表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/197

第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード⑥

聖都セレスティア・城下町

スカーレ通り


――午後の視察。


カフェ《ラ・シュエット》を後にすると、丁度陽が天頂に達していた。

通りにまぶしい光が差し込み、街路樹の葉がきらめく影を落とす中、石畳の一つひとつが陽光を受けて淡く輝く。


ミレーヌがさりげなく前に出て、ルナリアの方へと振り返った。

栗色のツインテールが風に揺れ、陽にきらめきながら弧を描く。


「午後のご予定ですが、このまま商人街を抜けて湖畔に下り、水辺の市を回ります。

 その後、水路で中心部へ戻る――という流れでよろしいでしょうか?」


「ええ。それでお願いするわ。湖面の景色も、久しぶりに見たくなりましたもの」


ルナリアが頷くと、ミレーヌはレースの施された日傘を差し出した。


「いいえ、今日は、そうですわね……“ただの町娘”ですから」


そう言いながら、ルナリアはほんの少しだけ、視線を横に流した。


ミレーヌは無言で頷き――わずかに眉をひそめて日傘を仕舞うと、手を差し出す。


「では、こちらへ」


すると、背後で控えていたアルフォンスが、さりげなく歩み出た。

まるで最初からそうあるべきだったかのように、ルナリアと並び――そっと、声を掛けた。


「では、ルナ、よろしく」


「ええ、参りましょう。アル」


そして、ふたりは自然に歩き出す。


肩が触れるほど近くはなく、けれど離れすぎてもいない――。


午後の陽射しに照らされて、キャスケット帽の下の癖のある金髪がやわらかく光る。

その隣には、低くまとめた銀混じりの金髪。

異なる色彩の衣が、静かに並んで揺れていた。


それはまるで、静かな劇場の舞台に浮かび上がるワンシーンのように――

穏やかで、どこか非現実的な光景だった。


……“今だけ”許された一幕。


指先が触れた瞬間、消えてしまいそうな――

けれど、それは“必然”ではなかった。

選ばれたからこそ生まれた、ひどく儚い奇跡のような時間。


そんな二人の背を見つめながら、ミレーヌはふとつぶやいた。


「……今日はやけに素直でいらっしゃいますね。

 あの調子で湖に落ちなきゃいいんですが」


レイモンドが僅かに眉をひそめたのが、ミレーヌの視界に入る。


「ふふ、失礼。でもご心配なく。

 湖の底からでも、おふたりまとめて回収いたしますので」


すると、レイモンドは目を細めて微笑み、

ミレーヌに歩幅を合わせるように、静かに歩き出した。


彼らの足音だけが、石畳の上にやさしく響き、残り香のように消えて行く。


やがて、“水の都”とも呼ばれるこの街の真価が、午後の光に満たされながら――

少しずつ、その輪郭を露わにしていく。


――その裏では、視察の記録に残らない会話が、ルナリアの心の中で交わされていた。


『……うん。これはもう、”完全”にデートです』


(いいえ、”完璧”に視察ですわ……)


***


スカーレ通りを下り、商人街に差し掛かった。


銀細工屋、織物店、香料店、茶葉店、ガラス細工店――

アルフォンスは、どの店でも店主の信頼をたやすく引き出し、

“旅の記憶”を織り交ぜながら、本物の”旅人”のようにさりげなく話の核心へと踏み込んでいく。


「ああ、ここの香料……南方の交易市で似た香りを嗅いだことがある。とても澄んだ香りだった」


それは威圧でも誇示でもなく、ただ静かに、相手の誇りに耳を傾けるような態度だった。

学院に来るまで各地を巡っていたという“外遊”王子の顔が、ここで初めて――

ルナリアの目にもはっきりと映った。



そんな中、ひときわこうばしい香りが、風に乗って甘やかに漂ってくる。

焼きたてのフィナンシェを並べた菓子店の前で、まひるの声がふわりと響いた。


『ルナリアさん……スイーツ巡りはもう諦めてますけど……あ、あれだけ……だめ、かな?』


(……仕方のない人ですわね)


――ミレーヌから包みを受け取ると、ルナリアはアルフォンスと並んで、店先のベンチに腰掛けた。


ルナリアは焼きたてのフィナンシェを、そっと半分に折る。

甘い香りがふわりと広がり、ひとかけを口元へ運ぶと、

アルフォンスも静かに手を伸ばし、残りのひとかけを頬張った。


『……うぅ、外はさっくり、中はふんわり……バターとアーモンドの香りが、もう罪です……!』


まひるの心が、静かに満たされていくのを感じながら、ルナリアはそっと目を伏せた。


ルナリアとアルフォンスは言葉こそ交わさなかった。

けれど、陽だまりの中に流れるその沈黙は、どこか柔らかい。

王子と令嬢。けれど今の彼らは、それ以上の“何か”にも見えた――。


木陰に控えていたミレーヌが、フィナンシェをひとかじり。

ひとつ息をついて、ぼそりと呟く。


「……これは、本格的に準備運動しておく必要がありそうですね」


その隣で、レイモンドがふっと苦笑を漏らす。


陽だまりのベンチの、小さな午後のひととき。


視察の名を借りたこのささやかな旅に――

焼き菓子のやわらかな甘さが、午後の空気に、そっと温度を添えていた。


***


陽射しの熱が少し和らいだころ、小麦問屋の前――。

袋の姿はなく、値札だけが風に揺れていた。


「……やっぱり、想像以上ね」


ルナリアがぽつりと漏らした。視線の先には、品切れを告げる札と、がらんとした棚。


「仲買の段階で止まっている。問屋にすら降りていないとは……。

 庶民の台所にも、もうすぐ影響が出そうだね」


アルフォンスも、隣で淡々と現実を読み取っていた。


「備蓄の放出と……仲買からの直接買い上げ。

 それと、雑穀や根菜を“選択肢”として提案するのが現実的でしょうね」


歩き出した二人。

そう言いながらも、ルナリアの表情はわずかに曇る。


「ただ、それで“安心できるか”は別の問題ですわ」


「そうだね。人は、“変わること”に、不安を覚えるものだ」


アルフォンスの問いに、ルナリアはわずかに息を吐いた。


「まずは、“私たち”が選ぶこと。

 王族や貴族が口にする姿を見せれば、少しずつ“当たり前”になっていくはずですわ」


その言葉に、アルフォンスはふと目を細め、彼女をじっと見つめる。


「……王宮では、君の書いたメモを外すと恥をかくって噂もあるくらいだ。

 畜産案のときなんて、何人も冷や汗をかいていた。 覚えてる?」


「――あら。わたくしは“当たり前のこと”を書いただけですのに」


くす、と笑うルナリア。その笑みは柔らかく、それでいて芯の強さを感じさせた。


「でも、言葉だけでは、人は動きませんわ。

 誰かが先に踏み出して見せなければ、“信じる”ことさえできないのですもの」


その静かな決意に、アルフォンスは微笑を返す。


「……やっぱり、君はすごいね」

「きっと、君のような人こそ――この国を少しずつ、でも確かに動かしていくんだろうね」


ルナリアが微笑んだ――その瞬間だった。


通りの奥から、甲高い車輪の音が石畳を裂き、群衆のざわめきが広がる。


ミレーヌが「お嬢様!」と叫ぶと、すぐさま手を伸ばした。

――けれど、それより一瞬だけ早く。


「っ、危ない!」


アルフォンスが素早くルナリアの肩を抱き寄せる。


次の瞬間、通りの向こうから、荷馬車が唸りを上げて突進してきた。

石畳を削るような轟音を残し、ふたりのすぐ脇を掠めて駆け抜ける。

風圧に煽られて、アルフォンスの外套が大きく翻った。


とっさに踏み込んだ一歩――

気づけば、彼と彼女の体はぴたりと重なり、息が触れ合うほどに近づいていた。


肩を支える手。

そこから伝わる体温と、ごく僅かな震え。


(……近い)


まばたき一つの距離で、彼の横顔が視界を満たす。

胸の奥に、そっと波紋が広がった。


(この距離は……だめ)


言葉にすれば、何かが崩れてしまう。


自分の胸の高鳴りさえ、届いてしまいそうで――

彼女はただ、息を殺すしかなかった。


「……すまない。とっさに……」


「……ええ。助けてくださって、ありがとうございますわ」


離れた指先が、ほんの一瞬だけ留まったように感じた。

その刹那の余韻さえ、彼女にはうまく受け止めきれない。


ふたりの距離が戻る。

けれど、視線だけが、ほんの一瞬だけ交差した。


――それに気づいたのは、どちらだったのだろう。



アルフォンスは、浅く息を吐いた。


指先に残る、かすかな余熱。


(……落ち着け)


触れたのは一瞬。けれど、彼女は確かに少しだけ震えていた。

そして――その温もりに、触れていたいと願った自分がいた。


(……気づかれたか?)


否。そうでないことを祈りながら、

その想いを、黙って胸の奥に押し込める。



『おぉっと!? 肩、行きましたぁ……!』

『やばいやばい! 今、イベントCG来た!』

『これはもう事件ですって! 接近警報、完全に発令です!』

『社畜的にも、即・社内通報案件です!』

『選択肢、出ます? まだ・もっと・もう一回!?』


(……いいえ。これは、安全のため。そう、ただ、それだけのこと……)


視線を逸らしたまま、言い訳を重ねる。

けれど、肩に残るぬくもりと、跳ねた鼓動は――


しばらく、消えなかった。


……お願い。どうか、気づきませんように。



後ろから二人を見やりながら、ミレーヌがつぶやく。


「お助け頂いたことは……感謝はします」

「が……あれはもう、虫、ですね」


「ふふ、ずいぶん手厳しい」


レイモンドが、どこか楽しげに目を細める。


「お嬢様に近づく虫は、早めの駆除が肝心ですから」


「……せめて、花に集う蝶という見立てにしては?」


「……蝶のつもりでも、勝手に寄って来るなら駆除対象です」


「蝶もまた……花が実を結ぶには、必要なものでございますぞ」


レイモンドは、そんな彼女の横顔に目を細めながら、黙って歩調を合わせていた。


夕陽にはまだ早い午後の陽光が、四人の影をすこしだけ延ばす。

誰も言葉を発さぬまま、風がそっと――ルナリアの髪を撫でていった。


やがて、建物の隙間から湖面のきらめきがのぞきはじめ、一行は職人街の石畳へと差し掛かる。


風に乗って届いたのは、子供たちのはしゃぐ声。

陽だまりの中、どこか懐かしい笑い声が、街の空にふわりと溶けていった。

※最後までお読みいただき、ありがとうございました!


もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけると、とても励みになります。

評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます!

皆さまの応援を糧に、これからも毎日更新、がんばってまいります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ