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第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑭

王立学院・寄宿舎

ルナリアの私室(夜)


視察から戻ったその夜――

ルナリアは椅子に腰かけ、背後から髪を梳かれるまま、静かに目を閉じていた。


後ろに立ったミレーヌは、すべるようにルナリアの金糸の髪に櫛を通してゆく。

その目は、主人の内心などお見通し――とでも言いたげであった。


「……何か言いたげですわね?」


「はい。ひとつだけ。……いえ、ふたつでしょうか」


ルナリアは、目線を泳がせながら小さく頷く。


「まず一点。……人混みの中、男性に抱き寄せられるのは、いささか軽率かと」


「……っ! ……あれは、とっさのことでしたから」


「はい、拝見しておりました。“とっさ”とは思えないほど、お見事な密着具合でしたが」


「……密着など……」


「はい、向かい合ったときの隙間は、紙一枚分はあったと存じます。

 でも、あの時ほんの一瞬、顔が赤くなっていらっしゃいましたよね?」


「……見ていたのなら、黙っていてくださる?」


ルナリアは耳を赤く染めて俯いた。


「いえ、あれは……少し、恥ずかしかっただけですわ」


「恥ずかしい? おっしゃる通り、恥ずべきことかと……。

 では、二点目に移りますね」


ミレーヌは前かがみになると、後ろからルナリアの横に顔を出す。


「まだあるんですの?」


近くでルナリアを横から見つめながら、ミレーヌは、にこりともしない。


「“お嬢様のペースが乱れていた”。それが何より問題です」


「……乱れてなどいませんわ」


「ええ。そうおっしゃると思って、数えておきました。

 “間”が、いつもより1秒以上長い場面が、

 カフェで3回、商人街と職人街で4回、海辺で7回、それから――」


「数えないでくださる?」


「お嬢様。わたくし、護衛教育で“害意を持つ者”の目線の変化を見逃しませんの。

 ましてや、お嬢様の“揺れ”くらい――朝食のハーブティーの湯気を見るより簡単です」


「……」


ミレーヌは、再びルナリアの後ろに直り、なめらかに髪を梳き始める。


「ご自分の立場を忘れて、ただの“少女”になられたのは――“らしく”ありませんでしたわ」


ルナリアが息を呑んだそのとき、ミレーヌはふっと微笑み、目を伏せた。


「……ですが、花壇へのダイブに比べれば、可愛いものかもしれませんけど」


「……忘れてくださらないかしら」


ルナリアはそっと視線を逸らし、窓の外へと目を向ける。

三つの月が、今日も夜空から地上を照らしていた。


この間も、ミレーヌはルナリアの銀の混じった金糸のような髪に、丁寧に櫛を通していた。

絹糸のような光沢を帯びた髪が、静かに梳かれていくたび、

ほのかな香りがふわりと空気にほどける。


ミレーヌは、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「お嬢様、そんなに遠くを見つめる目をしてもダメです。

 何度目のお願いでしょうか?

 そろそろ、わたくしの記憶も、いっぱいになってまいります」


「っ……ミレーヌ!」


「ふふ。けれどご安心くださいませ。ミレーヌは、忠義深くて有能な侍女ですから」


「それは自分で言うことではありませんわ」


「……その通りでございます、お嬢様。

 辞表を出すまでは、ですけど」


ふたりだけの笑いがこぼれる。


けれどその直後、ミレーヌの櫛が止まり、

今度は、誤魔化しのない真面目な声音で――


「このままですと、次の視察では――

 子供たちによる『イケメン王子にデレるルナリア様』の演目を見る羽目になるかと」


「お嬢様。どうか、ご自分の心に呑まれすぎませぬよう。

 誰もが羨む立場の裏には、誰もが想像できない責務がございます。

 わたくしは――それを、忘れてほしくありません」


「……ええ。わかっておりますわ」


ルナリアは、ゆっくりと頷いた。気品を持って、まっすぐに。


ミレーヌは、最後の一筋をそっと梳かし、

整えた髪をやわらかく肩に収める。


「……はい、これで完璧ですわ。

 王子様が現れても、すぐお会いできるように」


ルナリアは、ふと小さく笑った。

けれどその目元には、どこか遠い光が揺れていた。


「もう……。 でも、ありがとう、ミレーヌ」


櫛の音が止まり、部屋には静かな夜の気配だけが満ちていた。


けれど、胸の奥に芽吹いた熱だけは――

まだ、どこかでくすぶっている。

――その熱が、やがて炎になるのか、あるいは風に消えるのか。


それを知るのは、もう少し先のことのようだった。



夜の支度を終え、ミレーヌが静かに退出してから――

ルナリアは、羽根布団の上にうつ伏せに身を預けた。


レースのカーテン越しに、月の光がほんのりと差し込み、

部屋の一角に、淡い白のベールをかけたような影を落としている。


薄い表紙の詩集を手に取ったものの、

開いたまま、ページの文字が目に入ってこない。


「…………」


静かに本を閉じて、

手元のクッションに、ぽふ、と頬を預ける。


ナイトガウンの胸元に、ころんと転がる銀色のペンダント。

布越しに触れると、ほんのりと冷たく、けれど――どこかあたたかかった。


(……なんなの、もう)


自分でも、理由のわからない気持ち。


考えるほどに、胸の奥がくすぐったくて。

寝返りを打って、上を向くと、天蓋のレースがふんわり揺れていた。


そっとペンダントに触れたまま、月の光にきらめく鎖を指先でたどる。


「…………っ」


ふいに、笑みがこぼれた。


だめだ。

本なんて、まるで集中できない。


枕に顔を押しつけて、

ルナリアは、布団の中で、そっと身体を丸めた。


その顔は、いつになく赤くて。

その鼓動は、少し速すぎた。


ふんわりと微笑んで、目を閉じる。



やがて、蝋燭の火が静かに揺らめき、

ハーブティーの残り香が、ゆっくりと空気に溶けていく。


ルナリアは、窓際のベッドに横たわり、すでに静かな寝息を立てていた。


──ルナリアの中で呟く声があった。まひるだった。


(……あー……これはもう、ダメですね)


やれやれとでも言いたげに、

わたし――というか、ルナリアさんの中の“わたし”は、ため息をひとつ。


まぶたの裏に残るのは、今日の”視察”、いや”デート”での視線。

あの、真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな――彼の眼差し。


そして、つないだ手のぬくもり。

胸元のペンダントが、ぽかぽかと熱を帯びているような、気がする。


(……はい、これは確実に“イベントCG”入りましたね)


それはもう、背景がふわっと光って、花とか舞ってそうなやつ。

あ、いや、“乙女ゲー”的に言えば、まだスチルは固定じゃないかな。


でも――でもね。


わたし、知ってる。


ルナリアさんは、いずれ気づく。

自分の中に芽生えた、この気持ちに。


そしてきっと――選ばなきゃいけないときが来る。


わたしが何か言うまでもなく。

わたしが何か言えるわけもなく。


だから、今は。


そっと、黙って、見守ってあげようと思う。


(……がんばれ、ルナリアさん)


(初恋って――けっこう、こそばゆいですから……)


(ちょい待ち。わたしの初恋って……えっと、いつだっけ?

 んー……。小学生の時? いや、違う……。

 あ、たぶん最初から“推し”だった気がする。……ま、いっか)


まひるの中で、ぼんやりと思考が巡る。


(……それにしても今日は、完っ璧に“第二王子ルート”入ったよね。

 しかも、わりと全力で)


(正直、破滅ルートのような気もするけど……)


(それに……なんだか、今日のルナリアさん、恋ってだけじゃなくて――どこか様子が違ってた)


心の中で、誰にも聞こえない声でつぶやく。


(たぶん、アルフォンス様は“何か”を仕掛けてた)


(あのタイミングで、あの話題。わたしでも、うっすら分かるくらいには“わざと”だった)


それでもルナリアは、怒るでもなく、動揺するでもなく、

ただ静かに――けれど、確かに、自分の内に言葉を刻んでいた。


(……わたしだったら、あんな風に黙って聞けるかな)


(誰かの駒じゃなく、自分で決めるって、あんなに強くいられるかな)


ふと、遠い記憶がよみがえる。


午前3時のオフィス。

終電なんてとうに諦め、頼んでもないピザが誰かの差し入れで届き、

「休憩は8時間毎に」とか「三六協定忘れるな」とか言われながら、

タスクだけは次々追加される毎日。


誰かの指示に従って、誰かの期待に応えて――

自分の気持ちなんて、パワーポイントのメモ欄にすら残せなかった頃。


そして挙句の果てには、三轍残業の末、事故死。


(……でも、あの頃には戻れないし、戻りたくもない)


(わたしは、ここで――あなたのそばで、ちゃんと“見て”るから)


(……それに、ルナリアさんのこと――ちょっと、いや、だいぶ好きですしね)


(でも、『覚悟を決めようと思う』って言ってたラファエル王子の顔も――

 忘れられないんだよね……)


(それにしても、ルナリアさん。

 二人の王子から思ってもらえるなんて、なんて贅沢な悩み!

 さすがは完璧美少女……)


(ゆっくりと見守っていこう。

 ルナリアさんと二人の王子。

 そして、あの春の庭園での約束は――誰とのものなのか。

 そして、その行方も)


そのとき――

ルナリアの寝返りで、布が小さくこすれる音がした。


まひるは反射的に声をひそめるように、そっと微笑んだ。


(……おやすみなさい、ルナリアさん)


(大丈夫。わたしも、あなたとずっと一緒だから)


……しんみり。


……って、ちょっと待って!?


(……はい、知ってた。これ勝手にチームのKPI決められて“強制連帯責任”ってやつですね)


(まあいいか。社畜時代に比べれば……バディも最高だし、シャトーブリアンも最高!だしね。てへ)


(それでは、社畜・佐倉まひる、引き続き、破滅フラグは順次対応させて頂きます!!)


そしてその想いは、心の奥に小さく灯った決意となって――

星の光と、夜風に紛れて、静かに部屋に溶けていった。

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