第4話「社畜と王子と悪役令嬢と、王女様のとっておきティータイム」 エピソード⑧
王立学院・王族寄宿舎
シャルロット王女の私室
午後の陽光が、レースのカーテン越しにやわらかく差し込み、
ベッドに並ぶふたりの影をやさしく揺らしていた。
”春の花壇”の幻影と、紅茶と果実の香りが、まだふんわりと空気に残っている。
そっと息を吐き、隣にいる“王女様”の、あたたかな横顔を盗み見る。
その表情は、さっきより少しだけ、少女らしく――やわらかかった。
窓辺の陽光が、ふたりの広がったドレスを淡く照らし出していた。
その光景は、まるで誰かが描いた一枚の絵みたいで――少しだけ、胸がくすぐったい。
(……誰かと、こんなふうに並んで座るの……いつぶりだろ)
(あれだ、たぶん最後は――終電逃して入った駅前の立ち飲み屋。
知らないおじさんと日本酒ちびちびやりながら、ネギ味噌豆腐つまんでた夜……)
(って違う違う! 今は中世宮廷! 横にはお姫様! 日本酒じゃなくて香り高い紅茶!)
まひるが軽く頭を振ると、シャルロットは小さく首を傾げ、微笑んだ。
まるで「何を考えているの?」とでも言いたげな、やわらかな視線で――。
(だめだめ! できることなら、この空気が――もう少しだけ、続いてくれたらいいのに)
シャルロット王女の隣は、不思議なくらい落ち着くのに――
どこか、少しだけ緊張もしてしまう。
“ルナリア”として振る舞うことには慣れてきたはずなのに、
こうして誰かの“やさしさ”に触れるたび、心の奥がふわっとほどけてしまいそうになる。
(ん? ちょっと待って。相手は本物のお姫様だよ? )
(しかも“超絶美少女にして完璧なる王女様”……。
すっかりルナリアさんになり切ってたから忘れてたけど――
こんな子と、ベッドの上で社畜が並んで座ってるとか、落ち着けって方が無理あるのでは……!?)
(やばい……なんか緊張してきた……)
まるで、そんな空気を和らげるように――
シャルロットは金の髪をゆらしながらまひるの顔を覗き込み、そっと笑った。
その瞬間、ふわりと広がったシャルロットの香りがやさしく鼻先をくすぐる。
「ルナ。覚えてる? 二人でこうして話するときは、ちょっとだけ“秘密のお楽しみ”があったでしょう?」
(えっ、えっ、待って……そんな思い出知らないけど!? でも”ルナリアさん”なら、たぶん……)
「……ふふ。もちろんです……懐かしいですわ」
「でしょう? ルナが来てくれるかもって用意しておいたの。 少しだけ――」
(……え、それって最初から一緒にって……? ……うそ、シャルロット様……もしかして……)
(あ――あの時、ティーガーデンで部屋に呼ばれたときの、ランスロットさんの微笑み……)
(そっか……そういうこと、だったんだ……)
そう言って、シャルロットはティーカートの下から、小さな菓子箱をそっと取り出した。
「……見なかったことにして? 侍女には内緒なの。怒られちゃうから」
(な、なにこのギャップ……王女様が怒られるから内緒でお菓子って……ガチでずる可愛い……!)
「でもね、ドレスって……きつくて、たくさん食べたいのに食べられないのが難点ですわ」
(あー、それわかりますぅ……
ドレス着る時、ルナリアさんのただでさえ細い腰を、ミレーヌさんが足に力を込めてさらに締め上げてたから……あれは確かに死ぬかと思いました、はい)
まひるは、「ふふ、わかりますわ」と微笑む。
箱の中には、可愛らしい小さな焼き菓子が並んでいた。
まるで春の花を象ったような、それはそれは美しい“王宮の秘密のおやつ”。
シャルロットはひとつ摘まみ上げ、まひるのティーソーサーの端にそっと添える。
「今日は……ふたりの記念日だから……特別に“ご褒美”よ?」
(……うわぁ、姫さま……惚れてまうやろ……)
ふたりだけの“内緒のお茶会”は、ささやかな甘さとともに、しずかに始まった。
*
甘い余韻が、ふたりの間にやさしく満ちていた。
(こんな時間……前世じゃ絶対、味わえなかったなぁ……)
まひるは、そっと最後のひと口を紅茶で流し込みながら、小さく息を吐いた。
「ふぅ……やっぱり王宮のお菓子って、なんというか……“沁みます”わね」
「ふふ。そう言ってもらえると、用意しておいた甲斐がありますわ」
どこか満足げに微笑むシャルロットに、まひるも自然と笑顔を返す。
ティーセットを軽く片づけながら、シャルロットがふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、もうすぐ弟がこちらの学院に通うことになったの。ルナのクラスですわ」
「……あ、ええと……」
まひるが一瞬だけ言葉を探したその隙に、シャルロットがさりげなく補う。
「ルナも覚えているでしょう? アルのことよ」
「ええ、アルフォンス殿下ですわね」
まひるはすぐに笑顔を整え、自然な調子で頷いた。
(前の晩、ルナリアさんから聞いた名前だ! 聞いといてよかった~。
“ちょっと変わってるけど根は素直な子”、だったっけ……)
「昔は遠くから見てるだけで、あまり“遊び”には混ざらなかったのよね……」
シャルロットは金の髪先を指先でくるりと触れ、苦笑を浮かべた。
「ふふ、相変わらず変わってるわよ。
昔からわざと変なことをして、人の本音を探るようなところがあるのよ」
「ふふ、そういえば“これなーんだ?”って手を開いたら、芋虫だったことも……あのときのルナ、ほんとうに見ものだったわ」
(……もしかして、それって――ただ、ルナリアさんの気を引きたかっただけ……?)
(なんだか……ちょっとだけ、かわいいかも)
シャルトットはくすっと笑うと、まっすぐにまひるの瞳を見つめた。
「……でも根は素直なの。だから、何かあったら……あなたの感覚で見てあげてくださるかしら?
頼りにしてますわ、ルナ」
「ええ。もちろんですわ。わたくしにできることがあれば」
(……これって絶対、アルフォンス第二王子ルート、来るやつだ……)
(でも……こうして託されるって、なんだか……ちょっと、うれしいかも)
*
その後、ちょっぴり甘くて、たわいのない会話が続いた。
そのひとつひとつに、ほんのりとしたあたたかさがにじんでいた。
……もちろん、まひるは話についていくのに必死だったことは、言うまでもないけれど――。
ふと、シャルロットは少し目を伏せて話し始めた。
「実はね、兄様……ラファエル兄様が言っていたの」
言い淀むような口調に、まひるは思わず小さく息を呑んだ。
「あなたが――婚約者としての責任感から、無理をして苦しんでいるのではないかと」
「昔のあなたは、もっと笑っていた。もっと自由だったって……」
(……うう、何も言えない…)
すると、シャルロットはルナリアをそっと抱きしめる。
ふわりと、上品でやさしい香りが漂い、シャルロットのやわらかな感触がまひるに伝わる。
思わず、少しだけビクッとしてしまった。
それは、あたたかくて、やわらかくて――でも、それ以上に、ひとを信じたくなるほどに、確かだった。
(……あれ……誰かと、こんなふうに触れたの、いつ以来だろ……)
社畜として日々をやり過ごしてきた“まひる”には、それはあまりにも遠ざかっていた感覚だった。
忙しさの中で、忘れてしまっていた――誰かの体温。誰かのぬくもり。
そして、誰かの、「わたしを想ってくれる手」。
(……こんな優しさ、わたしには、ちょっと贅沢すぎるよ……)
まひるは小さく息を吐き、少しだけ微笑んで目を閉じる。
そして――シャルロットの抱擁に、そっと身を委ねた。
「わたくしね、兄様があなたの幸せを心から願っていること……どうしても、それだけは伝えたかったの」
まっすぐな青い瞳で、“覚悟”を語ったラファエルの姿が、ふと脳裏によみがえる。
(そっか……王子って、そんなふうに……
ちゃんと、ルナリアさんのことを想ってたんだ……)
(……もしかして――
本当は、それこそが、あの夜会で“婚約破棄”を考えてた理由……だったりするのかな?)
(……なんて、考えすぎ、かな)
「そしてわたくしも……あなたが、“ルナ”らしく生きられるようにって、そう思ってますの」
「……“今”のあなたと、また笑い合いたいのです。あの頃のように」
「だから、どうか“ひとりで抱えないで”。わたくしにも、支えさせてくださいます?」
(“自分らしくいてほしい”なんて、そんなふうに言われたこと、わたし――あったっけ?)
(少しだけ……ルナリアさんがうらやましいかも)
(けど、ルナリアさんのふりをして、こんなに真剣に想われてるなんて……
……わたし、いつか……ルナリアさんのために、この気持ちに応えられるのかな?)
まひるが小さく頷くと、シャルロットはルナリアを抱きしめたまま、そっと髪をなでる。
――ふたりの間に、静かでやさしい時間が、ゆっくりとながれていった。
*
しばらくして――
空になったティーカップをソーサーに置くと、シャルロットはルナリアに向き直る。
そして、少し眉を寄せ、真剣な顔で少し口を尖らせた。
「そうですわ。わたくしの願い……まだちゃんとお返事頂いてませんわ」
(ぎくっ。真剣な顔しないで~、あれもうトラウマ級なんだから……)
「ルナは、わたくしとお友達になってくださるのかしら?」
(はいこれ、選択肢無いやつですね。さすがはお姫様……参りました)
(ルナリアさん、いいよね? わたしも……彼女とお友達になりたいです……なんか照れる……)
そう思うと、胸の奥がふわりと暖かくなる。もう、迷いはない。
「はい。わたくしの方こそ、喜んで」
シャルロットは、その澄んだ青い瞳を潤ませながらにっこりと微笑み、
そして――もう一度、あたたかく包み込むように、ルナリアをそっと抱きしめた。
シャルロットの体温を感じ、柔らかな髪が上気した頬に触れ――
ほんのり甘い香りが胸の奥にふわっと広がる。
まひるは思わず、腕の中で身をすくめる――このぬくもりが、少しだけ、心地よすぎて。
その時、まひるの瞳から、すっと一筋の涙の粒が頬を伝った。
(あれ? この涙……わたしの、なのかな……?)
(それとも――ルナリアさんの……?)
(……でも、どっちでもいいのかも)
(だって――この涙がこぼれたのは、きっと、誰かのあたたかさに、ちゃんと触れたからだもん)
まぶたの奥が、きゅうっと熱くなる。
心のどこかで、誰かが“ずっと泣きたかった”ような気がして――まひるはそっと目を閉じた。
そして、この日の「王女様のとっておきティータイム」は――
春の香りとぬくもりに包まれて、ふたりの記憶にいつまでも残る、特別な午後となったという。
ちなみに――
「ふぉぉぉぉ、本物のお姫様のお部屋~!」くんかくんか。
どうやら、ルナリアの部屋とはまた違う、上品なシーツの香りがテンションをMAXにしたらしく――
乙女ゲー世界を全身のセンサーで味わうことを、最後まで忘れなかったのは……
……でも、それもきっと――“幸せ”のひとつのかたち。
どこまで行っても、“まひる”は“まひる”なのであった。
***
王立学院・寄宿舎
ルナリアの私室(夜)
夜、ベッドの中で――
脳内でルナリアがすやすやと眠っている中、まひる(ルナリアの姿)の声が小さく響く。
「シャルロット様、本当に優しい人だったなぁ……紅茶とお菓子に……あったかい会話……」
(そっと手を添えて、『また、ゆっくりとお話しましょうね』って……ふふ……名残惜しそうだったな)
(これまで、ルナリアさんがずっと一人で頑張ってきたんだって思ったら、ちょっと泣きそうになっちゃった)
(だから、次は……絶対ルナリアさん自身に、シャルロット様とお話してもらいたい)
ふっと笑いが零れ、まばたきをする。
(……ついこの前まで、昼は修羅場、夜は寝落ちの社畜ライフだったんだよね……)
(信じられないくらい、遠い世界に来ちゃったなぁ……)
「あ! 勝手に友達になっちゃったけど……、ルナリアさん、怒らないよね?」
――ふと、心の奥が揺れた。
眠っていたはずのルナリアが、微かに応えた気がした。
(気のせい? ルナリアさん、まだ寝てるよね……
それにしても眠り姫さん、いくらなんでも寝過ぎじゃあございませんか……)
(ひとりで大丈夫って、生きてきたつもりだったけど――
こうして誰かのぬくもりを感じられるだけで、なんだか……あったかいな)
「よし……ルナリアさん。わたし、もう少しだけおせっかい焼かせてくださいね」
「あなたが、ほんとうに幸せになるその日まで――
もう少しだけ、隣にいさせてください!」
(ん? これっていわゆるフラグを自分で立てたやつ? ――ま、いっか!)
「ふわぁ~、眠い。明日からも、破滅フラグの順次対応――一緒に頑張りましょうね」
──月の光に見守られながら、小さな決意とともに、まひるもまた、静かにまぶたを閉じる。
そして、小さく息を吐くように、ぽつりとこぼす。
「……せっかく二度目の人生なんだから――少しくらい、“わたし自身”として、笑ってもいいのかもね」
それは、誰にも言えなかった、“まひる”としての小さな願い。
まだ彼女自身も気づいていない――
でもきっと、それがこの世界で“穏やかに生きたい”と願った、最初の一歩だった。
*
まひるが眠りについたころ、
月の光に照らされたルナリアのまぶたが再び――そっと開く。
しばし、静かな夜の天井を見上げてから、ルナリアは小さく呟いた。
「まひるさん……わたくし、ずっと、起きていましたわ」
「あなたの声、全部……ちゃんと、聞いていましたのよ、まひるさん」
(……どうして、あなたはあんなにまっすぐに――
“わたくし”でいてくださるのかしら)
そっと、自分の頬に手をあててみる。
(……この頬に触れても、まるで誰かの仮面のようで。
ずっと、自分ではないように感じておりましたの)
(――わたくしは、誰かに触れても、心まで触れ合えるとは思っておりませんでした)
(けれど今日からは……ほんの少しだけ、“わたくし”の頬だと感じられるような気がいたしますわ)
「――ありがとう、まひるさん」
目を閉じ、静かに微笑む。
(勝手に“友達になっちゃった”なんて言っておられましたけれど……)
(ふふ……そうですわ、わたくしは最初から――シャルのこと、“お友達”だと思っておりましたのよ)
ルナリアは、上気した頬を手で包む。
(でも――あの時までは、きっと“昔”のわたくしとして)
(今は……あなたを通して見つけた、“今”のわたくしとして)
(だからきっと、“今”のわたくしなら……本当のお友達になれる気がいたしますわ)
ふと、脳内からまひるの寝言が漏れる。
『くんかくんか……姫様のお部屋の香り……むにゃ……』
(……ほんと、油断も隙もないのだから。ふふ……)
(……何度か、声を上げそうになりましたのよ?)
微笑をこぼしながら、ふっと視線を上げる。
――月明かりが、カーテン越しに差し込む夜。
(……ラファエル様。今日、あなたが見ていたのは……)
(“わたくし”? それとも、“彼女”?)
少しだけ、胸がきゅっと締めつけられる。
けれど、その痛みすら――不思議と、あたたかいものだった。
「……どちらでもいいのかもしれないわね」
「だって今のわたくしたちは――もう、ひとりじゃないのだから」
静かな夜の中、そっと胸に手を添えながら。
ルナリアは、まぶたを閉じた。
空に浮かぶ三つの月が、まるで祝福するように静かに光を重ね――
そっと吹く風が時折木々をざわめかせる。
――そうして、“ひとりじゃない”と気づいた、転生社畜と悪役令嬢。
ふたりの物語は、月の光に見守られながら――未来へと、そっと歩き始めていた。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回は少し長めのお話になりましたが、こちらでひとまず、序盤の締めくくりとなります。
次話は、日曜夜に投稿予定です。
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