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第15話「社畜と悪役令嬢と、王家の休日」 エピソード⑯

グランツハイム城・崖東側の露天風呂


男子風呂――。


――かぽーん。


夜気を孕んだ湯けむりが、静かな岩風呂を包み込んでいた。

湯舟の中央、向かい合うように腰を下ろしているのは――ラファエルとアルフォンス。


湯面に揺れる灯が、二人の整った顔立ちを仄かに照らす。

片やさらりとした金髪の美貌の王太子。片や癖のある金髪の冷静な第二王子。

月光と湯けむりを纏ったその姿は、まるで夜空の絵画から抜け出した二人の騎士のようだった。


湯の中で脚を組み、夜空を仰ぐアルフォンス。

ラファエルも自然と同じ方向へ視線を向ける。


立ち昇る湯煙の向こう、澄んだ星々が今にも降り注ぎそうなほど近くに瞬いていた。

その静寂を破るように、アルフォンスが口を開く。


「……あの日のこと、覚えてる?」


「……ああ。久しぶりに思い出したよ」


湯の表面がわずかに揺れる。

二人の脳裏には、あの日――タンタロスの丘の満天の星空の下で繰り広げた、激しい言い争いが蘇っていた。

互いに一歩も引かず、久しぶりに拳を交えた夜。兄弟であることすら忘れた、あの瞬間。


「兄さん……少し、変わったね」


アルフォンスが夜空を見上げたまま、ぽつりと呟く。

ラファエルは短く息を吐き、肩を湯に沈めた。


「……そうかもな」


――かぽーん。


木の桶の音だけが、静かな湯殿に響いた。

夜空と湯煙、二人の間に満ちるのは、久方ぶりの穏やかな沈黙だった。



少し離れた場所では――


ライエルは湯縁にちょこんと座り、緊張気味に肩をすぼめていた。

左には巨躯の帝国皇太子レオンハルト。

右には筋骨たくましい聖堂騎士ランスロット。


――がっしり。


両側をマッチョ二人に挟まれ、まるで小舟のように波間に漂うライエル。

彼の肩は、自然ときゅっと内に入っていく。


(な、なんで僕……この二人の間に……)


王国の聖騎士と帝国の皇太子。

普段なら絶対に交わらない二人の巨人に囲まれ、ライエルは湯気と緊張で息苦しさを覚えていた。

二人は互いに目も合わせず、ただ黙々と湯に沈んでいる。


圧倒的な筋肉と沈黙の圧に、ライエルの存在感は湯気みたいに薄まっていった。


(うわぁぁぁ……会話、ない。沈黙こわい……)


そんな中――


「……」


ふと、レオンハルトが湯から顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。


「ライエル……といったか?」


「えっ、え!? は、はいっ!」


まさか話しかけられるとは思っていなかったライエル。

心臓が跳ね、思わず湯の中で姿勢を正す。


レオンハルトは空を見上げたまま、しばし黙した。湯の音だけが響く。

その沈黙の重さに、ライエルの胸がどきどきと高鳴っていく。


「――乗りたいか?」


「……?」


「ヴォルクリスだ」


ライエルの心臓が再び跳ねた。

ついさっき見たばかりの、空を翔ける威容。伝説の竜――その名はヴォルクリス。


「……うむ。空から見下ろしたときに、馬車から身を乗り出しているのが見えたのでな」


「!」


ライエルの瞳がぱっと輝く。

まさか見られていたとは思いもよらず、胸の奥から熱が湧き上がる。


けれど――。


「いや、そんな! 皇太子殿下の騎竜に乗せて頂くなど、恐れ多いですよ!」


出た言葉は裏腹で、思わず両手を前でぶんぶんと振ってしまう。


ゴキッ――!


次の瞬間、ライエルの首は、がしっと丸太のような腕に包まれた。

肩を組むようにして、レオンハルトはがははと笑う。


「遠慮するな、小童よ!」


(やばっ! 今ゴキッて)


「い、いいのでしょうか!?」


「かまわん。明日、どうだ?」


「ぜ、ぜひ!!」


ライエルの声は思った以上に大きく響いた。

慌てて口を押さえるが、レオンハルトは愉快そうに頷いた。


そして、ふと右隣のランスロットへと視線を向ける。


「貴殿はどうだ?」


突然話を振られたランスロットは、ぴくりと眉を動かし、少し間を置いてから湯の中で腕を組んだ。


「……興味はある……が、空は苦手だ」


(……ランスロット様が……空……苦手……!?)


湯けむりの中、妙な沈黙が一瞬だけ走った――かと思った次の瞬間。


「わはははははははっ!!」


岩風呂に響き渡る豪快な笑い声。

突然の爆笑に、向こう側で湯につかっていたラファエルとアルフォンスまでも顔を上げ、目を丸くする。


レオンハルトはべしっとランスロットの背を叩き、愉快そうに言った。


「王国最強と言われる貴殿でも、苦手があるのか!? これは愉快だ!」


「……うるさい」


ランスロットがむすっと顔を背けると、さらにレオンハルトは腹を抱えて笑い続けた。


(うわ……これが本物の”男たち”……)


圧倒的な“男たち”のやり取りに、ライエルはただ身をすくめながらも、どこか羨望の眼差しを向けていた。

心臓はまだ高鳴ったまま――けれど、明日が、待ち遠しくてたまらなかった。



風呂上がりの待合室――。


石壁にタペストリーがかかり、シャンデリアの下、豪奢なソファーが並ぶ。

風呂上りに皆、腰掛けながらキンと冷えた葡萄酒やジュースを口に談笑していた。


そこに、首を変な角度に曲げたまま、ぺたぺたと歩いてくるライエルの姿が――


「どうしたの、ライエル?」

「変なの〜」


湯上がりのティアナとフローラが揃って指を指し、グラスを震わせて大笑い。

ラファエルやルナリアもくすくすと笑い、ユリシアまで肩を震わせて笑いを堪える。


けれど、エミリーさんまで笑ってたのは、なんだかちょっとだけ悔しい。

結局、セリア様に治療してもらったけれど、当のレオンハルト殿下は涼しい顔。


「まだまだ、鍛え方が足りんな! わっはっは!」


光をライエルの首に当てながら、セリアが“にこりともせず”じろりと睨む。


「お、おおう」


(……なるほど。皇太子殿下はセリア様が苦手……と)


ベアトリスは「お兄様ったら」とくすくすと笑った。

その和やかな空気の中、ふと、背中に冷や汗が。


(えっ? 一歩間違えてたら僕、危なかったんじゃ……?)


でも、そう思ったのは……僕と、きっとセリア様だけかも。


***


ライエルの部屋(夜)


その夜、ライエルは窓辺にランタンを置くと――

インクとノートを広げ、羽根ペンで図面を書いていた。


「えっと、もっと効率よく発電機を回すには……

 プロペラの数と角度、大きさ……うーん、もっと実験しないと……」


真剣な表情。

ライエルにとって、これは至福の時間。

頭の中は完全に“術理モード”へ切り替わっていた。


ふと、手を止め、窓の外に目をやる。

夜空には、湯けむりの向こうで見上げたのと同じ――満天の星。


「……古竜に乗れるなんて……夢みたいだ……」


胸の奥がじんわりと熱くなる。

あれは飛竜ではない。本物の古竜――ヴォルクリスだ。

レオンハルトの言葉が脳裏で反響し、心臓が再び高鳴る。


(明日、本当に……)


その瞬間、扉の方からこそこそとした声が聞こえた。


「ね、いっせーのせ、だからね?」

「うん」


(……またか)


ため息をつき、ライエルはペンを置いて扉へと向かう。

取っ手をぐいと回し、勢いよく引いた。


「わぁっ!」

「きゃっ!」


どたどたと部屋の中へ倒れ込む寝間着姿の少女二人――ティアナとフローラだった。


「……また君たちか」


眉をひそめるライエルに、ティアナは悪びれた様子もなくニヤリと笑う。


「へへっ、夜の探検隊〜!」

「ライエル、まだ起きてると思ってたの!」


「いや、僕は研究中なんだけど……。しまいにシャルロット様に怒られますよ?」


「え〜、ちょっとだけでいいから!」


二人にぐいぐい押されながら、ライエルは苦笑いを浮かべた。

さっきまでの胸の高鳴りと星空の余韻は、どこかへ吹き飛んでしまっていた。


(ま、いっか……)


夜は、まだ少しだけ賑やかになりそうだった。


「はい、ではお姫さま方。今宵の夜遊びは何をお望みで?」


ティアナがすっと手を上げる。


「んとねー、枕投げ!」


「また枕投げ!? 昨日の惨劇を忘れたの!?」


「あれはライエルが油断したから〜!」


フローラが控えめに言った。


「わたしはチェスがいいです。二対一で」


(……なんで最初から二対一前提なのさ……)


「えーと……じゃあ今日はクイーン抜きだけでいい? ルークはありで」


「うん! それで昨日も結構いい勝負だったもんね!」


「ね、今日は勝つもんね?」


「ねー!」


(はあ……まあ、枕投げよりはマシか。

 でも、こんなのクラリッサに知られたら滅茶苦茶からかわれそうだ……)


そんな三人を、夜空に浮かぶ三つの月が優しく見守っていた――そうな。


***


その頃。


とある地方の薔薇の館――ベルトラム男爵邸。


「くしゃん!」


寝台の上でクラリッサが上体を起こし、鼻をすする。


(風邪……かしら)


窓の外には三つの月。

視線の先――小さく白竜山脈の峰々が浮かんでいた。


グランツハイム。あの三人は、仲良くやっているだろうか。


「……さ、寝よっと」


再びまどろみかけたクラリッサの視線が、机の上の小物に止まる。

“本を読む眼鏡をかけた猫”のミニチュア。

先日、街で兄にせがんで買ってもらったお気に入りだ。


(うふふ、ライエルにそっくり)


ふっと微笑み、瞼を閉じる。

クラリッサの安らかな寝息が、夜の静寂に溶けていった。


――三つの月だけが知る距離をはさんで、夜は静かに更けていく。

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