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第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード⑧

王立学院・中央ホール

創立記念パーティ会場


天井高くそびえるドームには、夜を迎える空の色がゆっくりと溶け込み、

琥珀のシャンデリアが、その宙に幾千の光を灯していた。


磨き抜かれた白亜の大理石が足音を静かに反響させ、

壁には古の偉人たちの肖像が、荘厳にこちらを見下ろしている。


それぞれの円卓には貴族家の紋章をあしらったリネンがかかり、

銀器が静かな気配を放ちながら、ほんの一夜の幻の始まりを待っているかのようだった。


楽団が奏でる弦の音色は、宴のざわめきに溶け込みながら、

まるで“舞台”の始まりを静かに告げるようにホールを包み込んでいく。


色とりどりのドレスが花のように咲き誇り、

生徒たちが社交の華やぎを楽しむ中――

会場の扉が、音もなく開いた。


ざわめきが、一瞬、凪いだ。


誰よりも静かに、誰よりも堂々と。

ひとりの小柄な少女が、ゆっくりと会場へ足を踏み入れる。


深い藍色のドレスは、派手さを排した清楚な一着。

それでいて絹のように滑らかで、歩くたび静かに光を抱く。

控えめでありながらも、目を引かずにはいられない凛とした気品があった。


髪は、月明かりをひとすじ溶かしたような――銀を帯びた栗色。

それが背中に流れるたび、会場の光を柔らかく撥ね返す。


大きな紫の瞳は、月の光に輝く宝石のように澄んでいて、

小ぶりな鼻や口元が、まるで物語の挿絵から抜け出したかのような可憐さを添えていた。


だが、それは“守られるだけの可愛らしさ”ではなかった。


一糸乱れぬ髪、背筋の通った立ち居振る舞い――

すべてが研ぎ澄まされており、どこか強い覚悟のようなものすら感じさせる。


その姿は、まるで“野に咲く花”が、自らの意思で光の中に咲くことを選んだかのようで――

会場にいた者たちは、ただただ“呑まれ”、静かにその歩みに見入っていた。


ふと、彼女が視線を上げた瞬間――

その光を湛えた瞳が、会場全体をゆるやかにすくい上げるように動いた。

誰を探すでもなく、けれど何かを確かめるように。


一歩、また一歩と進むたび、

その所作のすべてが――完璧で。まるで、“誰か”を思い出させるようだった。


「……あれ、誰?」

「どこの貴族家のご令嬢?」

「あんな子、いたっけ?」


さざ波のような声が広がる中、誰よりも早く気づいたのは――

アルフォンスだった。


グラスを持つ手を止め、微笑みと共に、小さく呟いた。


「……そうか……“舞台”に立つ“覚悟”を決めたんだね」

「……じゃあ、僕も“約束”、果たさないとね」


名を確認する間もなく、司会を務める教師が目を見開いて口にした。


「ブランシェット公爵令嬢、ヴィオラ・ブランシェット様――ご到着です」


空気が、ひとつ揺れた。


「えっ、ブランシェット“公爵家”?」

「それって……五大公爵家の?」

「その名前って、会場から……逃げ出した子じゃない!?」

「でもあの子、平民じゃ……?」


その中心に、少女は凛と立つ。


誰にも媚びることなく、ただまっすぐに―― その瞳に、一切の迷いはなかった。

ヴィオラは、会場を見回し、静かに、けれどはっきりと口を開いた。


「……もう、逃げません」


――あの時、スコップを差し出したのは偶然だった。

でも、それを“意味あること”にしたのは、あの人たちだった。


なら今度は――私が、自分の意思で意味を選ぶ番。


この言葉は、誰に向けたものでもない。

けれど、たった今この瞬間だけは、確かに“自分自身”のためにあった。


――逃げない。もう、何からも。

名前も、家柄も、期待も、噂も。

全部受け止めて、それでも――私は、“私として”ここに立つ。


その一言に、場の空気が静かに、しかし確実に変わっていった。

“名もなき花”だった少女は、いま―― 自らの意志で、舞台の中心に立っていた。



その言葉―― 「……もう、逃げません」


まるで呪いを解くようなその一言に、静寂が波紋のように広がっていく。


「……ヴィオラ・ブランシェット“公爵令嬢”……」

「でも、平民の制服だったよね……」

「あんなにも堂々と……?」


生徒たちの間に、どよめきと戸惑いが混じる。 その視線には、驚き、賞賛、疑念、羨望、そして――焦りさえも滲んでいた。


「平民なのに、公爵家……」

「ということは……ブランシェット公爵家の、庶子……なのか?」

「でもあれだけの所作……間違いない。本物の“令嬢”だ……」


対照的に、教師たちは静かに頷き合っていた。

彼らの一部は、その素性を“知っていた”のだろう。

そして、それでも彼女が自ら名乗り出ることを“待っていた”のだ。


その時だった。


ざわつく空気を割って、会場の奥から、軽やかな足音が響いた。


――白い礼装を纏い、癖のある金髪を揺らしながら歩いてくるのは、


第二王子、アルフォンス・エリディウス・セレスティア。


彼は迷いなく、まっすぐにヴィオラのもとへと歩み寄る。


一歩ごとに視線が集まり、会場の緊張が高まっていく中――

アルフォンスは、彼女の前で立ち止まると、手を胸に軽く当て頭を下げる。


そして、優しく微笑んだ。


「ようこそ、ブランシェット嬢。

 ……“舞台”へ。」


「そして、お帰り。ヴィオラ」


そう言って微笑んだその瞳に、一瞬だけ――孤独な少年の影が揺れた。


その声音に、ざわめいていた会場が、ふたたび静まり返る。


『君が望むなら、僕は――ちゃんと、隣にいるよ』


交わしたその言葉を、今ここで“形”にするように。


彼は目を伏せ、淑女を迎えるひとつの手を、完璧な所作で差し出した。


ヴィオラは、ほんの一瞬だけ驚いたように瞳を見開くと――

差し出された手を前に、少しだけ視線を横へ向けた。


その先――ルナリアの姿があった。


まっすぐに彼女を見るのではなく、ほんの一拍だけ、瞳を揺らし、

すぐにまた前を向く。


そして、小さく微笑み、アルフォンスの手を取った。


アルフォンスの手に触れた瞬間――

心臓が、少しだけ強く鳴った。


(この人は……やっぱり、あのときと同じ……)


その瞬間。


王立学院の華やかな夜に、新たな“ヒロイン”の物語が、静かに幕を開けた。


誰よりも静かに、誰よりも力強く――

ついに己の“名”と“立場”を受け入れたヴィオラ・ブランシェットは、

王子に導かれ、舞台の中心へと歩き出した。



ルナリアは、グラスを持つ指を止めた。


彼女は立ち姿ひとつで会場の空気を変えた。

あれは確かに、“ただの端役”ではない。


(あのとき、わたくしが思い出せなかったのは――この“姿”だったから)

(わたくしは幼い頃の彼女と……)


庭園で遊ぶ子供たち……遠くから見つめる――紫の瞳。


そのとき、胸の奥が、なぜか“ちくり”と疼いた。


(……どうしてかしら。こんなにも、誇らしい気持ちなのに)


けれど、目を逸らす気にはなれなかった。


ルナリアは瞳を細め、隣に立つエプロンドレス姿のミレーヌの視線が、

自然とヴィオラに吸い寄せられているのを感じる。


「……ヴィオラ嬢……綺麗、ですね」


それだけを言ったミレーヌの声は、不思議と優しくて。

普段のような皮肉や冗談の色は、どこにもなかった。


「ええ」


そう答えたルナリアのすぐ後ろで、カシャンとグラスのぶつかる音がした。

ちらりと横目に映ったのは、唇をかすかに歪める令嬢の横顔――


「……あの“平民”、何者なの?」


小さな囁き。


「第二王子が……平民出の庶子と、あんな風に……」

「……まるで、幼い頃から親しい間柄だったみたいに」

「このままじゃ、本当に“後宮入り”もあり得るわね……」


そのささやきは、少しずつ大きくなり、ざわめきの中に、冷たい不安を落とした。

一部の令嬢たちは、まるで王家の“椅子”を奪われるかのように、唇をかすかに噛んでいた。


ルナリアはグラスを傾けながら、周囲の令嬢たちのざわめきに耳を傾けていた。


その言葉の一つひとつが、あまりにも陳腐で、しかし予想通りで――

だからこそ、胸の奥がわずかにざらついた。


(……くだらない)


そう思った瞬間、内側から別の声が重なる。


『はいはいはい、始まりましたよ。お決まりの“令嬢たちのざわざわタイム”』


まひるの心の声だ。うんざりとしたその調子が、なぜか妙に落ち着く。


『でもね? ヴィオラちゃんは――もうただの“スコップ少女”じゃないってことだね』


ルナリアは、静かに視線を向けた。

ホールの中央、ヴィオラの背筋は、まるで剣のようにまっすぐだった。


(……彼女は、自分の意思でここに立ってる)

(名を名乗り、批判されることを恐れず、あれだけの視線を受け止めて――)

(――強いわね)


グラスの縁にわずかに触れた唇が、ふと笑みを刻んだ。


(でも……わたくしも、”強さ”で負けるつもりはありませんのよ)


その時、まひるがぽつりと落とす。


『……さて、第二幕の開演。観客じゃいられない、かもね』


ルナリアの紫の瞳が、わずかに細められ、そのまま、まっすぐと、ヴィオラを見据えた。



そうは言ったものの、まひるは目の前に繰り広げられる夢のような光景に――

実は“乙女ゲー脳”スイッチ全開放状態。


興奮を隠せず、内心でつぶやく。


(うわっ……この王子とヴィオラちゃんの“立ち絵”……)

(出ました! ヒロイン登場のイベントCG――!)

(髪に銀と茶、瞳は紫、所作は完璧、そしてこのタイミングでの社交界デビュー……)

(これは間違いない……乙女ゲー的には、ヒロイン爆誕です!)


けれど、そこでふと心の中で眉をひそめる。


(……でも待って?)

(この世界、乙女ゲーなら、最初からルート選択できるはずじゃ……?)

(攻略対象が追加されるのは分かるけど……ヒロインが、後から登場って……)

(え? え? え? ――いや、気のせい?)


(てゆうか、ヴィオラちゃん、ヒロインっぽすぎない。もはや正ヒロインの風格?)

(……なんだか、今、何かすごくまずいことが始まったような気も……)


ほんの一瞬だけ、“物語の根っこ”に不穏なざらつきが走った。


でも、それが何かを意味しているかまでは――

この時のまひるには、まだ分からなかった。



その手を取った瞬間――

今夜の“主役”が、静かに舞台へと上がった。


誰の手で筋書かれた舞台なのか、既に筋書きは変わっているのかも分からぬままに。


ただひとつ、確かなことがある。

この夜――“役者”は、すべて揃った。


そして――“誰のための物語”になるのかは、もはや”役者”次第なのかもしれない。

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