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第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード⑩

そして――

ようやく舞台に揃った二人の“主役”。

交わることのなかったはずの視線が、いま、真正面から重なった。


間に立つアルフォンスすら、どこか遠くに感じられるほどに。

見つめ合うのは、ただ――ルナリアと、ヴィオラ。


二組の紫の瞳が、互いを射抜くように、静かに、そしてまっすぐに交差した。

まるで世界の音が止まったかのような、研ぎ澄まされた沈黙がその場を支配する。


……それは、運命が再び動き出す音の前触れだった。



ヴィオラは、自分が誰の手も借りずに立っていることに――ふと気づいた。

堂々とジュースをかけ返し、誰にもひるまず言葉を返した自分。


(わたし……なんてことを……)

(なのに――胸の奥が、こんなにも熱いなんて……)

(こわかった。でも、こわくない。わたし、今……あのルナリア様と……並んでる……?)


自分の鼓動が、どくんと強く打つ。


意識していなかった視線が、目の前の“令嬢”と重なる。


「……ご挨拶が遅れました。ヴィオラ・ブランシェットと申します」


小さく、けれど震えない声。


その所作は、堂々としていた。


けれど、どこか不思議な面持ちのまま、ルナリアはふっと微笑む。


「いいえ――はじめまして、ではないわね」

「……あなたが上手だったのか、わたくしの目が鈍っていたのか――

 いずれにせよ、ご挨拶が遅れてしまいましたわね」


「ヴィオラ。お久しぶりですわ」


(……え?)


一瞬、ヴィオラのまなざしが揺れる。


けれど、ルナリアのその言葉には確かな温度があった。


それは、敵意でも警戒でもなく――

ただ、“覚えていた者”だけが持つ、静かな懐かしさ。


そして――未来。


その瞬間、空気が変わった。


誰もが、その場の意味を理解できずに見守る中で――

二人の令嬢だけが、確かに同じ“何か”を感じていた。


誰のものでもない、けれど確かに“この世界の重心”が、ここにあった。



隣で、濡れたドレスのまま立っていたエミリーも、目元にかすかな笑みを浮かべていた。


(……はあ。まったく、この子ったら……やるじゃない)

(まさか、あんな返しができるなんてね。……少しだけ、見直したわよ)


わざとらしく目を逸らしながらも、視線の端は確かにヴィオラを捉えていた。


(本当に、“誰の下”でもなく、“誰の上”にも立たない――

 ふん、そんな立ち位置、綱渡りみたいなもんよ。……でもまあ、悪くない)


このドレスは借り物。

借り物のドレスを穢されても、私自身の誇りまでは絶対に踏みにじられない。


(……それにしても、ルナリア様。

 あそこでさらっと助け舟なんて、そういうところが……本当、ずるいのよ)

(別に、感謝してなんか、しないけど……)


鼻を鳴らしながらも、シャンデリアのきらめきを見つめるその目は、

どこか柔らかかった。


――この夜、舞台袖から飛び出した少女に、ほんの少しだけ、光が当たった。


物語の筋書きが変わるとすれば――

それは、彼女がただの“脇役”でいられなかったからかもしれない。



喧騒から離れたテラス。夜の風が、頬を優しく撫でていく。


足元では、水面に映るシャンデリアの光が、ゆるやかに揺れていた。


ルナリア・アーデルハイトは、手すりに身を預けながら、

ほんの少しだけ目を閉じた。


(ヴィオラ嬢……綺麗でしたわ)


アルフォンスに手を取られた少女。


会場に立ち尽くす令嬢たち。


そして、凛として諭したヴィオラの横顔。


(……あの場に立てるだけの、覚悟と品格がありましたわ)

(彼女もまた、“強い”女性ですわね)


グラスの中で、氷がひとつ、淡く高い音を立てる。



テラスの空気に、夜の冷たさがゆるやかに差し込んでいた。


「――少しは涼めた?」


その声は、会場のざわめき越しに背後から届いた。


ルナリアは、肩越しに振り返る。


振り返った先――

月とシャンデリアの光を背に立つアルフォンスの姿に、思わず呼吸が止まりそうになる。


(……綺麗……)


そう思ってしまった自分に気づき、ルナリアはすぐに目を逸らした。


冷たい夜気のはずなのに、胸の奥に熱が滲んでくる。


その熱を振り払うように、彼の名を声にだしてみる。


「アルフォンス……殿下……」


呼びかけたその瞬間、彼の睫毛が一瞬だけ揺れた。


そして、手にしたグラスを軽く傾けながら――

アルフォンスは唇に、柔らかな笑みを浮かべる。


「まだ“アル”とは呼んでくれないんだね」


気さくさを装った声色に、ひとしずくの寂しさが混ざっていた。


だがそれは、予想通りの距離感を確認する安堵にも見えた。


まるで――

この瞬間を、最初から織り込み済みだったかのように。


ルナリアは微かに瞼を伏せ、風に揺れるドレスの裾を片手で押さえる。


「でも、すごかったね。ヴィオラ嬢のあの姿?」


語りかける声は、まるで何気ない賞賛。


けれど、その瞳の奥では――底知れぬ鋭さが、彼女の返答を待っていた。


「ええ……見違えるほどでしたわ」


ルナリアの声は穏やかに落ち着いていた。


「誇らしい……というより、なぜか少し懐かしい気持ちになりましたの」


その瞬間、夜風がふわりと二人の間を通り抜ける。


静かな余韻が流れる。

芝生を駆けていた、かすかな記憶の匂いがよみがえるように。


「そして、彼女の隣に立つ君――」


アルフォンスの瞳が細められる。


「僕には、どこか懐かしく感じられた」


ルナリアの睫毛がわずかに揺れた。


テラスの灯が、二人の横顔を淡く照らす。


その光の中――


「――わたくし、思い出しましたの」


彼女の声は、すっと空気を貫いた。


グラスの中で揺れる氷が、また一つ小さく音を立てる。


アルフォンスの指がグラスの縁をなぞるように動き――

その表情が、一瞬だけ、ほんのわずかに緩む。


けれどそれは、他人に気取らせぬ、満足の陰影のようだった。


「……続けてくれるかい?」


声色は変わらない。


けれど、その瞳の奥で何かが静かに灯った。


「春の庭園で――」


ルナリアが顔を上げ、まっすぐに視線を向けたその瞬間。

柔らかな月明かりが、彼女の金糸の睫毛と淡く光を湛えた紫の瞳にそっと降り注ぐ。


思わず、アルフォンスの青い瞳が引き寄せられる。


(……ルナ……やはり、君は綺麗だ)


言葉にはしないが、その美しさに一瞬だけ思考を奪われる。

心のうちに抱えている何もかもが、その一瞬だけは霞んでいた。


ルナリアは、その瞳をアルフォンスに向けたまま続けた。


「花咲く芝生の上で遊んでいた、あの記憶。

 わたくしとラファエル様、シャルロット様、あなたと……」


「そして――彼女も一緒にいましたわ」


その言葉の端々に、微かに震える温度が宿っていた。


アルフォンスは、ゆっくりと目を細める。


笑みの輪郭はやわらかい。

けれど、その口角には、確かな達成の痕があった。


「そうか……思い出してくれたんだね、あの春の日を」


音のない溜息のような言葉。


だが、その響きには――彼の期待していた何かが芽吹いた音が確かに含まれていた。


「……じゃあ、あのときの“約束”も――忘れてないよね?」


それは、静かに投げられた誘いの糸。


ルナリアの指が、手すりを握り締める。


「約束……?」


淡く眉がひそめられ、月の光に照らされた彼女の頬に、迷いの影が落ちる。


「わたくし、何か殿下とお約束を……?」


その問いに、アルフォンスは少しだけ微笑んだ。


その笑みは柔らかい。

まるで、その先の言葉を優しく封じるための笑みのようにさえ見えた


「――なんでもないよ。忘れてくれてて、構わないさ」


その一言は、核心を濁すという形で、彼の心をさらに深く覆い隠す。


そして――


「じゃあ、また」


踵を返すアルフォンスの背中に、風がそっと回り込む。


月明かりに、彼の外套の裾がふわりと持ち上がった。


それはまるで――

「すべてはこれから」だと語る、少年の王子の背中だった。


ルナリアは、言葉を失ったまま、その背を見送る。


けれど、胸の奥に、たしかに波紋が残る。


「……何か、変ですわね……」


そっと呟かれた声。


静けさの中に、目覚めきれない記憶が、ざわりと揺れる。


(……たしか、あの春の日。誰かと、何かを“誓った”ような……)

(……それは、とても大切で、決して口にしてはならない“なにか”だった……)


けれど、確信はまだ掴めない。


白い指先が、胸元のペンダントへとそっと触れられる。


その瞬間――

空を滑る風が、香り立つ花の匂いを運んできた。


ペンダントが、月の光に照らされ、淡く、ひとすじだけ煌めく。


それは、まだ言葉にならない記憶の輪郭。


夜の帳の中、静かに眠っていた物語が――

ほんの少しだけ、目を覚ました。



背中に、そっと注がれる視線を感じながら歩く。


(……僕は、やり切れるのだろうか)


そう思うと、思わず視線を足元に落とした。


彼女の光を湛えた淡い紫の瞳。

凛として響き時に儚げに囁く声と、それを紡ぐ唇。

銀を帯びた金糸の髪と、震える睫毛、そして、何よりもまっすぐな心――

それらに触れるたび、どこかで、自分の芯まで覗かれている気がする。


問いかける側だったはずの自分が、

気づけば、少しだけ、脆くなっていることを感じながら――。



そして――ふわりと浮かぶまひるの声。


『ふ、ふーっ……ルナリアさん、そろそろいいですか? 発言の許可、いただけます?』


(……もちろんですわ。 なにか気になることでも?)


『あの……あの“約束”って、結局なんだったんでしょう?』

『殿下は覚えてる感じなのに、ルナリアさんは思い出せなくて……

 でも“忘れていい”って、絶対に何かあるやつじゃないですか!』


(……たしかに、少し引っかかりますわね)


『ていうか、思い出しかけてるのに出てこない記憶って、一番気持ち悪いやつですよ……』

『資料のどこかにメモしたのに、

 フォルダ名が「新しいフォルダ(8)」になってるせいで見つからない、あの感じ……!』


(……あなた、前世でも大変だったのね)


『ほんと、重要なことに限って曖昧なまま埋もれるの、やめていただきたい……

 あれですか? 思い出すには再現実験あと3セットぐらい必要な感じですか?』


(おっしゃること、すべてはわかりませんが……)


ルナリアはふ、とわずかに笑みを浮かべた。


(……思い出したとき、後悔しないように――

 わたくしも、自分の記憶と向き合ってみますわ)


月の光が、再びペンダントを優しく照らした。

その輝きは、まだ見ぬ答えへと続く、小さな導きのように――。


『ううっ……ルナリアさん……尊すぎて泣けてくる……』

『それです、それ! “思い出したとき後悔しないように向き合う”って、

 上司に「なぜ今になって過去のデータを見直すの?」って言われたときに、

 「将来、後悔しないためです」って言い返せるメンタル、わたしにもください……!』


(……そんな場面、あるんですの?)


『ありますとも! 過去の実験ノート、

 全部スキャンした上にOCRでテキストに落とした女の執念、なめんなよって話です!』


ルナリアはふっと、わずかに目を細め、ほんの少しだけ微笑んだ。

胸の奥で、何かが――確かに、目覚めかけていた。



その夜――

誰もが笑っていた。

誰もが微笑み合っていた。


けれど、笑顔の奥では、もう誰もが気づいていた。


“宴”の幕は静かに下りていく。

けれど、“物語”という名の舞台は――今、ようやく幕を上げたばかりだった。

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