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第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード④

王立学院・食堂

貴族用テラス席


――昼休み。


澄んだ春の光が、白亜の回廊を通ってテラスに注ぎ込む。

枝先に若葉を揺らす庭園の風が、花の香りをほんのりと運んできていた。


石造りの手すり越しに広がるのは、手入れの行き届いた庭園と、遠くに見える学院の尖塔。

小鳥のさえずりと、屋内から漏れ聞こえる小楽団の旋律が、昼のひとときをゆるやかに彩っている。


白いテーブルクロスの上には、春を思わせる花柄のティーセットが整然と並び、


その一角に――


ルナリア・アーデルハイトは、ひとり静かに本を開き、紅茶を傾けていた。


今日は、いつも同じテーブルを囲むセリアとユリシアが不在だった。

教会の呼び出しで、学院を離れているという。


ぽっかりと空いた向かいの席。


けれどルナリアは、それを寂しいとは思わなかった。

むしろ、ようやく訪れた“静けさ”に、わずかな安らぎを感じていた。


すると、いつものように、まひるの声が脳裏にひびく。


『わかる……このテラス、静かで居心地いいんだよなぁ……』

『あ、でも貴族専用だから、わたしは実質“同伴者扱い”……?』

『……まあ、休憩室でカップ麺すすりながら、社内チャットの通知に怯えてるよりは、はるかに待遇いいけど』


(ふふ……約一名、静かにしてくださると、もっと居心地がよくてよ?)


『ぎくっ! ただいまより、ひとり社食・黙食モードに切り替えます!』


そこへ――


テラスに、ひとすじの影が落ちた。


ほんの一瞬、風が止まったような静寂。


そして、


「やあ、ルナ。随分と贅沢な昼休みを楽しんでるね」


気配は、風が忍び寄るように静かにそこへ満ちた。


ルナリアはカップを置き、ゆるやかに顔を上げる。


わずかな沈黙を挟んで、静かに告げた。


「……アルフォンス王子殿下。何かご用でしょうか?」


微笑みは優雅に、けれど声に籠もる響きは明確だった――

“距離を置く”ための、完璧な礼節。


涼やかに返す声の内側で、まひるが小さく身構える。


『早くもキター!! のんびり穏やかタイム終了な予感!?』

『それにしても、今の“ルナ”って、自然すぎない? ていうかこの人、距離感バグってない?』


気配の主――第二王子アルフォンス・エリディウス・セレスティアは、

はにかむように鼻を触る。


「予想通りの返しだけど、“殿下”はナシってお願いしたはずだよ?」


そう言うと、アルフォンスは口元に笑みを浮かべた。


「そうでしたわね」


ルナリアはまっすぐにアルフォンスを見つめ、きっぱりと言った。


「では改めて――アルフォンス様。何かご用でしょうか?」


「参ったな」と言いながら、アルフォンスは少し癖のある髪先をくるくると触る。

そして、きわめて自然な仕草で椅子を引き、ルナリアの正面に腰を下ろした。


「ここ、いいかな……?」


『……もう座ってますけど! ……てゆうか、まるで最初からここに座る予定だったみたいだし!』

『やばい……天然で“攻略キャラの座席”キープしてくる王子……!』


まひるがぼやく声を聞きながら、ルナリアは平然と本を閉じる。


「どうぞ、お好きになさって」


アルフォンスが軽く手を上げると、給仕が即座にティーセットを用意し、

上質な紅茶が淹れられていく。


「用というほどでもないけど……空いていたから、つい……ね」


「最近、君の“話題”があちこちから聞こえてきたから、ではだめかな?」


ルナリアは一瞬だけ視線を落とす。


「いいえ、だめではありませんけど……噂好きな方々の、いいおもちゃになったようですわね」


『うう、ごめんねルナリアさん……だいぶ、私のせいで話題になってる……』


(ふふ……“だいぶ”どころではありませんけれど)

(でも、まひるさんのおかげで助かっていることも、多いのですわ)


『えっ、今ちょっと泣きそう……! 退職願いは引っ込めます!』

『てか、そもそも異世界勤務って退職できるのかな……?』


アルフォンスはティーカップを手に、少しだけ面白そうに笑った。


「何か――あったのかなって。例えば兄さんのこととか……

 この場所で一緒にランチしている聖女様とのこととかで?」


ルナリアのカップを持つ手が、ほんの一瞬止まり、目を僅かに伏せた。


「何も……ラファエル殿下とは特に何も……ございませんわ」


「なるほど。確かに、君はそういう答えを返す人だった」


紅茶をひとくち含みながら、アルフォンスは続ける。


「まあ、僕は――ちょっと、面白いと思ったけどね」


ルナリアは目を上げる。


「それは、王子としてのご感想?」


「いや、僕個人としての興味。

 ……“変わったな”って、そう感じた人、他にも多いんじゃないかな」


「それは、良い意味で? それとも悪い意味で?」


「うーん……それを決めるのは、君自身じゃない?」


まるで問いに答えるふりをしながら、逆に投げ返してくる。

そして、次のひとことが、唐突に降ってくる。


「でも……ねえ、ルナ」


アルフォンスはふっと笑みを消し、ほんの少し声を落とした。


「――君って……今、何かを……」


一瞬だけ言葉を探すように視線を落とす。


「……“欲しい”って、思ったこと、ある?」


「……」


「誰かのため、王家のため、学院のため――

 そうじゃなくて、“自分自身が望むもの”って、ある?」


カップの縁に口を寄せたルナリアの指先が、ふっと揺れた。

すぐに持ち直すも、まひるの内心がザワつく。


『その質問……ずるい……っていうか、こっちは心の準備とかないんですけど!?』

『それに、それ今ここで聞く!? ガチで転入したばっかりでしょ!?』

『ルナリアさん! これ、ルート分岐イベントですよ!? ここ、大事なとこ!』


まひるが反応するのと同時に、ルナリアはカップを置いた。

唇が動き、ほんの少しだけ――表情が和らぐ。


「そうですわね……”今すぐ”欲しいものがございますわ」


「今すぐ……? それは……何?」


ほんの少し身を乗り出したアルフォンスの青い瞳が、まっすぐにルナリアを見据える――

ルナリアは対面している王子を見つめ返しながら、少しだけ首を傾げ、微笑んで言った。


「“平穏な昼休み”、ですわ」


アルフォンスは癖のある金髪をくしゃっとさせて、頭をかいた。


「参ったな……どうしよう、ちょっと反省した方がいいかな?」


「ええ、かなり」


「……ふふ。なら、謝罪として、今度はもっと静かに座ることにするよ」


ルナリアは、すぐには返さなかった。


けれどその目元に、一瞬だけ――ごく僅かに、笑みの色が滲んだ。

それは、過去の彼女なら絶対に見せなかった、ほんの少し“素顔”に近い、柔らかな会話の応酬。


『ルナリアさん、参りました…。その選択肢はちょっと、思いつかなかったかも』

『でも……アルフォンス王子って、軽いようで時々、すごく本気だよね』

『今の言葉――ルナリアさんに“触れてた”気がする……』


まひるは胸の奥で、ふっと風が通ったような感覚を覚えた。


その時、食器が落ちる音が遠くで響いた。


そしてその瞬間――まるで誰かがレンズを引いたかのように、視界が“外”へと広がった。

そこには、彼らを取り囲む無数の視線と、息をひそめるいつもとは違う光景があった。


――静かだったはずのテラス。


まるで、張り詰めた空気が一斉に弾けたかのように。

周囲から、驚きとざわめきの気配が押し寄せてくる。


ふと気づけば、二人のテーブルに食堂中に視線が集まり、

隣接する庭園に立ち止まった生徒たちが、静寂の中、固唾を飲んで見守っていた。


「アルフォンス様……これは、少し……目立ち過ぎではありませんこと?」


ルナリアが、ティーカップに視線を落としたまま呟く。


「そうだね。今日はこれぐらいにしておこうか」


『”今日は”……なのね』


……まひるがぼやく。


アルフォンスは椅子を引き、立ち上がった。


「ああ……そうだった。君にひとつだけお願いがあって」


ふと立ち止まり、振り向いたアルフォンスは、

いつになく穏やかな笑みを浮かべ、片目をそっと瞑った。


「ルナ……次は、僕のことも、“アル”って呼んでくれたら嬉しい」


「――また、教室で。ルナ」


ルナリアは何も言わず、カップを手に取った。

その時、カップが、ほんのかすかに、音を立てた。


その微かな音は、彼にだけ届いた小さな返事だった。

彼は満足げに微笑むと、音もなくその場を後にした。


食堂にいつもの話し声や、笑い声が戻る。


アルフォンスが去った後。


「お断りしますわ……」


ティーカップを両手で支えながらルナリアは小さく呟く――その表情は少しだけ柔らかかった。


『え、今……ちょっと微笑みましたよね? 気のせいじゃないよね?』

『ルナリアさん……“平穏な昼休み”って言いながら、まさかあれを楽しんでた……とか!?』


ルナリアは柔らかな表情のまま何も返さず、

ただ胸元の月のペンダントが揺れ、春の光を反射してほのかにまたたいた。


まひるはルナリアに聞こえないよう、内心で呟いた。


(ふふっ、これはもう、ルート分岐成功と見てよさそう。

 ……乙女ゲーの中間イベント、達成度80%ってとこですね)

(でも、アルフォンス王子、仕事できそうだけど……

 一緒に働いたら絶対に疲れるタイプ……!)


(しばらくはのんびりと平穏な日々が続くと思ってたけど――

 次はどんなルートに進むのやら……ちょっとだけ楽しみかも!)


破滅ルートを脱したと思い込んでいるまひる……

これは……油断しすぎ、かもしれなかった。


***


──舞台には表と裏、そして照明の境界がある。


テラス席に戻るざわめきの中、

その隣――隣接した貴族席の一角で、静かに紅茶を啜る令嬢たちがいた。


ルナリアと同じクラス、寄宿舎も同じ棟の……例の令嬢三人組。


一見、優雅に午後のティータイムを楽しんでいるように見えたが――

その表情には、隠しきれない緊張と、微妙な苛立ちの色が滲んでいた。


「……ねぇ、今の、どういうことですの?」

「“ルナ”呼び。しかも、“アルって呼んで”って……あれ、完全に幼馴染的なやつ?」

「……というか、今の席の空気、見た? わたしたち、完全に背景でしたわ……」


そして、三人の悲しきアルペジオが静かに響いた。


「背景どころか……」

「……”照明の当たらない脇役”……」

「……誰も存在に気づいてなかった」


――紅茶の湯気に隠れるように、会話が続く。


「殿下は“親しみやすさの演出”がお得意のようですけど……あれは、さすがに度が過ぎてますわ」

「……ええ。いくらなんでも“平穏な昼休み”なんて返しにあの笑み。あれは”友人”以上ではなくて?」

「しかも……笑っていらっしゃいましたわね。“あのルナリア様”が」


ふと、三人の間に沈黙が落ちる。


その視線の先――

カップを手に、ふと微笑むルナリアの横顔が、どこか別世界のもののように映っていた。


「……本当に、全部持っていらっしゃるのね、あの方」

「“高嶺の花”なんて言葉じゃ足りないわ。“天空の花”って、誰が言ったのかしら」

「……それを摘みに来るなんて、さすが王族。やることが大胆ですこと」


紅茶を置いた一人が、かすかに眉を寄せる。


「……まあ、殿下でなければ、誰にも手は届かないでしょうけれど」

「でも――“令嬢”としての矜持まで、踏みにじられたままでいるつもりはありませんわ」

「少なくとも、わたくしたちが“照明の当たらない脇役”で終わるつもりもない、ってことだけは」


最後にひと口、残った紅茶を啜ると、三人は何事もなかったように立ち上がった。


その瞬間――食堂の中央付近、平民席から立ち上がった女生徒と目が合った。

令嬢の一人が呟く……。


「エミリー・フローレンス」


エミリーはふっと口角を上げると、三人に聞こえるか聞こえないかの声で、わざとらしく呟いた。


「ほんと、どこにでも現れるのね。令嬢って暇なのかしら」


三人は一瞬、ぴたりと動きを止め――

だが、次の瞬間には声をそろえる。


「あなたにだけは言われたくない!」


まるで用意された合図のように、ぴたりと揃ったユニゾンが、

人の減り始めた食堂に、鋭く、そしてどこか芝居じみた気迫で響いた。


舞台袖で出番を待っていた”照明の当たらない脇役”たち。

彼女たちも台本を破り捨て、舞台に出ることになるのか、ならないのか。

――それがわかるのは、ほんの少しだけ……未来の話。

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