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第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード⑥

王立学院・大講堂


創立記念式典当日。


――翌日、王立学院は春の創立記念式典を迎えていた。

この日の式次第では、午前中は記念式典、準備を経て夕方から記念パーティという流れになっていた。


そして、王立学院の中心部、七聖環の園に隣接する白亜の大講堂に、五百名を超える全校生徒と教職員が整然と並び、静寂の中ですでに式典が進行していた。


楽団による荘厳な音楽、そして厳かな空気の中――学院長や各学年代表の挨拶が一通り終わり、いよいよ最後の登壇者が呼ばれた。


「――続きまして、王家より特別登壇を賜りました、第二王子・アルフォンス殿下より、祝辞を頂戴いたします」


ルナリアの周囲では、同じクラスの生徒たちが、気軽な声援と共に盛大な拍手を送っていた。

けれど講堂全体では――「ぱち、ぱち……」と、控えめな拍手がまばらに響いている。


ラファエル王子やシャルロット王女と比べれば、知名度も登壇歴も少ない“第二王子”に、会場はやや静観ムードだった。


が――


荘厳な式典の終盤、生徒たちが静まり返るなか――


「……やあ、ほとんどの皆さん、はじめまして。

 王家の端っこに咲いた、気まぐれな“雑草”です」


壇上に立った少年の第一声は、聴衆の誰もが想定していなかったものだった。


白い礼装の裾を翻し、片手をひらりと上げるように会釈する。

癖のある金髪が揺れ、どこか飄々とした微笑みが浮かぶ――


アルフォンス・エリディウス・セレスティア。


セレスティア神聖国第二王子。ラファエルとシャルロットの弟であり、王家の“自由人”とも噂される風変わりな少年だった。


宮中にいるよりも外遊での生活が多く、式典などにはほとんど姿を見せたことがない。

それゆえ“変わり者”という噂も絶えないが――

その一方で、「本気を出せば王族随一」とも囁かれている、謎多き存在。


つい昨日、ルナリアのクラスに“転入生”として突然現れた彼は、

わずか半日でクラスの大半の支持を得て、“開かれた王族”としての地位を確立していた。


「兄さん――ラファエル兄さんは、公務で忙しくて、この場には立てなかったそうなんだ。

代わりに呼ばれたのが、まさかの“学院生”の僕。

……ね? これだけでも十分、“式典のイレギュラー”って思ってもらえるでしょ?」


わずかに笑いが漏れる。


「でもね。世界は案外、そういう“イレギュラー”から動き始めるものなのかもしれない」


一拍の静寂。


ざわめきかけた空気が、飲み込むように、再び沈黙へと還っていく。

――「何が始まるんだ?」

会場には、そんな無言の問いだけが張りつめていた。


「さて――」

「せっかくこの記念すべき日に、こうやって壇上に立たせてもらってるんだ。

 ……ちゃんと、やろうか。」


少しだけ緊張感がほどけ、会場全体がほっとしたような空気に包まれた。

その瞬間――アルフォンスの“ゆるい雰囲気”が逆に少しだけ変わり、その青い瞳に鋭い光が宿る。


「――ごきげんよう、王立学院の教師ならびに紳士淑女の皆々様。

 この由緒正しい学院にて、またひとつ、年を重ねられたこと――

 この慶びを、共に分かち合えること――まことに光栄に存じます」


笑いが起こる。形式的な祝辞をなぞるその口調は、実に飄々としていた。

その視線は、会場全体を見回し、まるで五百人一人一人の反応を観察しているようだった。


「さて、今さら私から申すまでもなく――

 王立学院は、あらゆる“未来の交差点”であります。

 魔術と剣、貴族と平民、知と信仰。

 すべてが、ぶつかり合い、磨き合い――

 時に反発しながら、それでも混ざり合って、新しい“何か”を生み出す場所」


「五百年前――王家の命により、この学院が創設されたその日も、

 きっと今日と同じように、穏やかな空と光に包まれていたことでしょう」


そこまでは朗らかな語り口。

しんと静まる中、会場は和やかな祝賀ムードが醸成されていた。


だが――次の瞬間、そのムードを確認したかのように、

アルフォンスはほんの少し間を置いて、声音を一段深くした。


「だが皆さん、どうか“伝統”に甘えすぎてはならない。

 守られすぎた温室では、新しい芽が根を張る場所も、陽を浴びる余白もなくなってしまう」


息を呑む声が聞こえるぐらい会場が静かになる。


「この一年、学院ではいくつもの“変化の兆し”が芽吹きました。

 その中には、つい先日の出来事ですが、

 小さな芽――否、“小さき花の革命”とも言うべき出来事も含まれます」


その言葉に、一部の教師と生徒がピクリと反応した。


「それは声高な主張でも、大胆な改革でもありません。

 ただ――誰かが、ある人物にそっとスコップを渡した。

 そして、その人物は……迷うことなく、それを手に取り、土を掘った。

 たったそれだけの話」


一拍の間――。


「けれど、それが全ての空気を変えた」


思わず隣を見る者、ざわめく生徒たち。


ルナリアの胸に、かすかに緊張が走る。


アルフォンスはなおも淡々と語る。けれど、その眼差しは、鋭く一点を見据えていた。


「名もなき場所で踏みしめられていたつぼみたちが、

 いま、この学院の空気を変え始めている。

 そして、名もなき者たちは、これからも変え続けるだろう」


「僕は……そういう小さな一歩を刻む者たちを、見逃すことなく――

 共に称え合う学院であって欲しいと願っている」


「だから、私はこの場を借りて、この“功績”を賛えられるべき名をふたつ、挙げようと思う」


その言葉に、会場の空気が――ざわめきという名の波紋となって広がった。


「ひとりは――

 貴族でありながら、気取らず、臆することなく、行動した。

 その気高さと勇気が、旧い秩序に風穴を開けた。

 “小さき花の革命“の最初の一歩を刻んだ者」


 「――ルナリア・アーデルハイト」


どよめきが広がる。

ルナリアのもとに、無数の視線が集まる。


彼女は一礼こそせず、ただまっすぐ壇上を見返していた。


(……ようやく、“名前”で呼ばれましたわね)


『ま、まさかの展開で……ととと……鳥肌ものなんですけど……』


「そして――もうひとりは」


会場が静まる。


アルフォンスの視線が、ゆっくりと動いた。


まるで千の光を浴びるように、穏やかながらも、否応なく“誰か”を浮かび上がらせる。

誰もが、その視線の先を追う。


そこにいたのは――

祝賀の中心から最も遠い、特別席の陰。


控えめな平民の制服に、銀の混じった栗色の髪。そして特徴的なのはその大きな紫の瞳。

王立学院の中でも、彼女の名をはっきり知る者は、なぜかほとんどいなかった。


あまりに静かに、目立たぬように過ごしていたから。


背筋を伸ばして立っていた少女は、まるで舞台袖に置かれた花瓶のように、

そこにいて、そこにいない存在だった――はずだった……しかし。


「ひとりの少女が、誰にも見えないところで、ひとつの花を咲かせた」


「あの日、貴族と平民の垣根を超え、ひとりスコップを手渡した。

 その純粋さと勇気が、最初の一歩を刻んだ者の背中を押したんだ」


「その名は――ヴィオラ・ブランシェット」


その名が、放たれた瞬間――世界が、ひと呼吸、止まった。


それはまさに、舞台袖にあった花瓶が、舞台の“主役”へと引き上げられた瞬間だった。


空気が波打つ。

音のないざわめきが、会場を包み込む。


まるで、物語の中で、その名前に特別な意味があると告げられたかのような錯覚。


視線が、矢のように集まる。


ルナリアは、無意識にその名に振り向いた。

――視線の先にいた少女の姿に、なぜか胸が強く、きゅっと締めつけられた。


(あなた……でしたのね……。アルは最初から知ってた……)


(――でも、どうして……思い出せなかったのかしら)

(あの日、あの瞬間……わたくしのすぐそばに、確かにいたはずでしたのに……)


『いやほんと、いま心のセンター試験受けたかってくらい刺さりましたよ……

 もう、回答用紙真っ白ですわ』


『なんかもう、マークシートなのに、”下級生じゃなくて同級生”って書いちゃいそうです』


反射的に振り返った生徒たちが「誰?」と目を見交わす。


教師たちは一瞬、顔をこわばらせるが――アルフォンスは続ける。


「彼女たち、どちらが欠けても“小さな花の革命”は成し得なかった、と僕は確信している」

「二人に……敬意を込めて、静かに拍手を……」



――ヴィオラ・ブランシェット。

名前を呼ばれた少女は、その事実に、ほんの一瞬だけ意識が現実から離れた。


視界ははっきりしているはずなのに、壇上の光も人の動きも――

すべてが濁った水の中にあるように揺れて見えた。


(――……っ?)


(わたし……今、名前を……?)


(どうして……わたしなの?)


胸の奥で、心臓が跳ねた。


名前を呼ばれただけなのに、空気が変わった。


世界が、いきなり“わたし”を見ている。


その事実に気付いた瞬間――音が、遠ざかり始めた。


(あ……れ……?)


まるで水の中に落ちたように、周囲の音がぼやけ――

拍手の気配はあるのに、耳が拾ってくれない。


周囲の手が動いているのがわかる。誰かが声を上げているのも。

でも、音だけが――まるで世界から切り離されたように、届かない。


「……っ……!」


思わず、ヴィオラは耳を押さえていた。


違う。聞きたくない。呼ばれたくなかった。


こんな風に、誰かの前で“見られる”なんて。


(ちがう、ちがう――あの時、わたしは……ただ、スコップを渡しただけ……)


(“誰かの前”に立つことなんて……望んでなかったのに……)


壇上のアルフォンスの声は、穏やかで優しい。


けれど、今のヴィオラには、それがひどく遠く、そして――残酷に響いた。


(ああ……やだ……)


(光の当たる場所に、わたしの名前なんて――)


彼女にとって、”ブランシェット”という家名は呪いのように響いた。


(……わたしは、“月の陰”でいいって、決めたはずだったのに――)


気づけば、身体が震えていた。

ひざが震え、足元がぐらつく。

立っていることすら、もう耐えられない。


(……やめて)


胸の奥で、小さな声がつぶやいた。


誰に向けてでもない、けれど確かに“心の中のわたし”がそう言った。


その一言が、最後の支えを崩した。


ヴィオラは、耳をふさいだ手をほどき、

その手でスカートをつかみ――走り出した。


一礼も、言葉もなく。

何かから逃げるように、何かを拒むように。


その場から、音もなく走り去る。


スカートの裾が、風を切る。


階段を駆け下り、その“家名という呪い”から逃れるかのように。


(見ないで……見ないで……お願い、そんな目で見ないで……)


(どうして、今さら“わたし”を呼ぶの……)


ヴィオラ・ブランシェットは、逃げた。

――ずっと、見て見ぬふりをしてきた“その名”が、誰かの声に乗って響いた、そのときから。



壇上のアルフォンスは、それを止めようとはしなかった。

ただ、静かに、その背を見送った。


その青い瞳に浮かぶのは、興味か、哀しみか――それとも、確信か。


やがて、誰にも届かぬような声で、そっと呟いた。


「……風ってのはね。吹き抜けた後にこそ、強く“香り”を残すものなんだ」

「……誰にとっても忘れられない”風”になるだろうね、ヴィオラ」


ほんのわずか、唇に浮かんだ笑みには、どこか哀しみの色が混ざっていた。


ふ、と小さく息を吐く。


「――まだ大丈夫。君が自らと向き合う時間は……まだある」


小さく息を飲み、ほんの一瞬だけ、何かを振り切るように視線を逸らした。


「……それでも、物語は動き出す。

 ヴィオラ――君に、主役になってもらうよ」


舞台は整った。

しかし、物語は“筋書き”通りに動くのか、動かないのか。

――そして、”誰がため”の舞台なのかすら、わからぬままに。

※最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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