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第8話「社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女」 エピソード②

王立学院・講堂


――午前授業。


講堂に、講師の声が静かに響く。

ルナリア・アーデルハイトは、いつもの貴族席に座り、姿勢よくノートを取っていた。


その講師――

先日着任したばかりの聖職者は、黒髪をきちんと結い上げ、紫を基調とした修道服を纏っていた。


――イレーネ・クラヴィス。

前任の温厚な聖職者に代わり、新たに講壇へ立った彼女は、神聖教会の司祭補でもある。


「皆さま。本日より、神学と神聖教史を担当いたします、イレーネ・クラヴィスです」


着任の挨拶を告げるその澄んだ声。

その奥には、隠しきれないほどの威圧感があった。


――この人物こそが、まひるが“夜の勉強”を始めたきっかけである。


この日も、イレーネはルナリアから少し離れた席に座る聖女セリアに視線を移すと――

セリアはにっこりと微笑み、小さく頭を下げる。

すると、それまでの威圧感が嘘のように、彼女の表情はふわりと柔らかくなった。


しかし視線を外した瞬間、再び冷ややかな目に戻り、講義中、何度もルナリアを冷たい視線で捉える。


(……やはり、今日も視線が鋭いですわね)


まひるも脳内でそっと囁く。


『はい、ターゲット固定。マークされてますね、ルナリアさん……』


講義が進むにつれ、雰囲気が次第に変わっていく。

表面上は丁寧で優雅な語り口――だが、質問のひとつひとつが、やたらと鋭い。


「さて――アーデルハイト嬢。

 あなたなら、こういった状況下において、聖女と王家の立場、どちらを優先すべきとお考えかしら?」


その瞬間、空気の温度が一度下がったような気がした。


「あっ、はっ、はいっ!」


セリアが、つい反射的に手を挙げかける――

相変わらず人懐っこい笑顔で、軽やかにぴょこりと。


けれど――


「さすがは聖女様、たいへんご熱心でいらっしゃいますわね。すばらしいですわ」


イレーネは微笑を保ったまま、ちらりともセリアを見ず――

あくまでルナリアだけに、冷ややかな視線を突き刺していた。


(……今日は、いつにも増して、刺さりますわ……)


静まり返る教室。


(これは……“妃教育”では教わっていない質問。常識的には、王家と答えるべきでしょうが……)

(けれど、それでは“教会を軽んじた”と受け取られる)

(では、聖女と? それも同じこと。どちらも、“不正解”になりうる……)


一瞬、思考が凍りつく。


(……これ、つまり“踏み絵”ですのね……)


脳裏に浮かんだのは、父の言葉だった。


『お前の一挙手一投足が、アーデルハイト公爵家の名を背負っている』


そのとき――

イレーネは微笑を崩さず、まるで刃の先を突きつけるように言い放った。


「……あら? 未来の王太子妃ともあろう方が、こんな初歩的な問いにもお答えできないなんて。

 ――まあ、きっと“考えすぎてしまった”だけでしょう?」


ざわっ――

教室に緊張が走る。


(どうすれば……?)


思考が白く染まりかけた、そのとき――


『ルナリアさん、“立場の定義に依存します”って返してください!』


(……え?)


『“国政における決定権と、神託に基づく信仰的指導権は別です”――って、続けて!』


一拍――


王族席の椅子が軋む。

アルフォンスが静かに腰を浮かしかけていた。


ルナリアは背筋を正し、静かに口を開いた。


「……“立場”という言葉の定義にもよりますわ」


声が、教室を満たす。


「一般論で申し上げますと――

 神託に基づく聖女の言葉は、民の“信仰”を導くものであり、

 国政を担う王家は、“現実”の秩序と繁栄を支える存在です。

 ですので、どちらが上ということではなく、

 それぞれの“役割”において、それぞれの“立場”が優先されるべきと、わたくしは考えます」


『うんうん、さすがはルナリアさん。完璧……!』


沈黙――そして、ざわめき。

張り詰めた空気が、わずかにほどけていく。


ルナリアの言葉を聞いて、セリアはぱちぱちと目を瞬かせた。

すぐにふわっと頬を緩ませ、「……それ、素敵ですね」と呟く声はほんのり弾んでいた。


その隣でユリシアは無言のまま、深くうなずいた。

銀の髪が揺れ、凛とした横顔には、わずかな敬意の色が滲んでいた。


講堂の後方――腰を再び下ろしたアルフォンス。


質問の意味も、背後の思惑も、すべてを見抜いたようなその瞳で、彼はただルナリアを見つめていた。


拍手も、言葉もなかった。

けれど、その満足げな微笑みには、はっきりとした想いが宿っているようだった。


(……さすがはルナ、まさしく正解だ。すばらしいよ……)


その微笑に気づいたルナリアは、ほんの一瞬だけ視線を交わらせると、すぐに目を伏せた。

けれど――その頬は、すでにかすかに熱を帯びている。


(……ほんとうにもう、そんなに見ないでくださらないかしら)


けれど、そのあたたかさを、否定することはできなかった。


つい最近のこと……

舞踏の記憶が、ふと――甘く、静かに脳裏をよぎる。


彼の手にすべてを委ねた、あの一瞬。

言葉を交わさずとも、ただ見つめ合い、通じ合ったひととき。

そして、最後の静かな礼と――

満場の拍手喝采。


(……でも、ありがとうございます)

(わたくしの、”同居人”さんが助けてくださったのですわ)


そっとまぶたを閉じながら、胸の奥でつぶやいた。

わたくしも、ちゃんと無視はしておりませんし……。


少しの間があって――


「……見事なご見解ですわね、アーデルハイト嬢」


イレーネは口元がわずかに引きつらせながらも、そう言うしかなかった。



教室の片隅、平民席に座るヴィオラは、知らず手の中のペンを握りしめていた。

静かな感嘆――それが、胸の奥から湧き上がってくるのを感じる。


(……すごい……こんな場で、あんなふうに答えられるなんて)


迷いなく答えた、あの姿に――ただ、目が離せなかった。


(わたしなんて、あの場に立たされたら……何も言えなかった……)


悔しさでも嫉妬でもない。ただ、圧倒されるような尊敬。


彼女は思う。

ルナリア・アーデルハイト。ルナリア様は、きっと――本物だ、と。


(……追いつきたい。いつか、並んで歩けるくらいに)


ふと近くの席、エミリー・フローレンスを見やると、

彼女もまた、ぐいと肘をついて固唾を飲んで見守っていたようだった。


にっこりと微笑みかけると、眉をぴくりとさせてプイッ。でも――


(ちゃんと、わかってます)

(エミリーさんも心配してたんですね!)


ヴィオラは大切な友人も同じ想いだったことに安堵した。



『すご……これ、完全に場を取った……!』


その後も、巧妙に張られた“地雷”のような質問に、ルナリアは一つひとつ、まひるのサポートを受けながら回答。


そして、セリアやアルフォンス、ヴィオラたちの見守る中、

ことごとく地雷原をかわし、時に果敢に地雷処理までこなし――彼女は、見事に“生き残って”みせた。


まひるの夜な夜な図書館通いをした成果が、見事に花開いていた。


生徒たちがざわめきながら教室を出ていく中――

黒板を拭くイレーネの背は、誰よりも静かだった。


「……やはり、ただの“人形”ではないのね、アーデルハイト家の娘……」


***


――放課後。学院講堂。


ルナリアは、白い手袋を身に着け、帰り支度をしながらつぶやく。


(……まひるさん、あなた……なぜ、あんな情報まで……)


やば、ついに聞かれた……!


『えっと、あー……乙女ゲーです!』


(やっぱりそれなの……?)

(でも……あなたの“乙女ゲー”とやら、なかなか奥深いのですね……)


『いやいやいや、あれはほんと偶然!

 七つの聖環(セヴンスリンク)のサブイベント……だったかな!

 マイナーだけど燃える展開なんですよー!』


(……意味はわかりませんけれど。……ありがとう)

(あなたがいてくださって……本当によかった)


『へっ!?』


(助かりましたわ。わたくし一人では……きっと答えられませんでしたもの)


まひるは、何も言えず、胸の中がほんのりと熱くなるのを感じていた。


(……ありがとう、って、言われちゃった……ふふ……ふふふふ)


ふとまひるの脳内に社畜アラームが鳴り響く。


(やばっ。労働の対価が感謝の言葉って……労働基準法的にアウト!!

 でも……めっちゃ嬉しい……!)

(うん。尊敬してるけど、滅多に褒めない上司に褒められると異様に嬉しくなるやつ。

 ブラック企業あるあるな気もするけど……)


心の中で笑みを浮かべながら、想像の拳をぎゅっと握る。


(よーし、次の夜勤も全力投球です!)

(ええ、わかってますとも。報酬は褒めてもらえるだけ。労働時間は深夜限定。福利厚生は皆無――。

 つまり、完全なる違法サービス残業ですね)

(でもなぜか辞められない! だって“ルナリアさんの役に立てる”んですよ!?)


まったく、異世界転生してまで社畜やってる気がしてきた……。

ん? これって社畜じゃなくて、令嬢畜?


……でも、内緒です。絶対バレちゃダメです。

バレたら、即業務停止命令が下りますので。


(……ブラックだけど、やりがいだけは最高ですから!)

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