第2話「社畜と聖女と、悪役令嬢の婚約破棄フラグは正ヒロインに託します」 エピソード①
第2話 「社畜と聖女と、悪役令嬢の婚約破棄フラグは正ヒロインに託します」
聖都セレスティア
王立学院・教会の裏手
石畳の小道を抜けた瞬間、ふわりと花の香りが鼻先をかすめた。
手入れの行き届いた庭園には、色とりどりの花々が咲き誇り、
白亜の教会を背景に、まるで絵画の中に迷い込んだような光景が広がっている。
澄み渡る青空、遠く響く鐘の音、そよ風に舞う花びら――
(……うん、これぞ乙女ゲーの理想ロケーションってやつ!)
まひるは思わず胸を高鳴らせながらも、
ふと“社畜魂”がひょっこり顔を出す。
(でもさ……これ、維持管理コストどんだけかかってるんだろ……)
(毎朝の水やりに雑草抜き、花の植え替えだって季節ごとに必要だし……)
(きっと庭師さんたちが血と汗と涙で支えてるんだろうなぁ……お疲れ様です!)
現実的な目線で「裏方の努力」に思いを馳せるのは、元社畜の性。
それでも――。
(いやいや、そういうの考えるのは一旦ストップ!
今は夢の世界を満喫しなきゃ損だよねっ♪)
見るものすべてが乙女ゲーそのもの。
しかも、それがリアルに五感へ押し寄せてくるんだから……。
興奮しないわけがない。
“乙女ゲー”スイッチは、完全フル稼働中である。
そして今、学院の敷地内にある教会の裏手――
静かな祈りの場として整えられた小さな花園に足を踏み入れていた。
色とりどりの花が咲き誇る中、中央にぽつんと座る白い少女。
まひるはすぐに気づいた。
(……あの子だ!)
少女の長いさらさらの金髪が、風にふわりと揺れた。
神官衣のような純白のワンピースが神秘的に輝き、
まるで光を内から放っているような、清廉で静謐な佇まい――
その姿は、まるで咲き誇る花の中に舞い降りた一輪の“白百合”だった。
(絶対あれだよ……正ヒロインポジション……!)
まひる(ルナリアの姿)は内心でガッツポーズを決めながら、にこにこと歩み寄っていった。
「あの~、こんにちは」
ぴくりと肩を震わせて立ち上がった少女の顔は、まるで幽霊でも見たかのように引きつっていた。
「ル、ルナリア様……!?」
(うわ、めっちゃ怯えてる!?)
ぎこちなくお辞儀する少女に、まひるは慌てて両手を軽く振った。
「あ、そんな! 緊張しないでください~。今日はお祈りに来たんですか?」
少女は戸惑いながらも、こくんと小さく頷く。
「はい……今日も日課のお祈りを。ここ、私の故郷と似た香りがするんです」
(……ほんと、いい子オーラがすごい……)
まひるは花壇に視線を移し、ふわりと笑みを浮かべた。
「お花、綺麗ですね~。これ、あなたが手入れしてるんですか?」
「い、いえ……今日はまだ、お祈りだけで……」
そっと視線をそらすセリア。その足元には、しっかりスコップ。
(はい確定~! 絶対お世話してるやつ!)
「お花、好きなんですね?」
と、にっこり。
少女は恥ずかしそうに頷き、何故か少し口ごもりながら……。
「はい……故郷でも……好き……でした」
その控えめな声に、まひるは思わず頬が緩む。
「癒されますもんね~。ルナリアさんもきっと……あ、いや、わたしも好きですよ♪」
――言った瞬間、しまった!と内心で叫ぶ。
(やばっ、素が! ……セーフ? アウト? どっち!?)
まひるの眉がピクピクと跳ねる。
「……?」
少女は小首をかしげて、純粋な瞳でまひるを見上げていた。
(セ、セーフ……。良かったぁぁ……天然さんで助かった……!)
まひるはホッと胸を撫で下ろしつつ、ふと彼女の足元に視線を落とす。
(……うん、そのスコップ、絶対さっきまで使ってたよね~)
(なんで素直に言わないのかな……可愛いな、この子)
ちらりと少女を見ると、彼女は不安そうに、でもどこか興味深げにこちらを見上げていた。
(……ほんと、“守りたくなる系ヒロイン”って感じ……)
と、そこで――まひるの脳内にピコーン!と閃きマークが灯る。
(あ、そだ! 正ヒロインちゃんの名前、まだ聞いてなかった!)
「あ、あの……その……」
まひるが声をかけると、少女は少し首を傾げてから、ぱっと花が咲くような笑顔を見せた。
「わたし、セリアです――セリア・ルクレティア」
(きたー! 正ヒロインネーム、無事ゲット♪)
その無垢な笑顔に、まひるは思わず心の中で転げ回る。
(やば……この子、天使か……!? いやむしろ、癒し系SSRキャラ確定……!)
そして――。
(……はっ! そうだ! この子が正ヒロインなら――
“婚約破棄イベント”の破滅フラグ①、これで華麗に回避できるかも!?)
まひるは、ぽんっと手を打ち、勢いよく切り出す。
「ねぇ、セリアちゃん! 前から思ってたんだけど――
すごく優しそうだし、王子様とも絶対お似合いだよね~♪」
「えっ……?」
セリアはきょとん、と瞬きを繰り返す。
その反応も待たずに、まひるは畳みかける。
「だからさ、今夜の舞踏会――王子様と踊ってもらえない?」
「え、えええっ……!?」
セリアはぽかんと口を開けたまま、固まる。
「も、もしかして……わたしが、ルナリア様の代わりに……?」
「うん! わたし、ちょっと外せない用事ができちゃって♪」
(※“婚約破棄”の舞台から華麗にエスケープする予定ですっ!)
セリアは、驚きと戸惑いに目を瞬かせながら――
やがて、すっと手を胸に当て、真剣な表情になる。
「……わかりました。それほどのご事情があるのですね。
それでは、精一杯務めさせていただきます。ルナリア様に恥じぬよう……!」
「ありがとう、セリアちゃんっ!」
満面の笑みを浮かべた“ルナリア”に、セリアは――
まるで夢でも見ているかのように、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
(そんなに驚かなくても~…って、やっぱり驚くか!)
(この流れ、間違いなく――)
『ルナリア様って、本当は優しいんですね』
(キターーー! 正ヒロイン友情イベント発生! 親愛度+10確定!)
期待通り、セリアはそっと微笑み――
けれど、その瞳はどこか潤んでいた。
「ルナリア様って……本当は、すごく優しい方だったのですね……」
「わたし……ずっと、遠い存在だと思っていました――」
「ごめんなさい……」
そう言って、深々と頭を下げるセリア。
その健気さに、まひる(ルナリアの姿)の胸がぎゅっと締めつけられた。
「え、ううん、そんなこと……!」
「も、もしよかったら、これからも――仲良くしてくれたら嬉しいな……なんて♪」
顔を上げたセリアは、ぱっと花が咲いたように笑い、
「もちろんです!」
と両手でまひるの手を包み込むように握った。
あたたかく、柔らかい手。
――ただのゲームイベントなんかじゃなくて……、
心が、ちゃんと繋がった気がした。
(……あれ? なんか、すごく……嬉しい……)
(こういうの、悪くないな……)
内心では「お友達イベント、親愛度+10キター!」と叫びつつも、
まひるは自然と優しい笑みを浮かべていた。
「今夜、頑張ってくださいね。セリアさんの笑顔、きっと王子様も喜びますよ」
セリアは少し頬を染め、まっすぐに頷いた。
「……はいっ!」
夕陽に染まる花園。
色とりどりの花々の中、ふたりの影は寄り添うように、静かに揺れていた――。
セリアが手を振りながら去っていくその背中を、
まひるは柔らかい笑みで見送り、ほぅっと満足げに息を吐く。
(ふふっ……これで破滅フラグ①は“予防接種”完了!)
(……とはいえ――)
(うん、これって冷静に考えると……案件、完全に後輩に丸投げしたヤツだよね……?)
茜色の空を見上げながら、じわりと込み上げる元・社畜特有の罪悪感。
(まぁ、これは――適材適所!)
(新人育成とチャンス提供は、先輩の大事な業務ですからっ♪)
(セリアちゃんには“王子様フラグ案件”を任せて――)
(私は陰でバックアップ。うん、これぞ完璧なプロジェクト体制!)
――都合のいいポジティブ変換も、社畜経験で培ったスキルのひとつ。
(それにしても、セリアちゃんマジ天使……)
(清楚と可憐が、ドレス着て歩いてるんだから、そりゃ推すしかないよね~♪)
ふわりと花の香りが風に乗り、まひるの頬が自然と緩む。
(この世界に転生して……いや、人生で一番癒されたかも……)
(乙女ゲー世界、やっぱ最高!)
(セリアちゃん推し、SSR確定演出入りました~♪)
くるりと踵を返し、スカートをひらりと揺らして軽やかに歩き出す。
(さて――破滅フラグ①は“予防接種”済みっと♪)
(でも念には念を! 善行イベントもこなしておかないと、フラグ管理が甘いと後で痛い目見るし……)
(社会人の基本、リスクヘッジですからっ!)
――けれど、このときのまひるは、まだ知らなかった。
優しさが芽吹いたその花園に、
“副作用”という名の芽も、気づかぬうちに――静かに、静かに根を張っていたことを。
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