第4話「社畜と王子と悪役令嬢と、王女様のとっておきティータイム」 エピソード①
第4話 「社畜と王子と悪役令嬢と、王女様のとっておきティータイム」
――奉仕日の翌朝。休日。
春風にカーテンが揺れる朝――
ルナリア・アーデルハイトは、豪奢なベッドに沈み静かに眠っていた。
前夜、“予想外に本気を出した奉仕活動”で心身を酷使し、
さらにその後、脳内でまひると延々と会話を繰り広げた結果――
珍しく、深夜まで眠れなかった。
そして今――
――爆睡。
陽の光をうっすらと受けたレースの天蓋、
ふかふかの羽毛布団、なめらかなシーツ。
やわらかな寝具に包まれ、まるで王子の接吻を待つ眠り姫のように眠るルナリア。
こんこん──ガチャ。
「お嬢様、ミレーヌです。失礼いたします」
静かに扉を開けたのは、黒を基調としたクラシカルなエプロンドレスをまとった少女。
栗色のツインテールをなびかせ、腰の大きな白リボンがふわりと揺れる。
小さく背伸びして、リボンの端を軽くつまむと、指先でそっと整える。
彼女の名は――ミレーヌ・アルヴェール。
王立学院に通う中等部の生徒でありながら、特例で寄宿舎への住み込みが許された存在。
そして、気高き“氷の百合”――ルナリア・アーデルハイトの専属侍女である。
若き使用人ながら、その忠誠心と、時に鋭利すぎる“正論毒舌”で知られる、少し風変わりな侍女でもある。
「……あら? ルナリア様……?」
ベッドに近づいたミレーヌの目に映ったのは――
まるで”眠り姫”のように微動だにせず、深い呼吸を繰り返す“氷の百合”の姿。
(……おかしいですね。休日のこの時間なら――
窓際で紅茶を口にしながら、すました顔で本を読んでいるはずなのに)
これはまさかの――爆睡。
ミレーヌはわずかに眉をひそめ、小さく首をかしげた。
(また……昨夜も、何か“ご活動”があったのでしょうか)
ちょっとした悪戯心が芽生えて、ベッドにそっと歩み寄ると――
ルナリアの形の良い耳元へ、少しかがんで口を寄せ、小声で囁いてみた。
「――噂では、昨日、王子様をお背負いになって階段を駆け上がったとか……」
「ひぃっ!? そ、それっ、筋肉全振りで好感度が地面にめり込むルートぉおおっ!」
ばっ!
跳ね起きた“ルナリア”に、ミレーヌはびくんと肩を震わせ、思わず半歩後ずさる。
「……え? い、今のがそんなに……? ほんの冗談のつもりだったのですが……」
(……ほんのひと刺しのつもりでしたのに。どうやら、ちょうど琴線に触れてしまったようで)
ぱたん。すゃ~。
わけのわからない悲鳴を残して、再び寝息を立てるルナリアを見下ろしながら――
ミレーヌはふぅっと小さく息を吐いた。
(やっぱりこのお方、“氷の百合”なんかじゃありませんわ……)
そのとき――
「ふぁああ……おはようございますぅ~」
まるで先ほどの悲鳴などなかったかのように、
のびをしながら、ふわっと瞼を開いた“ルナリア”。
だが――それは眠り姫の皮をかぶった社畜。
まひるの目覚めだった。
「あ、ミレーヌさんこんにちは……えーと、今って、何時ですか?」
その気の抜けた口調に、ミレーヌは一瞬、ぽかんと目を見開いた。
(……え?)
「お目覚めには違いありませんが……。
失礼ながら、今日のルナリア様……寝起きの抱き枕のような雰囲気と申しますか……」
ミレーヌは眉をほんの少し寄せると、寝ぼけたルナリアの顔を、じとり、と目を細めて見つめた。
そして、小さくため息をつく。
(まるで別人……いつものルナリア様が彫刻の女神様なら、今日はもう、“粘土細工の女神様”です)
いつもの冷ややかで気品ある佇まいとは真逆の、ふにゃっとしたルナリア。
言葉づかいも所作も、どこか“らしくない”。
「ルナリア様がこの時間までお寝坊するなんて、わたしの方が時間を間違えたかと思いましたけど……」
「んと、ルナリアさんはちょっとお疲れで、いまは……えーと、寝てて……」
「は、はあ……?」
ミレーヌは困惑したまま、眉根を寄せてその寝ぼけ顔をじっと見つめる。
(いつもなら、背筋をぴんと伸ばして目を細め、
『ティーセットの準備は?』っておっしゃるのに……
今日は、なんですかこのふにゃふにゃ具合)
「……まあ、理由はよくわかりませんけど。元気そうなら、それでいいです」
そう言いながら、くるりと背を向け――
腰元の大きなリボンがふるり、と揺れる。
そしてミレーヌは、目を伏せたままスカートの裾をそっと握りしめて、
少しだけ声を低くし、ぽつりとこぼした。
「……もう少し手加減してくださいね。次に花壇に飛び込んだら、今度こそ本気で辞めますから……」
けれど、その手をほどくように深く息をつく。
「……ただし、どうしてもって仰るなら――せめて、泥が目立たない服を選ばせてくださいませ」
(……ほんとに辞めちゃう夢、見たんですからね。結局、起きたらしれっと着替えてましたけど……)
と、そのときミレーヌが目を見開き、口元に添えていた指先がぴたりと止まる。
「……あっ、いけない……!」
思わず背筋を伸ばし、ぱたぱたと小走りでデスクに向かうと――
胸元から一通の封書を取り出し、包み布を開きそっと置いた。
王家の封蝋が施された、それはまさしく――シャルロット王女殿下からの手紙だった。
「王家より、お茶会のお誘いが届いております。
第一王女シャルロット殿下より、正式にご指名を賜っております。
会場は王立学院《七聖環の園》の特設ティーガーデンにて――」
「……お時間につきましては――
お嬢様のお目覚めが少々“優雅”すぎましたので、モーニングティーを召し上がるご猶予は……ないかと存じます」
「お、お茶会……!?」
乙女ゲーの香りがするワードに、まひるの脳内にスパークが走る。
(……待って、第一王女って、攻略対象の妹で、しかも……周辺人物!?
てことは……高確率で破滅フラグ案件じゃ――!?)
「……行きます。というか、今行かないとまずい気がします!」
一瞬で“乙女ゲーモード”に切り替わるまひる。
「承知しました! では、ドレスを……」
ミレーヌが衣装棚を開くと――
ずらりと並ぶドレスたち。色とりどり、布地も刺繍も超一流(たぶん※まひる注)。
まひるは、しばしの間、目を奪われる。
(うわ……きらきら……ほんとにご令嬢なんですね、ルナリアさんって……)
まひるは目を輝かせながら、宝物に触れるように、ひとつひとつのドレスにそっと指先を滑らせていく。
そのとき――指先が、ふわりとやわらかな布に触れた。
触れた瞬間、胸の奥が不思議な温かさで満たされる。
それは、淡い光をまとったような、サーモンピンクのワンピースドレス。
「……これ……かわいい……」
まるで、いまの自分の気持ちに、そっと寄り添ってくれるみたい――
そう思わせる、やさしい色だった。
ミレーヌは、ふっと息を呑んだ。
(えっ……暖色……? いつも通り、紺か青系統をお選びになるかと……。
今日のお嬢様……なんか、やわらかすぎて逆にこわい……)
まばたきも忘れ、ルナリアのほっそりとした指先と、光を帯びたその生地から――目が離せなかった。
ゆっくりと、言葉を探すように、けれど警戒心を隠しきれない声で口を開いた。
「……そのドレスの色、妃教育が始まる前、よくお召しになっていた色……ですね」
「えっ、そうなんですか?」
「はい……ですが、妃教育の指南役から“王妃にふさわしい色ではない”と却下されて以来、一度も……」
ミレーヌは一呼吸し、ほんのわずかに視線を伏せた。
(でも……衣装選びのとき、あのドレスの前で指が止まることは、何度か……ありました。
ほんの数秒。でも……あれは、迷っていたのでしょうか? それとも――)
まひるは、そっとそのドレスを胸に当てて、鏡を見ながら微笑む。
「ふふ。じゃあ、今日はこの色、着てみます」
「……っ!?」
ミレーヌは、ルナリアのその無邪気な微笑みに、思わず胸元で手を重ねた。
(え……こんな顔、いつ以来……?
今日のお嬢様、なんだか……かわいすぎませんか……?)
ほんの一瞬、胸の奥がふわりと熱を帯びる。
(……これ、寝起きテンション? “女神の気まぐれ”ってやつ?
それとも、新たな“奇行カテゴリ”の発掘……?)
内心で軽く混乱しながらも、思考を立て直す。
「……今日のお嬢様、ほんとかわいいですけど……ちょっとずるいです」
でもその声音には――呆れと、ほんのり甘さの混ざった響きがあった。
(……今日のお嬢様が“かわいい”のは、どう考えても反則ですが……。
でもまあ、こんなお嬢様も、わたしは嫌いじゃないですよ……たとえ朝からぐだぐだでも。
……ええ、仕方ないですわ。お嬢様の“かわいい”は、最強ですもの)
***
ミレーヌの手伝いでなんとかドレスアップを終え、学院の中庭へ向かうまひる(ルナリアの姿)。
(うふふ、まるで乙女ゲームのイベント前ムービーみたい……!)
淡いサーモンピンクのワンピースに、控えめなリボン帽。靴も色味を合わせて、全体はやわらかな春の装いにまとまっている。
ドレスに合わせた、ミレーヌの見事なコーディネートである。
小鳥がさえずり、風は穏やかに頬をなでる。
まひるはすっかり上機嫌で、破滅フラグのことも――
まるで春のやわらかな風に溶けてしまったかのように――
ぜんぶふわっと忘れ、軽やかに歩く。
(わあ、花が……咲いてる。風も、きもちいいなあ……)
こんな何気ない朝に、こんな気分になるなんて――
……ちょっと、贅沢かも。
*
「……なに、あれ。ほぼスキップじゃないですか。あんなの、かわいすぎ、です……って……」
その背を、部屋の窓辺に肘を添えて見送っていたミレーヌが、ぽつりと呟く。
その丁寧な口調とは裏腹に、声にはむくれと、わずかな照れが混ざっていた。
手には、さっきまでルナリアの部屋の掃除に使っていた羽根はたき。
いつの間にか動きを止めたまま、その柄を胸元で両手に抱えて――じっと見つめていた。
春風がそっと吹き抜け、栗色の髪の上でヘッドドレスがふわりと揺れる。
けれどその視線は、風に流されることなく、ただ一心にその背中を追っていた。
「しかも、“似合ってますわ”って言った瞬間……あんな笑顔で返されるなんて……
ほんと、ずるいにもほどがありますわ……」
そっと顔をそむけ、小さく拳を握る。
(……またしても、不意打ちでときめかされた気がします。
ほんと、あのお嬢様には油断も隙もありません)
ふぅっと息を吐いて、ミレーヌはぽつりと続けた。
「……なんかこう、“春の化身”って感じですよね……」
(きっと、もともと“ああいう方”だったのかもしれない――。
……だとしたら、わたしは今まで何を見てたんでしょうね)
「……ほんともう、照れて損しましたわ……」
照れ隠しのように頬をふくらませながらも、視線はそっと、名残惜しげに
――その背中を見送り続けていた。
*
一方、その姿を見た学院の生徒たちは、すでにざわめき始めていた。
「……ルナリア様? えっ、あんな明るい色……?」
「似合いすぎる……」
「……わ、ほんとに……」
「なんか、やわらかい雰囲気……でも、気品はそのまま……!」
「あの“氷の百合”が……春の陽気で溶けた!?」
最初は戸惑い、次に驚き、やがて、息を呑むような静けさが広がっていく。
見守る侍女たち、生徒たち、教師たち。
それぞれが、目の前に現れた“変化”に言葉を失っていた。
ただ美しいだけの人形ではない。
内面からあふれる生命力と、気まぐれな春風のようなやさしさ。
──まるで、本物の“春”が、人の姿で歩いてくるようだった。
*
うららかな庭園を春風をまとうように歩く、ひとりの令嬢。
その姿は、まさに“春そのもの”だった。
けれど――春が芽吹かせるのは、草花ばかりとは限らない。
すれ違う”ふたつの心”にも、まだ名もなき芽が、そっと顔を出し始めていた。
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