第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑦
聖都セレスティア
城下町・職人街
商人街を抜け、通りの傾斜がわずかに強くなる。
石畳の色合いも少しずつ変わり、乾いた鉄の匂いや、削られた木の香りが風に混じりはじめた。
トン、カン、カン……。
遠くから響くのは、金槌で鉄を打つ音。
職人たちの手仕事が生み出すリズムが、街の鼓動のように流れている。
建物の壁には、土色や煉瓦色が目立つ。
扉の横に吊るされた看板の多くは、木製や金属製の彫刻。
実用的で飾り気はないが、どれも丁寧な作りで、どこか誇らしげだった。
そして、職人街の脇道に差しかかる頃――
石造りの階段の上から、子どもたちの声が跳ねるように響いてきた。
「……ルナリア様! お許しを!」
その名が、階段の上から飛んできた瞬間――
ルナリアの足が、ぴたりと止まる。
少し後ろで歩いていたアルフォンスとミレーヌも、わずかに顔を上げた。
『ん? 今、“ルナリア様”って――え、待って、本人いますけど!?』
ルナリアも、ほんの一瞬だけ足を止めて、階段を見上げた。
アルフォンスも小さく眉を上げ、ミレーヌは無言で眉根を寄せる。
階段の上では、七、八人の子どもたちが遊んでいる。
それぞれ、思い思いの役を演じ、”ごっこ遊び”をしているようだった。
ルナリア様役らしい少女が、棒切れを握り締め、中央に立つ。
「いい? お前が王子! でもルナリア様には逆らっちゃダメ!」
「は? なんでだよ。王子の方が偉いんじゃねーの?」
「バカ! ルナリア様は“この国で一番こわくてきれいな人”なんだから、王子もひれ伏すの!」
「……なんだよその設定。 僕は王子様なんだぞ!」
「だめ! それがセレスティアのルールなの!」
『……あの、今さらだけど、この国ってそんな国でしたっけ!?』
『ていうかあの王子、ルールに不満言ってる……え、アルフォンス様ですか?』
「そこの罪人を捕らえよ! わたくしの“きらきらステッキ”で、お仕置きですわ!」
「御意っ!」
『いやいやいや、“きらきらステッキ”って……なにその武器!? 魔法少女?』
棒を振り回して突撃する騎士役。
捕まった子が大げさに倒れ、石畳の上でバタバタと手足を動かす。
『ていうか、その騎士、棒の振り方が無駄にキマってる……ランスロット様!?』
『……そして、そのへこへこしてる王子役、まさかラファエル様……』
『そこでうちわを口元にあてて頷いてる女の子……絶対シャルロット様です……!?』
「ルナリア様はすべてを見通すのですわ!
言い訳など無意味――この平民に、裁きを!」
「や、やめてー! ぼく、パン盗んだだけですー!」
「だまらっしゃい! この国のパンは、すべてルナリア様のものですのよ!」
『いや、このルナリア様、どんだけ強欲設定!?』
ルナリアは、階段の下で立ち止まったまま、その光景を、眉をひそめて見上げている。
「お嬢様、そろそろ参りましょう」
ミレーヌが一歩踏み出すと、そっと促した。けれど――
「いえ、もう少しだけ……」
ルナリアはじっと、その紫の瞳を少女たちに向けたまま呟いた。
その時――
「……登れないの……。こわい。たかくて……」
小さな子が階段の途中で立ちすくんでいた。
ルナリア様役の少女が、ふっと真顔になる。
「緊急事態ですわ! この罪人の罪は不問といたしますわ!」
「やったー!」
罪人役の子が両手を挙げて小躍りする。
満足そうに頷くと、ルナリア様役の少女は、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「……そこの小さき者、よいでしょう。特別に、わたくしが、お運びいたしますわ」
少女はしゃがみ、小さな子を背中におぶうと、ぐいっと立ち上がる。
「重くなんてありませんわ! 民に手を差し伸べるのも、わたくしの務めですもの!」
「さ、さすがルナリア様ー!」
「騎士団、道を開けよ!」
「御意っ!」
なぜか王子役も王女役も道を空け、その間を小さい子をおぶった少女が一歩一歩、石段を登っていく。
その光景に、ルナリアは目を細めた。
――ぱち、ぱち、ぱち。
ルナリアは、ふとその音の主、隣のアルフォンスを見上げた。
帽子のつばの下、春の光を受けた癖のある金の髪が光を含み、風にそよいで揺れている。
モーブグレーの外套がわずかに揺れ、その手元から、柔らかな音だけが生まれていた。
なぜだか分からない。ただ、不思議と、その横顔から目が離せなかった。
(……ほんとうに、不思議な方……)
声も言葉もないのに、温かさだけが伝わってくる。
ただ拍手をしているだけのはずなのに――
見上げていた時間が、ほんの一瞬だったのか、それとも永遠だったのか。
ルナリアには、一瞬分からなかった。
そして――ふと、笑った。
それは誰に見せるものでもなく――
ただ、胸の奥にふわりと灯った感情が、こぼれ落ちたような笑みだった。
――自然に、笑えた気がした。
微笑みを“作る”ことはできても、“こぼれる”ことはなかった――これまでは。
それは誰に見せるでもない、ただ心からこぼれた、音のない“しるし”。
けれどその笑みは、はっきりと――
今までとは、違っていた。
――仮面が……溶けてゆく――。
ルナリア自身が、驚いてしまうほど自然に。
まだ、ほんの少し。でも、確実に。
それは、自らの境界線が、音もなく滲んでいくような感覚。
そのとき――アルフォンスが、微笑みながら、そっと彼女を見やる。
紫と碧――
まるで別々の季節の色が、そこで静かに交差していた。
風に揺れた金の髪越しに、帽子の影の奥の碧い瞳――。
(……なぜ、そんな瞳でわたくしを……)
見透かされているようで、包まれているようで。
どちらともつかない眼差しに、胸の奥が、きゅっと小さく鳴った。
それは、ふたりだけの誰にも気づかれない、ささやかな奇跡だった。
そして――
その姿に倣うように、ミレーヌも、レイモンドも――自然と手を叩いていた。
少し遅れて、ルナリアも拍手の輪に加わる。
子どもたちが演じたのは、稚拙な物語だったかもしれない。
けれど、その拍手は――まぎれもなく、心からのものだった。
ミレーヌは、拍手を送りながら、アルフォンスの横顔を一瞥し――
(……不覚にも、ちょっとだけ王子らしく見えましたわ。気のせいですけど)
そして小さく、ため息ひとつ。
(……お嬢様が、笑っておられるから、まあ……良しとしましょう……)
ミレーヌがほんのりと微笑むのを見たレイモンドが目を細める。
拍手に気づいた子どもたちが、いっせいに振り返り――
そして、階段を登る少女を囲む子供たちも、満面の笑顔で拍手を送った。
ルナリア様役の少女は、全身で拍手を浴びながら階段の一番上で背中の子をそっと下ろし――
誇らしげに、胸を張る。
けれどその目元には、くすぐったそうな笑みが浮かんでいた。
「……ねぇ、あれ誰?」
「たびびとさん? でも、なんかかっこよくない?」
「あのお姉さんも、すっごくきれい……ルナリア様みたい……」
「バカ、本物がこんなとこ来るわけないだろ!」
「……でも、あのお姉さんのほうが、ちょっとやさしそう……」
「たぶん、役者さんじゃない? 旅芸人さんとか……?」
「へへーん、でも今日のルナリア様は、わたしだから!」
そう言って、一回転。
少女のスカートがふわりと広がり、
太陽の下、“きらきらステッキ”を高く掲げたその姿は――
どこか、本物よりもずっと、無敵で自由な“ルナリア様”だった。
その姿に、またひとしきり拍手と笑い声が湧き上がる。
「……どうやら、子どもたちのほうが――よほど素直だ」
「これまで見たどの舞台よりも……素晴らしい演劇だった」
「……そして、今の”ルナ”も……思っていたより、ずっと綺麗な音だった」
「――できることなら、もっと……君の傍で聴いていたい」
隣に立つアルフォンスが、ふと呟き、ルナリアの瞳がわずかに揺れ――目を伏せる。
陽の光に照らされたその頬は、ほんのりと朱に染まっているようだった。
すると、ミレーヌが涼しい顔で言う。
「花壇にダイブ、の成果ですね、お嬢様?」
「あら、ミレーヌ。 それは……皮肉かしら?」
「いえ。洗濯の甲斐があったということです」
「ふふ……
あの日の土は、意外とあたたかくて……
……心を洗いましたわ」
『うわ、今の……今の返し……完璧でした……!』
『泣き笑いって、こういうときに使う言葉なんですね……!』
四人とまひるの間におだやかな時間が流れる――。
「そろそろ、参りましょうか。間もなく湖畔です」
ミレーヌが言うと、アルフォンスが、もう次の遊びを始めた子供たちに手を振り、四人は坂道を下り始めた。
ルナリアは、そっと視線を前へ戻す。
石段で囲まれた職人たちの街は、なおもリズムを刻み続けていた。
トン、カン、カン……。
小さな演劇が幕を閉じても、街の鼓動は止まらない。
――ええ……。わたくしもくすぐったくて……そう、泣き笑い……ですわ。
まひるの呟きを胸に、ルナリアはふわりと微笑んだ。
それは、春の風のようにやわらかく――けれど確かに、“今”を吹き抜けていった笑みだった。
「……内湖が見えてきました」
ミレーヌの声に、ふと目を上げる。
緩やかな坂の先、木々の合間から――
きらめく湖面が、静かに果てをほどいていた。
広大な湖の遥か向こう、対岸から見れば――
まるで天に透けるような白い都の輪郭が、蜃気楼のように姿を現すという。
それが、セレスティア内湖。
そしてその中心の島に、水面に浮かぶように築かれた白き都――聖都セレスティア。
サクラ・プリッシマ・アルバ・セレスティアーー
「天上に捧げられし、最も清らかなる白の聖都」。
千年王国セレスティア神聖国の心臓にして、魂の在処と讃えられる地。
……四人は今、静かにその門前へと差し掛かっていた。
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