第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード⑨
学院の中庭――
いつもなら、花の香りに包まれて生徒たちが優雅に談笑する王立学院の中庭。
けれど、今日は違った。
泥だらけのスコップを手に、公爵令嬢が花壇に膝をついていた。
――ルナリア・アーデルハイトが、王立学院の中庭で、草むしり。
(……はぁ? 何やってんの、あの人)
(ああ、またお得意の“庶民に優しい私”アピールご苦労様)
平民特待生、エミリー・フローレンスは木陰からその異様な光景を睨みつけた。
(今度は学院で“泥まみれの気高さ”アピール? はいはい、“上流階級のお慈悲”ご苦労様)
周りの生徒たちは、遠巻きに感心したように見ている。
(チョロいわね、ほんと……)
(ま、どうせまた皆、ルナリア様に夢中になって、平民なんか見向きもしないってわけ)
……面白くない。全然。
エミリーは、再度、作業を続けるルナリアに目を移す。
泥をかぶれば“気高さ”。
花壇を整えれば“美徳”。
貴族様がやれば、なんでも美談になるんだ。
(……バカみたい)
(どうせ、あんなの“気まぐれな善行ごっこ”に決まってるじゃない)
エミリーは唇を噛みしめる。
(――貴族様なんて、期待したって、裏切られるだけなのに)
脳裏に浮かぶのは、幼い頃の記憶。
領主の館に仕えていた父はいつも言っていた。
「わたしたちがこうやって暮らせるのは、領主様のおかげなんだよ」
そんな父が、些細な失敗で全てを奪われた日のこと――
――「平民風情が、身の程を知れ」
父が涙を流しながら頭を下げる横で、貴族たちは冷たく笑ってた。
たった一度の失敗で、その日、家も仕事も、未来も――すべて奪われた。
その日から、エミリーにとって“貴族”とは信じてはいけない存在になった。
(優しくするふりをして、飽きたら捨てる――それが貴族)
だからこそ、目の前のルナリアの姿にも、冷めた視線しか向けられない。
笑わせないで……どうせ、明日には何事もなかった顔で高慢に歩いてるくせに――
そう思っていた、はずなのに――。
ふと、ルナリアが風に髪を揺らしながら、誰に見せるでもない微笑みを浮かべた瞬間――
その笑顔は、春の陽だまりのように、あまりにも自然で、温かかった。
エミリーの胸が、僅かにざわつく。
(……なんで、そんな顔するのよ)
偽善なら、もっと上手に演じればいいのに――どこまでも自然で、楽しそうにすら見える。
(ああ、やっぱり……本物……なの?)
――しかし、その瞬間、記憶がフラッシュバックする。
あの日からというもの、それこそ血反吐を吐くほどの努力をして、私はここにいる。
どん底から這い上がるために。
わたしたち家族を切り捨てた“貴族”を見返すために。
視線を逸らし、エミリーは強引に思考を断ち切った。
(……騙されない)
(あの女は、家柄だけで“王太子妃”として将来が約束され、ああやっていれば“美談”になる――そんなの許せない)
ギリ、と拳を握りしめ、手にしたスコップを睨みつける。
胸の奥に芽生えた“揺らぎ”――
ルナリアの姿に、一瞬でも心が動いた自分が許せなかった。
(こんなの……。いらないっ!)
だから――その弱さごと、スコップを思い切り投げ捨てた。
ヒュンッ!
風を切る音が、中庭に虚しく響いた。
エミリーは踵を返し、咲き始めた花壇にも目をくれず、その場を後にした――
はずだった。
グサッ――!
その時、背後から響いたのは、鈍く湿った音。
「きゃっ!」
「な、なにかしら今の!」
「ちょっと、信じられませんわ!」
中庭の空気が一瞬で凍りついた。
周囲にいた生徒たちが、息を呑み、ちょっとした違和感と共に――
思わずエミリーの方に目を向ける。
ハッとして振り返ったエミリーの目に飛び込んできたのは――
令嬢三人組の目の前、花壇に深々と突き刺さるスコップ。
(う、うそ……!? なんで、あんな方向に――!?)
三人の視線が、無言のままエミリーに集中する。
息の合った動きで、まるで舞踏会のステップのように――エミリーへ迫ってきた。
カランッ。
令嬢の一人がエミリーの足元にスコップを投げ捨てる。
「まあ、平民が貴族に刃向かうなんて――いい度胸ですこと」
令嬢三人組の完璧に息の合ったユニゾンが響く。
(や、やば……っ!!)
エミリーは咄嗟に背筋を伸ばし、澄ました顔を作る。
だが、その手は微かに震えていた。
三人組は間髪入れず、詰め寄った。
「何のおつもりかしら?」
「ああ、怖い……平民に命を狙われるなんて……」
「謝罪なさいな、命令しているのよ?」
(ち、違うし……!)
「……わ、わざとじゃないわよ!」
精一杯の強がりを返すも、声は少し裏返っていた。
三人組はニヤリと同時に笑い、冷たい声で畳みかける。
「まあ、口の利き方も知らないなんて」
「やっぱり、平民ね」
「“躾”が必要ですわね」
そして――最後は滑らかなアルペジオ。
「罰を――」
「――受ける覚悟は――」
「――よろしくて?」
(ちょ、ちょっと待って……! 本気でヤバいかも……!)
じりじりと詰め寄られ、エミリーは後退――
トンッ。
「きゃっ……!?」
石畳の突起に足を取られ、見事に尻もち。
(うそ……!? やだ、最悪っ……!!)
奉仕服のスカートが土で汚れるのも構わず、慌てて後ずさる。
(くぅ~~っ! どうしてこうなるのよ……!
ちょっとカッコつけただけなのにっ……!!)
迫る三人組の影。顔が熱くなり、悔しさで目が潤む――その瞬間。
「――それ以上はおやめくださいね」
その声が響いた瞬間、張り詰めた空気がふっとほどける。
まるで、冷たい風が、暖かい春風に変わったように――。
「……あれって、聖女様?」
「本物だ……!」
「空気が……変わった……」
振り向くと、あの“聖女”セリア・ルクレティアが、静かに歩み寄ってくる。
そのまま、すっとエミリーの前に立ち、エミリーは、その後ろ姿を呆然と見上げた。
「せ、聖女様……!」
令嬢たちは一瞬で青ざめ、先ほどまでの威勢が嘘のようにおとなしくなった。
セリアは微笑を浮かべたまま、けれどその瞳は冷静そのもの。
しかし、令嬢三人組は、ここぞとばかりに、セリアの前に出て声を並べる。
「聖女様、聞いてくださいますか?」
「この平民が、わたくしたちに――」
「スコップを投げつけてきたのです!」
令嬢の訴えを聞いたセリアは、目を伏せて沈黙した。
(……聖女様だって貴族。やっぱり、貴族なんて。結局、こうやって――)
失望に染まるエミリーを背に、セリアは静かに微笑みながら、首を横に振った。
「――でも、これは事故です」
一拍の静寂が落ちた後、誰かが小さく息を呑んだ。
「……は?」
セリアは、柔らかく、しかし揺るがぬ声で続けた。
「彼女がスコップを投げた時――向いていたのは、貴女たちとは反対側でしたから」
ユリシアが腕を組み、無言で頷く。
「……っ!」
令嬢三人組は顔を引きつらせ、完全に言葉を失う。
セリアは、今度は優しくエミリーに視線を向ける。
「エミリー・フローレンスさん――この方たちに向かって、スコップを投げたのですか?」
顔を逸らし、必死にプライドを守る。
「わ、わざとじゃないって言ったでしょ!」
エミリーは、驚きと羞恥で顔を真っ赤にしながら、内心で叫んでいた。
(それに……ノーコンがバレバレ……!)
セリアは微笑んだまま、エミリーを見つめている――すると何故か、
彼女の澄んだ瞳に吸い込まれるように――ぽろり、と言葉が零れた。
「ご、ごめんなさい」
言葉を受け止めると、セリアはふんわりと微笑み、令嬢たちに向き直った。
「過ちは、気づいた時に赦されるもの――
慈愛の神アルフェリス様も、きっとそう仰るでしょう」
そして次の瞬間、セリアの凛とした瞳の輝きが増した。
「誇り高き者に求められるのは、威圧ではなく、寛容ですわ――
謝罪を受け入れ許すという選択もまた、真の“誇り”ではなくて?」
微笑んだままの“聖女”の厳しい指摘に、令嬢たちは何も言えず、顔を真っ赤にして俯き、
セリアの隣に控えるユリシアが、厳しい面持ちで三人を順々に見回した。
周囲の生徒たちが、ごくりと息を呑む気配が走る。
「え、聖女様って……あんなに怖かったっけ……?」
「聖女様……マジで言ってる……」
「でも、正論すぎて……何も言えない……」
「せ、聖女様がおっしゃるなら」
令嬢三人組は、口々にそう言ってそそくさとその場を去っていった。
三人を見届けて振り返ったセリアに、エミリーはそっぽを向いたまま、ぼそりと呟いた。
「べ、別に……助けなんて、いらなかったし……」
ユリシアは呆れたように眉をひそめるが、セリアは楽しそうに微笑んだ――。
尻もちをついたままのエミリーに、静かに手を差し伸べる。
「大丈夫ですか、エミリーさん」
エミリーは思わず見上げたが、すぐにプイッと顔を逸らして言い放つ。
「……聖女様のお手を、汚すわけにはいきませんので!」
頬を赤らめながら自力で立ち上がると、スカートの裾を勢いよく払う。
セリアはその様子を見て、ふと自分の手元に視線を落とした。
土で汚れた指先を見つめ――
「……あら?」
と、きょとんと首をかしげる。
「……泥、取れますでしょうか?」
苦笑しながらユリシアがハンカチを差し出した。
その瞬間、先ほどまでの“聖女モード”がさらりと解け、柔らかな素の雰囲気が顔を覗かせた――エミリーはそのギャップに思わず言葉を失った。
遠巻きに見ていた生徒たちもざわつく。
「いつもの聖女様だ……」
「……なんか、ほっこりするというか……」
「このゆるさが……人気の理由だよなあ」
(……え……? かわい……)
だが、すぐに我に返り、ツンと顔を背けると――
セリアはにこやかにスコップを拾い上げ、エミリーに差し出した。
「大切にしてくださいね♪」
「~~~~っ!!」
スコップを受け取ると、エミリーは真っ赤な顔で声を絞り出す。
「何も嬉しくないし、感謝もしてないし、ぜっっっったいに忘れるから!!」
そう言い捨てると、エミリーはそのまま逃げるように立ち去った。
ユリシアが隣でぽつりと呟く。
「……さっきまでの聖女様は、どこへ行ったんだか」
「ふふっ、つい癖で……」
セリアは、エミリーの後ろ姿を見送りながら、ふわっと笑う。
「エミリーさん、本当に可愛らしい方ですね」
***
――その後、エミリー・フローレンスの部屋には――
窓辺には、ピカピカに磨かれたスコップが――
投げ捨てたはずの“意地”と共に、そっと立てかけられていた。
エミリー本人はと言えば――
『べ、別に……聖女様だけ特別ってわけじゃないんだから!
深い意味なんてないんだからね!』
そう言ってスコップに触れる手は、どこか優しかったという。
(……あんな人が、“聖女”なんて……ずるい)
(あー、聖女様に“ありがとう”って言っといた方が良かったかな~~~っ)
そんな風に、布団の中で転げ回っていたとか、いないとか。
***
王立学院・寄宿舎のルナリアの私室(夜)
夜の帳が下り、学院は奉仕日の喧騒が嘘のように、静寂に包まれていた。
月光が差し込む窓辺で、ルナリア・アーデルハイトはキャンドルの灯に照らされながら、ひとり書類をめくっていた。
ふと、手を止め、夜空を見上げる。
窓の向こうには、三つの月が静かに並び、今日という一日を見下ろしていた。
その瞳に映るのは、少しだけ騒がしくて、でもあたたかな今日の記憶――
『ルナリアさん、今日もおつかれさまでした~♪』
社畜と悪役令嬢の、ささやかだけど特別な夜が――今日もまた、そっと始まる。
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