第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード①
第7話 「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」
王立学院・食堂テラス席(昼)
春の光が差し込む食堂。
今日も静かなざわめきの中、思い思いに過ごす生徒たちであふれていた。
その片隅、貴族用のテラス席には、いつもの場所で、いつもの三人がテーブルにつき、
並べられたばかりの昼食を囲んでいた。
スプーンや皿の音、控えめな話し声がテラスのあちこちで交錯する中――
一人だけ、まるで違う“空気”を纏った少女が、そっと手を組んだ。
「Alferis dea, dona haec benedic. Gratiam tuam nobis concede」
(女神アルフェリスよ、この糧を祝福し、あなたの恵みを我らに与えたまえ)
セリアは、女神アルフェリスへの祈りを、ほとんど聞き取れないほどの小さな声で口にした。
それなのに、不思議とその言葉は、空間全体に染み渡るように広がっていく。
空気に、ふと、静謐な威厳が宿り、
食堂全体が、一瞬だけ――しんと静まり返った。
まるで、祈りに応える見えざる気配が、その場を包み込んだかのように。
祈りの言葉が空気に溶けてゆくと――すうっと、食堂のざわめきが戻る。
近くのテーブルや、通りすがる生徒たちの視線が、自然と目を閉じたままのセリアに集まっていた。
それは、敬意とも、憧れともつかぬ眼差し――
けれど、そのすべてが、彼女を“聖女”たらしめるものだった。
ぱちん、と目を開けると彼女はにっこりと微笑んだ。
「いただきます……♪ あ、やっぱり今日のスープ、とっても美味しいです。
学院のお昼って、なんだかほっとする味なんですよね」
「うふふ。こういうのって、“がんばったご褒美”みたいで、好きなんです」
先ほどまでの“聖女”の気配はもうどこにもなく――
そこにいたのは、いつもの通りの“セリア”だった。
「……いただきます」
セリアの隣のユリシアは小さく呟き、静かにスプーンを手に取る。
スープを一口含み、ほんのわずかに――頷いた。
セリアの正面に座るルナリアも小さく「いただきます」と言うと、
焼きたてのパンを割り、淡く香るスープにくぐらせる。
静かにパンを口に運ぶ。
スープのやさしい香りと、パンのほんのりとした小麦の香りがふんわり口に広がり――
ふと、唇がほころぶ。……あたたかい。
つい先日まで、このテラス席にはルナリアひとりだった。
それはそれで、嫌ではなかった。
心の中では、まひるさんといつもお話していたから……。
静かで、心を乱されることもなく、ただ、落ち着いた時間が流れていた。
――けれど。
こうしてふたりが戻ってきて、いつも通りに向かい合っていると――
なぜだろう。
どこか、張りつめていた何かが、ふっとゆるむようで。
(……なんだか、安心しますわね)
自分のその心の動きに、少しだけとまどいを覚える。
けれど、それを否定する気にもなれなくて――
目を伏せ、息を吐く。胸の奥にあった何かが、少しだけ、ほどけた気がした。
そして、ぽつりと言葉が零れる。
「……お帰りなさい」
セリアは目をぱちりと丸くして、頬をほんのり緩めた。
「ふふ、ただいま戻りました。ルナリアさんと、またこうしてご一緒できて嬉しいです」
「……ご無事で、何よりです」
「はい。無事に戻れました。……でも、実はちょっとだけ気になることがあって……」
ルナリアが軽く首を傾げると、セリアは器を手にしながら少し声を落とす。
「……教会からの要請で、東方の小さな村に行ってきたんです……。
疫病の気配があるって……少し、気になる症状が出ていたんです」
ルナリアの手が、ふと止まる。
「最初は、皆さん“風邪かな?”って、おっしゃっていて……。
でも、様子を見ているうちに、どんどんおかしくなって……」
「……高熱が続いたり、突然ぐったりして起きなくなったりして……。
風邪とは思えないような、へんな様子だったんです」
スープの湯気が揺れて、セリアの言葉をやわらかく包むようだった。
「……でも、祈りと女神様の祝福で、みなさん元気になってくれて……ほっとしました。
けど……なんていうか、わたし、あれは――
知らない病なんじゃないかなって……ちょっと、そう思ったんです」
その瞬間、ルナリアの脳裏にまひるの警鐘が響き渡った。
『待って待って待って!?
それ、風邪って言っちゃダメなやつじゃん!?
高熱・昏睡・原因不明って……それもう、WHOの“指定感染症”レベルだってば!』
(? ……指定感染症?)
『ですです、普通は移動制限とか、都市単位のロックダウンとか必要なやつだって!』
(なるほど……病気の封じ込め、ですわね。
でも、今回はセリア様の祈りが届き、事なきを得たようですわ)
『確かに……!
たった一人で”指定感染症”を封じ込めちゃうって……異世界の聖女様って、やっぱりスゴイ!
うぅ……わたしの世界にもセリアちゃん欲しかったですぅ……』
(ふふ……セリア様はこの世界にたった一人の聖女様ですから……それはだめじゃないかしら。
でも、確かに、聞いたことのない病気って……気になりますわね)
「”知らない病”……ですの?」
セリアはこくりと頷きながら、ゆっくりと説明を続けた。
「はい……なんとなく、へんだなって思ってて。
でも、何が原因なのかは、よくわからなくて……。
もうちょっとだけ、見ていられたらよかったんですけど……」
ルナリアは、黙ってその言葉に耳を傾けていた。
ユリシアがふと口を開き、言葉を継いだ。
「不確かなものに心を留めるのは、決して悪いことではありません。
……ですが、あれだけ伏せっていた村の方々が、帰る時には皆、笑顔で見送ってくださいました。
……まさに、それこそが“奇跡”だと思います。セリア様」
ルナリアは、目を細めながら、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「東方……というと、白竜山脈のふもとのあたりでしょうか。
あのあたり、これまでに風土病の報告は、あまり聞いた覚えがありませんわ。
地理的にも、あそこが“始まり”になるのは……少し、引っかかりますわね」
一瞬、風が吹いた。
テラスの白布がふわりと揺れ、空を見上げれば、どこまでも青が澄み渡っていた。
「とはいえ……聖女様の予感です……。
予兆、といったものでなければ良いのですが」
ユリシアがぽつりとつぶやいた。
ルナリアは、言葉を返さなかった。
ただ、心のどこかで、何かが静かに目を覚ましたような――そんな感覚があった。
「きっと、思い過ごしです。
ご神託はありませんし……そうであることを、願います」
セリアは、ほんの少しだけ眉を寄せながら、首を傾げて笑ってみせた。
彼女の金糸の髪が風にさらりとそよぎ、春の陽光を帯びて、きらきらと舞った。
そして、そっとティーカップを両手で包み込み――そのぬくもりに、静かに祈るように目を落とした。
その瞬間、まひるの早口がルナリアの脳内で炸裂した。
『……やっぱり、セリアちゃん可愛いなぁ……癒される。
聖女属性にしてあの笑顔……完全にヒロイン感MAXってやつ……!』
『ユリシアさんは、そばにいるだけで安心感あるし……。たぶんこの人、隠れ攻略対象ですよね……?』
『で、で、それにルナリアさんも――
このポジション、もはや”悪役令嬢”改め、”正妻ヒロイン”じゃない?』
『うん、やっぱりこの三人で並んで食べてるこの感じ……
これが乙女ゲーの日常パートってやつなんだよねぇ……。もう、最高……!』
(……ちょっと、騒がしすぎですわよ……)
(また、”悪役令嬢”ですの? 他にも確認させて頂きたい点は多くありますが……)
(……”乙女ゲー脳スイッチ”は、今日はもう、オフでお願いしたいですわ)
『あ……。セリアちゃんたちと会うの、ひさしぶり過ぎてついつい……。てへ』
そのとき、ルナリアの中で、幾重もの感情がざわめきながら渦巻いた。
……セリア様は、まさしく“聖女”と呼ばれるにふさわしい方。
その祈りで人を癒し、光を与え、皆の心に希望を灯す……。
……わたくしは、ただ“選ばれた”だけの存在。
王太子殿下の婚約者――肩書きがある、ただそれだけ。
ラファエル殿下のお心が、今どこにあるのか……本当のところなど、わたくしにも分からない。
ほんの一瞬、アルフォンスの――どこか遠くを見つめるような、あの横顔が脳裏をよぎる。
……あの方の目は、決してわたくしを縛らなかった。
ただ、そっと寄り添い、見守るような――あの、まなざし……。
胸の奥に、小さな波紋が広がっていくのがわかる。
彼のことを思うと、心はあたたかさで満たされた――けれど、同時に鈍い痛みも感じた……。
――その心に芽生えた感情に、まだ名前をつけることはできなかった。
(……わたくしは、何を望んでいるのでしょう?)
『……ルナリアさん? 大丈夫……?』
まひるの声を聞きながら、湯気の向こうのセリアの笑顔が、どこか遠く感じられた。
(ええ……そうね。わたくしもこの日常、悪くないと思いますわ)
ルナリアは、ほんのわずかに目を伏せ、ふっと微笑を浮かべた。
……ただ、今はまだ、このぬくもりの中に身を委ねていたい――
そんな気持ちが、そっと胸に広がっていく。
その笑みは、誰にも気づかれぬまま、湯気とともに静かに空へとほどけていった。
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