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第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑥

セレスティア神聖国

北の街道


やがて、巡礼の橋を渡り終えると、ルナリアはそっと身を乗り出し、

朝靄に包まれた聖都へ、静かに視線を向けた。


セレスティア内湖の湖面には、逆さまに映る都の尖塔群。

霧に包まれたその光景は、蜃気楼が宙に浮かんでいるようで――

まるで、神々の手のひらにそっと抱かれているかのような、美しい幻影だった。


吟遊詩人や旅人は、セレスティアを「神々に抱かれた幻の都」と讃え、

巡礼者たちは、霧の光に包まれた都を前に足を止め、思わず涙し、祈りを捧げるという。


それが、まひるたちが今も暮らしている――“聖都セレスティア”である。


『……いや、あらためて見ると、ほんとに“神域”なんですけど!?

 乙女ゲーのタイトルCG背景とか、VRMMOのイベント風景とか……もう、完全にそのレベル……!』


『同じ朝もやでも、ビル街を見ながら「今日も徹夜してしまった……」って絶望してた社畜時代がつらすぎる……』

『……うん。これが異世界転生の恩恵ですか。ほんと、ありがとうございます!

 ていうか、もっと早く呼んで欲しかったんですけど!?』


(……まひるさんの過去も、それはそれで尊いものですわ)

(でも今は――あなたと心を重ねて、ただ、静かに胸を打たれていたいのです)

(朝の光に包まれるわたくしたちの都。まるで、神々が紡いだ幻の風景画のようですわね……)


『……ほんとそれ……』


ふたりはしばし、聖都の尖塔が朝靄に溶け、見えなくなるまで――

その夢幻のような景色を静かに見つめていた。



馬車は、聖都の浮かぶ広大な湖を背にしながら、北へ北へと進んでいった。


草原に差し掛かると、羊の群れと共に立つ羊飼いの少年が、遠くから手を振ってくる。

ルナリアがそっと手を上げると、少年は顔をほころばせ、犬とともに群れを追って駆けて行った。


しばらく走ると、徐々に街道は朝の脈動を見せ始めた。


荷を積んだ牛車とすれ違えば、御者が帽子をとって会釈し、ミレーヌも静かに応える。


途中の道の端では、聖都に向かっているのだろうか――

旅芸人の一座が小休止しており、楽器の音が風に乗って響く。

彼らが通りすがりに陽気に手を振ってくると、ルナリアも静かに笑みを返した。


街道が石畳から砂利に変わると、車輪の奏でる音が不規則になる。

道路脇には春の花が咲き誇り、蝶が自由に飛び交い、我が世の春を謳歌していた。


――三刻ほど進んだ頃、小さな宿場町で小休止を取った。


広場には簡素な石畳と市場が広がり、屋台がぽつぽつと並んでいる。


初老の御者が帽子に手をかけ、水桶を手に馬のもとへと向かう間――

ミレーヌは広場の隅の木陰に手早く軽食の布を広げた。


「パンとチーズ、干し果実にハーブティー。……一応、“お嬢様専用軽食セット”です」


ルナリアがくすっと笑うと、まひるが叫んだ。


『でも見て見て! あの飴屋! あれ絶対りんご飴的なやつでしょ!』


屋台には、飴で包まれた果実が串に刺さり、陽の光に透けてきらめいている――

キャンディフルーツだ。


店番の少女が屋台の奥で手を振ってくるのに気づき、ルナリアは小さく会釈を返した。


『りんご飴のファンタジー版!? これは買いだよ買い!』

『っていうか、りんご飴なんて……小さい頃、お祭りのたびに買ってもらってたなあ……』

『あの頃はよかった……社畜になったからは“休日出勤”がデフォで、飴どころかお祭りすら拝めない毎日だったんだから……!』

『でも今! 異世界の春風と旅の景色と、りんご飴!(的なやつ)!

 これ、社畜的にはもう奇跡です!』


(……喜んでくださって、わたくしも嬉しいですわ)


ルナリアは苦笑しながら、まひるの内心の叫びをそっと受け止めた。


(……なんてことのない風景。

 でも、こういう時間が一番心に残るのかもしれませんわね)


少しだけ口元を綻ばせながら、ルナリアはミレーヌに小さく目配せを送った。



うららかな木漏れ日を浴びながらの朝食。

ハーブティーを飲み終えたルナリアは、カップをそっと布に置き……

キャンディフルーツ――りんご飴をひとつ、手に取った。


串に刺さったりんごのキャンディフルーツ。

素朴な庶民のお菓子。

見聞きしたことはあるが、食すのは初めてであった。


そっと朝日にかざせば、透けたキャンディが琥珀色に光り、赤く艷やかなりんごを優しく包んでいる。


そして、一口。


パリッとした食感の次に、キャンディの甘みと、りんごの仄かな酸味が口に広がった。

思わず、頬がゆるむ。


「……おいしい、ですわね」


『外はパリパリ、中はジューシー……。これが……りんご飴、異世界バージョン!

 控えめに言って最高です……!』


ルナリアの様子を、静かに眺めていたミレーヌも、一口。


「ええ、キャンディフルーツは庶民の甘味としてメジャーなものですが……

 お嬢様のお口に合うかは……心配要らなかったようですね」


ふとミレーヌが、目を細めてルナリアの顔をじっと見つめる。


「ミレーヌ? ……なにかしら?」


ルナリアは少しだけ体を引き、りんご飴を持つ手を胸のあたりに引き寄せる。

けれどミレーヌは、首をかしげたままふわりと微笑んだ。


「あら、お嬢様ったら……」


彼女はそっと手を伸ばし、ルナリアの口元に残ったキャンディのかけらを、ためらいなく指先で摘み――


「……いただきます」


小さな声でそう呟きながら、そのまま口元に運び、そっと唇に触れた。


ルナリアの紫の瞳が、まんまるに見開かれる。


一瞬、何が起きたのかわからず、思わずりんご飴を握りしめた。


「……ミ、ミレーヌ。お行儀が悪くってよ」


ルナリアの頬には、ほんのりと赤みが差していた。


ミレーヌは、涼しい顔でりんご飴をぺろりとひと舐めしながら、さらりと返す。


「紫の瞳を潤ませて “おいしい” だなんて――悪いのはお嬢様です」


「わ、わたくしは普通に――っ!」


「はいはい、“普通”に無防備でしたね」


「ミレーヌっ!」


ルナリアが思わず声を上げ、顔をそむけたその様子に――

ふたりの笑い声が、主従の春のひとときを彩った。


『いや、なにこの光景。

 口元についたものを摘んで食べるとか、普通はお弁当の米粒とかだからね!?』

『家族とか長年連れ添った夫婦がやる、あの雑なやつでしょ!?』

『それがこの二人だと、なんでこんなに優雅で、しかも絵になるの……?

 ……やっぱり、美少女×美少女だからか。そういうことか……』


『というわけで――

 「公爵令嬢ルナリア様と侍女ミレーヌの異世界グルメ旅」

 は、まだまだ続くのであった!』


(ちょっと、まひるさん。変なナレーションを入れないでくださいます?

 それに、人を食いしん坊みたいに。

 グルメ旅など始まっておりませんわ)


りんご飴をもう一口――今度は、そっと口元を意識しながら。


そして、ルナリアは微笑みながら、まひるに語り掛けた。


(でも、いつか……あなたとミレーヌと、そのような旅ができたらいいですわね)


『あ、ルナリアさん! 言質とりましたからね! 絶対ですよ!』



馬車が再び走り出すと、風景は少しずつ変わっていった。


高地にあるハイランドへと、延々とゆるやかな坂道が続く。

進むにつれて、より空気が澄んで、樹木の高さも増してゆく。


石垣に囲まれた畑や、水車の音が聞こえる村落を通り抜ける。


白い馬車が珍しいのか、車体に刻まれたアーデルハイト家の紋章を見かけてか――

村の子供たちが手を振りながら、追いかけてきた。

ルナリアは窓から少しだけ身を乗り出すと、歓声を上げる子供たちに小さく手を振った。


途中、広大な牧場で、のんびりと草を食む牛たちを見かけた。

黒や白の斑模様の牛が、春風に吹かれながらゆったりと尾を振り、時折モォと鳴いている。

牧童らしき少年が、木陰からのんびりとそれを見守っていた。


『ハイランド産の牛。あんな風に育てられてるんだ……』


(ええ。広い草原で自由に放牧されてますの。

 空も広くて、風も気持ちよさそう……本当に、のどかで穏やかな光景ですわね)


『……でも、そののどかな風景から、あのシャトーブリアンができてるんだよね?』


(……まひるさん?)


『いや、なんかこう……急にありがたみが湧いてきたというか! いただきます精神が!』


(ふふ、“グルメ旅”などとおっしゃるから、思考がそちらに向かっているのではなくて?)


『うっ……確かに、否定はできない……!』


そして、なだらかな丘を越えた先――


眼下に広がるのは、緑豊かな牧場や草原を従えた広大な平地と、色とりどりの屋根に彩られた街並み。

そして、その中央に重厚にそびえ立つ灰色の城郭だった。


その城の雰囲気は聖都の王城とは異なり、優美というよりは重厚。

まるで、この地を守り続けてきた誇りが、石造りの城に刻まれているかのようだった。


「――さあ、いよいよですわね。

 ご実家にして、最大の魔窟。お嬢様、覚悟はよろしいですか?」


「……あの城門が開くまでに、逃げ出すなら今しかありませんよ?」


ミレーヌは、淡々とした口調のまま、どこか楽しげに言う。


「ご安心ください。逃走ルートの想定も、徹夜で十通りほどご用意しておりますので」


「……ふふ。あいにく逃げるつもりはありませんわ」


ミレーヌは、わずかに唇をゆるめ――


「さすがです、お嬢様。では、ご武運を」

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