第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑦
セレスティア神聖国
アーデルハイト公爵領
ハイランド城下町
どこか懐かしげに、ルナリアは小さくつぶやいた。
「……あれが、ハイランドの城下町ですわ」
丘の向こうには、小高い段丘に広がる古い街並みがあった。
色とりどりの三角屋根と、石造りの街並みは穏やかな曲線を描き――
中央を走る一本の大通りが、城へと真っ直ぐに延びている。
その最奥に構える重厚な城壁に囲まれた古城、ハイランド城――
ルナリアの生家であり、代々のアーデルハイト公爵家が政を司る場所だった。
『……うわ、本当にお城だ……! なんかもう、一国の王城みたい』
まひるが胸の内で感嘆の声を上げる。
『しかも、ものすごく防御力高そう……』
(ええ、ハイランドは聖都の北の守りを担ってますの。
当家をはじめ、五大公爵家はそれぞれ、聖都の周囲を守るように領地がありますのよ)
幾つも見える尖塔の屋根には深い群青色の瓦が敷き詰められ、左右対称の建築は、どこか厳格で、そして誠実さを感じさせる佇まいだった。
「変わっていませんわね……」
ルナリアはふとつぶやいた。
(……“懐かしい”なんて言葉にしてしまえば、どこか気恥ずかしいけれど。
それでも――胸の奥が少しだけ、あたたかくなる)
馬車はゆるやかな坂を下り、やがて城下の大通りへと滑り込んでいく。
町の人々が通り沿いで頭を下げたり、帽子を取ったりしながら、馬車に気づいて挨拶を送ってくる。
「――町のみなさん、ルナリア様のお帰りだって気づいたかもしれませんね」
「かもしれませんわね」
通り過ぎるたびに、作業の手が止まり、目がこちらへと向けられる。
それは、“領主の娘”への敬意であり――
同時に、“あの子が戻ってきた”という、あたたかな視線だった。
(……この空気。たしかに帰って来ましたわ……)
*
そして馬車は、やがて重厚な城門前に到着する。
「……姫様が、お帰りになられた!」
「おお、姫様が!」
「姫様、おかえりなさいませ!」
衛兵たちの声が、歓喜とともに響いた。
『姫様……やっぱり、本当に“お姫様”だったんだ……』
(ええ……この領では、わたくしのことを“姫様”と呼ぶのが習いですのよ。
……ふふ、なんだか少し照れますわね)
――ゆっくりと門が開いた。
衛兵たちの整然とした敬礼のもと、白い馬車が、荘厳な石畳の上を静かに滑るように進んでいく。
やがて、馬車が止まり、御者が静かに扉を開いた。
ルナリアが静かに目配せをすると、ミレーヌが小さく頷く。
まひるにも、ルナリアとミレーヌの緊張が伝わる。
(ここが……その“魔窟”……! 無事に帰れるといいんですが……)
ミレーヌが先に降り、そっとルナリアの手を取る。
前方には、ルナリアの帰りを待っていた使用人たちが左右にずらりと並んでいた。
そして、ゆっくりとハイランドの地に降り立ったルナリアは――
スカートの裾をつまんで片足を少し下げると、完璧な作法で礼をする。
「姫様、お帰りなさいませ」
使用人たちは一糸乱れぬ動きで一斉に声を揃え、深々と頭を下げた。
――次の瞬間だった。
「ルナリアァァァ~~~~!!」
澄んだ声が、城館の前庭にこだました。
城館の扉から、白いドレスの女性が、風を切るような勢いで走り寄ってくる。
――まるで、氷で形づくられた宝石のような美貌。
艶やかなプラチナブロンドの髪を高く結い上げ、優美なレースをあしらった外出着はどこまでも上品で、王妃と見紛うほどの威厳を湛えている。
だが――その美貌には、満面の笑みが咲き誇り、
身体はと言えば、ドレスの裾を持ち上げ、全力疾走。
ミレーヌは、するりとルナリアの後ろに回ると、その両肩を押すように手を当てた。
その後、わずかの間に――
一瞬で、ルナリアの感情の光が瞳から消える。
代わって、“来るべきものが来た”とでも言いたげな、鉄面皮のような無表情が浮かんだ。
『……えっ、何この無表情変化、何かを秒で悟った!?
ルナリアさん、それって、もしかして究極奥義!?
真の悲しみを知る者だけが習得できるという……あの無想転生ってやつ!?』
美貌の女性は、再び澄んだ叫び声を上げ――
「会いたかったわぁぁ~~~!! ルナリアぁ!!」
そして、全速力のまま――がばっ、と飛びつくようにルナリアを抱きしめた。
ミレーヌがぐいっと支え、その衝撃を受け止める。
「む、胸が……く、くるし……」
『ぐはぁ……! わたしだったら、絶対その場で呻いて倒れてますって……!
さすがはルナリアさんの究極奥義……無想転生!』
「ダメよ! せっかく帰ってきたのに、抱きしめずにいられるわけないでしょう!?
あなた、また細くなって……っ! ああ、ほんとに、もうっ……!!」
一歩後ろに下がったミレーヌが、そっと額に手を当てる。
「ふぅ……まったく、マリアンヌ様は。今日も通常運転ですね」
『え、うそでしょ……マリアンヌ様って……。
……この人が、“氷の百合”と呼ばれるルナリアさんの“お母さん”!?
いやもう、ギャップが過ぎるでしょ……!』
『この美貌でこの行動……脳がバグる……令嬢ギャップ系お母様、威力高すぎでしょ……!』
まひるの内心のツッコミに、ルナリアはなんとか体勢を立て直しながら、やや苦々しい微笑を浮かべた。
「……お母さま。せめて、家族以外の前では、もう少し――こう、抑えていただけると」
「ふふっ、でもいいじゃない? 可愛い娘を久々に見た母の正直な行動ってことで♪」
そして、ようやくルナリアを放し、ぱっと手を取り――
「さ、お部屋はもう準備してあるの。
すぐお風呂にする? お昼にする? それとも――やっぱりぃ、お母さま?」
膝から崩れ落ちそうになりながら、ルナリアは何とか声を絞り出す。
「三択ですのね。では、お昼でお願いいたしますわ……」
(まひるさん……驚くのはまだ早いですわ……)
半ば諦めたようなその心の声に、まひるは震え上がる。
『えぇーーっ……嘘でしょ……これで「まだ前菜」って、どういうフルコース……!?』
中庭には、久々の帰郷にふさわしい――少し騒がしくも、あたたかな空気が流れていた。
*
「……ああ、またやってるよ」
やれやれとため息をつきつつ、やや後方から歩み寄ってきたのは、
ルナリアの兄、アレクシス・アーデルハイト。
流れる銀髪に、整った顔立ちと涼やかな声。
騎士団仕込みの姿勢と、青年貴族らしい上品な仕草。
そして、妹を見つめるまなざしだけが、どこまでも甘い。
「母上、せめて館の中に入ってからにしていただけますか。
学院帰りの子を抱きしめて泣くのは、ほどほどに」
「だって、もう何か月も会ってなかったのよ!?
たった数か月でも、母親には一生分の寂しさなのよ!!」
「なら、少しは自重を……。……まったく」
アレクシスは呆れ顔で言いながらも、その目元はどこか優しく――
しかし、ごく小さく呟いた。
「……僕だって、抱きしめたいくらいだ……」
『え、今、感情だだ漏れで何か不穏なこと言ってたよね?』
(……兄様は、わたくしより十も年上ですのに……)
そんなことを考えているうちに、ルナリアの頬はほんのりと熱を帯びた。
アレクシスは咳払いをすると、そっと一歩前へ出て、
母に握られたままのルナリアの手を一本、引きはがす。
「よく帰ったな、ルナリア。……無理はしていないか?」
「兄様……。はい、わたくしは、元気に過ごしておりますわ」
「……なら、いい」
そして、ふとルナリアの顔に目を落とすと、ごくごく小さく呟いた。
「やはり、我が妹は天使だ……」
「まあ……お兄様ったら……」
兄と妹は、しばし見つめ合う。
そのやりとりを背に、ミレーヌは深くため息をつき、静かに呟いた。
「……我が主のお帰りが穏やかである日は、いつになることやら。
まあ、“デレ主様”を拝見できるのも、私にとっては貴重な愉しみではございますが……」
一方のルナリアは、握って離さない母の手をそっと引き剥がしつつ、顔だけは笑顔のまま小声で言う。
「お母様。まず落ち着いて。もう少し、”公爵夫人”らしくなさってくださいませ」
「ううっ、でもだって……! ルナリアが可愛らしすぎるのが悪いのよ……!」
「……はいはい。皆様の前ではほどほどに。お部屋でなら、お好きなだけ、ですわ」
まひるの内心も、思わずあふれ出す。
『お母さんもすごいけど……この兄、かなり強度のシスコンだよね!?』
『ルナリアさん、こんなんで、本当にお嫁に行けるの!?』
『うん。なるほど、これが……魔窟……ルナリアさんが帰郷を恐れるのもわかる……』
(まひるさん……ごめんなさい。……あなたの言う”メインディッシュ”は、まだこれからですわ……)
『えっ……まだ、メインディッシュじゃないんですか……?』
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