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第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード⑨

王立学院・中央ホール

創立記念パーティ会場


ヴィオラ・ブランシェットの登場。

そして、アルフォンス王子のエスコート。


会場はどよめきに包まれ、空気が一気に熱を帯びた。


だが、その喧騒がようやく静まりかけた、そのとき――


「……ふーん」


パーティの隅。

食器棚の影に身を潜めるように立っていたのは、淡い黄色のドレスをまとった少女。

きりりと結い上げた黒髪と、冷静な眼差しが印象的な――


エミリー・フローレンスだった。


(ヴィオラ・ブランシェット……やるじゃん……)

(まあ、焚きつけたのはわたしだけど……想像以上、かもね)


彼女はしゃがみ込み、そっと足首をさする。


(くー……痛った……またあの女のせいで!)


ついさっき、足をくじいた痛みを思い出し、唇を軽く尖らせた。


ホール中央。

侍女らしき女生徒と並んでヴィオラに視線を向ける、完璧な“公爵令嬢”――ルナリア・アーデルハイト。


今日もまた、隙のない気品と美しさに満ちていた。

実際には、彼女に見とれて歩いたせいで、ヒールを引っかけて転びかけたのだが。


(それより――)


すっと目線を走らせる。

先ほどのやり取りを、彼女の目は一瞬たりとも見逃していなかった。


手帳を開き、さらさらと何かを書き込む。


(第二王子、最初から“彼女”を中心に据えるつもりだった?)

(でも……明らかに“予定外”の反応があった)


視線の先――

アルフォンスは、ヴィオラの隣で周囲の貴族たちと談笑しつつも、時折、ちら、とルナリアの方を見ていた。


(……まさか。ヴィオラじゃなくて、そっちが“本命”?)


エミリーの口元が、皮肉げに歪む。


(ふふ……このエミリー・フローレンスの目は、ごまかせないわよ)

(ほんと、複雑ね。……そういうの、嫌いじゃないけど)


次に、凛として立つヴィオラに目を向ける。


(庶子――貴族でも平民でもない者。

もう、“選んだ”ってことよね)


(なら……利用させてもらうしかないわね)


もう一度、手帳を開いて確かめる。

ページの最上部に書かれた可愛らしい文字――


「第十五次ルナリア包囲作戦」


……これまで一度も包囲に成功した試しはなかった。

だが同時に、一度たりとも諦めたこともなかった――。


エミリーは不敵な笑みを浮かべ、グラスを手に――

ほんの少しだけびっこを引きながら、ヴィオラへと歩を進めた。



ヴィオラの傍ら、数名の貴族令息と談笑していたアルフォンスが、ふと目を向けた。


「君は……エミリー・フローレンスさんだね?」


エミリーは、立ち居振る舞いひとつ乱さず、完璧な所作でスカートの裾を摘み、優雅に一礼した。


「はい、平民特待生のエミリー・フローレンスと申します。……お見知りおきを、殿下」


「もちろん知っているよ。君は大変優秀だと聞いている」

「クラスメイトなんだから“殿下”はやめてほしいのだけれど――

 こういう場では仕方ないね」


「実はね、僕も君と一度話してみたいと思っていたんだ」


「それは光栄です。もっとも、噂というのは、よくも悪くも膨らみがちですが」


涼やかな笑みを浮かべるエミリーに、アルフォンスも口元を緩める。


ヴィオラも小さく笑った。


「エミリーさん、ありがとう。……来てくれて」


少しほっとしたような微笑みに、エミリーも自然と笑みがこぼれる。


「礼には及びません。私も、あなたと改めて話をしてみたいと思っただけ」


そう言ってグラスを傾けた瞬間――


ぴしゃっ。


「きゃっ、ごめんなさい? 手が……滑っちゃった」


冷たい感触が、ドレスの前面に広がる。

――果汁の染みたジュースが、鮮やかな色のまま、黄色いドレスの胸元を汚していた。


会場がしんと静まり返り、空気が止まった。


一瞬、視界が白くなる。


「……まさか、“平民”がこんなところにいるとは思わなくて……ねぇ」

「殿下のおそばに平民がいるなんて……誰も思いませんでしょ?」


令嬢たちは、口元を押さえて――笑いを我慢しているふりをしながら、

その瞳には確かな嘲りが宿っていた。


(あの三バカ令嬢の差し金ではない……まあ、あの子たちがやるとしたら――

 もっと真正面から、ね)


(それにしても……これが、“貴族”のやり口?)

(ほんと、くだらない)

(……こいつら、どうしてくれようか……)


エミリーの心の中をどす黒い何かが埋め尽くし、手に持ったグラスが震えた。


でもその瞬間――


「そう。手が滑ったのね」


その声は、冷たくも優雅で、けれどはっきりと空気を切り裂いた。


ぱしゃっ。


今度は、鮮やかな赤の液体が、その令嬢のドレスを染めた。


止まっていた空気が凍り付く。


ヴィオラ・ブランシェットが、手にしたグラスを、ゆっくりと傾けていた。


「奇遇ですね。わたくしも……ちょうどいま、手が、滑りましたの」


令嬢たちは目を見開き、言葉を失った。


「これで少しは――“踏みにじられる側の気持ち”が、お分かりになりましたか?」

「貴族であろうと平民であろうと、矜持を汚されていい人間なんて――おりませんわ」


その瞬間、様子を見ていたルナリアの中でまひるが騒ぐ。


『出たぁぁあーーーっ! 乙女ゲーじゃ絶対見られないヒロインの反撃っ!』

『いや、これ何!? “爽快すぎてスカッとルート”!? 最高か!』


(まひるさん……静かになさってくださる?)


『あ……なんかルナリアさん、怒ってる感じ?』


小さなざわめきが広がりかけた、その瞬間だった。


パンッ。


ざわめきを断ち切るように――

一拍、乾いた音がホールに響いた。


アルフォンスが進み出る。


「……よくやったね、ヴィオラ嬢。言葉より、はるかに雄弁だった」


そして――ほんの少しの間。


静まりかけた会場に――

まるで風の切っ先のように、凛とした声が響いた。


「紳士・淑女のみなさま、お戯れもほどほどに」


――その声は、公爵令嬢、ルナリア・アーデルハイト。


ただ、そこに立っているだけで。

一切の怒気もなく、ただ静かに告げられたその言葉だけで。


会場の空気は、鳥肌が立つほどの静寂に包まれていく。


『出たー!……って、あれ、貴族令嬢たちが一瞬でしゅんってなった……』

『これ、職場なら“静かに怖い部長が歩いてきたときのあれ”ですやん……』

『やばい、飲み会で先に帰ろうとしてたのバレたときの空気……!』


白手袋のままグラスを持ち、令嬢たちにゆるやかな視線を向ける。


「余興はおしまいですわ。

 学院創立記念のめでたい場ですから――

 歴代の諸先輩方に恥じぬ行いを、どうかお願い申し上げますわ」


その声は穏やかでありながら、重く、深く、空気を貫いた。


その声が静かに消えたとき――


「……ミレーヌ」


ルナリアが小さく名を呼ぶと、すでに傍に控えていた侍女が、音もなく一礼し、すっと前に出た。


「お願いできるかしら?」


「かしこまりました、お嬢様」


たった一言で、複数の侍女や従僕たちが静かに動き始める。


令嬢たちは口を開けたまま、ただ呆然とその手際を見つめていた。


ミレーヌはエプロンドレスの裾を乱すこともなく、即座に指示を飛ばし、

その場の“後始末”を寸分の無駄もなく進行させていく。


「……ルナリア様がおっしゃるのなら……」


令嬢たちは頭を下げ、そそくさと控室へ下がるしかなかった。


生徒たちの間に、ぽつぽつとざわめきが広がる。


「……ブランシェット嬢、あれで平民なんだから、たまったもんじゃないな」

「いや、貴族だからってあんな度胸あるとは限らないだろ」

「……“庶子”とか、もう関係ないよね。あそこまで堂々としていて――あれはもう、立派な“令嬢”だよ」

「殿下の“パン”……確かに、あの一拍で場がきれいに収まった」

「ルナリア様、何も怒鳴ってないのに……あんな空気に。こっちまで怒られた気がしたよ……」


「……あの侍女、見事な采配だ。正直、欲しい……いや、ルナリア様の侍女では無理か……」

「ミレーヌさんは有名だからね。あの”ルナリア様”の侍女……ある意味、学院一の苦労人だよ」

「はは……それでもあの手際だ。やっぱり、一流ってやつだな」


それぞれが言葉少なに、けれど確かに“賞賛”の想いを胸に刻んでいた。


一方、ルナリアの中では……。


『セリフの一言一言が、演説より怖い……ルナリアさん、強すぎる』

『ルナリアさんの圧って、もう実家より帰省圧あるよね……』

『あの令嬢たち、社内で怒られたあと、掃除のおばちゃんと目が合って気まずくなる新卒の顔してたし……!』


アルフォンスが小さく肩をすくめ、ヴィオラにささやく。


「ね? 僕じゃなくて、ルナリア嬢のほうがずっと“怖い”んだよ」


ヴィオラは小さく笑った。


『ルナリアさん、立ってるだけで空気凍るのやめて!』

『ていうか、“怖いのは殿下じゃなくてルナリア嬢”って……王子、それ素で言ってる!?』


(ま・ひ・る・さん? さっきから心の声、だだ漏れですわよ?)


『うぅ……失礼いたしました。

 つい興奮しちゃって~てへ』



ちょうどその頃、ホールの隅から、華やかなドレスの影がそろりと現れた。


「……ちょっと。もう、終わっちゃったじゃない」

「行くなら、あの“パンッ”の前でしたわよ……」

「ぐぬぬ……エミリー・フローレンス、空気、読み違えましたわっ!」


舞台袖から出るタイミングを完全に逃した、いつもの令嬢三人組。


「……あちらのパンナコッタの白葡萄添え、頂きに参りましょう」

「そ、そうですわね。腹が減っては戦はできませんもの」

「あ、あのアプリコットジュースも……おいしそうですわね」


食欲に負けた令嬢三人組。

次に“舞台”に上がる機会を期して、腹ごしらえにいそしむのだった。



そして――

ようやく揃った二人の主役。

長く閉ざされていた記憶が、静かに動き出そうとしていた。

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