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第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑩

聖都セレスティア

カンティーユの丘

レストラン《ル・ミロワール》・テラス席


高台から見下ろす聖都の街並みは、ちょうど夕焼けの中に沈みゆく頃。

春の風がテラスを通り抜け、茜色に染められた白いカーテンをそっと揺らしている。


遠くには、暮れなずむ空を背にした聖都の尖塔群がゆらめき、

淡い夕暮れの光を受けた湖面が、鏡のようにきらめいていた。


夕焼けの茜色が銀の食器に反射し、柔らかく揺れている。


二人の前には、温かい湯気を立てるスープが置かれていた。

その傍らに、新たに運ばれてきた“今日の一皿”が静かに置かれ、香ばしい香りがふわりと漂った。


牛フィレ肉のソテー。

その焼き目は香ばしく、美しささえ感じられた。ひとたびナイフを入れれば――

中心にわずかに残された赤が、絶妙な火入れを物語っていた。


ソースは深いルビーのような赤。

赤ワインにベリーを煮詰めた、甘さと酸味が溶け合う香りがそっと鼻先をくすぐる。


アルフォンスは、ナイフとフォークを静かに取り、

肉の断面を確かめながら、一口を丁寧に口へ運んだ。


「……文句なしの焼き加減ですね。柔らかくて、香りも豊かで」


その呟きには、ほんのかすかに過去を思わせる感慨が滲んでいた。


ふと頷いた彼の様子に呼応するように、厨房から白衣の男が現れる。


若いが、どこか自信と誇りをまとった立ち姿。

一瞬、彼とアルフォンスの視線が交わったが――

その口元には、礼儀に徹した料理人の静かな矜持がにじんでいた。


「お口に合いましたようで、光栄です。

 本日は”特別に”ご予約を賜り、誠にありがとうございます。

 素材も、発酵豆粕と香草を加えた特別な飼料で育てた、ハイランド産シャトーブリアンを――」


「まあ、ハイランド産ですのね。どおりで懐かしい香りがしましたわ」


ルナリアが少し目を見開き、穏やかな声を返す。

料理への関心というより、その背後にある“意図”を見透かしたかのように。


「はい。完熟の赤身に併せて、赤ワインを煮詰めたソースにアルデン産のラズベリーを少々。

 少し酸味を残したソースで、果実感を引き立ててございます」


ルナリアは静かにフォークを手にし、一口。

その瞬間、目を伏せ、淡く微笑んだ。


その笑みには、言葉にしきれぬ余韻と、胸の奥にほどけるような温もりが宿っている。


「……余計なことは言いませんけれど。

 この一皿のために、また来たくなってしまいますわね」


「それは、料理人として何よりのお言葉です」


シェフが恭しく一礼すると、足音も立てず厨房へと戻っていった。


その背中を見送りながら、アルフォンスがふっと目を細める。


「君にと思ってね。ご実家の味……懐かしさ、感じてもらえたなら嬉しいよ」


柔らかな声音と笑み。だがその裏に、用意された舞台の匂いがする。

ルナリアは目の奥に僅かな探りを浮かべ、フォークを握り直す。


「アル、あなたはどこまで仕込んでるのかしら?」


「……偶然と言ったら、都合が良すぎるかな?」


スープをひとすくいしながら、アルフォンスはさらりと返した。

その横顔には、悪びれる気配すらない。


『“いっとけステーキ”で「今日は贅沢しちゃった〜!」って言ってた自分……

 今、正直、あまりのおいしさに泣いてます……!』


まひるの素直な感動が、ルナリアの胸の奥で小さく響いた。



食事が進み、二人の間に、また静けさが戻る――

けれど、それは気まずさではなく、心地よい余韻の静寂だった。


「……まあ。こんなに素敵な場所を、あなたがお選びになるなんて――少し、意外でしたわ」


ルナリアは、控えめにスープをすくいながら言った。


「僕なりに、いろいろ研究したつもりだよ。

 ……たとえば、“ご婦人と巡りたい名所百選”なんて本を、こっそり取り寄せたりしてね」


アルフォンスは肩をすくめ、どこか照れ隠しの笑みを浮かべる。


「……まさか、そのような書物が本当にありますの?」


ルナリアは少しだけ眉を寄せて尋ねた。


「あるとも。しかも巻末に特別付録の“名所で役に立つ会話集”つき」


「まあ……とても勉強熱心でいらっしゃるようですけれど。

 そのご本、すでに実証済ということかしら?」


「もちろん……」


アルフォンスは苦笑し、髪に手をやりながら一瞬だけ間を置いた。


「たった今、ルナと一緒に実証中さ」


ルナリアは、そっとカップを置くと――

一拍の沈黙のあと、まるで何でもないような顔で、さらりと続けた。


「信じられませんわ。……最近は“学院のご友人”も、ずいぶんと増えていらっしゃるご様子ですし」


その声音は落ち着いていたが、

ほんの一瞬だけ、目が合ったアルフォンスから視線を逸らす仕草が――

どこか不自然に、優雅すぎた。


ふと視線を落とし、アルフォンスはカップを持ち直した。

何も言わず――けれど、わずかに唇の端が上がっていた。


「……で、一番の傑作はその本の著者なんだ。

 実はこの人が著者じゃなかったら読んでなかったかも」


「ルナは誰だと思う?」


目を細めたアルフォンスが続ける。


「僕たちの知ってる人。学院の……地理の教諭、といえば?」


「……まさか……エリオット先生ですの!?」


ルナリアは思わず目を見開き、珍しく声のトーンが上がる。


「あの方が、そんな……?」


「ご名答。しかも序文から大真面目。

 “本書は実地調査に基づいた地理文化研究の成果である”って」


「ふふ……先生が、“実地調査”を、ですの……?」


ルナリアは、口元にそっと指を添え、くすくすと笑いをこらえる。


「二番目の傑作は、第六章の“標高差と二人の相性の相関性”。

 “標高差と国民性”のあの講義、ほとんどこの本のまんまだったんだ」


「あら……つまりわたくしは今夜、“地理的に相性のいい標高”に連れてこられたということですの?」


「そうなるかな。学術的にも……君にとって、いちばん眺めのいい場所のはずさ」


ルナリアは、ひとしきり笑ったあと――ふと、湖の向こうを見やるように顔を向けた。


けれど、その視線の先には、アルフォンスの横顔があった。

頬に柔らかに差す茜色の光、光を含んだ金の髪が青い瞳を彩るように揺れていた。


(……こんなに、まっすぐな目をする人だったかしら)


言葉にはならないまま、そのまなざしに、つい――見とれてしまう。


「……ルナ?」


呼ばれて、我に返る。


「っ……いえ。なんでも、ありませんわ」


すると――すかさず、まひるが「ふっふー」と言って語り掛ける。


『ねえルナリアさん、“景色”じゃなくて、“王子様のほう”の眺めの感想は~?』


(ちょ、ちょっと……まひるさん、からかうのはおやめなさいな)


慌てるようにカップを手に取り――

頬を夕陽に染めながら、そっと紅茶をひと口含む。


(……胸の奥が、ずっと張りつめていたことに――今になって、ようやく気づきましたの。

 けれど、このひとときが……それをやさしくほどいてくれたようで)

※最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
夕暮れの描写と料理の香りが、文字越しに伝わってくるようでした……! ルナリアの心の揺れやまひるさんの合いの手も、やさしくて面白くて、読んでいてとても幸せな気持ちになれました。 どんどん作品に引き込まれ…
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