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第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード⑧

その光景を――

学院の柱の陰から、一人の金髪の青年が静かに見つめていた。


王太子、ラファエル・エリディウス・セレスティア。


ルナリアの婚約者にして、セレスティア神聖国の次期国王。

聖堂騎士団副団長・ランスロットと並び称される、剣の天才でもある。


彼の視線の先にあるのは――

奉仕服の裾を泥で汚しながらも、汗を拭うことすら忘れ、黙々と雑草を抜く少女の背中。


気高く、決して妥協を許さない、彼の“婚約者”――ルナリア・アーデルハイト。


(……そうだ。あの頃のルナリアは、土に触れることも厭わず、夢中で花に水をやっていた)


幼い日の記憶。

春の庭園のやわらかな日差しと、花の香りとともに、ふいに胸をよぎる。


(もし――あの頃に戻れたのなら、私は……)


思わず零れそうになった言葉を、ラファエルはかぶりを振って飲み込んだ。

誰よりも誇り高く、そして不器用な優しさを持っていた、あの少女。


けれど今――

彼の目に映るのは、記憶の中の儚い少女ではない。

泥にまみれてなお凛と立ち、光を纏う、“今”のルナリアだった。


『わたくしは、ただ飾られるだけの花じゃない――

この手で根を張り、咲かせる花でありたい』


ラファエルの中で、さきほどのルナリアの声が再び響き――

“白亜の回廊”での彼女の――心の叫びを思い出させた。


『わたくしは、“置物”ではありません

――殿下の傍に飾られて、黙って微笑んでいるだけの、“理想の妃”などではないのです!』

『わたくしは、“人間”です!』


(……君は、変わっていないのか。それとも――いや、きっと“強くなった”んだな)


そう思ったはずの自分の胸に、去来したのは――

あの頃から、何ひとつ変わっていなかった“自分自身”の姿だった。


(いや……きっと、私が変わろうとしなかっただけだ)

(君を、勝手な“理想”に閉じ込めたのは――他でもない、私だ)


かつてのルナリアにはなかった、揺るぎない意志と、周囲を動かす力。

それは彼女の中に、確かに芽生えていた。


その姿に、ラファエルは思わず手を伸ばしかけて――

すぐに、その指先を拳へと閉じた。


(今のままでは……まだ、触れる資格がない)


(君が“今を生きようとしている”なら――僕も、“今の君”と向き合う覚悟を持たなくては)


(そうだ。王族である自分が動けば、彼女の“選択”を掻き消してしまう。

だからこそ……今はただ、その“選択”を見届けたい)


(私は……もう、迷わない)


言葉にせず、ただその背中を見つめる。

そしてラファエルは、静かにその場を後にした。


──けれど、その胸の奥には、確かな決意が芽生えていた。


今日、学院の中庭で咲いたのは――

“知らなかったルナリア”ではない。


これから私が、もう一度知っていく、“新しい君”だ。


(次に声をかけるときは、きっと――)


***


王立学院・中庭


――奉仕日の放課後


夕暮れの中庭。


奉仕日の喧騒が過ぎたあとに残されたのは――

土と花の匂い、そして、まだ温もりを残す風。


その花壇の前に、ひとり残っていた少女がいた。


小さな両手で白い花に水をやるその姿は、

まるで今日の“小さき花の革命”の続きを――ひとり、静かに紡いでいるかのようだった。


そのとき――


「いい花だね。……泥にまみれた分だけ、誇らしげに咲いてる」


まるで“風そのもの”のように、声だけが先に届いた。


少女が振り返ると、そこにいたのは――

整った顔立ちに、白いマント。癖のある金の髪が、風に揺れている。

どこか少年のような――

けれど、只者ではない気配を纏った青年だった。


だが、ただ“美しい”だけではなかった。

立ち方も、微笑も、距離感も――何もかもが、どこか“ズレている”。


「え……あの……あなたは……?」


「うーん、そうだね。あえて名乗るなら……“本命になれない王子”ってとこかな?」


ウインクひとつ。


ふざけているようで――その場の空気が、ほんのわずかに張りつめる。


「でも、心配しなくていいよ。君に用があったわけじゃない」


ふと、視線を花壇の奥へ向ける。


誰もいないはずの場所。

けれど――そこには、まだ“誰かの気配”が残っているかのように。


「君が、スコップを渡したあの子。……あの目、昔と同じだった」


「え……ルナリア様の、こと……でしょうか?」


「そう。ルナリア・アーデルハイト」


彼はふっと微笑んだ。


それは“好意”でも“皮肉”でもなかった。

まるで、何か懐かしいものを思い出す子どものように――けれど、目だけが鋭く光っていた。


「兄さんが選んだ“完璧な婚約者”。“王太子の理想の花嫁”。」


「――でもさ。君、気づいてる? 彼女、ぜんぜん“置物”なんかじゃない」


「……あれはね。王宮に仕掛けられた火薬庫だよ」


少女が戸惑うより早く、彼は白いマントをひるがえし、踵を返す。


「僕、もう少しだけ見ていたいんだ。あの仮面が――いつ、どうやって剥がれるのか」


「きっと、とても綺麗な音がすると思わない?」


一拍おいて、振り返らずに声を落とす。


「では。花のお世話、しっかりとね。……お互いに」


そう言い残し、夕暮れの石畳を音もなく歩き去るその背を、

少女はただ、呆然と――言葉もなく見送っていた。



少女と別れ、人気のない石畳をひとり歩く青年。


(兄さんは、まっすぐだな)

(……でも、世界はそんなに素直じゃない)


ふと、手元に目を落とす。


(泥にまみれて、笑っていたね。あの公爵令嬢――君は、何を隠してる?)


(演じてるんだろう? 君も、僕と同じで)


目を閉じ、小さく笑う。


「……いいね。仮面の奥、覗かせてよ――」


「剥がれたとき、君がどんな“顔”で笑うのか……すごく楽しみだよ」


風が吹き抜ける。

青年の影は長く伸び、やがて――風とともに、夕闇へと静かに溶けていった。


***


――そして、制服に着替え、物陰でこっそり様子をうかがっていた例の令嬢三人組。


「えっ、い、今のって……」

「……まさか……」

「……第二王子」


そして、いつもの完璧なユニゾンを奏でながら顔を見合わせる。


「アルフォンス様!?」


「……くっ……なぜ、今なのよ……!」

「さ、最初に声かけたの、なんであの子ですの!? ずるいっ!」

「スコップさえ……スコップさえあれば、今ごろ……っ!」


スコップがあれば、運命は変わっていた――

いや、おそらく変わらなかっただろう。


しかし、彼女たちの手には、スコップは無く――

取り逃がした“運命のワンチャン”への、悔しさばかりが残っていた。


春の夕暮れが、そっと幕を下ろす。

令嬢たちの知られざる“不戦敗”とともに――。


***


王立学院・寄宿舎へと続く回廊(夕方)


茜色の光が差し込む中、奉仕日の学院からの帰り道。


「……っくしゅん」


小さなくしゃみをひとつ。


思わず口元を手で押さえたルナリアが、ぽやんとした顔で瞬きをする。


そっと押さえた指の奥で、その唇はわずかに開いたまま――

茜の光を受けて、花びらのように淡く、ほんのりと赤みを帯びていた。


ふわりと揺れた長い睫毛が、夕陽をうっすらと透かしてきらめき――

潤んだすみれ色の瞳が瞬くたび、光を宿した宝石のように輝いて見える。


首をかしげながら、白い指先でそっと鼻先に触れ――

胸元のリボンをふわりと整える。


そこに、ふわっと響くまひるの声。


『はいっ! 今、”気高き美少女ムーブ”からの”天然美少女ムーブ”頂きました!! ありがとうございます!!』

『今のくしゃみで、これまでの“ヒロイン演出”ぜんぶ吹っ飛ぶはずなのに――

これぞ、圧倒的美少女にのみ継承されるという伝説の秘儀、くしゃみ返しですな~~!!』


ここでまひるは――心の中で鼻息一つ。


『ところで……春ですし……もしかして……ルナリアさんって花粉症、だったりします?』


(何ですの、花粉症って? ただ……風にくすぐられただけですのに)


『いや~、マスク姿も見てみたいな~って、てへ』


ルナリアは、ぽふんと髪を揺らして首をかしげた。


(もう、おっしゃることが、ぜんぜんわかりませんわ)


その銀の混じった金の髪は陽を受けて淡く輝き、

まるで春の花びらのように、やわらかに舞う光をたたえていた。


『……とすると――これって誰かが噂してるフラグ?』

『えっ、これって裏イベントの兆候!? だいたいこういう時、バッドエンドかルート分岐なんですけど!?』


「でも……どなたかに、見られてたような……そんな気もしますの」


(やっぱり!? これ絶対“裏イベント”来てますって! しかも、割とやばい系のやつ!!)


風がひとひら、白い花びらをさらっていく。


彼女は風でぱたぱたする制服の裾を押さえながら、空を舞う花びらを見上げ、ちょこんと首をかしげた。


ふるり、とスカートとリボンを揺らし、夕暮れの中庭を振り返る。


(何か、起きていたのかしら? ――ちょっとだけ……、気になりますわ)


『あー、それフラグですから!! 絶対何か起きてますって!』



「小さき花の革命」の、その裏側で――

あの“彼女”にもまた、小さな運命の転機が訪れていた。


泥と涙と、そして……スコップ。

はい、これはもう、事件の香りしかしません。

※最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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