第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑧
アーデルハイト公爵家
ハイランド城
正餐の間(昼食)
長い食卓の中央に、豪奢な銀食器が並べられ、窓から差し込む光が温かく反射していた。
重厚な調度に囲まれた、アーデルハイト家の正餐の間。
食卓には、白いクロスがかけられ、春の彩りを添えた料理が整然と並ぶ。
ルナリアが席についた頃には、家族たちが自然と集まり、穏やかな団らんの空気が漂っている。
使用人たちが静かに料理を運び終えると、マリアンヌが涼やかな微笑みとともに、銀のフォークを置いた。
「さあ、ルナリア。こっちへいらっしゃい? お母様のおひざが空いてますわよ♪」
柔らかい声――それはどこまでも優雅で上品、けれど……
「お母様、わたくし、もう高等部ですのよ……」
「高等部? まあまあ、そんなの昨日生まれたばかりのようなものですわ!」
すでに前のめりになって抱きつこうとしていたマリアンヌを、隣のアレクシスがさっと手を伸ばして止めた。
「母上、少し落ち着いてください。ルナリアが蒸し鶏を取れません」
「あなたこそ、今、“よしよし”って妹の頭をなでようとしていたでしょ!?」
「バレたか……」
『ええ、バレてます。というか見えてました……』
『……この家、全員揃って“推し”に甘い……!』
まひるの内心が、うんざりと呟く。
「この前の夏は座ってくれましたのに? そんなに照れなくてもよろしいのよ」
とん、と膝をたたくマリアンヌに、ルナリアはぐっと堪えて微笑を保つ。
その内心――まひるは完全に白目をむいていた。
『ちょっ、待って!? この前の夏って?』
(あ、あの時は……その……お母さまの勢いに負けてしまい……)
『……なんか、わたしの中のルナリアさんが壊れて行く……』
(わたくしは、わたくしです! だからこの家にあなたと来るのは……)
傍らではアレクシスがスープをすすりながら、困ったようにため息をついた。
「……母上、頼むから少しは加減してください。膝に乗せるのはやり過ぎですよ」
「ですわよね!? ですわよね兄様っ!?」
「……いや、できることなら僕もそうしたいが、理性があるので我慢してるだけだ」
絶句するルナリアの中でまひるは叫んだ。
『やっぱり魔窟だったーーーっ!!! 逃げ場がないーーっ!!!』
(違うんです、まひるさん……。メインディッシュは他にあります……)
『えっ……?』
そのときだった。
「……あっ」
ころん、と小さな音を立てて、銀色の巻き毛をふわりと揺らした、小さな影が――
ルナリアの膝に、ぽすんと飛び乗った。
「きゃっ……!?」
『ま……まって! ちょ、ちょっと待って……!?
え!? 今、宙を飛んできたよね?』
思わず声にならない動揺が、ルナリアの内側――つまり、まひるの脳内を駆け巡った。
男の子――レオニウス。
まだ二歳になったばかりの、アレクシスの愛息子は、まるで迷いなくルナリアの懐に入り込み、
そのまま、彼女の胸元にすっぽりと顔をうずめた。
「るーな、すきぃ……」
「…………っ」
『ぐはぁぁぁぁッ!!!!!』
『なにこの破壊力!!! 天使すぎるっ!!』
「……レオニウスったら、まあ……またルナリアさんに抱きついて……」
微笑ましく見つめるのは、優しげな雰囲気をたたえたアレクシスの妻、クラリーチェ。
白に淡い藤色を添えたドレスを身にまとい、控えめながら気品と包容力を併せ持つ女性だ。
『え!? そっち? 二歳児が空を飛んでるのは?』
「ルナリア、悪いな。こいつ、お前のことが本当に大好きなんだ」
アレクシスが、どこか嬉しそうに目を細めながら言う。
「……構いませんわ。ただ、せめて場所を選んでほしいものですけれど……」
涼やかに応じながらも、ルナリアは少しだけ頬を染め、そっとレオニウスの頭を撫でる。
『だめだ……これは“推し”を超えて、もはや神域……』
ルナリアの胸に顔をうずめたまま離れようとしないレオニウスを見て、クラリーチェはほんの少しだけ唇を緩め――けれど、すぐに背筋を正して静かに言葉を添えた。
「……まあ。レオニウス、よかったわね。ルナリアお姉さまに会えて」
その声音は、咎めでも遠慮でもなく――
ただ、幼い我が子の気持ちをそっと肯定する、母としての穏やかな慈しみに満ちていた。
「ごめんなさいね。
いつもこの子、あなたを見ると……嬉しくなって……飛んで行ってしまうんですわ」
『ええ、文字通り”飛んで”ましたが……』
「いえ……わたくしの方こそ。こんなにも慕ってもらえるなんて、光栄ですわ」
ルナリアが微笑みながら返すと、クラリーチェは安心したように頷き――
そして、横目でアレクシスを見る。
「――あなたも、あまり顔に出しすぎないで」とでも言いたげに。
その視線だけで伝わる言葉に、アレクシスは目をそらし、小さく肩をすくめた。
クラリーチェが苦笑しながら子どもを引き戻し、ようやく昼食は落ち着きを取り戻した。
*
「……ところで、ルナリア。『小さき花の革命』とやらで表彰されたそうですわね?
学院中の花壇をすべて植え替えたとか、しかも”素手”で?」
ティーカップを手に、マリアンヌが完璧な微笑を浮かべた。
「……それは……だいぶ尾ひれがついてますわ……。
”少し”だけ”スコップで”花壇を整えたというだけのことです」
「まあ、でも素敵よ♪
次はぜひ“学院を一人で立て直した”ぐらいになってほしいですわ!」
「無理です」
その横で、控えていたミレーヌがすっと顔を寄せ、小声で囁いた。
「――お嬢様。……お逃げになるなら、今が最後の好機かと」
「逃げませんからっ……!」
ルナリアは笑顔を保ちつつ、小声で即答した。
『うん……やっぱり、魔窟。
絶対、これ、魔窟……』
*
昼食のメインディッシュ、ハイランド牛のソテーが運ばれた。
「僕は、少し焦げ目がついてる方が好きなんだ……」
そう言うと、アレクシスは指先をステーキに向けて何事か呟いた。
次の瞬間、指先から走る炎が、じゅわーっとステーキの表面を焦がし、香ばしい香りが漂う。
『え!? 今の魔法? レオニウスちゃんが空飛んでたのもそうだよね?』
(ええ、レオニウスの魔法属性はわたくしと同じ風属性ですから……)
『え? じゃあ、ルナリアさんも、もしかして空を飛べるの?』
(……いえ、わたくしは魔法は得意ではありませんので……)
家族も、使用人も……常識人枠かと思っていたクラリーチェまでもが、誰一人驚かない。
あろうことか、ミレーヌですら咎めもしない。
「……あら? ルナリアのコップ、お水が空ですわね」
マリアンヌが、ふと気づいたように声を上げたかと思えば――
「はい、水の精霊さん、お呼びになりますわよ~♪」
そう言って、にっこり笑いながら指先をくるりと回す。
次の瞬間、ルナリアのグラスに、澄んだ水がさらりと注ぎ込まれていった。
「お母さま、ありがとう」
『なんでルナリアさんまで平然としてるの? いや、ちょっと待って!
少し前に魔法のことを聞いた時、滅多なことでは魔法は使わないって言ってなかったっけ?』
そこへ、アレクシスがやや慌てたように割り込む。
「そ、そうだルナリア、お前はやめておきなさい」
「お兄さま……どういう意味、ですの?」
すっと目を細めるルナリア。
「……いや、別に? あー、その、前にトレーを風で運ぼうとした時、な?
ちょっとだけ、壁に穴があいただろ?」
「ふふ……お兄様ったら」
『……そういうことか! ねえ、ルナリアさん、わたしわかっちゃったかも』
(何がですの?)
『ルナリアさんが滅多に魔法を使わないのは……
もしかして、パワーあり余ってるから、じゃないですか?
たしか、前に「風よ、囁け」って言っただけで、大木が倒れそうになってたし……』
(……ええ、その通りですわ。
わたくし……少しだけ、力の加減が苦手で……。
以前も……魔法はあまり得意ではない、と申し上げましたでしょう?)
少しふてくされたような声に、思わずまひるも可笑しくなる。
『じゃあ、レオニウスちゃんの真似したら、天井に激突するとか?』
(それで済めば良いのですが……)
『やめてー!! ガチで不穏な空気出さないで!!』
『でも……完璧美少女のルナリアさんにも弱点があるぐらいが、丁度いいですよ』
(もう、まひるさんまで……)
『……でもこの一家、どうなってんの?
……母:麗しき氷の花、兄:完璧炎超人、甥っ子:空飛ぶ天使……!
なんでルナリアさん、こんな”奥様は魔女”みたいな家庭に生まれて普通に育ってんの!?』
(……貴族の家庭はみんなこんなものですわ……
もう、静かに貴族のふるまいを勉強なさって、まひるさん)
内心で返されたその声に、まひるは心の中で正座した。
「それにしても……お嬢様のご実家、相変わらず普通ではありませんね。
破壊力が強すぎます」
ミレーヌは隣でハーブティーを口に含みながら、小さく息を吐いた。
『ほら、普通じゃないってミレーヌさんも言ってるじゃん!!』
(あら、そうだったかしら……ふふ)
使用人たちは微笑を堪えながら静かに給仕を続け、執事が苦労人の表情で食器の配置を直す。
――こうして、“魔法と愛”に満ちたアーデルハイト家の昼食は、
賑やかに、温かく、終わりを迎えようとしていた。
*
ざわめきの中、食堂の扉が開かれると――
静かに良く通る、それでいて低く落ち着いた声が響いた。
「……まるで、凱旋将軍の凱歌だな。何か大戦にでも勝ってきたのかと思ったぞ」
一同の視線が、その声の主に向かう。
深い緋の上衣に身を包んだ一人の男。
背筋はまっすぐに、白銀交じりの髪と鋼のような眼差しが、威厳を物語る。
アーデルハイト家当主、シグムント・アーデルハイト公爵、その人であった。
「お父様……」
すっと立ち上がり、裾をつまんで頭を下げるルナリアに、公爵は柔らかく目を細める。
「ルナリア……帰ってきたか。少し見ぬ間に、また見違えたな。
今回は、急に呼び出してすまなかった……まずは、よく無事で帰って来たな」
それだけで、胸の奥にじんわりと温かさが広がる――
そして、公爵はすぐに、ルナリアの後ろに控えていた影へと視線を向けた。
「……ミレーヌ。いつもながら、感謝している。君がいてくれて、本当に心強い」
公爵の声は柔らかだったが、その一言には確かな信頼と敬意がこもっていた。
ミレーヌは静かに一礼する。
「恐れ多いお言葉……恐縮です、公爵様」
まひるは、ルナリアの内側で驚いていた。
(なに、この人……“怖い”のに、“やさしい”……)
(お父さんまで……家族、めっちゃ強キャラ揃いじゃん……!)
公爵はミレーヌに向き直ると、少しだけ目を細めた。
「君のような人材が、ルナリアのそばにいてくれて本当に良かった。
……かつての任務での働きも、耳にしている」
ミレーヌは一瞬だけまばたきをし、視線を揺らす。
そして静かに目を伏せた。
「……過分なお言葉にございます」
「いいえ。これは君の主の父としての本音だよ。――ありがとう、ミレーヌ」
『えっ、ミレーヌさん、任務って? え? えっ?』
(まひるさん、昔の話ですわ。今のミレーヌは、わたくしの大切な侍女ですから)
『えーー、説明になってないんだけど!?』
そして。
「……ルナリア。昼食が済んだら、少し書斎まで来なさい」
父の静かな声が、重みをもって響いた。
それまでの空気とは打って変わって、部屋がわずかに引き締まる。
まひるは、心の中でごくりと息を呑んだ。
『……来た……! これ、たぶん……割と本気で話があるやつだ』
ルナリアは静かに頷いた。
「はい。お父さま」
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