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第15話「社畜と悪役令嬢と、王家の休日」 エピソード(23)

グランツハイム城下町・湖畔通り

レストラン《ル・ボール・デュ・ラック》・テラス席


高原の風も涼やかな湖畔のテラスで、華やかに始まった“皇帝ゲーム”――もとい“王様ゲーム”。

第三代から第七代皇帝まで、賑やかな七回戦が続いた。


セリアがにっこりと「失礼します」と言いながらヴィオラの頬をきゅっとつねって涙目にさせたり、

ユリシアとラファエルが真顔で見つめ合ったり(終始、まるで果し合いのような無言の攻防)、

シャルロットとアルフォンスの姉弟がにこやかに――もっとも弟は少し引きつっていたが――ハイタッチを交わして場を沸かせたり……。


テーブルの周囲は終始、笑いと悲鳴とどよめきに包まれ、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


そして――第八回戦。


いよいよ、ベアトリスが用意した太い棒――行動札も残り一枚。


「……わたくしが、第八代皇帝に即位いたしますわ」


椅子を引いて立ち上がったルナリアが、凛とした声で宣言する。

その瞬間、空気が一気に引き締まり――同時に、ベアトリスが「にやり」と口角を上げた。


『ルナリアさん! 今の笑い、絶対ヤバいやつですって!!』


(だ、大丈夫ですわ。ベアトリス様は皇女殿下……これまで通り、常識的な範囲のはずですわ)


『いやいやいや、その油断が一番危険なんですって……!』


ルナリアは意を決して手を伸ばし、ゆっくりと太い棒をめくる。

そこに記されていた文字は――


『あ〜ん、する』


「……っ!」


一同の空気が、一瞬にして凍りついた。

ベアトリスの瞳がきらりと光り、誰もがごくりと喉を鳴らす。


(あ、あ〜ん……!?)


『出た!! 相変わらず貴族の遊びで許されるギリギリを攻めますね、ベアトリス様……さすがです。

 でも、これは完全にターゲット選びが勝負を分けますよ、ルナリアさん!!』


ルナリアは人差し指を口元に添え、「ええと……」と宙を見上げた。

テラスは静まり返り、長テーブルだけでなく丸テーブルの四人までもが彼女に注目する。


小さく水鳥が羽ばたく音が響いた瞬間――


「……では、番号を――⑥番です」


ルナリアの澄んだ声が響く。

刹那、一斉に視線が自分の棒へ落ち、まじまじと見つめられた。


次の瞬間、ルナリアの正面――ヴィオラがびくりと震える。

ぱちぱちと瞬きをして、なぜか今にも泣き出しそうな顔になっている。


(あら、ヴィオラさん……どうかなさいましたの?)


『……もしかして、⑥を引いたの……ヴィオラさん?』


ヴィオラは胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、その瞳は潤み、まつ毛がかすかに震えていた。

それはそれは、切ない表情だった。


ふと、気配を感じたまひるが言う。


『ルナリアさん、ちょっと左を見て!』


(ええ……アルを見ればよいのですね?)


ルナリアがちらりと隣を見れば――やけに背筋を伸ばしたアルフォンスと一瞬目が合う。

彼は声こそ出さず、ものすごく真剣な顔で唇を動かしていた。


「……ぃ、ぃ」


しかも、小指をそっと右へ差し出している。

“さりげない”つもりなのが、逆にめちゃくちゃ目立っていた。


(『いい』? 何でしょうか? なにやら口を動かしていらっしゃいましたわ……)


『……いや、二文字……たぶん「みぎ」って!? しかもバレバレですからね!?』


『ルナリアさん……もしかして⑥、アルフォンス様じゃ……』


(いいえ、きっとヴィオラさんですわ!

 あれほど涙目になって……きっと恥ずかしいのですわ)


ルナリアはきっぱりと答えると、ふっと息を整えた。


(まひるさん、これは皇帝の責務。

 ヴィオラさんが恥ずかしがっているなら、わたくしが責任を持って――受けますわ!)


『あああ! ルナリアさんの“責任感”が裏目にィィ!!』


「では――」


一同、息を呑む。アルフォンスの喉仏が上下する。


「……正面、です!」


ヴィオラの目は潤んだまま変化なし――

一方で、アルフォンスの顔がみるみる蒼ざめていった。


(ま、まさか……)


そして――立ち上がったのは、アルフォンスだった。


「……⑥、僕だよ」


小さく寂しげに呟いた声が、テラスに響く。


「ふふ……」


ルナリアの右から小さな笑い声――ラファエルだった。


次の瞬間、アルフォンスの目の前――つまり“正面”に座るベアトリスが、ぱあっと満面の笑みを浮かべた。


「まあ! 殿下がわたくしに、あ〜んをしてくださるなんて! 光栄ですわ!」


「…………」


(う、うそだろ……なぜルナは……!?

 まあ、そりゃあそうだよな……わかってはいたけど……)


アルフォンスは肩を落とす。

だが――ルナリア皇帝の命令は絶対。


(待て、落ち着け僕……あ〜んだ。あ〜んをするんだ……相手は……ベアトリス……!

 なぜ僕はこんな人生の山場をここで迎えているんだ!?)


アルフォンスは顔を真っ赤にし、わなわなと震えながらクッキーをつまむ。

対するベアトリスは身を乗り出し、あ〜ん、と唇を開いて待ち構えている。


「殿下、早く……♡」


『き、きたぁぁぁ!! まさかのアルフォンス→ベアトリスあ〜んイベント!!』


(……なんだか、わたくしまで緊張してきましたわ……)


『確かに……わたしも目の前であ〜んを見るのなんて初めてかも……』


二人のどきどきが混ざり合い、ルナリアの鼓動が一段と高まる。


全員が息を呑む中――


アルフォンスは震える手でクッキーを差し出し、そっとベアトリスの口元へ。

吸い込まれるようにクッキーが差し出され、ベアトリスは嬉々としてぱくり、と一口。


「……ん〜〜〜、美味しいですわ、殿下」


その甘ったるい声音に、周囲は一瞬の静寂の後、爆発したように笑い声を上げた。


ティアナとフローラはテーブルをばんばん叩いて笑い転げ、

シャルロットは扇で顔を隠しながら肩を震わせ、

ヴィオラは膝の上で顔を覆って真っ赤になっている。

ライエルとエミリーは、笑っていいのか困ったように唇の端を上げた。

給仕や支配人、他の客までも「恋人かしら?」「ああ、若いっていいな」などとくすくす笑っている。


ちらりと右を見ると、ラファエルはなぜか嬉しそうに微笑み、

シャルロットはお腹を押さえて笑い、セリアは肩を震わせ、ユリシアも小さく微笑んでいた。


(ところで……なぜヴィオラさんは泣きそうだったのでしょう……)


『えっとねー、それは……百合の風が目に染みた……とか?』


(百合の風……そんな風が吹いていたかしら……)


『ははは……。それよりも、アルフォンス様、すっかり真っ白に燃え尽きてますよ?』


アルフォンスはといえば、椅子に崩れ落ち、背もたれにもたれて何やら遠くを見つめている。


はっと気付くルナリア。


(……もしかして、さっきのアルの『みぎ』は……)


『そうですよ! 右を選べばアルフォンス様があ〜んしてくれたんです!』


(……それは、皇帝の責務とはいえ、いくらなんでも……)


ルナリアは思わず目を伏せた。


もし“右”を選んでいたら、アルの手からクッキーを――わたくしが唇を開いて……。


そう思うと、耳元がかーっと熱くなり、思わずアルフォンスから顔を背ける。


ルナリアに背を向けたままのアルフォンスは――もはや魂の抜けた顔でぼそりと呟いた。


「……やっぱり僕は、本当に“道化”なのかもしれない……」


***


「――ふふっ。楽しい時間でしたわね」


ベアトリスが優雅に手を打ち鳴らすと、テーブルの上に並んだ棒が給仕たちによって手際よく片付けられていく。

皇帝ゲームは、大盛り上がりのうちに幕を下ろした。


セリアが穏やかな笑みを浮かべ、立ち上がる。


「それでは、わたしはこれで失礼しますね。

 グランツハイムの教会にご挨拶して参ります」


ユリシアも静かに頷き、二人は夏の陽射しの中へと歩み去っていった。

楚々とした背中と、それに付き従う帯剣した騎士の後ろ姿は、まさに“聖女とその守り手”そのものだった。


「僕たちも市長に顔を出してくるよ」


シャルロットとラファエルは視線を交わし、軽やかに席を立つと、外で待機していたランスロットたち護衛騎士とともにその場を離れる。


「グランツハイムは空気がきれいだから、ガラス細工とかの工芸品も有名なんだ。

 僕はちょっと工房に行ってくるよ!」


ライエルが目を輝かせて立ち上がると、すかさずティアナとフローラが食いついた。


「行く!」「わたしも〜!」


ライエルは「えっ」という顔をするが、双子姫はおかまいなしだ。


「え、ちょ、ちょっと待って!」


エミリーが慌てて立ち上がるが、すでに両腕をがっちりと引っ張られており、なし崩し的に同行が決定する。


「ふふ、では私たちもご一緒しましょうか」


ベアトリスは上機嫌にヴィオラの腕を取り、引率役を買って出た。

先ほどの“あ〜ん”でご機嫌なのか、実に軽やかな足取りである。


わいわいと賑やかだった一行は、あっという間に四方へと散っていった。


――残されたのは、ルナリアとアルフォンス、二人だけ。


高原の風がテラスを吹き抜け、静けさが戻る。

ふと見上げれば、雲ひとつない青空が広がっていた。


「……どうやら、僕たちだけになったみたいだね」


アルフォンスが小さく笑う。


「そうですわね」


ルナリアも自然と微笑み返した。


「……少し、歩かないか?」


「……ええ、わたくしも、そう思っていたところですのよ」


先ほどまでの喧騒が嘘のように、二人のあいだに穏やかな空気が流れ始めた。

しばらくすれ違っていた二人の歩みが――ほんの少しだけ、重なり合う気配がした。

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