第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑨
聖都セレスティア
セレスティア内湖・東湖畔
――水辺を歩くルナリアの中で、まひるは静かに思った。
前夜までは、考えもしなかった。
まさか……あの第二王子と――波打ち際で、手をつなぐことになるなんて。
(これもう……完璧にイベントCG出てますよね!?)
(つまり……第二王子ルートに入ったと……えっ? えーっ)
(……よし、まず元社畜らしく冷静になろう。
うん、今仕事中です。視察です。視察だからセーフ……だよね?)
そして、伝わる。
その胸の静かな高鳴り。
指先から伝わる王子のあたたかさ。
そして、ルナリアのおだやかで満たされた気持ち。
(……ルナリアさんのこの気持ちに、名前をつけるのは――わたしの役目じゃないのかもしれない)
(でも、たしかに――もう、始まってしまった気がする)
本当は、もう分かってる。
景色や表情、音や香り、そして感情や鼓動までも――全部、伝わってくる。
嬉しい気持ちも、照れた声も。仮面が溶けていく“怖さ”さえも。
それらすべてが、わたしの中に、そっと流れ込んでくる。
(……でも、それって……いいの?)
(ルナリアさんは、ラファエル王太子の婚約者で……)
(しかも婚約者以外とのルートって、無理ゲーどころかバッドエンド直行では……!?)
(このまま進んだら……本当に“破滅ルート”かもしれないのに……)
だけど。
(それでも、応援したいって思っちゃうのは……)
(今、こうして笑ってるルナリアさんが、わたしの知ってるどのルナリアさんより幸せそうだから)
どうしたらいいか分からない。
分からないけど――
(……この人は“悪役令嬢”なんかじゃない。ただの“役割”で終わらせていい人じゃない)
(だから……この先に“破滅フラグ”があるとしても――)
(うん、それってイレギュラー対応ってことですよね!?)
(それなら、ワンオペでも、共同作業でも――
社畜は慣れてますんで……たぶん、どうにかなる!)
*
少し離れた木陰で、ミレーヌ・アルヴェールは、そっと小さく息を吐いた。
風が吹くたび、茶のツインテールが揺れ、裾が波音と合わせるようにそよぐ。
波打ち際で、寄せる波と戯れるルナリアと、それをそっと見つめるアルフォンス。
「……お嬢様、はしゃぎすぎではございませんか……」
お夕飯どうしましょうか……などと考えていた――次の瞬間。
ミレーヌの表情が凍り付いた。
「…………っ」
静かに、だが確実にミレーヌの眉がぴくりと動く。
ぎり……と、手袋をはめたままの拳がゆっくりと握られた。
「……触れてますわよね? 本当に、堂々と」
その視線の先――
“王子”が、“お嬢様”のお手を取り……。
しかも――まんざらでもないご様子。
思わず、穏やかではない言葉が零れた。
「今のうちに肩を外して差し上げれば、二度とお嬢様のお手を握らずに済むのですが」
「ミレーヌ嬢、抑えたまえ」
隣で静かに歩いていたレイモンドが、さりげない手つきで、そっとミレーヌの肩に手を置いた。
「お嬢様のお気持ちもあるでしょう。
抑えたまえ、抑えたまえ」
ミレーヌは口を尖らせて腕を組む。
「……それでも抑えたら、ふらち者が堂々と歩いているのを見過ごすことになりますわ」
「……抑えたまえ」
「王子でなければ、今ごろ正座で反省文ですわ!」
「……抑えたまえ……」
ふう、と深くため息をつき肩を落とすミレーヌ。
「ええ、抑えますとも。まったく、お嬢様もお嬢様ですわ……!
後できっちりお説教します!」
そう言い放つと、ミレーヌはぷいっと顔をそらし、頬をふくらませた。
レイモンドは静かに一礼し、遠く霞む王城へと視線を泳がせた。
そして、何かを天に委ねるように――静かに空を仰いだ。
***
聖都セレスティア
水路・ゴンドラの上
市民たちの足として日常的に使われる、”ゴンドラ”と呼ばれる船頭が一人で漕ぐ小舟。
湖上の水都であるこの街では、こうした水路の交通手段が、
街の暮らしを支える重要な役割を果たしている。
いわば、水上の馬車のようなものだ。
湖畔での視察を終え、夕暮れの気配が差し始めた水路を、
小舟に揺られながら静かに中心部へと戻っていた。
──水路に沿って、日に焼けた船頭が漕ぐゴンドラがゆるやかに進む。
日が傾きかけ、空は淡い金色に染まりつつあった。
まだ夕方には少し早い。けれど、街の景色には、どこか柔らかな陰影が差し始めていた。
両岸には古い石造りの建物が立ち並び、窓辺には彩り豊かな花々が咲き誇っていた。
聖都の中心部から放射状に延びる運河は、市民たちの生活と文化の営みを静かに映し出している。
ルナリアとアルフォンスは、船尾に並んで腰かけていた。
小舟の揺れは、穏やかで、心地よく――
けれど時折、不意にふわりと傾く。
それはまるで、ふたりの心の奥に生まれた、小さな波紋のようで。
ルナリアは、そっと船べりに視線を落とす。
水面に映る自分の顔が、どこかいつもと違って見えた。
(……いったい、わたくし……)
言葉にはならない想いが、波に溶けて、ゆらりと消えてゆく。
ふたりの間に、言葉はなかった。
小舟が小さく揺れるたび、衣服がわずかに触れ合う。
……ただ、それだけだった。
目を伏せ、じっと掌を見つめる。
まだ、仮初めのぬくもりが、かすかに残っているようで。
ふと、気配を感じ、そっと彼の横顔を見上げた。
岸の灯火を受けて、碧の瞳が揺れている。
彼は正面を見据えたまま、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだように見えた。
それでも、小舟は静かに進む。
ゆらり、ゆらりと――ふたりの胸の内を揺らしながら。
*
川面に反射する光が、天蓋のようにゆらゆらと揺れていた。
水路を渡る橋の一つに差し掛かる頃、その先から白く装飾されたゴンドラが一隻、すべるように下ってきた。
その小舟には、純白の衣装に身を包んだ若いふたり。
気付けば、沿道や橋の上に彼らを祝福する人々の笑顔があふれていた。
沈黙を破るように、ルナリアはアルフォンスを見上げ、語りかける。
「……あれは、式を終えたばかりの御夫婦かしら」
「そうだね。わが国伝統の“祝福の舟”の花道。
橋の上から花を投げて、ふたりの未来に彩りを添えるそうだよ」
アルフォンスの言葉通り、橋の上には、子供たちが集まり――
その手には花びらをいっぱいに抱えていた。
祝福の舟が橋をくぐると、ひらひらと舞い落ちる花吹雪がふたりを包む。
花の帳に抱かれるように、ふたりは幸せそうに笑い合っていた。
歓声と笑顔に包まれて、ふたつの小舟は静かにすれ違っていく。
次の瞬間、橋の上や沿道から声が飛んできた。
「そこの二組さんも、お似合いだよ!」
「おすそわけさ! お幸せに!」
「ねー、あの人たちも結婚したのー?」
「残りのお花、全部あげるー!」
橋の下に差し掛かり、”おすそわけ”の花吹雪が一行の小舟を包んだ。
花吹雪に包まれながら、ルナリアたちの正面に座るミレーヌとレイモンドは顔を見合わせる。
眉を寄せたミレーヌがジト目でレイモンドを睨んだ。
「……え。わたしたちも……?」
「この老骨には、勿体ないことです」
目を細めるレイモンドに、ミレーヌはぷいっとそっぽを向く。
『いやいや、レイモンドさん悪くないから。
生まれるの半世紀早かっただけだって!』
まひるのツッコみに、ルナリアからも笑顔が零れる。
アルフォンスが振り返り、橋の上の子供たちに手を振る。
そして、ルナリアに小声で囁いた。
「……では、今日だけでも、“幸せな夫婦”を演じてみましょうか?」
「あら、それなら――せめて、衣装ぐらいは合わせていただきたかったですわ」
ふたりは思わず、顔を見合わせて笑い合った。
ふと、ルナリアは手を伸ばし――
アルフォンスのキャスケット帽にひらりと落ちた花びらを一枚、そっと摘まみとる。
その仕草に、アルフォンスは思わず見入った。
「……まるで、本当にわたくしたちが祝福されたみたいですわね」
ルナリアは、摘まんだ花びらを掌に載せ――そっと微笑んだ。
その小さな掌と花びらを見つめながら――
アルフォンスは、とても小さな声で、でもはっきりと呟いた。
「……僕は……“夢”では終わらせない……」
歓声に溶けて消えかけながらも――その声は、たしかにルナリアの胸に届いていた。
はっとして彼を見上げる。
だが、アルフォンスは何も言わず、ただどこか遠くを見据えて、微笑んでいた。
その微笑みに戸惑うように、ルナリアはほんの一瞬、目を伏せる。
……と、風がそっと吹き抜けた。
ふわりと掌から花びらが舞い上がる。
ルナリアは軽く目を細め、片手をすっと伸ばす。
花びらは指先をすり抜け、風に乗って空へと舞い上がった。
誘われるように、ルナリアの視線がゆるやかに花びらを追う。
そのとき――
何気なく椅子にそっと添えたもう片方の手。
その指に、ふと――小さなあたたかさが重なった。
交わす言葉も、目線もない。けれど、たしかに感じる小さなぬくもり。
ルナリアは、一瞬だけまばたきをすると――
何も言わずに夕空に消えてゆく花びらを目で追った。
歓声の名残が遠ざかり、残されたのは花の香りと、ふたりを包む静けさ。
ただ、小指だけがそっと繋がれ――小さなぬくもりだけが、そこにあった。
舞い散った花びらは、やがて静かに、湖面へと溶けるように落ちていった。
――まるで、今のふたりの心のように。
その時、アルフォンスがふと口を開いた。
「ルナ……。このまま、視察を終えて戻るのは……少し、惜しい気がしませんか?」
「……?」
ルナリアが首を傾げると、アルフォンスは柔らかく続けた。
「丘の上に、昔ながらのレストランがあるんです。
水辺を見下ろすテラス席でね。料理も、景色も素晴らしい。
……もし、よければ、ご一緒しませんか?」
あまりに自然な誘い方だった。
それはまるで、公務の延長――視察の一部であるかのように、穏やかに紡がれた提案。
一瞬、ルナリアは戸惑った。
しかし、自然に出た言葉は――
「……わたくしで、よろしければ」
それを聞いたアルフォンスは、ゆっくりと微笑んだ。
「よかった。断られてたら――
レイモンドとしみじみと夜景を眺める羽目になるところだった」
どこか茶目っ気を感じさせるその言い回しに――
レイモンドは頬をほころばせ、
ミレーヌは眉をひそめ、じーっとルナリアを見つめた。
『いやもう、ミレーヌさんの目が完全に「上司に説教したい部下」の目なんですけど』
そんな一行の様子に、ルナリアは、思わず口元を抑えて肩を震わせた。
同時に――頬の内側が、ほんの少しだけ熱くなるのを、止められなかった。
アルフォンスは満足そうにうなずき、船頭に小さく合図を送った。
ゴンドラの針路が静かに変わる。
向かうのは――水都を見下ろす丘の方角。
夕暮れに染まる空と、水辺のきらめきが、ふたりを静かに導いていく。
その場所で、ふたりの記憶に残る――かけがえのない時間が、静かに始まろうとしていた。
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