表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

168/180

第15話「社畜と悪役令嬢と、王家の休日」 エピソード⑮

グランツハイム城・崖西側の露天風呂。

女子風呂――。


──かぽーん。


澄んだ音が岩場に反響し、静かな夜に溶けていった。

湯けむりがふわりと立ちのぼり、硫黄のやわらかな香りが鼻をくすぐる。

湯面には夜空の星々と月が揺らぎ――まるで天空と地上が一枚の鏡で繋がったようだった。


(……ふぅ。気持ちいいですわ……)


白い布を胸に巻いたルナリアは、肩まで湯に身を沈め、吐息を漏らした。

頬にかかる湯けむりが心地よく、肌をなでる湯のとろみが、全身の疲れを溶かしていく。


一方、心の奥――まひるは完全に蕩けきっていた。


『極楽極楽~~~!!

 いやぁ、これはもう……乙女ゲー的定番イベント・温泉!!

 ついに、きたああああ!!』


(……まひるさんが喜んでくださって、よかったですわ)


湯船をぐるりと囲むように、シャルロット、セリア、ユリシア、ヴィオラが並んでいる。

学院で共に過ごす友人たちと、月明かりの下で過ごすひとときは、まるで秘密のお茶会の延長だった。


「いいお湯ですわね……旅の疲れが癒されますわ……」


ルナリアが微笑むと、湯の対岸にいたユリシアが、いつになく表情をゆるめて口を開いた。


「ふふ……そうなのです。この温泉は山脈の地下深くから湧き出ており、硫黄と鉄、他にも豊富な鉱物成分を含んでいます。これが疲れを癒すだけでなく、皮膚を新しくし、傷の治癒にも非常に効果があるのです」


いつもは必要最低限しか話さない寡黙な騎士の熱弁に、場が一瞬きょとんとする。


『え!? ユリシアさんが饒舌!? 温泉語ると止まらない!? まさかの温泉ガチ勢!!』


セリアは湯気に頬を染めながら、柔らかく微笑んだ。


「ほんとに……いいお湯です……」


月の光が湯面に反射し、上気した頬ととろんとした瞳を照らし出す。

まひるが思わず小声で叫ぶ。


『うわぁぁぁ、セリアちゃんの湯上がり顔、破壊力高っ……!!』


シャルロットも目を閉じ、髪をまとめたうなじを湯けむりに浮かべながら、穏やかに言った。


「心まで洗われるようですわね……」


普段は厳格な王女の表情に、ふと少女らしい柔らかさが差し込む。

その姿に、まひるの心拍数が一気に跳ね上がった(脳内で)。


『う、うわ……王女様と、ついに……裸のお付き合い……!!

 これは、夢のご褒美イベントじゃん! ありがとうルナリアさん! ありがとう異世界!!』


(……まひるさん。不敬ですわよ)


『てへっ』


──その時、湯面を破る豪快な水音が響いた。


「きゃっ!?」


元気いっぱいのティアナとフローラが、勢いそのままに湯船へ飛び込んだのだ。


「うわぁ~、あったかーい!」

「お湯、気持ちいいね!」


跳ね上がった水しぶきがルナリアの頬を濡らし、彼女は目を細める。

その瞬間、シャルロットの叱責が飛んだ。


「ティアナ、フローラ。淑女らしく入りなさい!」


「はーい……」


双子はしゅんと肩を落とし、湯の中でちょこんと並んだ。


場が少し和んだその時――湯煙の向こうから、悠然とした足取りで現れたのはベアトリスだった。


「これは……なかなか……」


月明かりを受けた彼女の銀髪が湯気に濡れ、煌めく。

一同の視線が一斉に彼女へ注がれ――

うなじから白い首筋、華奢な肩へと自然に滑っていく。

そして、柔らかなカーブを描く――。


……布が、ない。


湯けむりの奥で、誰もが同じ場所を見て息を呑んだ。


その瞬間、まひるの脳内に警鐘が鳴る。


『ちょ、ちょっと!? 布!! 布どこ行ったの!? 裸、裸なんですけどこの人ーーー!!』


ヴィオラは顔を真っ赤に染め、ぶくぶくと湯の中に沈んでいった。


ベアトリスは周囲の視線など意に介さず、足先をそっと湯につけた。温度を確かめるように。

続いてゆるやかに湯へと身を沈めると、無言の皆に気付き、胸元に目を落とす。


ふっとため息をつくと、肩をすくめて言った。


「……ああ、これですの? 気になさらないで。殿方もおりませんし、減るものではありませんから」


『こっちが気にするわああああああ!!!』


「帝国では、混浴では布を巻きますけれど、女子風呂ではそのままですのよ?」


「こ……混浴……」


思わず、誰もが絶句する。


『恐るべし帝国式! 温泉でも一撃の破壊力ぱない!!』


ルナリアも思わず、上気した頬を両手で包んでいた。


ベアトリスは、手のひらですくった湯を頬に当て、うっとりと目を細める。


「ふぅ~。帝国の温泉とは違って……この湯のとろみ、素肌にまとわりつく感覚……絹で身を撫でられているみたい……。ああ、格別ですわ……」


その艶めいた声音と湯面に浮かぶ豊かな双丘に、周囲は一斉に赤面して俯いた。


──だが、ひとりだけ果敢に反応した者がいた。


「帝国の温泉とは、どのようなものなのですか?」


先ほど温泉語りをしたばかりのユリシアだ。

その瞳に、さきほどと同じ静かな熱が宿る。騎士の仮面の下から、確かな“温泉愛”がにじみ出ていた。


『やっぱり温泉ガチ勢だ……!』


「おや、興味がおありで?」


ベアトリスがくすりと笑う。


「いいでしょう。まずは、帝国三大温泉について、お話しますわね――」


と、まさかの温泉談義が始まる。


『なにこの展開!? 騎士と皇女の温泉トークとか、異世界、カオスすぎるんですけど!!』



少し離れた岩陰では、黒髪を高くまとめたエミリーが、首まで湯に沈み、そっと肩を縮めていた。

平静を装っているが、胸の内は嵐のようだ。


(え、えええ。なんでわたし、ここにいるの!?

 貴族様どころか、王女様に、公爵令嬢、極めつけは皇女殿下よ!?

 一緒にお風呂って……場違いすぎるでしょ……!?

 わたし、ただの平民なんですけどぉぉぉ!!!)


こっそり上がろう……と白布を押さえ、そろりと立ち上がりかけた、その瞬間――


(げっ……!)


「こっちこっち!」


ティアナとフローラが両手をぱたぱたと振っている。ばっちり目が合った。


「え、えええええ!?」


「あら、エミリーさん。こちらへいらして」


ルナリアが柔らかく微笑みかける。


エミリーは固まったまま、顔を真っ赤にして一歩、また一歩と湯の中を進んでいった。

湯けむりの向こうに、逃げ場など存在しない。

意を決したエミリーは、“貴族女子会”という名の湯煙地獄へと足を踏み入れた。



「まぁ! エミリーさんのお肌……とても、すべすべですのね?」


ふいに隣から伸びた手が、エミリーの二の腕をなぞった。

声の主は、もちろんベアトリス皇女殿下である。

つるりとした肌の感触に、彼女は楽しげに目を細めた。


「ひゃっ……!?」


突然のスキンシップに、エミリーは肩を跳ねさせ、びくっと震える。

まさか皇女殿下に触られるとは思っていなかったのだ。


「何か秘訣などあれば、わたくしたちにもご教示願えないかしら?」


エミリーの頭の中で答えがぐるぐると巡る。

ふと母の言葉を思い出した。


「え、ええと……お、お魚……? たぶん」


「お魚、ですの?」


ベアトリスが目を瞬かせる。

エミリーは湯気に顔を真っ赤に染めながら、しどろもどろに答えた。


「はい……わたしの地元では、お魚をよく食べると肌がきれいになるって言われていて……あとは豆でしょうか……」


「まぁ……!」

「お魚と豆……!」


ベアトリスは感心したように頷き、シャルロットもティアナもフローラも興味津々に身を乗り出す。

セリアはにこにこと優しく耳を傾け、ユリシアは「なるほど」と小さく頷いた。

ルナリアも静かに相槌を打ち、まるで一座の話題の中心がエミリーになったかのようだった。


(う、うそでしょ……わたし、今……皇女殿下や王女殿下たちに囲まれて、美容トークしてる……!?)


内心でエミリーは目を回しそうになっていた。



その様子を、湯の少し離れたところで眺めていたヴィオラ。

もちろん、美容の話には興味がある。

けれど――どうしても、視線は別の方向へ吸い寄せられてしまう。


(……ルナリア様……)


上気した頬はほんのりと紅に染まり、銀を帯びた金の髪の下から覗く白い肌には、水滴が宝石のようにきらめいている。

湯けむりに包まれ、ふっと微笑むその横顔は、まるで物語の姫君のようで――。


(ルナリア様と……お風呂……)


ヴィオラは真っ赤な顔をさらに染め、湯の泡に紛れるように、ぶくぶくと再び湯の中へ沈んでいった。


***


――その夜。


グランツハイム城のルナリアの部屋。


豪奢なベッドに沈みながら――。


『……尊い。脳内で全録画済! 今日はもう、寝ても何度でも夢が続くやつ……』


「ええ、本当に。夢のように素敵な時間でしたわ……」


『……ルナリアさんにそう言われると、なんだか心の汚さを思い知らされるんですけど……?』


「あら……。明日も入りますのよ? 一緒に心まで洗われましょうね、まひるさん」


『……うん。なんかごめん。次はちゃんと心も洗いますんで……ぐすん』

※最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけますと、とても励みになります。

 評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます(=^・^=)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ