第4話「社畜と王子と悪役令嬢と、王女様のとっておきティータイム」 エピソード④
王立学院・中央庭園《七聖環の園》
春の陽差しが降り注ぐ格式ある庭園の中央、泉のほとりに設けられた特設ティーガーデン。
今日のティータイムのためだけに用意された、特別な空間だった。
白砂の小径には木漏れ日が揺れ、淡く花の香りが漂う。
風はやわらかく、日向と日陰の輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。
木々のあいだから、小鳥のさえずりが風に紛れて届いてくる。
その音さえ、まるで計算された調べのように――静かな午後の庭園に、そっと響いていた。
少し離れた場所では、三名の侍女が静かに控え、
銀の食器に盛られた菓子の数々もまた美しく、
長いテーブルの上に、整然と並べられていた。
風に乗って、ほのかに聞こえるのは――
銀のトングが、ティースタンドに触れたときの、かすかな澄んだ音。
ふわりと香るのは、紅茶に添えられた白桃のコンフィチュール。
焼きたてのタルトには金箔があしらわれ、果実の甘みと酸味が、口にする前から想像を誘う。
ティーパラソルの下、白磁のカップを傾けながら、ひとり優雅に腰を掛ける少女。
豊かな金髪を湛え、白地に金の装飾が施された豪奢なドレス。
傍らには、威風をまとった騎士がひとり、静かに控えていた。
少しだけ紅茶に目を落とす彼女の横顔には、微かな上気が浮かんでいた。
「今日のお茶は〈白桃とジャスミンの花冠〉……ふふ、やっぱり選んで正解でしたわ」
ほんのりと甘く華やかな香りが、湯気とともに鼻をくすぐり、舌先にわずかな期待を残す。
少女は、純白の扇を広げ、ゆったりとあおぎながら何やら物思いに耽っている。
(今日のルナリア……ふふ、さて、どんな顔で現れますことやら)
そんな思いとともに、王女は金のスプーンをひと匙、レモンタルトのクリームに滑らせた。
ふと――
薔薇園の向こうに、何かを見つけたかのように、彼女の視線がぴたりと止まった。
まるで光すら退くように、その一瞬、庭園の空気が凍る。
そして、手にした扇で口元を隠しながら小さく呟いた。
「あれは――昨日、ルナリアに剪定されかけたという……”薔薇の貴公子”でしたか」
「……くす。王女として、あれを見逃すほど――このタルトのように甘くはありませんわ」
口元は見えなかったが、その青い瞳は笑ってはいなかった。
そして、自らを王女と呼んだ少女は、スプーンを静かに置き――
傍らの騎士が「御意に」と軽く頭を下げると、
絹のドレスをふわりと揺らしながら、静かに席を離れた。
「……くだらない茶番ですけど……一つ、どんな“貴公子”ですのやら」
扇を音もなく閉じると、王女の口元には微笑が浮かんでいた。
「ふふ……見極めさせていただきますわ」
*
陽光きらめく薔薇園。
その優雅な空気をぶち壊すかのように、場違いなほど自信満々な笑みを浮かべたキラキラ・サラサラな男が一人、胸を張って歩いていた。
その片手には白い薔薇を一輪、もう片方には――女性用の剪定バサミ。
「ふ、ふふ……やっとだ……時代の方から、俺に追いついてきた……!」
クラウディオ・ベルトラム――名門とは言い難い、平民上がりの男爵家の令息である。
昨日、ルナリアに“ばっさり剪定”されたばかりだというのに――
その出来事は、彼の脳内で見事なまでに“美化”され、攻略が順調に進んでいると確信していた。
そんな彼の、次なる一手とは。
「ルナリア様が婚約破棄……そして、今では庶民にも優しく、気さくに接するようになられた……!」
……そう思い込んでいるあたりも、彼の脳内フィルターの恐ろしいところである。
「しかも、あの麗しきルナリア様が……この俺に、やさしく薔薇の育て方を教えてくださった!」
「そして、二人の“絆の証”――この運命のハサミ!」
「今! こうして、薔薇園に足繁く通う俺!」
「――ああ、完璧だ。これはもう……次に声をかければ、逆玉確定じゃないか!」
……だいぶと情報は誤りだらけのようだが、その根拠のない自信だけは――とびきり本物だった。
そして今日も、どこからか聞きつけた“お茶会”の噂を頼りに――
休日にもかかわらず、ルナリアを探して庭園を歩いていた。
その時――
まさに運命と呼ぶべき“何か”が、彼の視界に映った。
「あれは……?」
薔薇園の一角に、優雅な足取りで現れたのは――一人の少女。
うららかな日差しの中、輝く純白に金をあしらったドレスの両肩に、赤いリボン。
太陽の光を閉じ込めたような、黄金に輝く豊かな髪。
その気品あふれる佇まいは、まさに“絵画の中から抜け出してきたかのよう”だった。
――セレスティア神聖国 第一王女にして、ラファエル王子の妹君。
シャルロット・アストレイア・セレスティア。
その名を知らぬ者など、学院にはいない。
セレスティア神聖国が誇る、気高さと威厳を備えた“王女の中の王女”。
完璧なまでに整った顔立ち。
そして、どこか近寄りがたい静謐さを宿す、深く澄んだ青の瞳――
それは“王族”という立場から来るものではない。
むしろ彼女自身がまとう、“存在そのものの重み”によって成り立っていた。
遠巻きに様子を見ていた生徒たちが、息をのむ。
シャルロットの右手には、控えめな装飾が施された絹の扇。
わずかに開き、顔元に添えたその仕草――たったそれだけで、
周囲の空気がピンと引き締まるのが、誰の目にも明らかだった。
しかし――
クラウディオは目を輝かせた。
(な、なんてことだ……! 王女殿下直々に俺のもとへ……
これはもう、時代が俺を選んだと言っても過言ではないっ!)
心の中で勝手に運命を確信し、少し震えながら手にした薔薇を握り直す。
そして王女の前に進み出ると、“運命のハサミ”を後ろ手に隠しながらひざまずく――
引きつった微笑、ぎこちない所作。
だが本人は、王女と運命の出会いを果たした男の所作、“完璧な静謐”だと信じていた。
シャルロットは、ひざまずく男をしばし無言で見下ろした。
ほんのわずかに顎を上げ、その視線で――「語れ」と告げる。
(……さて。薔薇の貴公子さんとやら。
あなたの言葉で、あなた自身を量らせていただきますわ)
クラウディオは、王女に相見えるという”幸運”と“栄誉”に震えながら、口を開いた。
「シャルロット王女殿下……この薔薇は、貴女の美しさには到底及びませんが……どうか、俺の――永遠の愛の証として……」
「愛の証」という言葉に、ほんのわずかに、シャルロットの眉が寄る。
その青の瞳は氷のように冷たく、薔薇など見ていない。
(……それが、そんなものがあなたの“愛の証”ですのね)
(そうですの……もう、十分ですわ)
「――黙りなさい」
澄みきった声が、氷の刃のようにクラウディオの頭上から振り下ろされた。
その瞬間。
庭園のざわめきが、ぴたりと止まる。
息を呑む音すら聞こえるほどに、空気が凍りついた。
ポロリ。
完全に固まったクラウディオ。
……静寂のなか、薔薇が地面に触れる音だけが――
あたかも、クラウディオの運命を告げるように、響いた。
「あなたが誰を想うのも自由。
けれど、その想いが浅く、軽く――ただの飾り言葉に過ぎないなら」
「それは、愛などではなく」
「本物の“愛”を知ろうとする者に対しての――侮辱ですわ」
その声音は、決して荒げられることなく――
けれど、圧倒的な“格”だけが、静かに周囲を打ちのめしていた。
シャルロットは扇を閉じ、すっと一歩前へ。
そして、迷いなくその扇を――そっと彼に向けた。
まるで、その価値を見極めた女王が下す裁断のように。
「よろしくて? 今のあなたには、王家はおろか――“アーデルハイト”の名は背負えませんわ」
「まずは、ご自分の中身を磨いてから――もう一度、出直していらして」
「薔薇の世話も、まずは“根”からですわね?」
カラン。
”運命のハサミ”が、クラウディオの”命運”を断ち切るように、乾いた音を立てて落ちた。
誰も声を出せぬまま――ただ、その“余韻”だけが、春の風に溶けて消えていった。
木漏れ日すら動きを止めたかのような静寂の中。
茂みの陰から見ていた一般生徒たちも、息を呑んだまま、身じろぎもできなかった。
やや早足の足音が、小道に規則正しく響いた。
その気配にシャルロットがわずかに振り返ると、
陽差しの中に現れたのは――クラリッサ・ベルトラム。
「兄上……また、薔薇など摘んで余計なことを……」
恥ずかしそうに額に手を当てつつ、シャルロットに深く一礼する。
「王女殿下、本日は兄が無礼を働き、誠に申し訳ございません」
シャルロットは小さくため息をつくと、微笑んで語り掛けた。
「……気にしていないわ。お互い、兄には心配が絶えないわね」
クラリッサは制服の裾をつまみ、優雅に一礼した。
「改めまして、自己紹介させていただきます」
「ベルトラム男爵家の娘、クラリッサと申します。王立学院の一年です」
「もしまたお目にかかれる機会がございましたら……そのときは兄抜きで、ぜひご挨拶させていただければ嬉しく思います」
シャルロットは開いた扇を口元に寄せる。
その上の瞳が和らぎ、微笑んだ。
「ええ、機会がございましたら、ぜひ――。貴女のような方となら、有意義な時間を過ごせそうですわ」
「品格とは、ふるまいで証明するもの――わたくしは、そう信じておりますの」
そしてクラリッサは、苦笑しながらも、兄の耳をつまみ上げた。
「さあ、行きますよ兄上。」
「い、痛たたた……! ま、待て、クラリッサ! 俺はまだ――」
「兄上、これ以上恥を晒すようなら……“雑草”として根こそぎ引き抜きますよ?」
「や、やめてくれクラリッサ、それだけは……!」
「ああ、シャルロット様……なんと気高く、美しきお方……!」
引きずられながらも、クラウディオは夢見るように呟いた。
*
――そんな彼の姿に、茂みの陰からひそひそ声が漏れる。
「シャルロット様……かっこ良すぎ。まさに、高嶺の頂点に咲く一輪の花」
「今度のターゲットはルナリア様だったらしいけど……」
「……また懲りずに高嶺狙いか」
「最終的にシャルロット様に一目惚れって……もう身の程知らずにも程があるわ」
「いや、王女殿下に”愛”を口にした勇気だけは本物かも。僕には絶対無理」
「でもさ……シャルロット様って、“本物の気品”だよな」
「あの人は――立っているだけで、風景になるんだよ」
こうして、王女とベルトラム兄妹の武勇伝は、学院の伝説となったという。
***
――後日談。
その後、クラウディオ・ベルトラムは「王家にふさわしい男になる!」と高らかに宣言し、
持ち前のポジティブさと、意外なまでの努力家気質を発揮。
「まずは、ご自分の中身を磨いてから――もう一度、出直していらして」
「薔薇の世話も、まずは“根”からですわね?」
数年後、本当に王家近衛隊へ入隊を果たし、“薔薇の騎士”として名を馳せることとなる。
――だが、その道のりはまだまだ遠い。
宣言にも拘わらず、これからも多くの令嬢へ薔薇を捧げては剪定されていくことになるのだが……それもまた、“本物の愛”を夢見ているからこそ、なのかもしれない。
これからも、”薔薇の貴公子”の武勇伝は続くのであった。
***
――クラウディオがクラリッサに強制退場させられた後。
王立学院・中央庭園《七聖環の園》
特設ティーガーデン
《七聖環の園》泉のほとり、ティータイムのために整えられたティーテーブルのもとで――
シャルロットは一冊の手帳を開いていた。
そのほっそりとした指先に握られたペンが、カリカリと音を立てて走る。
「……さて。今日はしっかりと――見極めさせていただきますわね、ルナリア」
微かに口元を引き締め、シャルロットは再び手帳に視線を落とした。
しばらくして、侍女が空になったティーカップに紅茶を注ぎ、ジャスミンの香りが辺りを包む。
すると、傍らに控えていた騎士が、軽くひざを折り、そっと声をかけた。
「姫君、そろそろお時間です。聖女様が庭園の門を通られました」
シャルロットは手帳を閉じ、紅茶にそっと目を落とす。
「ええ……わかっておりますわ、ランスロット」
扇をゆるくあおぎながら、ふと、風に舞う木漏れ日に視線を向ける。
「……けれど、今日は少しだけ。王女でも、妹でもない私で……いたいのです」
――“王女“としてでも、”王子の妹”として、でもなく。
その横顔に、わずかな寂しさと――祈るような想いが、静かに宿っていた。
ランスロットは深く頭を垂れ、短く応えた。
「――御意」
その返答の響きは、あくまで忠誠を示すものながら――
どこか、長年寄り添ってきた者だけが知る、やわらかい響きを帯びていた。
「ええ……今日は、大事な時間ですもの」
それだけを告げると、彼女はそっと紅茶に目を落とし――
まるで何かを、心の奥にそっと閉じ込めるように、静かに息を吐いた。
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