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第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑪

聖都セレスティア

カンティーユの丘

レストラン《ル・ミロワール》


――テラスが見える店内の奥。


食事を終えたミレーヌとレイモンドは静かに紅茶を傾けていた。

テーブルには、ティーカップと白い皿にころころとしたグージェールの小さな山。


指先に乗るほどのグージェールをひとつつまみ、口元に運ぶ。

すると、焼きたての香りに、仄かなチーズの風味が漂った。


ミレーヌは、正面に座るレイモンドとは特に言葉を交わすこともなく――

背筋を伸ばしたまま窓の外をぼんやりと眺めていた。


レース越しに見える主は、いつになく穏やかな顔をしている。

遠くて会話の内容までは聞こえない――

けれど、その表情の変化は、仕えてきた濃密な日々が教えてくれた。


「……はあ。まったく……」


誰に聞かせるでもなく、ミレーヌはカップの縁に目を落として呟く。


一方、レイモンドはテラスを見つめながら、静かに紅茶を傾けている。


「殿下の“おもてなし”もたいがいですけれど……

 ……その……まあ、あんな顔、見せられたら舞い上がらない方がどうかしてますわね。

 ……もう、見せつけられる方の身にもなってほしいですわ!」


「……ほんと、ちょろいですわ、お嬢様。

 殿方とふたりでお食事なんて、はじめてのことですのに……」


頬をわずかに染め、胸元で手を握りながら、ほんの少しだけ目を伏せる。


「あんなに照れて、笑って――

 もう、こうなったらどうにでもなれ、ですわ」


そして、グージェールをひとつ、ぽんと口に放り込む。


「……このパンの方が、よほど手強いですね。

 お嬢様の理性なんて、もうひと口でふわふわに溶けてますもの」


その声音はいつもの毒舌でありながら、どこかやさしく、あきらめの色を含んでいた。


「……ミレーヌなら、最低百回は引っ張り回しますね。

 おいしいものも贈り物も、ぜんぶ有難く頂いてから――はい、掌返し。が定石ですの。

 お嬢様ときたら、開始三手で陥落だなんて……おかわいそうに」


その発言に、レイモンドが目を見開き――銀縁眼鏡が少しズレた。


けれど、ミレーヌは何のその。

カップに口をつけると、ふう、と小さく息を吐いた。


「……ほんの少しだけ、“氷の百合”と呼ばれていた頃が懐かしく思える時もありますけど…。

 ま、止めても無駄ですね。……止めて聞いてくださるものなら、止めますが」


「でも、お嬢様……それで済むほど、世の中はお優しくないかもしれませんよ……」


「とにかく、今後のためにも、帰ったらお説教ですわ!」


拳を握るミレーヌに、レイモンドは何も言わず、手元のティーカップにそっと口をつけた。

そのまま、ずれた銀縁眼鏡を指先で直すと――視線をゆっくりとテラスの方へ戻した。


紅く染まるレースの向こう――夕陽の中で微笑む主の姿が、やわらかく揺れていた。



レストラン《ル・ミロワール》


――テラス席。


軽やかなやりとりが続いているうちに、いつのまにか、時間はゆっくりと流れ――

食事の皿が下げられ、グラスに注がれた“葡萄茶”の甘やかな香りが、そよ風にほのかに混じっていく。


空はすっかり藍に染まり、遠く街の灯が星のようにまたたき、空には三つの月が昇っていた。

テラスの天幕には、小さなランタンが灯され――そのほのかな橙が、二人の影をゆるやかに揺らす。


ルナリアは、グラスを持った手を軽く揺らしながら、静かに目を伏せた。

軽やかだった言葉のやり取りが、まだ空気のどこかに残っていて――

名残惜しい笑みが、ふと口元に浮かぶ。


けれど、胸の奥に残っていたその名残も、ゆっくりと静けさに溶けていった。


「……良い眺めですわね」


ルナリアがぽつりと呟いた。


「ああ。昼間とは、まるで違う顔を見せてくれる」


「街の光が、星のように見えるのは、なぜかしら……

 あの一つ一つに、人々の暮らしがあって……近くて、でも果てしなく遠くも感じますわ……」


アルフォンスは、その横顔にそっと目を向けた。

ルナリアの沈むように静かな声音――

けれど、その言葉の奥にある感情は、はっきりと伝わっていた。


「遠く見えるのは……ルナが、それだけ真剣に見ようとしているから、じゃないかな」


ルナリアは、ゆっくりと彼の方を見た。


「……?」


アルフォンスは静かに言った。

視線は遠くの灯ではなく、目の前の彼女に向いていた。


「本当に遠いものは、最初から気にも留めない。

 見つめて、届かないと思って……それでも気にかける。

 それはもう、誰よりも“近く”にいる証なんだと思うよ」


ルナリアは言葉を探しかけて、やめた。


手元のグラスを持つ指先に、かすかに揺れが走る。

心のどこかが、不意に触れられたような、そんな感覚。


仮面ではない、自分でも気づかなかった心の奥を――

今、そっと掬い上げられたような気がしていた。


ルナリアは、置いたグラスの縁を指でなぞるようにして、そっと視線を落とした。


アルフォンスは、まるで見透かしたように――

しかし穏やかに笑って、ナイフとフォークを静かに置いた。


「視察の締めにしては、少し贅沢すぎたかな」


ルナリアは、わずかに目元を緩めながらグラスを傾け、静かに一口。


「まあ……けれど、ちゃんと視察の振り返りもしましてよ。

 街の光のひとつひとつが、今夜は特別に思えましたわ」


「……それは、何よりだ。君がそう感じてくれたのなら」


アルフォンスは、その言葉にほっとしたように小さく息を吐き、

グラスに手を伸ばしたが、手に取らずにそっと置き直した。


「お料理も景色も、そして――このあなたとの時間も。

 たいへん贅沢で……とても、嬉しかったですわ。……ありがとう、アル」


その一言に、アルフォンスは一瞬だけ目を見開き、

そして――ふっと柔らかく笑みを浮かべた。

まるで、大切な何かをそっと胸にしまうように、視線を落とす。


「……君のその言葉が、今夜いちばんのご褒美だよ」


それは、ディナーの終わりを告げる、穏やかで優しいひと言だった。

けれど――どこか言葉にできなかった痛みと、ついさっき触れたばかりのぬくもりが、胸の奥でひとつになった気がした。

そして、なぜ、今夜なのだろう――そんな問いが、胸の奥に静かに浮かんだ。


「……ねえ、ルナ」


アルフォンスの声が、今度はひどく穏やかに響いた。


「君に、ひとつだけ……話しておきたいことがあるんだ」


ルナリアは、そっと息をのんだ。

そして、こくりと、小さく頷く。

胸元のペンダントが僅かに揺れると、ランタンの光を受け、仄かに光った。



レストラン《ル・ミロワール》


――奥の特等席。


「しっ……! 目を合わせないで。今、入ってきたの……ルナリア様と……」

「まさか。あ、あの金髪……第二王子殿下ですわっ……!?」

「ちょっと待って、聞いてませんわよ!? この席、二ヶ月前から予約してたのに!」


テーブルに並ぶのは、極上のシャトーブリアンと希少な白金紅茶。

それらを前に、例の令嬢三人組はピクリとも動けずにいた。


「……よりによって、この日に限って殿下とルナリア様が……もしかして、“お忍びデート”ですの?」

「でも、兄の婚約者と弟って、ふつうに家族なんじゃ……?」

「あなた、バカですの? “あの距離感”、家族ならむしろ不自然ですわ――!」


「しかも今、ルナリア様のカップに……あ、ああっ、お注ぎになった……!」

「し、視線が交わって……微笑み合って……っ、きゃあああっ!」

「いけませんっ、見ては――でも、見たいっ!」


令嬢たちは、耳まで真っ赤になりながら――

背もたれを限界まで深く使い、そっと視線だけで状況を確認し合う。


「……あちらが“お忍び”なら、なんでわたくしたちがこんなに小さくなっているのかしら?」

「わたくし、このテーブル予約するために、どれだけ父様を説得したと……」

「ええ……なのに今は、わたくしたちが“背景”ですのね……」


そして、ふたたび小さなさざ波のように、三人の視線が揺れる。


「うーん、でも家族じゃないなら、少しまずいんじゃ……?」

「よろしくて? 貴族の矜持にかけて、この秘密はわたくしたちの胸にだけ留めておきましょう」

「ええ、然るべき時までは。特にエミリー・フローレンスには内緒ですわ」


「ふふ……これで一歩リードですわね!」


そして、真剣な眼差しでこくりと頷き合う。


三人は、勝手に“同業者”と思い込んでいる平民特待生――

エミリー・フローレンスの顔を思い浮かべながら、

「ルナリア様の秘密をひとつ多く知ってる私たちって、ちょっと勝ち組では?」

とでも言いたげに、ささやかな優越感に浸っていた。


そして、揃って姿勢を低くして、ナイフとフォークを構え直した。


目の前のハイランド産シャトーブリアンは、

この日もすばらしい焼き加減で、その香りは最高に香ばしく――すっかり冷めていた。

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