第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑤
聖都セレスティア
北門《巡礼の橋》(早朝)
淡い朝もやに煙る湖の水面。
空が白み始めた頃――王都・北門の巨大な城門が、重々しく開かれた。
ぎぎぎぃぃ……っ……。
重く沈んだ音が、湖面を震わせた。
続いて、冷たい朝の空気の中、聖都を後にする馬車が一台、
白い息を吐きながら見送る衛兵たちに深々と礼を受け、城門をくぐった。
ぎぎ……ぎぎぃぃ……ばたんっ……。
馬車の背後で再び城門が閉まる。
昼間なら、多くの巡礼者を見かける門前でも、この時間では人っ子一人いない。
御者の手綱捌きに導かれ、アーデルハイト家の紋章が刻まれた白い車体が、
ゆっくりと霧にけぶる湖に一直線に伸びる”巡礼の橋”へ進み出した。
ルナリアは、馬車の小窓から、薄もやのかかった王都の尖塔群を振り返った。
旅装とはいえ、彼女は決して気を抜かなかった。
首元に刺繍の入ったハイネックの白いブラウスに、淡いグレイッシュブルーの外套を肩にかけ、
外套の裾から覗くのは、足さばきを考慮した普段より短めのスカート。
足元には、淡い灰色のレザーで仕立てた編み上げのブーツ。
胸元には銀のペンダントがきらめき、高く結い上げた髪には、小さな銀の飾りがひとつ――
公爵令嬢としての矜持を、そっと、静かに主張していた。
『……あれ? このスカート、いつもより……短くない?』
(ええ、今日は訪問衣と旅装の兼用ですから、動きやすい服装ですわね)
『令嬢モードのルナリアさんも素敵だけど、旅装モードもまたかっこいいです!』
(そんなに珍しかったかしら?
まひるさんには、わたくしの同居人として、
貴族令嬢の在り方について……もっと知って頂かないといけませんわね)
『了解ですっ! “貴族マナー研修”コース、全力で受講いたします!』
(覚悟はよろしくて? わたくしの”研修”は厳しくてよ?)
『ぎくぅ……お手柔らかに……!』
遥か王城を見つめながら、ルナリアは頬をゆるめた。
「……お嬢様のご出発、今朝方、伝書鳩でお知らせしております。
ご実家にもご到着予定の時刻は伝わっているはずです」
向かいの席には、いつも通りエプロンドレス姿のミレーヌ。
靴だけは、動きやすいブーツに変えている。
そして、その脇には革で作られた重厚な旅行鞄。
「ミレーヌ、朝早くからありがとう」
「お嬢様こそ……。
早朝にも拘わらず、完璧なお目覚め、ミレーヌも感謝しております。
なお、本日は、“ご実家対応モード”にて準備を整えて御座います」
ミレーヌはぴしっと背筋を伸ばし、まるで戦場に赴く兵士のような面持ちで続けた。
「まず、緊張のあまりお倒れになりそうな場合のため、
ハンカチ、白湯、そして非常用の甘味も完備しておりますので、ご安心ください」
「ちなみに、ご実家から逃げ帰られる場合に備えて――
お嬢様専用の非常袋も、しっかりと忍ばせてございます」
「すべて……徹夜で、万全にご用意しましたので」
その言葉に、ルナリアは小さく目を細める。
(今日は、一段と毒舌ですわね……。
昨日の夜、がっかりさせてしまったからかしら)
本気の冗談――実にミレーヌらしい。
「ふふ……今朝、寝ぐせのまま部屋にいらしたのは、どなたでしたかしら?」
ミレーヌは悪びれもせず、そっと、ぴょこんとカールしたツインテールの先を整える。
ルナリアは思わず、口元を押さえる。
小さく、くすりと笑うと――ミレーヌもつられるように、肩の力を抜いた。
馬車の中に、静かな笑い声がふたつ、そっと広がる。
ひとしきり笑い合うと、ふと、ミレーヌが呟いた。
「正直、お嬢様にはもう少し緊張感を持って頂きたいところです」
「……してますわよ、緊張くらい。
……ただ、それを顔に出すのは、少しだけ悔しいのです」
ミレーヌは、瞬きをすると、小さく肩をすくめる。
馬車は、”巡礼の橋”を渡り始めた。
馬車の車輪がしっとりとした石畳を静かに軋ませ、渡り鳥の影が、薄紅の空をかすめて飛んでいく。
朝靄がかすめる湖面に、まだ淡い光が差し始めている。
向こう岸の気配は霞み、まるで湖と空とが溶け合う中を、橋だけが未来へと伸びているようだった。
『わ……わたし、ついに……』
心の奥で、小さな歓声があがった。
『“城下”を出た! ついに“聖都”を離れたよ! 異世界冒険、始まりましたーーっ!』
嬉しさを押さえきれず、ルナリアの胸の奥で、まひるがばたばたと飛び跳ねているような気配がした。
だが、外見のルナリアはいつも通り――静かに、気品を湛えたまま。
「朝靄に煙る湖。その向こうには、空へと昇る陽……まるで、旅立ちを祝う風景画のようですわね」
「詩人でいらっしゃいますね、お嬢様」
ミレーヌが笑みを浮かべながら、揺れる馬車の座席で軽く身を乗り出す。
「でも……本当に、きれいですね……」
『……うん、あの空。なんか、吸い込まれそう……』
まひるの心の声に、ルナリアの視線がふと引き寄せられる。
『……あれ? なんか……おっきくない? 鳥……?
え、えっ、ちょっと待って、なんかすごい勢いで大きく!?』
空に浮かんだ二つの小さな影が、ぐんぐんと高度を落とす。
霧を突き抜けた瞬間、その巨体が露わになった――
そして、湖面すれすれを保ちながら滑空を始めた。
水面が猛烈な風圧で波立ち、湖面に二本の白い軌跡を描く。
『ちょ、低くない!? お、おちる――わっ、旋回した!?』
朝靄にかすむ湖上を、まるで弧を描くように飛び交う巨大な獣たち。
その透き通った翼は風をはらんで帆のように広がり、灰銀の鱗が朝日に溶ける霧の中できらりと瞬いた。
背には白銀の甲冑を纏い、前傾姿勢で長槍を構えた騎士の姿が、馬車の中からでもはっきりと確認できる。
『わ、すご……なにあれ、めっちゃカッコいい……!
人を乗せて空を飛んでる……何? 竜? すごっ!?』
まひるの内心は、小さな子供のような興奮で跳ね上がる。
(まひるさん、あれば”飛竜”ですわ。
戦場では空を制するかどうかが、戦況を左右するのです)
朝焼けに染まった空に、翼を広げて飛び去る二羽の飛竜。
その背には、白銀の甲冑が朝日に輝き、北の空へ……
ルナリアたちが目指すハイランドの方角へと消えて行った。
「……あの飛竜、近衛竜騎士団の訓練でしょうか?」
「ええ、おそらくは。
よく湖上で急降下訓練をしていると聞きますわ。
早朝は船も少ないですから……本当に、ご苦労様ですわね」
『確かに。湖ならうっかり落ちても大丈夫そうだし……!』
『……わたし、本当にファンタジー世界にいるんだ……』
『ねえ、ルナリアさん。
神聖国って、千年王国ですし、あんなスゴイ騎士団がいるなら、
もう安泰ですよね?』
(ええ、神聖国の軍団はその歴史、信仰、強さにおいて誇れるものだと思いますわ。
しかし、近年では、”帝国”などの新興勢力が力を付けているのも事実。
油断はできませんわね)
その雄姿は、確かに胸躍らせるものだった……。
しかし同時に、この世界は弱肉強食――
千年の歴史を誇る神聖国といえど、絶対ではない――
同時にその現実を、まざまざと見せつけられた気がした。
飛び去る竜騎士たちを見送ると、ふと、隣に座るミレーヌが少し首を傾げた。
「……今回、ご実家の動きが早すぎるような……」
「ええ……お父さまは、何か……急ぎでわたくしに伝えたいことがあるように思います。
それにしても、ミレーヌまで学院をお休みさせてしまって……ごめんなさいね。」
「いえ。こういうときこそ、侍女として随行するのが当然です。
……お嬢様のご実家に“ひとりで行かせる”など、正気の沙汰ではありませんから」
ミレーヌは軽く微笑みながら、まるで戦地を想う騎士のように、遠い目をした。
――なんかキュンと来た。かっこいい……。じゃなくて!
『えっ? ちょっと、ミレーヌさん! ルナリアさんの実家ってどんだけなの!?』
(……ふふ、ミレーヌは大げさなだけですわ)
「そういえば、お戻りになるのは……夏の休暇以来ですね」
「ええ。……もう、そんなに経つのですね」
今日の旅路は、始まったばかり。
けれど、ルナリアの心は――
すでに遠く、ハイランドと呼ばれるアーデルハイト公爵領へと向かっていた。
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