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第8話「社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女」 エピソード①

第8話 社畜と悪役令嬢と、図書館の幽霊少女


――王立学院・寄宿舎(深夜)。


中庭に面した寄宿舎の一室。

天空を漂う三つの月が、静かにカーテンを透かし、部屋の中を淡く照らしていた。


ふかふかのベッドの中で、ルナリア・アーデルハイトは静かな寝息を立てている。

その金の髪は夜の帳に溶け、まるで“月下の姫”のように――永遠の眠りに就いているかのようだった。


だがそのとき。

月明かりに照らされた彼女の睫毛が、ふるりと震え――


ぱちり、と瞼が開く。


紫の瞳が、ゆっくりと右に、左に揺れた。

その奥に浮かぶ光は、もはや“彼女”のものではなかった。


……静寂。


ほんの一瞬、世界が音を失う。


そして、つぼみのような唇が、そっとほころんだ――。



「……よし。ルナリアさん、今日も爆睡モードですね」


まひる――

その魂は、今この身体を“夜勤担当”として動かしていた。


ゆっくりと身を起こし、夜着のまま足音を殺して立ち上がる。

クローゼットの奥から着替えと上着を引き出し、髪を結わえ、帽子を深くかぶる。


「……これ、絶対バレたら後で怒られるやつですね」


小さく舌を出しながらも、目元はどこか決意を帯びていた。


「でも……ルナリアさんのためなんです。

 ルナリアさんの“同居人”として――

 これ以上彼女に置いてきぼりを食らうわけには、いかないですから!」


***


寄宿舎の廊下は、しんと静まり返っていた。

まひるは、足音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと階段を下りていく。


途中、角を曲がった先で――ふと、立ち止まった。


「……誰か、いた……?」


揺れるカーテンの向こうに、何かが“いたような気がして”ならなかった。


(……気のせい、だよね)

(そうそう……夜に歩いてると、よくあるやつ……)


(終電逃して、真夜中の駅から歩いて帰ってる時とかさ……

 背後から足音がついてくる気がするやつ……ほんと、やめてほしいよね)


(しかも、大体は――こっちが立ち止まると一緒に止まるんだよ)

(……いや、結局、誰もいないんだけどさ)

(お前、誰だよ。先に帰れよって、心の中で突っ込んでた社畜時代……)


(……まあ、実際はコンクリートに響く、自分の足音なんだけどね)


けれど、胸の奥でドキドキと音を立てる心臓が、その不安を煽る。


(……やば。誰かに見られたらどうしよう……)


でも――もう、今さら引き返せない。


まひるは意を決して、寄宿舎の扉をそっと開けた。

そしてそのまま、夜の外気へと身を滑り込ませる。


***


――王立学院・中央図書館(深夜)。


夜の図書館は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。

外壁に絡まる蔦が風に揺れ、重厚な扉が月光を受けて静かにきらめく。


まひるは、懐から四角い札のようなものをそっと取り出す。

それは、”特別許可証”だった。


「知識の宝庫さん、今日もよろしくお願いします。

 ……残業代は出ませんけど、深夜残業、頑張らせていただきますので!」


本来、生徒は日没後に図書館へ入ることは禁じられている。

けれど、“公爵令嬢”であるルナリアには、夜間閲覧の“特別許可証”が与えられていた。


それを“本人代理”として使うのは……まあ、ギリギリ、セーフ――な、はず!


まひるはその“特別許可証”を扉の横の魔法陣にかざす。

淡く光が走り、鍵がかかった扉が音もなく開いた。


この許可証を頼りに、ここ数日、彼女は夜ごとにこっそりと通っていた。


館内は、静寂の中に紙とインクの匂いが満ちている。


まひるは手慣れた様子で、建国史・聖女伝承・星詠みの記録といった書架へと向かう。


書物を抱えたまま、まひるは――

月明かりが差し込む窓際の閲覧席を一つ選び、そっと腰を下ろした。

夜の静寂に椅子を引く音が小さく響いた。


窓から差し込む月明かりが、明かり一つない空間でルナリアの真っ白な顔を浮かび上がらせる。

金の髪にもやわらかく光を落とし、その姿を幻想的に照らしていた。


「……ここにある情報が、ルナリアさんを守ってくれるかもしれない。

 だから、集められるだけ集めないと……」


月灯りだけを頼りにページをめくる指先に、ほんの少し、力がこもった。

 


数時間後――


「うう、さすがに、ちょっと眠い……」


まひるは目をこすりながら、資料をまとめてノートに書き写していた。


聖女と王家の関係。

開闢の時代における婚姻と神託の記録。

そして、原初の聖女が残した“言葉”。


……ふと、ページをめくる手が止まる。


空気が変わった。

まるで、誰かに――見られているような。


「……誰?」


小さな声がかすかに耳元に伝わった――

それは確かに、すぐ近くでささやかれた“声”だった。


「……っ!?」


まひるは飛び上がる勢いで立ち上がり、急いでデスクの下へ滑り込む。


支えを失った分厚い本が、ぱらぱらとページをめくり――

最後に、ひとりでに「ぱたん」と静かに閉じた。


足音。……いや、気のせい?


図書館の扉の向こう――一瞬だけ、長い髪が揺れたような気がした。


(やば……見つかる……!)


咄嗟に書籍を抱え、書架の陰に身を潜める。


しばらくして、扉の外の足音が遠ざかっていった。


「……ふぅ~~~っ」


額の汗をぬぐいながら、まひるは荒れた息を整える。


「だ、だめだこれ……マジで心臓に悪い……次回はもっと慎重に行こう、私……」

 

***


――翌朝。


「ルナリア様、そろそろお時間でございますよ。

 ……まあ、これは珍しい。お寝坊などなさるとは。

 もしかして、夢の中でどなたかと情熱的な舞踏でも?」


柔らかにカーテンが引かれ、朝の光がそっと差し込んでくる。

けれど、ベッドの中のルナリアは、しばらく反応がなかった。


「…………ん……」


やがて、金のまつげがふるりと震え、ルナリアは小さく瞬きをする。

その瞳は、いつもよりも少し霞んでいて、まるで夢の続きを探しているかのようだった。


「……ミレーヌ……今は、朝ですの……?」


「はい。大変に“お目覚め”らしいお言葉をありがとうございます。

 お体に異常がないようでしたら、そろそろお支度を」


そう言って、ミレーヌはルナリアの耳元に口を寄せる。


「ティーセットも準備できております。本日のハーブはペパーミントですよ……」


「…………あと五分……」


「実は今朝すでに三回、五分差し上げております。お忘れですか?」


「……わたくしの記憶から、その部分は削除されているようですわ……」


ルナリアはふにゃりとした声でそう言いながら、もぞもぞと布団の中で丸くなる。

けれど、ミレーヌはそんな様子にも慣れた様子で、整えたガウンと髪櫛を手にしていた。


(……昨夜、寝つくのに少し時間がかかりましたわね)

(……なんだか、首のあたりが重たいような……)


やっと身体を起こして、ルナリアは小さくあくびを漏らす。


「……少しだけ、寝坊してしまいましたわ」


「ええ、十五分ほどのお寝坊ですね。

 ですが、アレクシスお兄様が今朝のご様子をご覧になったら――

 画材を持ち出して寝顔の写生を始めているところかと」


「……お兄さまには、あらためて厳重注意いたしますわ」


ルナリアは目元をこすりながら、ようやくいつもの調子を取り戻しつつある。

そんな彼女の横顔を見て、ミレーヌはわずかに口元を緩めた。


そして、ルナリアの脳内――

まひるは心の中で小さくガッツポーズをした。


(……ふぅ。ギリギリセーフ。これが社畜のチートスキルなり……!)


***


けれどその日の放課後――

掲示板に貼られた学院新聞のダイジェストに、“七不思議”の目撃情報が加えられていた。


《王立学院新聞・今週号より(記者:カレン・ノーリッシュ)》


◆ついに目撃者現る!? 学院七不思議・第六項「図書館の幽霊」


深夜の図書館に、金髪の超美少女幽霊が出没!?

ページが勝手にめくれ、誰もいない閲覧席に“金髪の影”が――。


「怖くて声も出ませんでした……(匿名希望)」


※今後も目撃情報が入り次第、速報いたします!


「くだらない話ですわ……幽霊など、いるわけがありませんもの」


ルナリアは涼しい顔でそう言った。

すかさず、まひるの心の声が反応する。


『え、アンデッドとかゴーストとかいないの、この世界?』


(え? まひるさん、そんなもの、その辺にいたら大変ですわ。

 ダンジョンとか戦場とか、そういったところに出るものですのよ)


『あ、そっか。なるほどです。そういうものなんですね……』


(そ、そうですわ……そうに決まってますわ!)

(……そもそも、わたくしなら夜の図書館なんて、絶対に行きませんわ……)

(あの閲覧席、夜になると……暗すぎますし)


『え……ルナリアさん……もしかして、幽霊怖いんですか?』


(な、何をおっしゃいますの!? そもそも、いないものを怖がるなんて、どうかしてますわ!)


まひるは心の中で、引きつるルナリアの顔を想像して――


(え、ルナリアさん……びびってる!? 絶対びびってるーー!!)

(えへへ、ちょっとかわいいとこ見つけちゃった~♪)


(……いやいやいや、そうじゃないでしょ!?)

(ごめんなさい! それ、たぶん私というか、ルナリアさんです!!)


え、でも……あの時、本当にすぐそばで、声が――


……すーっと、背筋が冷たくなった。

ほんの一瞬だけ、視界の端に……“長い髪”が――


……いや、気のせい。だったらいいなぁ……。


『……金髪の影……』


思わずまひるがつぶやくと――


(……まひるさん……“金髪の影”って、どういうことなんでしょう?)

(この学院に“金髪の美少女”など、たくさんいらっしゃいますのに……)

(でも――”超”がつく美少女で、長い髪で、夜の閲覧席にひとりで……って、それって……)


……脳裏に浮かんだ“自分そっくりな幽霊”の姿に、ルナリアはわずかに肩を震わせた。


(こ、これは……誰かが、わたくしの姿を模して……!?)

(呪い……の一種……!?)

(……それなら怖いかもしれませんわ!! まひるさん、早く帰りましょう!)


『こっちがこわいわーーーっ!!』


……そんな妄想とまひるとの脳内会話から、我に返った彼女は、咳払いひとつ。


「くだらない噂話ですわね」


と、あくまで涼しい顔を装いながら――

ルナリア・アーデルハイトは、そそくさと学院を後にしたのだった。

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