第2話「社畜と聖女と、悪役令嬢の婚約破棄フラグは正ヒロインに託します」 エピソード④
王立学院
舞踏会ホール・寄宿舎へと続く回廊(夜)
学院の静まり返った回廊に、月明かりが差し込んでいた。
遠くから聞こえる舞踏会の音楽と、微かに響く笑い声――
その華やかさとは対照的に、ひとりの少女は冷えた石壁に背を預け、じっと廊下の先を見つめていた。
黒髪をきりりと結い上げ、質素な平民用の制服に身を包んだ少女――
エミリー・フローレンス。
学院随一の成績を誇る、平民出身の特待生だった。
(……また、貴族様の茶番劇ってわけね)
目の前では、泥まみれのドレス姿のルナリアが、令嬢たちを言葉ひとつで黙らせ、悠々と歩き去っていく。
その様子を、エミリーは陰から冷ややかに眺めていた。
ふん、と鼻で笑いながら、まひる(ルナリアの姿)の背中を睨みつける。
(まったく……貴族様同士のマウント合戦ってやつね)
泥まみれのドレスで、偉そうに説教して――
周りのバカな生徒たちは「さすがルナリア様」だなんて、うっとりしてる。
(……滑稽だわ)
エミリーの唇に、冷たい皮肉が浮かぶ。
(泥をかぶったぐらいで“気高さ”だなんて――)
(それに……)
拳をぎゅっと握りしめ、歯を食いしばる。
(“舞踏会”を、あんなふうに捨てるなんて……)
あの煌びやかな世界。
どれだけ努力しても、決して招かれることのなかった場所。
それを――
泥だらけの姿で、まるで「そんなものに価値なんてない」と言わんばかりに、
「おーっほっほっほっ」と高笑いしながら背を向けたルナリア。
――もちろん、ルナリアはそんなことはしていない。
だがエミリーの脳内では、「高笑い&優雅な背中ドーン」に盛大に変換されていた。
(……どれだけ、私が憧れてたと思ってるの……?)
毎晩、眠る前に夢見た舞踏会。
綺麗なドレスも、優雅に踊ることも許されず、ただ“平民席”から見上げるだけの自分。
(……本当は、私も――あの舞踏会で、綺麗なドレスを着て踊ってみたかった……)
(なのに、あなたは――“選ばれた”くせに、全部を踏みにじった……!)
滲む涙が頬を伝うのも構わず、エミリーはルナリアの消えた先を睨みつける。
(見下していればいいわ……“選ばれる側”の余裕で)
(でも、覚えてなさい――)
月光に照らされたその瞳に、憧れはもう残っていなかった。
(私は這い上がる。あなたが鼻で笑う“泥”の中からでも――必ず、引きずり下ろしてやる)
ゆっくりと踵を返し、
夜の回廊に響く足音は、嫉妬でも絶望でもない。
冷たい闘志と、報復の決意だった。
そして――
(ふん……あの笑顔ひとつで、貴族たちの評価をひっくり返すなんて――)
(……やっぱり、ルナリア・アーデルハイト、侮れないわね)
(でも――油断した隙が、きっとあるはずよ)
夜の回廊に響く足音――。
エミリーは怒りと悔しさをその背に滲ませながら、石畳を颯爽と歩く。
(……次に恥をかくのは、あなたよ……ルナリア・アーデルハイト)
ギュッと拳を握り、鋭い視線で闇を睨む――その瞬間。
「――きゃっ!?」
コツン、とローファーの先が石畳の段差に引っかかる。
「ちょ、えっ……!? うそ、きゃあああっ!!」
ズシャァ――ッ!!
スカートを押さえつつ、派手に前のめりに転倒。
両手と膝をつき、頬を少し擦りむいて、顔を真っ赤にするエミリー。
「い、痛ったぁ……! な、なによこれ……っ!」
周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから――
プライドを守るように、スッと立ち上がる。
そして、膝をパンパンと払ってから、キッと前を向き――
「……ふん。やるわね、ルナリア・アーデルハイト……!」
まるで転んだのがルナリアのせいであるかのように、強引にまとめるエミリー。
(……ま、まだまだ終わらないんだから……!)
そのままツンと顔を上げて歩き出すが、
去り際にもう一度、ローファーが石に引っかかりかけて――
「っ、……そう……何度もやられるものですか!」
顔を赤らめつつ、そそくさと夜の闇へ消えていく――
平民特待生エミリー・フローレンスなのであった。
***
――王立学院・回廊。
柱の影から様子をうかがうエミリーのことなど露知らず――。
泥だらけのドレス姿で、令嬢三人衆を華麗に“論破”したまひる(ルナリアの姿)は、
くるりと華麗にターンして颯爽と歩き出した。
(ふふん♪ 完璧だったなぁ~)
(やっぱり悪役令嬢たるもの、こういう“格の違い”を見せつけるのが醍醐味だよね~!)
鼻歌交じりで進もうとした、その時だった――
「おや、こんなところでお一人とは……」
背後からかけられた、艶のある声。
どこからともなく、薔薇の香りがふわりと漂う。
「……え?」
まひる(ルナリアの姿)が振り向くと――
そこにはさらさら・きらきら金髪の青年が立っていた。
完璧に整った顔立ちに、微笑を浮かべ――
その手には、一輪の赤い薔薇。
(……き、きた……!)
まひるの脳内で、乙女ゲーのイベントBGMが鳴り響く。
彼は、芝居がかった所作で片膝をつき、薔薇を差し出す。
「これは、気高き百合に捧げるささやかな敬意――」
「ルナリア・アーデルハイト嬢。
あなたに、この花程度の美しさでは似合わないかもしれませんが――」
「どうか、私、男爵令息クラウディオ・ベルトラムの想いの代わりにお受け取りください」
完璧なキザ台詞。
どこか芝居がかった口調すら、まひるには“乙女ゲー感”満載で心地よかった。
(うわぁ……攻略対象って、ほんとにこうゆう登場するんだ……!)
(でも、普通、自分のこと“男爵令息”って言うのかな~? ……まぁ、乙女ゲーだから!)
嬉しさを隠しきれず、まひるはルナリアの顔で微笑みながら薔薇を受け取る。
「……ありがとうございますわ」
青年――クラウディオ・ベルトラム男爵令息は、満足げに頷いた。
そして、眉を少し寄せると、ひとしきり泥でまだらになったドレスを眺め――そして咳払いを一つ。
「うううんっ――今夜のドレス……ずいぶんと奇抜ではございますが――
まさに、ルナリア様の内面より溢れ出る女神の如き美しさを引き立てる、
素晴らしき選択でいらっしゃる。
このクラウディオ、感服いたしました」
(今、テンプレ的に服装をほめようとして、一瞬困ってなかった?)
そう言うとクラウディオは……
真剣な眼差しでそっと指を伸ばし、ドレスの裾についた泥を指先でふと摘み上げ――
ほんの一瞬、眉をぴくりと動かしたが、すぐに笑顔に戻る。
「ルナリア様のような方には、そこらの男では釣り合いません――
どうか、このクラウディオが、あなたの隣にふさわしいことを証明させてください」
一歩、ぐっと距離を詰めてくるクラウディオ。
(うわ、近っ……! いや、これもイベント展開だよね!)
戸惑いながらも、まひるは少し目を伏せ、頬を赤らめる“演技”で応じた。
「……そうですわね。考えておきます」
なんとか、令嬢らしい、少し余裕を見せた微笑みを返すと――
クラウディオは満足げに一礼し、さらさら・きらきらと金髪をたなびかせながら去っていった。
「ふふ……またお会いしましょう、ルナリア様」
去り際まで完璧にキザだった。
まひるは胸に抱えた一輪の薔薇を見つめ、ぽつりと呟く。
「ちょっとテンプレっぽいけど……やっぱり乙女ゲーの世界って最高だなぁ」
攻略対象が増えたことに、少し頬を緩ませながら歩き出す。
だが――その様子を、陰から見ていた生徒たちの声が耳に入ってきた。
「……おい、またクラウディオ様だよ」
「懲りないなぁ、あの人。今度は、よりによってルナリア様に声かけたのか……」
「……でも、ルナリア様、まんざらでもなさそうだったよな?」
「いやいや……知らないんだろ。クラウディオ様って、上級貴族の令嬢なら誰にでもああなんだよ」
「あー、男爵って言っても、平民の商人上がりらしいからね……」
「この前なんて、侯爵令嬢にも“薔薇を捧げた”らしいぞ……」
「見た目はいいんだけど、中身は軽薄って有名だろ」
「……でも、あの“氷の百合”、ルナリア様がバッサリやらなかったのは不思議だよな?」
「しかも、婚約者の王太子殿下は聖女様とダンス……キレててもおかしくない……」
「確かに……今日のルナリア様、ちょっと雰囲気違うよな……」
まひるは、遠ざかるその声を背に受けながら、首をかしげた。
(んー……なんか、今の会話……気になるな~?)
だが、すっかり上機嫌のまひるは、すぐに「ま、いっか!」と気を取り直す。
(攻略対象には違いないし!
軽そうに見えて、実は過去に傷を抱えてるパターンかもだしね♪)
――ふわふわと寄宿舎へと歩くまひるの脳内では……
クラウディオが隠し持つに違いない、“闇属性”設定が勝手に膨らんでいくのだった。
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