになり、いかんいかんと、心の中で首を振る。
今は、ルナリアさんモードだからっ!
「でも、国王なんだから、結婚しないと子孫が……」
「ええ、建国王と聖女の間には、正式に結婚して“子どもたち”がいることになってますわね。
それが人々の“信じたかった形”だったのでしょう」
月の光が、静かにレイアの睫毛を照らしていた。
「本当はね……王は、三人の女性に未来を託したのですわ。
聖女は王妃としてではなく、王の傍に並び立つ存在としてそこにあった。
北の氷姫は――すべてを譲って、故郷に帰った。
でも、花の乙女だけは、わたくしにも……その後はわからないの」
(えっ。それって、それぞれに子供ってこと?)
(うゎ~、確かにそれじゃあ、建国神話が異世界ハーレム神話になっちゃうし……。
そりゃ、後の人々も隠すわけだよね……)
「それに……三人の方々は、お互いを深く敬い合っていたそうですの。
まるで、運命を分かち合う姉妹のように」
(毎日が修羅場なのかと思ったら、ガチでハーレムだったのね……)
「……ふふ、恥ずかしいですわね」
彼女は両手でほんの少し朱に染まった頬を包むようにして、視線を少し逸らした。
(いやいや、なんでレイアさんが恥ずかしがるの? こっちが恥ずかしいわ!)
「……そんな話、どこにも……」
「アーデルハイト嬢なら、ご存知ですよね?
“ハイランド”という土地が、かつて“氷の民”の末裔たちが暮らした場所だったこと」
まひるは、思わず息をのんだ。
ハイランド――
つい先日ルナリアと共に帰郷した、あの北の地。
冬は雪と氷に閉ざされるという、古い伝承の残る寒冷の高地。
「……そんなの、授業じゃ教えてもらってませんけど……」
「でしょうね。けれど――知っている人は、ちゃんと、知っていますよ」
彼女はまひるの瞳をじっと見つめ、ふっと微笑んだ。
「紫……きれいな瞳ですわね。なんだか、懐かしい……」
どき。まひるの瞳がわずかに開くと、彼女はそっと視線をそらした。
「さて、今日はここまでにしましょう。そろそろ月が隠れます。目に悪い時間ですもの」
レイアはそう言って、静かに本を閉じた。
「え、もう?」
「また、続きをお話して差し上げますわ」
レイアは立ち上がる前に、ふと手元の本に触れて言った。
「……祈りとは、忘れられた想いのこと。
誰かが覚えていてくれるなら――それだけで、幸せなのです」
少女は立ち上がると、いつものように軽やかに歩き去っていく。
まひるが立ち上がって見送ろうとした、その時――
(……あれ?)
ほんの一瞬、目を離したはずなのに。
その姿は、もうどこにも見えなかった。
風も、音もない。
ただ、月の光だけが、まひるのページをそっと照らしていた。
――まるで、すべてが最初から幻だったかのように。
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