第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード⑩
セレスティア神聖国
王立学院・寄宿舎
――ルナリアの私室(夜)
学院は夜の静寂に包まれている。
三つの月が淡い光を落とす中、ルナリア・アーデルハイトはキャンドルのゆらめく光に照らされて、重厚な木製のデスクに向かっていた。
机の上には、整然と積まれた書類の山。
それは学院の課題に留まらず、妃教育の一環として日々届けられる――神聖国内の報告書や政務文書だった。
カリカリ、と羽根ペンを走らせながら、ルナリアは無駄のない手付きで書類をさばいていく。
(……小麦の生産量が予定より下回っている……理由は、このところの天候不順の影響ね)
(でも、大豆の生産量は、昨年を上回ってますわ――
大豆は家畜の餌にしか使われないのだけれど……畜産に力を入れれば、安定した食料供給に繋がりますわね)
的確に状況を把握し、さらりと助言を書き記す。
インクボトルにペン先をつけ、インクを馴染ませると――
カリカリ……。
再びペンの音だけが部屋に響く。
やがて、ふと手を止め、ルナリアは窓の外に視線を向けた。
夜風に揺れるカーテン越しに、月明かりが静かに差し込んでいる。
(……まったく。学院にいる間も気が休まりませんわね)
そんな独り言に――その静けさを破るように、脳内から聞き慣れた声が響いた。
『ルナリアさん、相変わらず……お仕事できる系美人すぎません!?
この元ブラック企業社畜の目から見ても、その完璧ムーブ、憧れますわ~!』
(……あなた、いつから見ていたのかしら)
『えへへ、最初から♪ だって、さっきからずっとカッコいいんですもん!』
(社交辞令なら結構ですわ)
そう言いながら、少しだけルナリアは微笑んでいた。
『でもこれ、深夜労働……。完全に社畜案件ですよね!?
労働基準法どこ行ったんですか!?』
(……意味が分かりませんわ。 令嬢たるものの当然の務めかと)
『なるほど……つまり、ルナリアさんは令嬢畜ということに!』
(ふふ……。では、“豆”を口にする覚悟も必要ですわね?)
書類を一旦脇に寄せ、ルナリアは紅茶に手を伸ばした。
香り高い茶葉の香りが、疲れた頭を少しだけ癒す。
『でも、今日の“花壇イベント”も完璧でしたし、仕事もバッチリ!
ルナリアさん、これ……絶対イベントCG出ましたよね!?』
(またその話ですの?)
『背景は夕暮れの花壇で、ルナリアさんがスコップ持ってキラキラしてるやつ!
あと、例の令嬢三人組が感動してる構図、絶対あるやつです!』
ルナリアは静かにため息をついた。
(……あなた、本当に飽きませんわね)
『だって、今日は破滅フラグ回避コンボが炸裂しましたし!
これもう、好感度うなぎ登りですよ~! 王子も見てたっぽいし!』
“王子”という言葉に、紅茶を持つルナリアの手がわずかに止まる。
……そう、“見ていた”のね。
ほんの僅かに揺れる感情を悟られまいと、紅茶を口に運ぶ。
『ふふ、王子ルートも順調ですね~♪
やっぱり“悪役令嬢(改)ヒロインルート”は大成功ですよ!』
(……だから、誰が悪役令嬢ですの)
『はいはい、そう言いながらも、しっかりフラグ管理してるじゃないですか~。
ルナリアさんのその凛とした気高さ、もはや主人公です!』
(……意味はわからないけれど。
あなたの言う“乙女ゲー”とやらは、どうやら順調のようね?)
『はいっ!ルナリアさん、超・順調です!!』
ルナリアは、窓辺に腰掛けながら静かに目を閉じた。
(それなら……良いでしょう――)
(……でも、時々、わからなくなるのですわ。本当に、これで良いのか――と)
『ルナリアさん……』
(けれど、立ち止まるわけにはいきませんものね)
『……ルナリアさん。もし、悩んでるなら、わたしも一緒に悩みますよ?
でも、社畜的にはまずは夜食! 悩みは血糖値爆上げで解決!』
(……まひるさん。あなたが悩むべきは、主に発言の方ですわ)
*
再び書類に向かい、半刻ほど経ち――窓の外では静かに星が瞬いていた。
――まひるの声が、突然、わくわくした様子で響いた。
『ねぇルナリアさん、ここって異世界だし、魔法って使えるんですか?
ちょっと見せてほしいな~って!』
(あら、お休みになっているものかと……)
『えへへ~、いろいろ考えてたら眠れなくて、ぺこり』
(……ほんとに、好奇心旺盛なんですから)
ルナリアは小さく微笑むと、窓に目を向けた。
(……少しだけよ。私はそれほど得意な方ではないのだから)
ごくり。と、まひるは心の中で唾をのみ込む。
窓に向けて指先をスッと伸ばし、そっと呟く。
「風よ――囁きのごとく」
風が、ふっとルナリアのすらりとした指先に集まっていく――。
空気の層が、低く唸るように振動する――
徐々に指先の空間が歪み、周囲の気流が収束するように引き寄せられていく。
振動が止まり――室内が一拍だけ凪ぐ。
次の瞬間、凝縮した空間の歪みが一気に解き放たれた。
鋭い音と共に濃密な気流が一直線に走り、渦を巻きながら窓へと突き進む。
カーテンが大きく波打ち、外の梢がたわんだ。
ルナリアの金の髪が少しだけ踊り、書類の端がぱたぱたと動く――
すべての音が戻るまで、わずか数秒。
そして部屋のキャンドルの炎が消え――月光だけがその力を行使したルナリアの顔を照らしていた。
(……ふぅ。少し力を込めすぎたかしら。 灯りが消えてしまいましたわね)
(でも、風の流れは素直でしたから、まあまあといったところかしら)
沈黙が落ちる。
『う…う…うわぁ……! すごい……!』
『……お腹の奥が、ポカポカって……それから何かが走った感じがして。
指先でぶわって広がって……でも、熱いわけじゃないのに、ドキドキして、ちょっと震えてて……』
『これが……魔法……? なんか、身体の奥で、何かが“起きた”みたいな感覚でした……!』
まひるの素直な感動がじわりとルナリアの胸に響く。
『――ていうか、“少しだけ”って……あれ、普通に壁に穴あくレベルですよね!?』
(ふふ……魔法の力は、魂に根ざすもの……
だからこそ、初めて触れた者は“奥底が揺れる”ように感じるのかもしれませんわね)
『じゃあ……、風よ――えーと、囁きのごとく!』
しーん。
がくり。心の中でまひるが崩れ落ちる音が聞こえる。
(……まひるさん。魔法は才能ある者でも訓練が必要ですわ。
そうね……いずれ魔法の授業も始まりますから――
いつか、まひるさんにも練習の機会があるかも知れませんわね)
『やったー! やっぱり異世界と言えば魔法!
あ、そうだ! やっぱり系統とかあるんですよね! 属性とか、レベル分けとかも?』
(そうね、属性は光、火、風、水、土、そして闇。
あとはこれらの組み合わせや系統外と言われる魔法もあるわね)
(それから……レベル? ”階梯”かしら?
例えば、第三階梯以上の魔法は、専門の魔導士でないと操るのは難しいわね)
そう言いながら、月明かりの下、ルナリアはティーカップに紅茶を注ぎ、一口だけ静かに口に運んだ。
(わたくしが得意なのは風系統魔法ね。
先ほどの魔法ぐらいなら、少し指先に魔力を込めるだけでも出来ますけど――
魔法は、誰にでも使えるものじゃないの。
“選ばれた才能”を持つ者だけが扱える力よ)
『えっ、そうなんですか?』
(ええ。だからこそ、わたくしはこの力を無駄にはしないわ。
……魔力が尽きれば、回復には何日もかかりますのよ。
そしてその間、魔法を使うことはできなくなりますから)
少しだけ、ルナリアの声に影が差す。
『……じゃあ、もし本当に魔力がなくなった時に必要になったら?』
(その時は――命を燃やすしかないわね)
静かに告げられたその言葉に、まひるは息を呑む。
『……命って、それって……魂を……?』
(……ええ。でも、それは“最後の一線”を超える覚悟が必要な時だけ)
ルナリアは窓の外に視線を投げ、夜空に浮かぶ三つの月を見上げた。
(だから、私は滅多なことでこの力を使ったりしない。
けれど――守るべきもののためなら、迷うつもりもないわ)
その横顔は、月光に照らされて静かに輝いていた。
『“選ばれた才能”、かぁ……。わたしにも……ちょっとだけ、あったり……しないかな?
でも、とにかく! ルナリアさん、かっこよすぎです! これはもう、ヒロイン確定!』
(……本当にもう、あなたときたら。そんな風におだてられても……困りますわ)
まひるの素直な感嘆に、ルナリアはわずかに目を伏せて微笑んだ。
*
――再び灯したキャンドルのもと、ルナリアは最後の書類を片付けていた。
最後の一枚にペンを走らせ、ルナリアは立ち上がる。
(そろそろ、お休みになりませんこと?)
『……えーっと、大変お疲れのところを、本当にすみませんけど……』
『ルナリアさん! この世界の“設定”についていろいろと教えて欲しいんですけれど!?』
(“設定”って……?)
『ですです! この国のこと、学院のこと、ルナリアさんのお友達のこととか!』
(わたくしの…お友達……ね。そんな風に言われたのは、久しぶりですわ)
少しだけ視線を落とし、照れ隠しのように紅茶に口をつける。
(……本当に、あなたが来てから騒がしくなりましたわね)
それでも――心のどこかで、この声に救われている自分がいることも否定できなかった。
……まあ、いいでしょう。しっかり見届けなさいな。
ルナリア・アーデルハイトが、どう運命を切り拓くのかを――。
(いいわ。これまでみたいに、あまり勝手なことをされても困るから――
わたくしの知っていることでよろしければ)
『よっしゃー! じゃあ、まず――』
*
――夜も更け、二人の会話は深夜まで続き……。
『……――リアさん!ルナリアさん!』
頬に冷たい感触。
うっすらと目を開け、体を起こす。
デスクで寝てしまったようだった。
紅茶は既に冷えて、キャンドルも残り少なくなっている。
(あら、わたくし、寝てしまいましたのね?)
『えへへ、ごめんなさい。疲れてるのに沢山つきあってもらっちゃって』
(これで、そのあなたの言う“破滅フラグ回避”の役に立ったのかしら?)
『もちろんです! 二人三脚で“ハッピーエンド”目指しましょうね!』
(――それにしても、今日は本当に疲れましたわ……)
『はい! お疲れさまでした~♪ ゆっくり休んでくださいね!』
(……あなたも、これからはもう少しだけ、静かにしてくださる?)
『はーい♪』
ふっと息を吹きかけ、キャンドルを消す。
キャンドルの火がゆらめいて消えると、香を混ぜた蝋の薫りが部屋に漂った。
窓の外には、静かに瞬く三つの月。
月明かりを頼りに、豪奢なベッドに横になる。
その光を浴びながら、そっと目を閉じた。
――今日は、本当にいろいろなことがありましたわ……。
これが、わたくしの祈りに応えた女神アルフェリス様の試練なのだとしたら――
ルナリア・アーデルハイトとしての矜持にかけて
――彼女と共に、”運命すらも超えてみせますわ”。
(おやすみなさい。まひるさん)
『明日もがんばりましょうね、ルナリアさん!』
(……あなたが騒がしくしなければ、きっと静かに過ごせますわ)
『えへへ~、それはどうでしょう?』
『おやすみなさい、ルナリアさん』
女神に「誰かひとりにでも、この想いが届く奇跡を」と願った少女は、自分の中で何かが変わる予感を感じながら――夜は更けていく……。
そんな風に、ふたりの一日が静かに終わっていった――。
しかし、ふたりはまだ知らない。
この歩みが、やがて多くの運命を変えていくことを――
そして、回り出した運命の歯車は静かに加速する。
***
少しだけ時間を遡り――
エミリー・フローレンスが花壇でドジっ子劇場を展開した少し後のこと。
まひるとルナリアの会話。
『ふふふ、ルナリアさんの人気、もう爆上がりですね!
あ、薔薇園からも誰かがルナリアさん見てますよ~、ほら、例の攻略対象ですよ!!』
(攻略対象? わたくし、薔薇園には“攻略”ではなく“剪定”に行くのですけれど)
『うわっ、ルナリアさん、無意識にひどいこと言ってません?』
次回、【閑話】社畜と悪役令嬢と、薔薇の貴公子
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