第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑬
セレスティア神聖国
王立学院・大講堂(午後)
――女子輪舞《聖花の奉舞》
場内の照明が、すっと落ちた。
既に窓には分厚いカーテンがかけられ、午後の陽光は遮断されている。
講堂を包む重厚な天井のシャンデリアが、徐々にその輝きを失っていく。
光が一つ、また一つと消えていくたび、静けさが深まっていく。
やがて、すべての明かりが失われ――講堂は、祈りの前触れのような闇に包まれた。
……ざわめきはない。呼吸音すら、遠ざかるように。
まるで、舞台も観客も、ただ一瞬の“奇跡”を待っているかのようだった。
ただ、そこには“沈黙”だけがあった。
『……え?』
まひるが戸惑いの声をあげる間もなく――
「Sancta Luminis, Lux Calida…」
(聖なる光よ、あたたかな光よ……)
澄んだ、透き通るような声が、舞台の壇上からゆっくりと響いた。
祈りの言葉。
どこか遠くの空から降りてきたようなその響きは、闇の中、
静かに、しかし確かに――すべての心を射抜いた。
『……セリアちゃん……?』
舞台中央。
そこだけ、淡く光が灯る。
まるで、彼女自身が光源であるかのように。
純白の神官衣に身を包み、胸の前で手を組んだセリアの姿が、
神聖な光に照らされて、静かに浮かび上がった。
『……え、照明? いや、これ……』
彼女は目を閉じている。
けれど、まるで天とつながっているような、その祈りの姿には――誰もが、言葉を失っていた。
「Sancta flos, in nomine Alpheris…」
(聖なる花よ、アルフェリスの御名において……)
「Benedictio et ductus omnibus animis detur…」
(すべての魂に祝福と導きがもたらされますように……)
その声が、やがて静かに幕を閉じると同時に、彼女の瞳がぱちんと開く――
そして、ふたたび、音が戻ってきた。
最初に響いたのは、静かな弦の調べ。
祈りの旋律を継ぐように、ハープとチェレスタの音が交錯し、
やがて柔らかなオーケストラへと広がっていく。
……音が、静かに、場内を満たしていく。
まるで祈りの余韻が、旋律となって舞い降りたかのように。
周囲に、跪いていた“巫女”たちが顔を上げる。
やや緊張した面持ちのヴィオラの顔もあった。
『ヴィオラちゃん、大丈夫かな……?』
(ええ……大丈夫ですわ。彼女は強い人ですから)
扇子を広げる音がして、隣をちらりと見る。
シャルロットはクラリッサ・ベルトラムの姿を認め、扇子の下で微笑んでいた。
『あ、あの子、確か薔薇の貴公子、クラウディオ様の妹さん?』
(ふふ……彼女はしっかり者のようですわね)
巫女たちは、ゆっくりと立ち上がり、白い衣を揺らして舞台を囲むように位置を取った。
そしてその内周――
彼女を守る“騎士”として、ユリシアが静かに剣を掲げた。
艶やかな銀髪を夜のヴェールのように靡かせ、
肩を広げるように半円を描くその所作は、まるで舞ではなく――祈りの守護そのもの。
セリアの背を守るユリシア、そしてその外周を囲む巫女たち――
その中心で、ひときわ輝きを放つのは、聖女・セリア。
――それはもはや、舞踏の場ではなかった。
神事。あるいは、祝祭。
この場に立ち会ったすべての者にとって、それは“畏れ”に近い感情を呼び起こす光景だった。
――舞が始まった。
柔らかな音楽の旋律にあわせて、巫女たちの舞が静かに広がっていく。
白い衣が風をまとい、光の輪のように、舞台の周囲をゆるやかに旋回する。
その中心で、セリアは静かに舞を神に捧げ始めた。
その場からは動かず、けれど、すべての調和をその身に集めるように――
まるで、全員の舞そのものが彼女を中心に生まれているかのように。
やがて、騎士の礼装をまとったユリシアが、そっと一歩を踏み出す。
静かなる護衛は、舞踏の中に剣術を織り交ぜ、
円を描くように、巫女たちの外周を歩き始めた。
振り上げた剣先は、誰をも傷つけることなく、ただ“災厄”を祓うように――
その一太刀ごとに、空気が清められていくような錯覚すら生まれる。
剣と布と、祈りと祝福。
舞台のすべてが、まるで儀式そのもののように――ただ、静謐に流れていった。
セリアの静謐なたたずまい。
ユリシアの、ゆるやかでありながら清冽な剣舞。
ヴィオラの気品ある所作。
クラリッサの、ひときわ凛とした姿勢。
それぞれが異なる個性と役割を担いながら――
舞台のすべてが、完璧な調和のもとに重なっていた。
『……なんだろう。こんなに、静かなのに』
(なんでしょう……こんなに、泣きそうになるのは)
まひるとルナリアがそれぞれ小さく心の中で呟いたとき――
音楽が、ふっと途切れた。
すべての動きが止まり、再び、沈黙が戻る。
壇上で、セリアが、静かに目を閉じた。
「Domine… benedictionem tuam concede his qui hic congregati sunt」
(主よ……ここに集いし者たちに、あなたの祝福をお与えください)
「Germina discordiae et spinas tristitiae… sana, involve, et illumina, quaesumus」
(争いの芽と悲しみの棘を……どうか癒し、包み、照らしたまえ)
その言葉とともに、セリアはそっと目を閉じた。
それは、先ほど開いた瞳を、ふたたび神へと預けるような仕草だった。
――その瞬間だった。
セリアの身体から、ふわりと淡い光があふれ出した。
それは魔力の輝きではない。
ただ、光だった。
やさしく、温かく、どこまでも透明な――祝福の光。
観客席の誰もが、言葉を失った。
まるで春の陽光が、胸の奥に差し込んでくるような。
それは、子どものころに聴いた、母の子守歌のようで。
忘れていた、大切な思い出に、そっと触れられたようでもあった――
あらゆる感情が、涙に変わって、胸の内から静かにあふれていく。
(……ああ、これが――)
(セリア・ルクレティア……“聖女さま”)
(ああ……心が洗われてゆく……)
(お父さま……お母さま……)
光が大講堂を包み込んだ。
セリアは、静かにまぶたを伏せたまま――微笑んでいた。
まるで、まだこの世に“戻ってきていない”かのように――
慈愛や、優しさという言葉では足りない、それはまさに神の微笑みのようだった。
ユリシアが剣を収め、膝をつく。
巫女たちもまた、静かに手を胸に当て、深く礼をした。
光の粒が空に舞い、やがて消えていく。
会場は――言葉を失ったように、沈黙の中にあった。
まるで、まだ、誰も“言葉”を持てずにいたかのように。
***
(……敵わない、って、こういうことですのね)
ルナリアが小さく、心の中でつぶやいた。
まひるもまた、呆然としながら――ぽつりと呟く。
『……セリアちゃん、ほんとに……聖女なんだね』
***
グレイス女史が演台へと移り、演目は終わりを告げたはずだった……。
しかし、セリアがゆっくりと目を開けると――
その瞳の色は空のような青ではなく、輝くような金。
まっすぐに前を見据えたその瞳は、もう“少女”のものではなかった。
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