第5話「社畜と悪役令嬢と、本命になれない王子」 エピソード②
王立学院・登校時間
朝の通学路――
ミレーヌに見送られて寄宿舎を出たルナリア・アーデルハイトは、
いつも通り――完璧な姿勢、完璧な所作で、学院本館へと向かっていた。
整然と並ぶ石畳、咲き誇る花々、すれ違う生徒たち。
――そのひとつひとつは、変わらぬはずの“日常の風景”。
『……なんか、空気……違う?』
行き交う生徒たちが、ルナリアのすぐそばを“何事もなく”通り過ぎて行く。
そっと目を伏せたり、さりげなく顔を背ける者はいても――
彼らは半径3メートル以内の“領域”に、ふつうに足を踏み入れている。
(……そういえば、みなさん、今日はずいぶん近くを歩いていきますわね)
『そうなんですよ! 地蔵化現象もモーゼ現象も、今日は完全にナッシングです!』
(……地蔵? モーゼ……?)
『前までの生徒たちの反応ですよ!』
『えっと……”地蔵化現象”っていうのは――
ルナリアさんとすれ違う時にみんな、目を逸らしてピタッと固まって、微動だにしなくなるんです。
まるで、通路に“お地蔵様”、えーっと”彫像”がズラッと並んでるみたいに……』
(まぁ……そうでしたかしら。それはまた、なかなか風情がございますわね)
『風情ぃ!? いやいや、こっちは毎朝“精神修行”でしたからね!?』
『で、“モーゼ現象”っていうのは……ルナリアさんが進んでいくと、生徒たちがサァーッと、
左右に割れていくんです。まるで海が割れるかのように!』
(ふふ……あまり記憶にございませんが……
それは、ちょっとだけ爽快だったかもしれませんわね)
『いやいやいやいや! 国会答弁か!?』
『“記憶にございません”って、それ完全に政治家のやつじゃないですか!!』
『あれ、絶対に異常事態でしたよ!? ルナリアさん、もうちょっと自覚してほしいですって!』
『こっちは毎朝、通学がパニック映画のオープニングでしたからね!?』
『画面全体に“無言の群衆”……靴音だけがコツ、コツ……って響いて――
次の瞬間! “ラスボス登場”みたいな圧で全員ざざーって道を開けるんですよ!?』
(ふふ……。その……”パニック映画”ですの? とても楽しそうな演劇ですわ)
(でも――今日は、それがありませんのね)
ルナリアは、少しだけ――足を止めて、空を見上げた。
朝の光が、澄んだ空気の中をきらきらと流れていく。
ルナリアは楽しげに笑みを浮かべると、視線を空へ向けたまま、一言。
(でも……以前よりは、悪くない朝ですわね)
『――って、え!? なにその意味深な微笑み!?』
『ちょっ……もしかして、“今のセリフ”、イベントCG差し込み案件!?』
(……相変わらず、まひるさんは面白い方ですわね)
『ルナリアさん……これって、まさか……』
『“悪役令嬢ルート”から、“ヒロインルート”に分岐した……とか?』
(ふふ……誰が悪役令嬢なのかしら)
(でも、まひるさんの言う”乙女ゲーム”の物語には、”筋書き”や”役割”がありますのね――)
そして、まるでそこに誰かの“物語”が透けて見えるかのように、ひとりごとのように呟いた。
「もし本当に、わたくしがこの物語の“ヒロイン”なのだとしたら――
……その結末は、どなたの“選んだ”ものなのでしょうね?」
「”筋書きを描く者”なのか……それとも、”演じる者”なのかしら」
『……って!? ちょ、え、今の……また、めちゃくちゃ意味深発言じゃないですか!?』
脳内で慌てるまひるをよそに、彼女はもういつもの微笑みを浮かべ、黙って歩き出していた。
*
そのとき―― 学院の門の前に、重厚な馬車が一台、静かに止まっていた。
黒塗りに金の装飾。白馬に引かれた馬車は、そこだけ違う空気を纏っていた。
『あれ、馬車で登校? ちょっと雰囲気違う……?』
(あの紋章は……王室の馬車ですわね……)
行き交う生徒たちと共に、ルナリアもまた歩みを止めた。
御者が扉を開け――姿を現したのは、凛とした佇まいのひとりの青年――いや少年。
白いマントの裾をさりげなく払うようにして――彼は優雅に、地を踏んだ。
その瞬間、沈黙が落ち、生徒たちが息をのむ音が聞こえた。
控えめな金の装飾を施された白の制服に身を包んだ、凛とした立ち姿。
癖のある金髪に縁どられた整った顔立ちと、どこか憂いを帯びた深い青の瞳。
降り注ぐ朝の光が、その金髪に淡く反射し、
柔らかな光輪のように少年の輪郭を際立たせていた。
けれど――そこだけ“ズレ”たような、陰のある不思議な透明感――
まるで、誰にも触れられぬ場所に、何かを隠しているかのような。
「……転入生?」
「王室の馬車……誰?」
「……綺麗……」
ざわめき。
ルナリアの視線が、自然とその少年へと引き寄せられる。
そして――まるで気配に気づいたかのように、少年もまた、ルナリアへと視線を――
その瞬間、世界の時間が、ふたりのまわりだけ静かに切り離された。
周囲のざわめきが遠のき、光と空気が止まる。
その隔絶された空間と空間を、ひとすじの視線が静かに結びつけた。
――忘れかけていた“運命の糸”が、唐突に目の前で結び直されたかのように。
少年の瞳が、ふと揺らぐ。
懐かしさとも、痛みともつかぬ何かが、その奥に一瞬だけ浮かんだ。
……けれど、それを悟らせまいとするように、彼はすぐに目を逸らした。
一瞬、ほんのわずかに足元へ視線を落とす。
そこに、かつての“自分”の影が残っているかを――確かめるように。
その影に、過去の記憶と後悔の残り香が、ほんのわずかに滲んでいた。
そして、わずかな迷いも残さずに顔を上げ、
白のマントを風に乗せて翻すと――学院の奥へと、静かに歩み出した。
――再び周囲が動き出し、普段の喧騒が戻る。
「あの人……見た?」
「どのクラスかな? ……王族?」
「本物の王子……もしかして、学院に通うのかな?」
囁きが風に乗って広がっていく中、ルナリアだけが、
どこか静かに――その姿を見つめていた。
『ルナリアさん……あれって?』
ルナリアは鞄を前に下げたまま、視線を下に落としていた。
風が吹き、彼女の長い髪を優しく揺らす。
陽光に透けた銀を帯びた金糸の髪が、淡く光を帯びて踊るたび――
まるで“神話の絵画”から抜け出してきたかのような、静謐な美しさを纏っていた。
……ほんの少しだけ、まつげが揺れた気がした。
(本当に来たのね……“アル”)
『アルフォンス第二王子! シャルロット様が言ってた……』
(ええ……さあ、まひるさん。そろそろ、参りましょう。授業に遅れてしまいますわ)
ルナリアはそっと目を上げた。
その瞳には、紫水晶の奥に秘めた一滴の雫が――
かつて置き去りにした何かを、静かに思い出していた。
そして、制服の裾をゆっくりとゆらしながら、優雅な所作で歩き出す。
朝の光が胸元の月のペンダントを、一瞬きらりと輝かせた。
――それは、彼女の胸の奥で何かが小さく灯った証のように。
その背に、淡く新たな運命の幕が、静かに上がり始めていた。
***
そんなふうに、アルフォンスが去り、世界がふたたび動き出した頃。
――その様子を、遠巻きに見つめていた者たちが二組いた。
学院の校門を見下ろす回廊の一角。
そこには一組目、例の令嬢三人組の姿があった。
「……いまの……ルナリア・アーデルハイト。ご覧になって?」
「ええ。アルフォンス殿下のあの視線……明らかに“何か”ありますわね」
「……ラファエル殿下のみならず……やっぱり、あなどれないですわ……!」
歯噛みするような表情のまま、歩き出したルナリアを視線で追い続ける三人。
そのうちのひとりが、ふと何かに気づいたように横を向いた。
視線の先――少し離れた街路樹の陰には、もう一組目。
ルナリアを目力全開でガン見するひとりの女生徒がいた。
こっそり覗いていた彼女に、“同族”を見つけたかのような妙な親近感を込めて、令嬢たちはそっと視線を送った。
「……あれって、平民特待生のエミリー・フローレンス?」
「この空気、絶対“嗅ぎつけて”来たわね……」
「同業者……」
(前のスコップの一件で“試合に勝って勝負に負けた”エミリーが、また現れた――のだ)
視線を交わした令嬢たちの間で、言葉にはせずとも、ひとつの“理解”が共有された。
エミリーはその視線に気づくと、わずかに目を見開いたあと――
舌を出してぷいっと顔を背け、くるりと踵を返して歩き出した――
が、次の瞬間、エミリーは石畳の継ぎ目に足を取られ、軽くつまずいた。
「あっ……」
あわや、というところで何とか持ち直すと、回廊から見下ろす令嬢三人組を見上げ、キッと睨み付ける。
令嬢たちがほんの少したじろぐ様子を見ると、くいっと校舎に向き直り、さっさと歩き去った。
(……何ですの、あれ? わたくしたちの“呪い”とでも言いたいのかしら?)
(前回は聖女様のおかげで助かったけれど、今回は聖女様はおりませんわよ?)
(“転ぶのが定番”という業を背負ってるあたり、ちょっとだけ……わたしたちに似てるかも……)
再び顔を見合わせた令嬢三人組は……
そんなふうに思ったかもしれないし、思っていないかもしれなかった。
だが確かに、その場にいた“ライバル”たちの間に、奇妙な共犯関係のようなものも生まれていたことは――きっと間違いない。
舞台袖で台本を破り捨てる者たち――
彼女たちが紡ぐのは、予定調和ではない“もう一つの物語”、なのかもしれない。
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