第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑰
セレスティア神聖国
王立学院・大講堂(午後)
――舞踏エキジビション。最終演舞。
ホールの中央、陽光のスポットライトの中に――
浮かび上がる二つの影。
片や、“公爵令嬢”ルナリア・アーデルハイト。
繊細な動きの一つひとつがまるで絵画のようで、姿勢には一分の隙もない。
深い紫の瞳を伏せ、白手袋をした手を胸元でそっと重ねるその完璧な所作には、
誰にも真似できない王宮仕込みの気品が滲んでいた。
そしてそれに対するは、癖のある金の髪。碧い瞳に光を湛えて姿勢を正す少年――
第二王子 アルフォンス・エリディウス・セレスティア。
王子としての気品を持ちながら、威圧的ではない不思議なゆるさが同居し、
纏う空気はあくまで王子然としながらも、どこか柔らかい。
その眼差しがルナリアを捉えた瞬間、彼女の中で何かが切り替わった。
「――さあ、始めようか。ルナ」
「ええ、参りましょう。アル」
アルフォンスが手を差し出すと、ルナリアは淑やかに応じ、そっとその手を取る。
そして――
音楽が、静かに流れ出した。
それは、聖都伝統の舞曲、“誓いのワルツ”。
かつての夜会でルナリアがラファエルと踊るはずだった曲。
優雅で緩やかな旋律が、ホールを包み込む。
ステップ一歩目。
二人の足取りは、まるで同じリズムで奏でられるように、自然に滑り出した。
アルフォンスのリードは堂々と、しかし驕らず。
ルナリアの体を引き出すように、軽やかに舞う。
手を取って回るたび、ルナリアのスカートが陽光を受けてふわりと花開く。
誰もが、息を呑んだ。
その時――
大講堂の端で、小さく扉が軋む音が響いた。
振り返る者はいない。
ただ、僅かな風が室内を巡り、空気がわずかに揺れた。
そこに立っていたのは――王太子ラファエル・エリディウス・セレスティア。
彼は一言も発せず、影に溶けるように佇み、ただひとり、舞踏の幻想を静かに見つめていた。
その眼差しは、何かを語るようにルナリアを捉えていた。
回転、踏み出し、引き寄せ、離れる――。
美しく舞うルナリアの瞳が――
ほんの一瞬だけ、扉の方へと向いた。
ふたりの視線が交差し――ルナリアの瞳が見開かれる。
(……ラファエル殿下)
その直後、ルナリアの澄んだ紫の瞳が、わずかに揺らぎ――
時間が重なった。
二人の脳裏に、同時に浮かぶ、もう一つの舞踏会――それは“夢幻の舞踏会”。
あの夜、ルナリアが現れなかったはずの舞踏会――
もしも彼女がいたなら、踊っていたはずの“過去”。
舞踏ホールの景色が、まるで夢幻のように、“過去”の舞台へと姿を変えた。
煌めくシャンデリア、流れる絹、交わる手と手。
そして、気がつけば、ルナリアの前にいるのはアルフォンスではなく、
まぎれもない、ラファエル殿下その人だった。
「……もし、あの時君が来てくれていたなら――」
幻のラファエルが微笑み、ルナリアがその姿に惹かれるように見つめ返す。
――だが、現実に目を向ければ、そこにいるのはアルフォンス。
アルフォンスの瞳が、ほんのわずかに揺れる。
ルナリアのステップが、微かに変わり――姿勢が、重心が、視線が、呼吸が。
彼女が“ラファエル”を見ていることに、誰より早く気づいたのは――アルフォンスだった。
そして、アルフォンスは何も言わず、ただ舞の形を、“妃と王子”の型へと合わせる。
そう、“合わせた”のだ。
その瞬間――
観る者たちの目には、制服姿のアルフォンスの姿が、一瞬にして、王家の礼装を纏った王太子ラファエルの幻に変わった。
堂々とエスコートする姿。差し伸べる手。
どこまでも優しく、どこまでも誠実に。
そして、誰よりも美しく、まばゆく。
シャルロットの瞳がわずかに見開かれる。
セリアが、思わず唇に手を添え――
師範のグレイス女史は、そっと息を呑んだ。
(……まさか、今のは……)
アルフォンスの中の“想い”と“意地”が、王太子の品格へと昇華する。
それは、ルナリアが“こう在ってほしいと願った”幻の王子の姿――
――けれども、それは幻ではなく、アルフォンスが、ルナリアのために“選んだ姿”。
弦が激しくうなり、旋律が一気に頂へと駆け上がる。
幻のラファエルの手が彼女の腰を支え、ルナリアの身体はしなやかに弧を描く。
――オーバースウェイ。
滑らかに反らされた上体は天を仰ぎ、視界がくるりと反転する。
天井の光が万華鏡のように揺れ、その先に――
扉の前に静かに佇む、あの人の影。
再び、ふたりの視線が交差した。
「……ラファエル殿下」
その刹那、ふたりの間で、声なき会話が交わされた。
「……あの時、もし来てくれたなら、あなたに伝えたいことがあったんだ」
「いいえ……わたくしは、“自らの意思”でそれを選ばなかったのです」
「ならば、今再び誘ったら、君は来てそして……聞いてくれるだろうか――」
「……それは今ではなく、わたくしたちの未来にわかること……」
言葉ではなかった。
それでも、伝わっていた。
それは一瞬の“夢”――けれど確かに交わされた、すれ違った時間の記憶。
そして、最後のターン。
ルナリアが軽やかに身体を回すと、アルフォンスがやさしく、けれど力強く彼女を受け止める。
アルフォンスは左手を高く掲げ、右手で彼女の細い腰を支える。
彼女の身体は美しい弧を描き、そのままアルフォンスに預けられると――
彼女は白手袋の手を胸元でそっと重ねた。
視線が静かに交差する――碧の瞳と紫の瞳。
アルフォンスの目元にほんの一瞬だけ、柔らかな微笑が浮かび、
ルナリアの瞳はそれに応えるように小さく潤みを増した。
二人の指先がほんの微かに震え、互いの鼓動さえ伝わるような――
そして、ふたりの間にだけ通じる、沈黙の呼吸。
――舞踏が、終わり。
静寂。
誰もが息をのんだまま、立ち尽くす。
けれど、その手を取っていたのは、王太子ではなく
――第二王子 アルフォンス。自称、”本命になれない王子”だった。
そして、ルナリアはその手に、静かにすべてを預け――
片足を引き、完璧に調和した優雅な一礼をする。
そして、ホールは喝采の渦に包まれた。
「……すごい……」
「……一糸も、乱れていなかった……」
「動きが全部、言葉みたいだった……」
「……あれが……本物の“宮廷舞踏”……!」
「初めての合わせだなんて……信じられない……」
「……これこそが“妃と王子”の舞……」
夢のようでいて、それは確かに、現実だった――物語に登場する理想の妃と王子の舞。
それは、まさしく“夢幻の舞踏会”。
喝采は、しばらく止むことはなかった。
(……ありがとう、”アル”。
あなたのおかげで――わたくしは、“今”を選べたように思います)
夢ではない。
わたくしは、今――この世界を、歩いている。
*
肩で息をするたびに、癖のある金の髪が揺れる中――
アルフォンスは満場の拍手喝采を浴びていた。
ルナリアの美しい瞳は少し潤んでいて、睫毛が小さく揺れていた。
手袋越しにつなぐ、ルナリアの手があたたかくて――けれど。
(……君の瞳に映っていたのは、僕じゃなかった)
そう思うと、胸の奥に小さな痛みを覚えた。
それでも、君の手が震えなかったのが、
……ほんの少しだけ、嬉しかったんだ。
(……これでいい)
君が“夢”を見ていたとしても、
それを支えるのが“現実”の僕であるなら、それも悪くない。
けれど、“その役”を演じきることなら――
僕にしかできないと、思っている。
結局、本命にはなれないのかもしれない。
それでも――君が未来を見つめるその時、
君が振り返った時に必ずそこにいるのが、僕であるように。
その未来だけは、まだ、諦めてはいないから。
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