第15話「社畜と悪役令嬢と、王家の休日」 エピソード㉒
グランツハイム城下町・湖畔通り
レストラン《ル・ボール・デュ・ラック》・テラス席
「……どうやら、第二代皇帝に即位するのは僕のようだ」
アルフォンスが椅子を引き、ゆっくりと立ち上がった。
その表情には、いつもの柔和さとは少し違う、妙に真剣さが宿っている。
(……アルフォンス様が皇帝……?)
『あ、これ……絶対ルナリアさん狙いですよ!』
太い棒を引き、そっとひっくり返すアルフォンス。
そこに記されていたのは――
「……『頭を撫でる』、か」
その瞬間、彼の目がきらりと光った。
(ルナに……撫でられたい……かも)
少し頬を赤らめつつ、息を整えるアルフォンス。
その胸中を知る者はいない――はずだったが、まひるだけは察していた。
『うわ〜〜〜顔に出てるよアルフォンス様!
乙女ゲーならここ、ヒロインががっつりフラグ立てるポイントですよっ!』
アルフォンスはわざとらしくゆっくりと視線を巡らせ――
「では……①番!」
ぴくり、とルナリアは小さく肩を震わせ……なかった。
(……④番、ですものね。わたくし……)
『おおっと!? これは誰からも反応なし! 空振りッ!!』
アルフォンスの顔が、「期待」から「えっ……」に一瞬で変わる。
視線を泳がせ、あからさまにしょんぼりした彼に、セリアがにこにこと微笑みかけた。
(どうなさるのかしら?)
『今、アルフォンス様の頭は間違いなくフル回転中です!』
その読み通り、策士アルフォンスの脳内は高速で回転していた。
(……誰も動かない……ということは①番はルナじゃない。
ポーカーフェイスが得意な人と考えるのが妥当。
ならば、候補は……ベアトリス、姉上、兄上……。
セリア様は……)
ちらりとセリアを見れば、いつも通りのにこにこ顔。まったく読めない。
(兄上がルナの頭を撫でる――それだけは……避けたい!
兄上の左がルナ。だから、左はナシだ……)
正面を見る。ベアトリスがその銀の瞳でじっと見つめている。
右か正面を選んだ場合――
(もしベアトリスが①番なら、撫でられるのは……僕。なんか負けた気がする……)
となれば――残るはひとつおき。
姉上にルナが撫でられる可能性はあるが……それは、まあ許容できる……。
(いや、ちょっと待てよ?)
もう一度、隣のルナリアをちらりと見る。
目を伏せて肩をすくめ、腕を膝の上で組みながら――はにかんだように微笑んでいた。
それは――何かを期待している顔……のように、アルフォンスには思えた。
(も……もしかして!)
ルナは僕の頭を撫でることを期待している!?
(ルナは再び“当たり”を引いていて、一回戦の教訓を活かしている可能性も!?
左を選べば、ルナに撫でてもらえる――かもしれない!?)
だが――兄上が①番だった場合、ルナが撫でられてしまう――
それだけは避けなければならない。
アルフォンスは深呼吸をひとつして、腹をくくった。
(……ままよ! ええい、賭けだ……!)
「……ひとつおき、で!」
「あっ……」
反応したのは――ラファエルだった。
その瞬間、アルフォンスは凍り付いた。
「……ああ、僕か」
何でもない顔で立ち上がる兄。
その余裕の表情に、アルフォンスは内心で「ぎゃあああ」と叫んだ。
(な、なぜだ……なぜよりによって兄上……!?
でも、これは……“左”を選ばなかった僕の勝ちでもあるのでは!?)
ラファエルは、なぜか勝ち誇った顔をしている弟の背後に回ると――ためらいなく、頭をわしゃわしゃと撫でた。
癖のある金の髪が、夏の陽射しを受けてきらきらと輝く。
「よしよし」
「うぐぐ!!」
突然のなでなでに、アルフォンスは顔を真っ赤にして身をよじる。
『出ました! イケメン兄弟強制仲良しイベント!! これはCG差し込み案件です!!』
(うふふ、なんだか子供の頃みたいですわ)
周囲は爆笑に包まれた。
「ふふっ……まあ、兄上もアルも。兄弟仲がよろしいですこと」
シャルロットが扇で口元を隠しながら、くすくすと笑う。
セリアは「ふふ」と喉を鳴らして、楽しそうにその様子を眺めている。
ヴィオラは少し目を丸くしてから、口元に手を当ててくすっと笑い、
ユリシアは肩をすくめ、小さく「仲良きことは美しきかな」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「素晴らしい……これぞ皇帝ゲームの醍醐味ですわ!」
ベアトリスは目を輝かせ、ぱちぱちと拍手を送る。
(……アル……なんだか満足そうなお顔なのに、同時に悔しそうですわね)
『うわー! 完全に読みを外して、自分が兄上になでなでされるオチ! おいしいなー!!』
アルフォンスはぐったりと椅子に座り直し、わしゃわしゃで乱れた頭を押さえながら小さくぼやいた。
「……ふふふ、僕の勝ちだ……けれど、なんでだろう。負けた気がして……悔しい」
それはまさに、勝負に勝って試合に負けた男の、独り言だった……そうな。
***
アルフォンス皇帝が撃沈した頃、その隣の丸テーブルでは――。
「――ねえ、ライエル。私たちもしよう?」
「うん、しよ!」
ティアナとフローラが、目を輝かせながら同時に言った。
「――えっ!?」「いや、ちょっと待って!?」
エミリーとライエルは思わずハモって小さく悲鳴を上げる。
顔を見合わせたその表情は、まるで「悪い予感がしたときの常識人コンビ」。
「支配人さ~ん!」
ティアナが手を挙げると、支配人は何も言わずスッと現れ、カラン、と音を立てて棒とペン一式を置き、深々と一礼して去っていく――熟練の手際である。
ティアナとフローラはさっそく①~③、そして「皇帝」と記入し、太い棒を二枚ずつ配った。
「ちゃんと面白いこと、書いてくださいね!」
「そう、面白いこと!」
双子姫はぴったり息を合わせ、きらきらと目を輝かせながら顔を寄せ合う。
もはやいたずらを企む小悪魔コンビである。
*
ライエルはペンを握りしめ、眉間に皺を寄せて思案中。
(……はあ。なんで僕、昼下がりのティータイムで頭脳戦してるんだろう……)
とはいえ、脳はフル回転していた。
(丸テーブルだから“ひとつおき”は意味がない。右・左・正面の三択。
実行役と対象役が毎回一人ずつ――つまり、二分の一の確率で僕が“やる”か“やられる”。)
(……そしてあの双子が無策で来るわけがない。絶対に、連携攻撃してくる……!)
ちらっと双子を見ると、「あれにしよ」「うん、あれあれ」と囁き合いながら、いかにも悪い顔をしていた。
(……だったら、せめて僕の札は“守り”に徹するしかない!)
目を上げると、そこには唯一の味方と思われる人物が。
正面のエミリーも目を伏せ、うーん、と悩んでいる様子。
(よし、エミリーさんも悩んでる。年上だし、きっと僕と同じ常識的な結論のはず!)
ライエルはカッと目を見開き、ペン先を走らせる。
「合図をする」「変な顔をする」――完璧な安全札。無害。むしろギャグで乗り切れる内容だ。
(ふっ……甘いぞ双子姫。君たちの攻撃、受けて立とう……!
これでいいですよねっ! エミリーさん!)
内心で謎の勝利ポーズを決めるライエル。
*
一方、真正面のエミリーは――。
(……ど、どうしよう。これ、書いたら……それをライエルと……!?)
顔を真っ赤にしながら、棒とインクを見つめて固まっていた。
(「手を握る」とか……「頭を撫でる」とか……きゃあああ! エミリー何考えてるの!? 期待してない、期待してないからね!?)
ちらちらと目を上げ、ライエルの顔を盗み見ては、また俯く。
すごく真剣な顔――。
そして、自分がぼーっと見惚れていることに気づき――
「……っ!」
ぱんぱんと頬を叩いて我に返るエミリー。
やがて、ほんのり震える手でペンを走らせた。
その瞳には、ほんの少しの照れと……隠しきれない好奇心のきらめきが宿っていた。
*
その頃――双子は完全に“作戦会議中”。
「こっち先にやろっか?」
「うん、それでライエルをこうして……ふふふっ」
二人は顔を突き合わせ、時折「きゃっ」と小さく笑いをこぼす。
悪巧み中の顔が見事にシンクロしている。
ライエルは背筋に冷たいものを感じつつ、そっと覗き込んだ。
「ライエルがお姫様だっこする」
「ライエルが肩をもむ」
「ライエルがわたしの好きなところを十個言う」
「ライエルがクッキーを半分こして、わたしとティアナに食べさせてくれる」
「ライエルが――」
「…………」
(主語、全部僕……! 相手、全部君たち……!!)
ライエルはガタッと立ち上がり、拳を握りしめた。
「却下だッ!! 僕はやらない!!」
「え~~!! なんでぇ~~!?」
「なんで、じゃない! 理由は言わなくても分かるでしょ!!」
ぷくーっと頬を膨らませる双子姫。だがライエルは腕を組んで譲らない。
まるで幼稚園児と先生の攻防戦である。
そのとき――ライエルの視線が、エミリーの手元へとふと滑った。
……え?
エミリーは反射的に両手で棒を抱きしめ、真っ赤になってそっぽを向く。
その瞬間、ライエルは確かに見た――「頭を撫でる」と「手を握る」の文字を……!
(エ、エミリーさんっ!?)
ライエルは心の中で絶叫し、その場にへなへなと崩れ落ちた。
(攻撃は双子だけじゃなかった……内側にも敵がいたんだ……!)
――彼の脳裏に、静かに“敗北”の鐘が鳴った。
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